第6章 菊柳家の一族
「さあ、着いた」
駐車場の白線内に愛車を停めて
「こっちの家も大きいね」
車の背面ドアを開けて荷物を取り出しながら理真が邸宅を見上げた。私たちが先ほどまで訪れていた旧邸宅以上の大きさだ。そうだね、と私もそちらに目をやると、爆音が近づいてきた。見覚えのあるワインレッドの車が駐車場に滑り込んでくるところだった。スポーツカーはタイヤを鳴らして止まり、最後に一度爆音を響かせてから静かになった。
「よお、探偵さん」
運転席から降りてきたのは、やはり
「このR1、やっぱり探偵さんのだったんだ。女の子なのに渋い車に乗ってんだな」
「次晴さんも今夜の集まりに?」
理真は車の話には乗らずに尋ねた。
「ああ、かったるいんだけど、爺さんの命令じゃあな」
「おひとりですか?」
「こんなとこに女連れてきたってしょうがねえだろ。さっさと飯だけ食って帰るわ」
言うと次晴は言葉通り、いかにもかったるそうに歩きながら門をくぐっていった。
「いや、ちょっとした旅館だね、これは」
次晴のあとに荷物を持って菊柳家の門をくぐった私たちは、これまた大きな玄関でお手伝いさんに出迎えられ、今夜から泊めてもらう部屋へと案内された。
「これはお風呂も期待できるね」
理真は早速、座卓に用意されていたお菓子をつまむ。理真は旅先での食事と風呂をいつも楽しみにしているのだ。ビジネスホテルに泊まらなければならなくなった時など大変な文句をたれる。殺人事件の捜査で来ているというのに不謹慎な気がしないでもないが、これでリラックスできて推理が冴えるのであればいいだろう。
「それにしてもさ」私は急須にお茶の葉を入れながら、「この集まりは何なんだろうね。昼に可南子さんに来てくれって言われて、目的も分からずに来ちゃったけど」
「菊柳
「何を?」
「警察に言ったのと同じ事をよ。いいか、隻腕鬼なんていないんだ。お前ら下手な勘ぐりなんか入れて捜査したら承知しねえぞ」
理真は、『いいか』以降をドスを効かせた声で喋った。源市の物真似をしているつもりなのだろうか。一度も会ったことがないので似ているのかどうか判断できない。会ったことない人の真似をやるなよな。
「そんなことを言うためにわざわざ?」
「一族を集めて、みんなの前で言質を取るためにね。なんて冗談よ。ただ単に探偵の歓迎セレモニーでしょ。みんなの顔合わせも兼ねて」
「何も起きなきゃいいけど」
私は湯飲みにお茶を注ぎ理真の前にも差し出してから、ひとくち飲む。うん、お茶の葉もいいものを使っている、ような気がする。
「お待たせいたしました。どうぞ、広間のほうへ」
ちょうどお茶を飲み終えたころ、先ほど案内してくれたお手伝いさんが部屋を訪れた。
廊下を案内され広間へ入ると、「おお」と、思わず声が漏れた。まさに旅館の宴会場のような広い畳敷きの部屋。しかし、これでひとつの部屋というわけではさすがにないようだ。襖を取り払った
私と理真は上座のほうへと案内される。座布団の数を数えてみると全部で十三。長方形の座卓の短辺にひとつ。この席の背中側には床の間がある。あとの十二席は長辺に六席ずつ設けられている。私と理真は長辺の席の一番床の間側の並んだ二席をあてがわれた。主賓扱いである。これですでに二つの席が埋まったから残りは十一。結構な数だ。菊柳家はどれくらい人数がいたかなと思い出して数えてみようとしたが、襖が開き大勢の人が入ってきたため、その思考は途切れた。入ってきた人達には知った顔も、そうでない顔もいる。全員が座布団の上に腰を据え終わり、立ったままの沖庭が一礼してから、
「皆様お揃いになりましたので開始させていただきます。源市様よりご挨拶を」
沖庭の目は床の間を背にして座っている人物へと向いた。言い終えた沖庭は座卓から少し離れた小卓の前に座った。代わって沖庭が目をやった人物が背筋を伸ばす。入ってきたときから分かってはいたが、この人が菊柳源市。薄くなってはいるが歳の割にはまだ十分に残っているといっていい総白髪を後ろに撫でつけ、その下の顔は表現すれば厳格なお爺さんそのもの。年齢は八十歳のはずだが、歩く姿を見ても足腰はしっかりしているようだ。背は百七十強くらいか。黒と紫の和服姿。その源市が、ゆっくりと口を開く。
「今日は皆ご苦労だった。たまたま全員の都合が付いたため、久しぶりに一族揃ってのこうした集まりを持てたことを嬉しく思う。嬉しくないことも起こったようだが、その嬉しくないこと絡みで今日は探偵さんとその助手の方をお招きした。お二人とも、ようこそお越し下さり感謝する」
そこで源市は私と理真に向き頭を下げた。私たちも頭を下げる。
「この席を大いに情報収集の場として使ってくれ」そこで正面に向き直り、「皆も探偵さんに聞かれたことには隠し事などなどせず正直に話してもらいたい。それが事件を解決する近道になるからな」
何だか思ってたのと違うぞ。妙に協力的じゃないか。
「食事を始める前に、お二人に皆を紹介しておこう。娘の可南子はもうお見知りですな」
私たちの対面に位置する可南子は頭を下げた。可南子は昼間に見たときのブラウスから紺色の和服に着替えている。
「可南子の夫の
源市の紹介は次へ移り、隣の男性が会釈する。眼鏡をかけた人の良さそうな男性だ。この人が可南子の夫、光一。年齢は五十少しのはずだが、髪は黒く表情も若々しい。グレーのスーツに青いチェックのネクタイがよく似合う。
「玲奈も昼に挨拶は済んでいるな」
源市の声を受けて、光一の横の玲奈は軽く会釈する。玲奈は昼と同じ服装だ。
「その隣は次晴。私の弟、
背中を丸めてあぐらをかいて座っていた次晴は、顔をこちらに向けたまま軽く頭を下げた。
「ハルちゃんも
玲奈が言うと、次晴はじろりと玲奈を睨み舌打ちした。すると源市は、
「次晴、お前、まだくだらぬ事をやってるのか。骨董品の宝などないと言ったろう」
「いいじゃねえか。俺の勝手だろ」
「先祖代々の林や倉を荒らすなと言っているんだ」
「そんなこと言って。あんた本当は見つかるのが怖いんじゃねえのか」
「何が言いたい」
「いや、見つかるはずのものが見つからないことが、かな。やっぱりあの噂は本当なのかい。借金払うために先々代の大事なコレクションを全部売り払っちまったってのは」
「次晴!」
次晴と向かい合う位置、私と理真が座った側にいる知らない男性が諫める声を出したが、次晴はそれに応じることはなく、
「うちがここまで大きくなったのは、ひい爺さんのお宝を売っぱらったお陰だってことか。あんたの手腕でも何でもないな。まあ、噂じゃあ虎の子の本当の貴重品だけは手放さずに残したっていうしな」
「次晴! やめなさい!」
先ほどの男性がさらに声を高くする。
「それで、お宝は見つかりそうなのか?」
対照的に源市は、少しも動じた様子もないまま次晴に質す。
「まだだよ。でもな、ちょっと考えはあるんだ。お宝って言うくらいだから、ただ倉の中に無造作に置いてるわけねえんじゃねえかって。前に調べた倉も、タンスや棚なんかを根こそぎどかして、隠し扉や秘密の通路なんかがねえか、もう一度最初から調べ直すぜ」
「……失礼した。お見苦しいところを見せてしまい申し訳ない」
沈黙が支配しそうになった場は、源市の言葉でかろうじて空気を保った。
「家族の紹介に戻ろう。
次晴の隣に、彼と同じくらいの年代の男性と中年男性が座っていたのだが、源市は跳ばしてこちら側に座った人の紹介に入った。家族の紹介ということは、あの二人は菊柳家の一員ではないのかもしれない。私の隣にいる源助は、源市とは対照的な好々爺といった印象のお爺さんだ。頭髪はあまりなく、さらに短く刈り込んでいるためほとんど禿頭だ。笑うと皺がよる顔で、「どうぞよろしく」と頭を下げてきた。会社のものだろうか作業着姿だ。
「これはあたしの女房のトミです」
源市ではなく、源助がさらに隣に座る自らの伴侶を紹介した。
「トミです、よろしく」
恰幅のよいお婆さんだ。青い和服姿が似合っている。おトミさんとでも呼びたくなる。
「隣は、源助の息子、
紹介手は源市に戻っている。康幸は「先ほどは息子が失礼しまして」と、ぺこぺこと頭を下げる。絵に描いたような七三分け、痩せぎすで眼鏡をかけており薄いグレーの背広姿。サラリーマン以外の何者でもないというふうだ。
「康幸の嫁の
こちら側の最下手に座った女性がゆっくりと頭を下げる。康幸を見ると次晴の親だとはとても思えないが、この俊子を見ると、そうだなと納得してしまう。茶色いロングヘアに濃い化粧。指や首もとをアクセサリーで飾り、ブラウスは少し派手目。普段はもっと派手なものを身につけているのだろうなと察せられる。
「私の妻の
源市は菊柳家の紹介を終えた。
「そして、家族ではないのだが、今日招待し、お二人にも紹介したい人達がいる」
源市は、先ほどスルーした次晴の隣に座った二人に目をやった。その二人は同時に会釈する。
「次晴の隣は当社菊柳興産不動産部の社員、
里中という青年は明るいグレーのスーツに身を包み、黒髪の短髪や健康的な肌の色と、清潔感あふれる好青年という印象だ。隣の次晴とは何もかもが対照的といえる。結構ハンサムだし。隣の園田は初老の男性。黒いスーツを着て眼鏡の奥で常に目が笑っているような人だ。
「里中くんはうちのエースでね。将来の菊柳興産を背負って立つ人間だと私は見ている」
源市のその言葉を聞いて里中は深々と一礼した。源市が見込んだ将来会社を任せられる人物。どこかで聞いたことがある話だ。もしかと思い玲奈を見ると、横目で里中のほうを窺い、心なしか顔がほころんでいる。
源市の子供は女の子の可南子ひとりしか生まれず、光一を婿に取って跡取りとした。その可南子と光一夫妻にも、今のところ子供は娘の玲奈しかいない。可南子、光一とも年齢は五十前後のはずだ。これから先また子供を作るとは考えにくい。とすれば、玲奈にも婿を取らせ跡取りとする考えなのではないだろうか。一族の集まりであるこの席に呼ばれていることからも、里中こそが玲奈の婿、延いては菊柳興産次期社長の座に座ると目されている人物なのかもしれない。
当の玲奈はどう思っているのか。先ほどの表情を見るに、まんざらでもないような印象を受ける。里中はハンサムだし。隣に座る玲奈の父親である光一も笑みを浮かべている。その隣の可南子も……と言いたいところだったが、その表情は少し険しい。里中には、ちら、と一瞥くれただけで、すぐに俯き加減に目を伏せてしまった。
「では最後に、安堂さんと江嶋さんのほうからも自己紹介願えるかな」
源市は私と理真に向いた。そういえば、源市とは初対面だが彼は私と理真の名前を承知している。警察から連絡があったためだろう。源市が菊柳家の絶対君主であるなら、素人探偵の捜査介入の知らせは菊柳側では真っ先に源市の耳にもたらされるはずだ。理真が歓迎されていなければ、今こうして食事の席になど呼ばれるはずがない。源市に捜査方針について色々と釘を刺されるのでは、というのは取り越し苦労だったのではないか。
「みなさんこんばんは」私がそんなことを考えているうちに理真は挨拶を始めていた。「今回は別荘で大変なことが起きてしまい、心中お察しします。新潟県警からの要請を受けて捜査協力に参りました、安堂理真です。素人探偵の捜査介入という異例のことを、こうして歓迎していただきまして大変ありがとうございます。事件の解決には皆様のご協力が不可欠です。警察に対して同様、私と」と、ここで理真は私に手を向けて、「こちらの江嶋
理真は頭を下げ、私も同じように倣った。拍手が起きてもおかしくない挨拶だったが事情が事情なだけにか、それはなく一同も頭を下げただけだった。
「こんな事情ではあるが、一応みんな揃ったということで乾杯をしよう。事件の早期解決を願って、これなら乾杯も許されるかな」
源市のその言葉を合図に、一同は座卓の上に置かれたビール瓶の栓を開け互いに注ぎ始めた。私と理真には源市自らビール瓶を傾けてくれたが、
「ありがとうございます。ですが、捜査中は禁酒と決めていますので。常に頭を正常に保っておかなければなりませんので。いつ何時、何が起こって車を運転することになるか分かりませんし」
理真はビールを固辞した。そう、理真は事件捜査に入るといつもこうする。私ももちろんそうだ。もっとも、私も理真も普段からそんなに呑むほうではないので、別段それが苦になるということはない。源市はそれを聞いて、
「立派な心懸けだな。ではこちらを」
代わりにウーロン茶の栓を開け、注いでくれた。一同のグラスに飲み物が行き渡った。見ると次晴と里中は私たちと同じくウーロン茶。それ以外は全員ビールのようだ。次晴は食事を食べたらさっさと帰ると言っていたので車を運転するためだろう。里中も車を運転して帰るらしい。隣の園田はビールの入ったグラスを手にしているのを見ると、二人は一台の車に相乗りしてきたのだろう。
乾杯の音頭を光一が取って、宴は始まった。私は一気にウーロン茶を飲み干す。さて、最初に誰に話を訊きに行くつもりなのかと隣の探偵を見ると、当の理真は大皿から自分の皿に料理をひょいひょいと取り入れるのに一生懸命だった。周りも、すぐにでも理真が聞き込みに回るのかと構えていたようだったが、探偵がまずは自分の胃袋を満足させる行動を取り始めたため、彼らも同じように飲み食いに徹することとしたようだ。同時に歓談も始まった。
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