俺は、化け物になった

月崎海舟

第1話 俺に助けを求めてみないか?


 ――――たった一人の夢を見た。


 建物は崩れ落ち、人々は死に絶え、植物は枯れ果てた。

 そんな世界で、男はたった一人俯いていた。

 なぜこうなってしまったんだろう。どうしてこうなってしまったんだろう。

 疑問は浮かぶが、考えには結びつかない。


『お前が望んだ世界だよ』


 自分一人だと思っていた男は、背中から声をかけられて思わず振り返る。


 そこには見たことを後悔させるような化け物がいた。

 爬虫類のような鱗が顔一面に広がり、獰猛な瞳をしている。喜びを表すかのように、尻尾を元気よく振っている。

 恐竜が人の形をしたような、人々の恐怖が一つとなったような、邪悪な姿がそこに存在していたのだ。


 男は何かを言ったが、何を言ったのか男自身意味を解っていなかった。

 化け物はそんな馬鹿な男をあざ笑うかのように尻尾で吹き飛ばした。

 それでも男は立ち上がって、よくわかってもいないのに化け物に文句を言う。

 そしてその化け物は、問答に飽きたのか、そのまま口を大きく開き――――


  ○


 ――――あるアパートの一室で、その男が眠りから覚めた。


 なんだかとても嫌な夢を見た気がするなと思いなら、目をこするとのっそりと起き上がる。


 寝汗がひどかったのでシャワーを浴び、さっぱりしてから朝食の準備に取り掛かる。


 昨日の夜にセットしておいた白米を茶碗に詰め込んで、それに松前漬けをかけた。

 飲み物は水道水を氷で冷やした物だ。彼のご飯のお供には、お茶か水が基本である。ジュースといった甘すぎるものは、どうも食事するにはあわない気がするとの事だ。


 彼の名前は藤堂とうどう飛鳥あすか。しがない大学生活を送っており、脚本家になるために、映画を専門とする四年生の大学に通っている。


 テレビを付けて、ニュースを流す。

『――――昨晩二十時頃、近隣の住民が遺体を発見しました』


 朝からショッキングなニュースだなと思いながら、淡々とご飯を食べ終える飛鳥。


 顔を洗い歯を磨き、服を着替えリュックサックを背負う。


 家を出ようと靴を履こうとすると、携帯電話が鳴り響く。

 画面に表示されているのは『母さん』という文字だ。しがない専業主婦をやっている、飛鳥の実の母親である。

 応答ボタンを押して、飛鳥は電話に出る。


「もしもし母さん? どうしたの?」

『おはようでしょう飛鳥』


 全く幾つになっても困っちゃうわ、と飛鳥の母が困ったように呟く。


「おはようございます。それで? どうしたのさ母さん」


 その発言になんとも言えない表情を浮かべながら、飛鳥は話を続ける。


『最近連絡寄越さないから、お母さん心配になっちゃってね。大学ではうまくやってるのかい? 脚本家にはなれそうかい?』


 もう大学生にもなった子供に何を言っているのかと、内心呆れる飛鳥。子の心親知らずとはまさしくこのことだろう。

 だが、世の中には親の心子知らずという言葉もある。飛鳥の母にとっては飛鳥は、いくつになっても自分の子供なのだ。心配しないわけがない。


「一年二年でなれたら苦労はしないよ。それに俺もう二十歳はたちだよ二十歳はたち。そんな心配いらないよ。それより父さんとひかるはどうなのさ。元気にしてる?」


 飛鳥の父はしがないサラリーマンをしており、最初は飛鳥の夢にも「安定した職に就け」と否定的だったが、飛鳥の熱心な説得により、今では飛鳥の夢に応援してくれている理解ある父親である。


 光というのは十歳という年の離れた弟であり、飛鳥とは似ても似つかない程の腕白坊主だ。将来の夢は、テレビの中のヒーローだといっている。


 飛鳥も幼いころはテレビの中のヒーローに憧れていたが、それももう過去の話である。


『元気にしてるよ。たまにはあんたも顔を見せな』


 家族の顔を見たい、という気持ちもあったが、最近は学校の実習も忙しいので、予定を調整するのは難しそうだ。


「はいはい、んじゃ忙しいから切るよー」


 なので、曖昧に返事をして話を終えようとする。


『はいは一回でしょ。はい、がんばってね』

「がんばるよ。じゃあねー」


 通話を切ると、飛鳥は外へと歩き出す為にドアノブに手をかけ、外へと歩き出した。


  ○


 日が昇る時間、建物が立ち並ぶ都会の陰で、戦っている者がいた。


 一つは大きな目をした異形の化け物。人型を基本として、獣のような獰猛な体つきをしており、さながら人々の恐ろしさを詰め込んだ姿だ。その瞳は大きな目は野生の肉食獣を彷彿させ、一度睨めば多くの人は怯え上る事だろう。


「しつこいやつめ!」


 異形の化け物は言葉を発し、緑色の光弾を放つ。

 正確で鋭いその一撃は、もう一方の大胸筋部分にあたるが、びくともしない。その中心部には青いクリスタルがついており、平気だとでもいうかのように輝いていた。


 もう一つは、白銀と赤のカラーに均一性を持たせた機械的な戦士だ。黒い布地の上に基調の色を白銀、それを際立せる赤い色のアーマーを身に纏い、赤い鉄仮面には青いアイシールドと一本の角を付けている。

 緑色の光弾が着弾した部分を、埃でも被ったかの様に手で払う。


「そりゃお前さんの方だろうが」


 ベルトのバックル部分のパーツを外す機械的な戦士。するとそこには、液晶画面が取り付けられている。ただのベルトのパーツの一つなのではなく、携帯機器であるらしかった。


「そろそろ行くぜ必殺技!」

【OK! Finish Move!】


 携帯機器が機械的な戦士の言葉に応じると、携帯機器自身が帯電し始める。それを機械的な戦士は自分の右手首に付ける。

 すると、アイシールドと胸のクリスタルがより一層と輝き始めた。更にはクリスタルから携帯機器が装着された右手首へと、青色の輝く線が描かれる。

 明らかにマズいと悟った異形の化け物は、一目散に逃げだした。


【One Soul Input!】

「必殺ゥ……!」


 機械的な戦士走り出し、異形の化け物を追いかける。


「一魂投入!」


 すぐさま距離を縮めた機械的な戦士は、叫びながらその右の拳を、異形の化け物に叩きつけた。


 異形の化け物は、情けない声を出して地面に叩きつけられると、大きな爆発を起こして倒される。


「これにて一件落着ってか」


 ふう、と疲れたように息を吐く機械的な戦士。

 すると、一人の白衣を着た女性が、右手首に取り付けている携帯機器に映像として現れた。


『お疲れ様。ディザスカイの反応は消えたのを確認したから、もう戻ってもいいわよ』

「あいよー」


 かっこよさを強調するかのように、機械的な戦士は指を鳴らす。

 すると、赤を基調とした白銀のバイクが颯爽と走り寄って来た。

 それに跨ると、機械的な戦士は姿をくらます為に走り出す。

 そこには誰もいないとでもいうかのように


  ○


 幾日か前に健康診断を行い、異常なしと言われた健康優良児筆頭の藤堂飛鳥だったが、この日はどうも調子がおかしかった。

 体の具合が悪い、ということではない。いつもと調子が違うのだ。


 授業の内容は驚くほど頭に入ってくるし、レポートもすらすらと書き上げることができた。

 極めつけは、最近授業では眼鏡を付け始めたのだが、それが必要ないほどに視力が回復しているのだ。


 授業が終わって学生ホールに移動した飛鳥は、何かがおかしいと思いながら首を傾げる。これほどまでに絶好調だと、何か悪い病気の前兆ではないかと疑ってしまう。

 とりあえず気分を変えようと椅子に座り、リュックサックから事前に買っておいたミネラルウォーターの入ったペットボトルを取り出す。

 すると、ペットボトルは風船のように弾けてしまい、飛鳥の顔を濡らしてしまう。

 簡潔に言ってしまえば、飛鳥がペットボトルを握りつぶしたのだ。


「……どうも調子がおかしいなあ」


 頭を抱え、悩む飛鳥。


「おいおい飛鳥、なにやってんだ?」

「こんなに水ぶちまけちゃって……って、顔色悪いけど大丈夫?」


 それを見かけた友人達が寄ってきて、何があったかを聞いてくる。

 飛鳥は友人達を見上げて、ぐったりとした笑みを浮かべる。


「……もう死ぬかもしれん」


 心配させないという言葉は、生憎今の彼の辞書にはない。


「そんなつらいなら病院行けよ。な?」


 その言葉に、飛鳥はこの後の予定を思い返してみる。

 飛鳥は今日の授業はもうない。この後は友人達と学食を食べる約束があるぐらいだった。

 つらい、というわけではない。むしろ清々しい気持ちだ。

 だが、この清々しさに不気味なことを感じているのも、飛鳥の思いであった。


「……うん、じゃあそうするわー。じゃあねー」


 手を振って席から立ち上がり、飛鳥はフラフラ千鳥足で歩き出す。


「病院まで付いて行こうか?」


 友人の一人がそう呼びかけるが、飛鳥は首を横に振る。


「いいっていいって。病院なんて子供じゃあるまいし、一人で行けるって」


 心配そうに自分を見る友人達を背に、フラフラと千鳥足で、けれどもどこか軽やかに歩を進めた。


「大丈夫かな飛鳥……」


 その背中を友人の一人が心配そうに眼で追うが、もう一人の友人がいさめる。


「まあノリとか、ふわっと飛鳥だったし、大丈夫じゃね?」


 その言葉に心配していた友人は、それもそうかと納得して、他の友人たちと一緒に昼食を取りに行った。


  ○


 夕方過ぎ、榊原さかきばら研究所の一室にて。

 もう定時だというのに、パソコンに向かい仕事に没頭している白衣を着こんだ女性がいた。

 彼女の名前は天城あまぎ奈津子なつこ。この研究所の所長でもある敏腕研究員である。今年で二十九になる。


「ふぁ~あ。奈津子ー、牛乳出してくれ。ぢがれだー」


 突如入ってきた男が、ソファに寝転がりこんでくる。

 男の名は天願てんがん泰造たいぞう。総髪の様な髪型と無精髭が似合っているが不清潔といったようには見えず、むしろさっぱりとした印象だ。今年で三十二になる。

 左腕に包帯がグルグルと巻きつけてあった。


「もう、それくらい自分で出しなさいよ」


 そういいながらもパソコンでしていた仕事を中断し、冷蔵庫の方へ向かう奈津子。

 悪い悪い、などと言いながらも、泰造はごろりとソファに転がる。反省したようなようには見えない。


 仕方がない人だと思いながらも、怪物退治で疲れているだろうなと思い、労わる気持ちもあってか前もって準備しておいた泰造のコップを持ち、冷蔵庫に入っている牛乳パックを取り出して、冷えた牛乳をコップに注ぐ。


「はいどうぞ。いつもお疲れ様」


 それをソファの近くのテーブルに置いて、奈津子は仕事に戻った。


「さんきゅー」

「はいはい」


 牛乳の入ったコップを手に取り、喉を鳴らしながら一気に飲み干す。


「ぷはー! やっぱ仕事の後と検査の後にはこれっしょこれこれ!」


 口元に付着した牛乳を手で拭い取り、ご満悦な泰造。

 奈津子はその言葉に笑みを浮かべながら、仕事の続きをし始めた。


 いい歳した男が研究所の床で寝っ転がり、ごろごろと怠けだす。

 だが、しだいに奈津子が絡んできてくれないのが寂しくなってきたのか少し不服そうな表情を浮かべる。

 泰造はよっこら翔一君! と立ち上がると、奈津子の後ろからパソコンの画面を覗き込んだ。


「ちょ、見難いってば。邪魔しないでっていわなかった?」

「……あー、これ俺への負荷を減らそうとしてるわけ? でもこんなことしたら出力落ちるだろ」


 奈津子が不平不満を漏らすが、そんなことにお構いなしに泰造は画面に映っているデータを読み解いていく。


「出力が落ちるくらい、あなたの命に比べらたらどうということはないでしょう?」

「んなことしたら、ディザスカイの撃破率落ちるだろうに」


 奈津子は溜息をして、泰造の頬に指を突き付ける。


「いい!? アナタは私の恋人! アナタの身を案じるのは当然であって、少しでも負荷を軽減するのも当然なわけ! このアーマーでどれだけ多くの命が散っていったかは、アナタも知っているでしょう!?」


「お前みたいなキューティーハニーがいるのは超絶感謝しているし、俺とお前もそれを承知でこのアーマーを装着してんだ。それに俺は適合者で、耐性も十分にある。なんら問題はないだろうがっ」


 泰造は奈津子にデコピンをして、再びソファに転がった。


「それに死んだ奴は負荷じゃなくて、ディザスカイにやられて死んだんだ。体に負荷はかかるが、なにもそれで死にはしねえよ」


 奈津子は大きなおでこを擦りながら、ソファの傍でしゃがんで泰造の顔を見つめる。


「それでも、アナタの体には相当な負荷はかかってるのは確かよ。貴方はもっと自分の体の事を大切にしなさい。あなた一人の身体じゃないのよ?」


 心配そうに、今にも消えてしまいそうな声で語り掛ける奈津子。


「……俺はそう簡単に死にやしないさ」


 小さな背中に手を回し、泰造は優しく抱きしめて、背中を擦る。

 そんな二人の至福の時間に、アラームが鳴り響き放送が入った。


【エリア2E地点28にディザスカイ出現。記録にはない新種との情報。脅威度はエネルギー量からして大量殺人級かと推定】


 放送を聞いて、奈津子は顔をしかめる。


「……新種か。最近多いわね」

「それでも、俺がやることは変わらねえさ」


 ポケットから携帯機器、ここでの通称デバイスを取り出す泰造。

 そのデバイスは現代でよく使うスマートフォンやiPhoneといった携帯機器に似ているが、これはそのどちらとも違う物だ。

 デバイスの画面に映し出されるデータを確認しながら、淡々と部屋を出る泰造。

 それに気づいた奈津子は、慌てて追いかける。


「待って! まだアップロードできてないわ!」

「大量殺人級なら、従来のエネルギー出力量じゃなきゃ対抗できんだろ。あれなら逆に自殺行為だ」


 奈津子がデバイスを力ずくにでも奪おうとするが、さらりと受け流してムーブルームへと入り込む。

 追いかけてくる奈津子だが、ムーブルームの前まで来たところで、泰造が部屋から出てきた。


「だいたい、勝手にアップロードなんかして、上層部うえに叱られるのはお前だろうが」


 そう忠告すると、泰造は扉を閉めた。


 ムーブルーム、とは言っても、別に瞬間移動などができるわけではない。

 ここにあるのは、様々な移動手段を持った乗り物たちと、トンネルと屋根だけだ。

 自働車、バイク、回転翼機やジェット機など、普通に生活していたらこんな光景は見れないであろう。


 泰造があたりをうろついていると、女性の整備士が声をかけてきた。


「T部隊が先行して状況確認と民間人の避難に当たっていますので、泰造さんはこのバイクで現場に急行してください」


 あいよ、と返事をすると、言われたバイクに跨る。


「しゃあ、やってやるぜ」


 整備士達に手を振り、デバイスの電源を点けた。電源が付くとデバイスは音声を発する。


【承認コードをどうぞ】

「装着」


 慣れたもんだと答える泰造。


【OK.Battle Armorを転送します】


 瞬く間に黒いアンダースーツの様なものを身に纏い、その上から機械と白銀を基調とした赤いアーマーが装着される。に一本角の鉄仮面を被り、青色のアイシールドと胸のクリスタルを輝かせた。最後にデバイスをベルトのバックル部分に付ければ装着は完了である。

 その姿は、先程化け物と戦った機械的な戦士と同じ姿であった。


「そんじゃ、いってくら」


 泰造は整備士に見送られながら勢いよくバイクを発進させ、トンネルの中に入っていく。


 トンネルの中は緑色のライトで照らされており、泰造以外乗り物を走らせている者はいない。

 気分よく時速750kmまで加速させたところで、スーツの方に通信が入った。奈津子からだ。


「はいはい、こちら泰造。快調でありまーす」

『ふざけない。相手は過去にケースのない大量殺人級。気を引き締めなさい』


 通信でもお小言を言われて、一本角の鉄仮面の中でしかめっ面をする泰造。

 先ほど戦わせたくないだのなんだの言っていたが、いざという時はできる限りのサポートをしてくれる。

 とても頼りになる自分にはもったいない女性だと、泰造は思っているが口には出さない。恥ずかしくて、そんな言葉が口に出せるわけがない。


「へいへい。んじゃあ気を引き締められるようにナビゲートしてくだせえ」


 バイクに差し込んでいたデバイスに地図が表示され、道筋が示される。

 泰造はそれを頼りに、トンネルの中を突き進んでいく。


  ○


 太陽が沈むころ、飛鳥は暗い路地裏を歩いていた。


 病院には行っていない。飛鳥は病院にたどり着くことすら、できなくなっていたのだ。

 飛鳥の意識は既にもうろうとし始め、自分がどこを歩いているのか、何を見ているのかも分からなくなってきてしまっている。


 意識がもうろうとしている原因は熱であった。空気中の熱ではない。自分の底から湧き上がる熱が、飛鳥の体と意識をむしばんでいるのだ。

 とにかく体が熱かった。アルコールから来るような、心地の良い暑さではない。今にも体が張り裂けそうな、不気味な熱さだった。


「……ぁ、ぐぅ……ぁ……!」


 タフガイな台詞でも言おうとしたのだが、その口からは嗚咽しか漏れ出されなかった。喉も渇き、まともに話すことすらできないのだ。

 もはや本来の目的すら頭から塗りつぶされ、潤いと安らに餓えていた。


 熱い。暑い。あつい。アツイ――――。


 だがそれも、ぷっつりと意識が真っ白に染まり、爽快感が身体を満たす。

 まるで、重い鎧を脱いだかのような感覚。

 今までの苦しみが嘘だったかのように、力が湧いてくる。


 跳躍して近くの建物の屋根へと降り立つ。

 今まで引き出すことのできない力を発揮できて、飛鳥は驚愕と歓喜に震えた。


「あはは、はははははは!」


 先程の喉の渇きも嘘のように、気楽に笑う事が出来た。


 笑いながら、屋根から屋根へと走り抜ける。跳躍など一々しなくても、建物の間を飛び越えることができる。段々と身体能力が向上しているのがわかった。


 感じたことのない心地の良い風が、飛鳥の体に流れこんでくる。こんな素晴らしい風を感じる事ができるのは世界でも自分だけであろうという実感が、彼を有頂天にさせるのだ。


 走り飽きた所で、人通りの少ない路地へと着地する。当然のことのように、怪我一つない。衝撃はあるが、痛みはない。


 少し遠くに、サラリーマンが見えた。恐らくは帰っている最中だろう。

 知り合いでもなんでもないが、そのサラリーマンが飛鳥を見て恐怖の表情を浮かべる。そう、それは飛鳥を見てだ。

 飛鳥もサラリーマンと目を合わせると、不思議な光景を目にした。

 彼の瞳に映っているのがおぞましい化け物の姿をしているように見えたのだ。


 おかしい。彼と目を合わせているのは藤堂飛鳥という自分のはずだ。だというのに、なぜおぞましい化け物の姿が映るのだろうか?


 もっと近くで見るために、サラリーマンに近寄ってみる。

 すると、サラリーマンは怯えだし、情けない声で叫んだ。


「ば、化け物だ!」


 言うだけ言うと、飛鳥から逃げようとすぐさま逃げ出す。

 そんなサラリーマンを飛鳥は追おうともせず、藤堂飛鳥はただ首を傾げる。


 バケモノ? 一瞬何を言われたのかが理解できなかった。

 だが理解してしまうと、飛鳥は青ざめていく。今までの高揚感も無くなり、まさかまさかと体が震える。


 すぐさま確認できる方法があった。けれどもそれはしたくなかった。目を背けたかった。

 けれど、それは背けるには近すぎて、むしろ今までなぜ気が着かなかったのだろうと思えるほどだ。嫌々ながらも、それは視界に入ってしまう。


 飛鳥の目に映ったのは、醜い自分の腕だ。不気味な鱗と気色悪い突起物が生えた腕に、長く鋭利な爪。


「な、なんだこれ。なんだよこれ!?」


 すぐには認められない現実に、飛鳥はうろたえる。

 自分は夢を見ているのだ。そうに違いない。そうでなければ、こんな非現実的なことは起こり得ないからだ。


 雨が降ってきた。体を冷やす、冷たい雨が降ってきた。

 飛鳥が自分の体の異常にうろたえる間にも、雨は降る。降ってきた雨は、いくつもの水溜まりを作る。

 そのうちの一つに飛鳥は近寄り、恐る恐る水溜まりを覗く。


 そこには、やはりというべきか、化け物の姿が映っていた。

 爬虫類のような鱗が顔一面に広がり、骨格さえも歪んでしまい、二重が自慢だった目は面影がなく獰猛な瞳をしている。尾には人外の証拠とでも言うかのように、尻尾が垂れ下がっている。

 恐竜が人の形をしたような、人々の恐怖が一つとなったような、邪悪な姿がそこに存在しているのだ。


「あ、あぁぁあぁぁぁ……!」


 言葉にならない声が漏れた。

 無情な現実に、心にすっぽりと穴を開く。


「嘘だ……! 嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ!」


 水溜まりを掻き消し、無かったことにしようとする。

 けれども雨は降り注ぎ、波紋を描きながらすぐに水は溜まる。

 波紋によって、水溜まりに写っている自分の醜悪な顔が歪み、嘲笑っているように見えた。


「やめろ! やめろよ!」


 水溜まりを叩いて水溜まりを消そうとするが、力が入りすぎて地面を壊してしまう。

 もちろん普通の人間が地面を叩いたところで壊れはしない。それは飛鳥が正真正銘の化け物であるという、何よりの証拠だ。


「うあああああああああああ!」


 それを否定する気になれず、悲しみの叫びを上げて、そのままうなだれる。自分の殻に閉じ籠るように。

 それでも冷たい雨は降り注ぎ、鱗と突起物が生えた醜悪な肉体に幾つもの雨粒が打ち付ける。


「返して……! 俺の顔を返して! 俺の肌を返して! 酷いよ! こんなの、こんなの無いよ神様! 俺が何をした。何か悪いことしたのかよ!」


 獰猛な瞳から、涙が溢れてくる。

 こんな姿になっても、涙は暖かかった。

 それだけのことだけど、飛鳥は自分にまだ人間らしさがあるんだなと、すごく嬉しく思えた。

 逆にいってしまえば、それぐらいにしか希望に寄り添うことができなかったのだ。


「……やだ……! 俺は、俺は人がいい。化け物なんて嫌だ! 俺は人間なんだ。人間なんだよ! 化け物なんかじゃない。人間がいいんだよ! 」


 恥やプライドなんて殴り捨てて、声の限り泣き叫ぶ。おもちゃを取り上げられた子供のように、情けない泣き声を上げた。


「力なんていらない! 普通に、皆と一緒に居られれば、それでいいんだ。それだけでいいから……! だから、誰か、誰か助けてくれよ! 誰か俺を助けてくれよ……!」


 それで誰かが助けてくれるわけではないのを、飛鳥は十分に知っている。ヒーローが現実にいないなんて、とっくの昔に知っていた。

 それでも泣かずにいられない。来るわけがないのに、助けてと泣き叫ぶ。


「……こんなの、あんまりだよ神様」

 それでもこの悪夢のような現実を嘆かずにはいられない。

 冷たく寂しい暗闇の中で、ただ一人縮こまって嘆き続ける。


「――――お前、神様ってやつを信じてるのか」


 どこからともなく、飛鳥に声がかけられた。

 見上げれば、そこには奇妙な格好をした男がいた。黒いアンダースーツの上に、白銀を基調とした赤いアーマーを身に纏った、機械的な戦士の姿だ。

 一本角の鉄仮面の眼は、優しい青色に輝いており、砕け散った飛鳥の心に癒しを与えてくれた。


 飛鳥は思った。おかしい、近づいた物音はしなかった。だというのに、この男はどこから現れたというのだろうと。


「そんな見たことないものにすがるより、俺に助けを求めてみないか?」


 機械的な戦士が、飛鳥に立ち上がれと言うかのように手を差し伸べてくる。

 それだけで飛鳥は先ほどまで悩んでいたことが、一切合切どうでもいいと思えてきた。

 心に様々な暗闇によって覆い尽くされ、一人ぼっちでどうすればいいかわからないどうしようもない不安感を、目の前のヒーローが救ってくれたから。


「……助けて、ください」


 男の言葉に救われた飛鳥は、歓喜に震えながらその手を取った。


「おう、任せな」


 鉄仮面に覆われて見えなかったが、きっとその顔は笑顔なんだろうなと、飛鳥は思えた。

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