Shakespeare's Interest

ミーシャ

第1話 探索と出会い

 1.


 私が散歩に出るということ。

 それはあてどない彷徨、ということ。


 風任せとまではいかない。なぜなら、風の強い日にまで、せっせと足を動かそうという気にはならないから。

 したがって、ほとんど無風の、日差しの弱い、曇り空の、それも秋と春にしか、わたしは「彷徨」に出かけたりはしない。


 ことしで大学四年。就職先は、実家手伝いと言ったところ。

 なに、家業があるわけではなく、ましてや永久就職先に、あてがあるわけでもなく、要するに、親の世話になりに、故郷に帰るだけの身分。


 友人どもには、変わり者の判を押されて久しい私は、就職活動なるものをしなかった。

 あっちから声を掛けてきもしないところへ、自分を安く売るなんて、よほどの理由やマゾでもない限り、阿呆のやることだからだ。


 斜め上の赤茶の煉瓦の壁を見ながら、ため息。

 今日はいつものカフェが休みだ。小休止の後、左へ向けて歩き出す。


 私の足にようやく慣れた革のブーツは、編み上げ式。アスファルトに落ちる軽快なリズムが、耳に心地いい。

 小さい時に習ったはずの蝶結びは、私の手の中では、ダンゴ虫のようにしかならない。不器用もいいところだと、自分でも笑ってしまうが、こんな私でも、できないことが無いわけでは無い。


 大学の演劇サークルに属する、友人のお声がかりで、私は、開演まであと二〇日と無い作品に登場する人間を、探してくることになっている。

 エキストラを、街中でハントするには、初対面での印象がものを言う。


 要は、信用できる人物に見えて、なおかつ、怪しげな勧誘とは別の部類であることを、その仏頂面で証明しろということだ。


 私は笑わない。滅多なことでは面白くも無いからだが、それが役に立つことは、意外とあるものだ。

 豪奢な一軒家とその植物園並みのバラ園を過ぎたところで、かなりの坂道が待っている。左手奥にはたしかアパートが三棟と、真っ青な滑り台のある公園があったはずだ。右手に折れれば、少し下って、歩行者用の信号機がついた小さな横断歩道がある。私は、右を選んだ。


 午前10時にもなれば、専ら走る車に踏まれるばかりのそれを見やって、私は渡らず、左の道なりに往くことにした。


 三角形の通学路の標識が、目にとまる。朝に来たことはないけれど、ここらへんの小学生は、黄色の帽子を被っているから、朝夕なんかは結構見た目に賑やかな往来になるんじゃないかと思う。

 道幅が大きくなり、四車線になりそうなところで、ガードレールに左曲がれを強要されそうになる。


 このまま行っても、面白いことにはならない予感がした私は、意を決して元来た道を行き返し、公園から上手の坂道へ、未開拓の道をとった。何、怖いことは何もない。腹がすくでも、足が疲れて歩けないわけでもないのだから。


 ぐるぐると、目が回りそうな坂道を、やはり、左、左へと道を選んで進むと、富裕層向けのマンションと駐車場に道がふさがれて、行き止まりだ。

 顎を上げて汗をぬぐうと、水筒のお茶にあずかる。そろそろ足休めをしたい。

 周囲を見渡すと、コーヒーの看板を下げた軒先が目に入る。そこにしようかと思ったが、あいにく私の目は、そのはす向かいの店に釘付けになった。絶対に面白い人間がいるはずだと、私の直感が告げた。


 モスグリーンと白の縞模様のアーケードは雨汚れのせいか、いくぶん古びて見える。


 隠れるようにして現れた、焦げた感じの木製扉には、大きすぎるピエロの顔看板。その下には、女性の手に依る様な小さな文字で、ここがサーカス、マジック、その他ピエログッズなどを置いている、雑貨店だと説明書きがあった。


 おまけに、扉にはそれらしいベルまで付いている。探求心そのままに、私は扉を押した。


 奇妙に鈍い音をさせたドアベルを見やり、店内に目を向ける。それなりの広さに、かなりの数のピエログッズ。


 まず、マグや食器類が所狭しと入り口付近を占めている。

 右の出窓あたりは、キャンドルとオルゴールの山。


 そしてその左の、広々とした空間は、人形、また人形と、目につく場所すべてから、多種多様、国籍混合のピエロたちが、そろいもそろって万国共通の、虚ろに、にやけた顔をのぞかせているさまは、圧巻だった。


 それに何の匂いかと思えば、出来立てのキャラメルポップコーンの香り。ふうっと、思わず息を吸い込んだところで、視界に入った頭上のドライフラワーにむせた。

 私の大のアレルギーだ。


 ようやく咳を抑え込んだ私は、大きな鏡に自分が二重映しになったのを、他人がいたのかと、振り向きざま、言いかける。


「あっ、スミマセ…」


「んぐっ」


 のどを詰まらせたような他人の音がしたが、それは聞き間違いでは無かった。


 ただ、私のすぐ後ろに立っていたのは、客でもなく、「もう一人の私」でもなく、紛れもない、一体の生きたピエロだった。それも、どう見ても、厚化粧し、仮装した男。


 驚く暇を惜しんで、望ましいリアクションに血をめぐらせた私は、何も言わずに、手をのばすと、クッションの入った、柔らかな肩を、ポンポンと、まるで上司が部下の肩を叩くように叩いた。


「ナイス、ビックリです」


 それと、褒め言葉だ。


 初対面の相手には、少し不適切なくらいの馴れ馴れしさでいい。そうでなくては何も始まらない気がするから。


 そのピエロは、一瞬きょとんとした顔をしたけれど、にんまりと目を笑わせ、私の期待に応えるような反応を見せた。

 そして真っ赤な、耳まで届く唇を曲げると、言ったのだ。


「おかげさまで~」


 甲高い、ふざけたような声は、舞台映えのするものに聞えた。そう、これはピエロの演技だ。

 他に誰もいない。私だけを相手に行われている演技。


 やや見上げる背丈のピエロを前に、冷静な私は、この人が店主に違いないとふんだ。


 そして、次にやる行動として、客として、他愛もない会話をリードし、何かおすすめ品を尋ねた上で買って見せるか、それとも、この浅慮としかいえない接客をしかけた店主に警戒心を抱いて、さっさと店を後にするかということを考えてみた。


 だが、そんなこと、他人ならいざ知らず、この私が本気で考えたりなどしない。


 なぜなら、このピエロは、自分の行動の結果、その二択のどちらかを客が選択することを、初めから期待しているに違いないからだ。


 そしてその二択とも、このピエロにおいては、何の優劣も無く、価値ある結果だということが推測できた私は、ここで新しい選択肢をつくることにした。


「突然ですが、あなたを見込んで、話があります」

「なんでしょう?」

 思いのほか、のってきた。


「私の大学で、いま、急ぎの仕事ができる、演劇のエキストラを探しています。やってみませんか」

 ピエロは、にじんだ真っ黒なアイラインの奥から、その明るい茶色の目をきらりとさせて、私を観察しはじめた。興味をもったようだ。


「台詞は、あるのでしょうね」

 落ち着いた、若い男の声になった。ようやく素を出した。


「私の一言と、あなた次第ですね」

 これは嘘では無い。むしろ、かなり期待が持てる話だ。この店主、もしかしたらなかなか際物の上に、強者らしいから。


「ギャラが出るなら、出てやってもいいけど」


 ここで、私を試しにかかってくる。何よりその眼が、高慢な光を帯びているから。

 私からすれば、こんな馬鹿げた格好をしたまま、よくもそんな高飛車な要求をしてくるもんだと、感心もする。だが、私は首を横にふる。


「いやいや、あなたがどれほどの役者か確認もしないで、ギャラは出せませんよ。大学の演劇ですよ、基本、ボランティアですよ。ボ、ラ、ン、ティ、ア。」


 ここで、どこかの劇団員なのかとか、もしかして母校のOBなのかとか、そういった決まり切った設問には持っていかない。

 なぜならこれは、私の時間で、私の仕事だからだ。


 何より私が、興味を持った相手に対する問いかけ。無駄な石橋を掛けたりなんして、しない。


「ふうん、なかなか足元をみてるんだね、いや、お目が高いと言ったところかな、若いくせに」

 そういって、頭の黄色いフワフワのかつらをとると、店主の髪は、金色だった。


『彼』は、大げさな白い大きな右手を差し出すと、それは何らかの停戦と、友好の証に見えた。


「お茶でも入れるよ。客も来ないしね、どうせ」


 私は言い知れない期待を胸に、彼の気安い手招きのあとに続いた。



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