◆第二十章 Stage5(ボスルームⅡ)

「じゃあ、もう良い。死ね」


 コニーを凶器が貫いた。そのまま体を持ち上げられる。

 掌から、剣と盾が離れる。金属音を立てて床に落ちる。

 胴体から血に塗れた刃が生えている。――五本も。


「アンタ、何してんのよ――エリー」

「何って――見て分からない?」


 言いながらアタシを見る。その目は獣と寸分違わない冷酷さを光り輝かせていた。


「ア――アクエリアス、貴様ァァァッ!」

「動くんじゃねぇッ!」


 斧を振り被ったミノタウロスを、左手を掲げて威嚇する。

「これでも、やる?」

 ――コニーの身体を盾にして。


「ぐ、がぁ――」ミノタウロスが歯を食い縛り踏み止まる。

「アンタ……仲間を盾にする気!?」

「コイツにこれ以外の使い道なんてないよ」

「エリー、アンタ……!」

「ミノタウロス! お前にチャンスをやる。今、こいつの心臓を爪で掴んでいる。まだ動いてはいるよ。でもボク次第だ。こいつの命が惜しかったら、――自害しろ」


 私はミノタウロスを見る。憎悪に燃え滾った双眸が見開かれる。

「その斧を使って自分の首を切り落とすんだ。君は不完全体なんだろう? だったら死ねる筈だ。――自害しろ。そしたらこいつの命だけは保障する」

 互いに沈黙する。張り詰めた空気は一触即発と呼ぶべきほど緊張している。

 だがこの間にも――コニーの体からは血液が滴り落ちて――。

「『レコリュソス』!」

 ミノタウロスが呪文を使った。回復呪文だ。だが――。

「回復なんて使ってんじゃねぇえええ!」

 アクエリアスの爪から雷撃が迸る。コニーの内側から雷撃が氾濫し暴れ回る。


「コズミキコニスくんッ!」

「回復させて隙を見て助ける気だったんだろうけど、そうはいかないよ。こいつの傷が塞がる時は、お前の首が飛んだ時だけだ」


 コニーは動かない。両手を力なくぶら下げている。電撃を受けた後遺症で痙攣しているが――それも今止まった。


「ちょっと――アクエリアス、アンタ」

「コズミキ……コニス……くん……?」

「ん? アレ?」


 再び電撃。だがコニーは微動だにしない。

「ちっ、死んじゃったよ……お前が早く死なないから」

 本当に――殺しちゃったの?


「コニー……返事しなさいよ、コニー」

「コズミ――くん」

「見れば分かるでしょ? 死んでるよ。この宝石を使って、パワーアップして」


 アクエリアスは落ちたコニーの剣を拾って私に放る。

「あとこれも」

 道具袋から何か取り出し、放る。――宝石だった。コニーのも合わせて六個分。

 その時全てを理解した。


「アクエリアス、アンタ――何で電撃を使えるの? アンタ、宝石一個じゃなかったの?」

「ボクの宝石――?」


 アクエリアスの腰を見る。そこには――いつの間にかベルトが装着されていた。バックルに五つの宝石の着いたベルトが。


「――直感って言うのかな? 隠しといてよかったよ。これがボクの、本当の武器だよ。ずっと道具袋に隠しておいたんだ。いやー、誰も気づかなかったね。象嵌部位がこの鉤爪にあるんだろうって思い込んでたでしょ? でもそれって変だよ。だってスコーピオンの武器は複数のナイフだったけど、象嵌部位はナイフケースにあったんでしょ? だったら鉤爪を二つ持ってるボクの象嵌部位が全く別の何かにあってもおかしくないよね」

「そんなことはどうでも良いわ! アンタそれどっから手に入れたのよ!?」


 六つってことは――。


「サジはアンタが殺したの? ってことは――ヴァルゴだけじゃない。ライブラまで……!?」

「ヴァルゴとライブラはね。鴨がネギをしょってくるって、本当にあるんだね」

「何で……そんなことを……」

「あぁいうタイプの女ってさ。典型的にアレなんだよね」

「アレって何よ!?」

「運がない」

「どういう意味よッ!?」


 私が吼えても、アクエリアスは飄々ひょうひょうとした姿勢を崩さない。

「それもこれもミノタウロスが悪いんだ。サジを殺したのはソイツだよ。で、ヴァルゴは逃げて来たの。サジの万能ナイフと自分の鞭を持ってね。サジが逃がしたんだ。『二ツ星』は『気配遮断』なんだって。魔物に見つからない能力で、それでミノタウロスに見つからずに、ボクのところまで逃げて来たの。あの時はホント、ボクってチョー神様に愛されてるって思っちゃったもん」

「逃げて来た仲間を殺したの――?」

「だって、ミノタウロスの罠だったかも知れないし、宝石四つをみすみす取り逃すのはマイナスでしかなかったからね。背骨を折って殺したよ。正直、隙を突いて殺した時は緊張した。ミノタウロスに裏技があって反撃されたらどうしよう、ってね。でも死んだままだった。やったと思ったけどミノタウロスじゃなかったから、ハズレかって思ったよ」


 ハズレ――? 人を殺しといて、宝探しみたいな感想を――?


「でも代わりに宝石が手に入った、結果オーライだ。後は隣の部屋から来たって聞いてたからね。死体を動かして、ナイフと鞭を壊して、ヴァルゴをサジとお揃いにして終わり。血は洗えば落ちたけど、意外と大変なもんなんだね、人間を捌くの」

「内臓はどう説明するの? だって、ヴァルゴも――」


 まさか――。

 鉤爪から雷光が閃く。

「あんまり美味しくなかったよ」

 ――嘘でしょ。こんな、化物が――私たちの中に……。


「ライブラは何で殺したのよ!? あんたもう宝石五個あった筈じゃない!」

「うん。だからだよ」

「どういう意味!?」

「だから――全員殺すつもりだったんだよ。ボク以外全員」


 背筋が凍りつく。まさか――。

「そう。――ボクが『アリアドネ』だ」

 アクエリアスが――アリアドネ?

 そうだ。アリアドネにとって、自分以外は極論全員殺して問題ないのだ。ミノタウロスと立場は同じ。殺す気になればラッシュをかけられる。その引き金になったのが――『五ツ星ペプントス』の武器だったのだ。

「ボクは最強になった。だから全員殺して終わらせようと思ったんだよ。四日目の深夜にね。殺すべき対象は、前衛三人、後衛三人、筆記用具一つだったからね。十分、殺せる範囲――そういう計画だったんだけど……」

 ライブラしか死んでいないということは――。

「あの女……! 一ツ星の分際でボクに逆らいやがって! 偶々会ったんだよ。あいつも徘徊してた。一騎打ちでミノタウロスを殺そうとした馬鹿なんだ。五ツ星のボクならともかく、一ツ星で殺り合おうなんて正気じゃない。で、ボクを見て聞くんだ。『お前はミノタウロスか?』って――。無意味だよね。だってその問い自体がミノタウロスであることをカモフラージュするための言葉かも知れないんだから。随分正義漢ぶってたよ。ちょっと良い育ちだからって啓蒙者面するなっつーの。でも何が一番ムカつくって、アイツ食い下がるンだよ! 何度致命傷与えても立ち上がってくる! その所為でボク、大怪我しちゃってさ、皆殺しができなくなっちゃったんだ。クソッ、アイツ、前に戦った時より強かった! あの時は手抜きだったのかなぁ……?」

 ――もし、ライブラが孤軍奮闘してくれなかったら、私たちは――人の形をした化物の餌食になっていた……。

「でも傷は一晩寝たら全部治ってたよ。『超回復』……! それがボクの『四ツ星』だからね!」

 だから互いに傷跡を確かめても分からなかったのか――。

「……アンタ、自分だけ助かるつもりだったの? 何人も殺してでも、一人で生き残るつもりだったの……?」

 声が震えている。恐怖を隠しきれない。

「生きるってそういうことだから」

 即答だった。

「ボク、前から一人だし。共同生活としかしたことないわけじゃないけど、生まれた時から一人だから。一人じゃ駄目な理由、良く分かんない」

 笑いながら言う。――マジだ。

「じゃ、そういうことで、援護よろしくね。ミノタウロス倒したら一緒に食べよ。美味しいよ、きっと。神の牛の血に、王妃様の血……どんな味がするんだろうなぁ」

 ――悪夢だ。こんな奴が、アリアドネだなんて……。

 アリアドネであることを明かすということは、ミノタウロスに狙われるということ。だが今はそれだけじゃない。私は何としてでも、『アリアドネ』を護らなければならなくなった。『見殺し』にできなくなった。援護せざるを得なくなった。アリアドネのカミングアウトは不利にしか働かないと思っていたのに――まさかこんな形で利用されるなんて……!

「ん? オラァッ!」

 アクエリアスがミノタウロスの腹に爪を突き立てる。激しい雷撃が迸る。

「――なんで避けないの? 殺される気になった?」

 ミノタウロスは――泣いていた。

 金色の瞳から血と同じ色をした涙を流していた。

「じゃあ、殺してやるよッ!」

 更に首に爪が突き刺される。雷撃が迸る。

「貴様――」

 ミノタウロスの双眸が炯々と光る。憎悪の光だ――。

「やる? ならやれば?」

 アクエリアスは死して尚コニーを盾にしたが――。

 ミノタウロスが斧を振り翳す。雷撃が迸り、落雷となって降り注ぐ。

 アクエリアスは素早く避ける。コニーを盾にすれば、感電するからだ。

「貴様だけは、絶対に赦さないィィィッ!」

 アクエリアスに再び落雷が――。

 アクエリアスは素早く避ける。飛び退き、後退する。

「化物が一端に復讐者ぶるなよ……! テール!」

 私の名が呼ばれる。

「な――何よッ!?」

「さっさと宝石を使うんだよ! 何してるの!」

「……あ、アンタ私に、こんな風に手に入れた宝石を使えっての!?」

「――なら死ぬ?」

 まただ。また獣の瞳だ。こちらを睨んでいる。本気だ――。

 ミノタウロスが斧を振り下ろす。アクエリアスが避けて視線をミノタウロスに向ける。

 私は震える手でコニーの剣の柄を掴む。

 ……コニー。

「コニー、ごめんね。アタシ、あんたのこと……なんか、お兄ちゃんみたいに思ってたのに……。それにレオも……ごめん。アタシ、護られてばっかで……」

 でも、やらなくちゃいけない。ここで負けたら――皆の死が無駄になる。

「コニー、レオ、ライブラ……三人だけじゃない。キャンサー、コーン、スコーピオン、ビスケス、サジ、ヴァルゴ、オフィウクス――皆、力を貸してッ!」

 宝石を杖に嵌める。杖に嵌った五つの宝石が光り輝く。

「『二ツ星』、『クローロ』!」

 余った二つの宝石を風の魔法でジェミニの元に運ぶ。

「無いよりはマシでしょ! 使いなさい!」

「ありがとう! 助かる!」

 ジェミニは近くにあったレオの遺体を調べていた。そう言えば――遺体には痣が浮かぶんだった。

「『四ツ星』、『タルモス』!」

 今この場にいる味方と敵の戦力を分析する。

 味方は一応アクエリアス。能力は『二ツ星』、『電撃属性』。『三ツ星』、『真空波』、『四ツ星』、『超回復』。『五ツ星』、『金剛力』。

 敵はミノタウロス一体。能力に不明欄が多い。分かっているのは『レコン』、『レコリュソス』、『電撃属性』、『超回復』、『神属性』と『獣属性』……? そうか、神の牛の血が半分入ってるから、『神属性』と『獣属性』を――。

「もう一度『クローロ』!」

 レオの道具袋から宝石時計を引き寄せる。宝石の色は――夕焼け色。でもかなり青みがかってる。日が落ち始めてる。日没まで五分もない。日が完全に落ちたら、奴は復活する。その時――私たちの敗北が決まる。

「行くわよ――覚悟なさい」

 杖に魔力を込める。アクエリアスとミノタウロスは交戦中。一気に勝負を決める。

「『四ツ星』、『テオエリュト・バシレウス』!」

 ミノタウロスを丸々呑み込むサイズの業火球を放つ。ミノタウロスは斧で弾いて対処する。だがその隙を逃さずアクエリアスが鉤爪で胴体を切り裂く。それもすぐに回復する。

「回復するってんなら――『五ツ星』、『テオメラス・バシレウス』!」

 杖の先に虚無を集約する。先の業火球より一回り小さい、漆黒の球を放つ。再びミノタウロスは斧で防いだ。その斧ごと吸収する。永遠の虚無に放り込み、全ての消滅させる禁断の闇魔術――。だが奴の肉体も取り込んでいる筈なのに、効果が無い。神属性のせいで、闇の魔術が効かないのか――。

「良いじゃん、武器消えたよ! まだまだ行ける!」

 アクエリアスが連続攻撃を加える。爪で何度も切り裂き、突き、抉る。なら――。

「『四ツ星』、『テラ・メラゲリノス』!」

 紫炎がアクエリアスの体を包む。

「なんだ――力が漲って来る……! 強化とか分かってるじゃない!」

 アクエリアスはこれまでの倍のスピードで移動し、敵の懐に入る。腕や足を捥がんと連続攻撃をするが、圧倒的な回復力で治癒されていく。

「なら――」

 アクエリアスはミノタウロスの足を払う。手を掴み、バランスを崩した敵を勢い良く――。

「『五ツ星』、『金剛力』!」

 思い切り投げ飛ばす。ホールの壁に激突させる。

「『テオエリュト・バシレウス』!」

 更に私が火炎で追い討ちをかける。ミノタウロスは無様に落下し、蹲る。

「よし――あとちょっと――」

「『レコリュソス』」

 一瞬で全ての傷、火傷が治癒していく。

「だから――回復なんて使ってんじゃねぇ、つってんだろうがよぉおおぉぉぉっ!」

 宝石時計を見る。あまり時間が無い。思ったより頑丈だ。正攻法で速攻しようとしたのが間違いだった。多少遠回りになっても、堅実に行くしかない。

「『四ツ星』、『シュケープ』!」

 極彩色の鞭が、杖の先から生える。鞭は自我を持ち、床を這い移動する。蛇のように体をくねらせ、ミノタウロスの足に巻きついた。だがダメージは与えない。ただ『魔力』を吸い取っていく。攻撃だろうと回復だろうと、術を使うには魔力が必要。その魔力さえなければ敵は回復できない。

 だが計算外の事が一つ。

「――嘘、『魔力超回復』まであるの……!?」

 魔力を吸って分かった。果てが無い。吸った端から回復しているのだ。化物だ。こんな能力、神獣クラスの――いや、半分だがその血があるのだ。厄介な能力ばかり遺伝している。見かけは美人だけど、父親似だったみたいね――。

 作戦変更。オフィウクスの遺体に駆け寄る。あった。右の掌に痣がある。『Αアルファ』の形をしていた。道具袋から布切れを取り出し、火の呪文で一部だけ焼く。『Α』と。布をクローロの呪文でばれないようにジェミニに飛ばす。

「『二ツ星』、『ハルファ』!」

 弱体術をかける。これで敵の攻撃力が下がった。

「『二ツ星』、『アイファ』!」

 弱体術をかける。これで敵の防御力が下がった。

「『三ツ星』、『タラファ』!」

 弱体術をかける。これで敵の素早さが下がった。

 一気にミノタウロスの動きが鈍った。

「あはは、良いぜェ! もっと苦しめ! 狩りっつーのはよォ、そーやって獲物がもがき苦しんでるトコ見んのが一番の醍醐味なんだよォッ!」

 紫炎は黒く変化する。更に狂化が進み、全能力を暴力的に引き出して行く――。

「『テオ・レコティオ』――!」

 ミノタウロスがアクエリアスに術をかけた。解呪の術――黒バーサクを解呪した……!? まさか――。

 私は更にバーサクをかけるか迷った。結果的にその迷いが窮地を救った。

「『テラメラス・ハ・――』」

 まずい――。

「『三ツ星』、『アイ・シュケープ』!」

 全員に魔法反射バリアを展開する。バリアの効力は一回きり。

「『――デス・メラナトス』ッ!」

 死の祈りが冥府の使い魔を呼び起こす。床に虚空が生まれ、中から死神の尖兵が中空を舞う。三体の尖兵は私たちにそれぞれ接近し、顎門を開いて命を噛み砕かんとする――だが。

 反射する。『アイ・シュケープ』の力で全ての魔法を反射。死神の力も例外ではない。そのまま三つの死神はミノタウロスに襲い掛かる。


「これで、終わりだァァァ!」

「ガアアアァアアアアァアァァァ!」


 ミノタウロスが吼えた。やったと思った。だが駄目だった。『即死耐性』。全ての死神が掻き消える。神性を持つものだけが持つという、対呪能力――。

「『テラ・メラゲリノス』!」

 再び狂化の術をアクエリアスにかける。すると、ミノタウロスがこちらへ接近してきた。妨害する気が、それとも――。

「ミノタウロス、こっちを見ろォ!」

 アクエリアスが叫ぶ。ミノタウロスが振り向いた瞬間、――コニーの右腕を切り落とした。


「無視すんじゃねぇよぉぉッ! ボクから目を離す度にこうするからな! 愛しの大好きコズミキコニスくんが、達磨になっても良いのかよォォォゥッ!?」

「ガアアアァァアアァァァッ! この腐れ外道がァアアアァァァッ!」

「化物風情が人の道を語るんじゃねえぇええェエエェエェェッ!」


 再び激突する。雷撃を迸らせながら、鉤爪と拳がぶつかり合った――。


   *


 オフィウクスが死んだ。

 あっけなく殺された。

 アリエスに殺された。

 アリエスがミノタウロスだった。

 更にコニーも死んだ。

 あっけなく殺された。 

 エリーに殺された。

 エリーがアリアドネだった。

 次々と明かされる衝撃の事実……。


 だがジェミニにも死の恐怖に駆られている暇などないと分かっていた。

 この戦いに勝てるか否かで、全てが決まると理解していたからだ。

 その中で自分が何をすべきなのか――ジェミニはこう結論した。

「パズルは諦めよう」と。

 以下の問題が、第五のパズルフロアの問題である。

『朝は卵、昼は針、夜は玉。これは何?』

 この問題を解くことは不可能だとジェミニは結論づけた。誤答さえも思いつかない。この問題に時間を費やす程の時間はない、とエリーたちの戦いを見て判断した。

 だがただ諦める訳ではない。十分も立たない内に三人もの人間が次々と死ぬ姿を見て、とあることを思い出したのだ。

 タルタウロスの言葉だ。

「我輩はこの迷宮の全てを把握している。だからこそ言える。全員揃って生還することは不可能だ。ミノタウロスのことを言っているんじゃあない。必ず誰か人間が欠ける。だが進め。覚悟があるのなら。そして、決して忘れるな。『仲間の死を無駄にするんじゃあない』」

 更にこうも言っていた。


「脱出するには謎を解く必要がある」

「その謎はどこに?」

「それを見つけるのも含めて、謎だ」


 果たしてタルタウロスが言っていた謎とは、パズルフロアの謎を指していたのだろうか。そうでなかったとすれば――、二つの言葉と符合する資料が手元にある。死んだ仲間の体のどこかに浮かぶ、痣をメモしたパピルスだ。

 もしこの文字がタルタウロスの言う、『見つけるべき謎』だとしたら、『仲間の死を無駄にするな』という言葉の真意だとしたら――これを解けば出られる筈だ。

 ジェミニはレオの遺体を調べ、右手の甲に痣が浮かんでおり、『Ηエータ』の形をしていることを確認した。パピルスに書き写す。調べ終えたところで、羽根ペンの象嵌部位に二つの宝石を嵌めた。

「恨むなよ、コニー。僕だって生きたい。あの二人を応援するからな……!」

 ジェミニはコニーが背後からエリーに刺し殺されるのを見ていたが、敢えてそう呟いた。

「『四ツ星』、『テオエリュト・バシレウス』!」

 テールの呪文が聞こえる。

 ジェミニはパピルスを見返した。『Η』の数価は『8』。また偶数だ。

 集めた文字は全部で八つ。『Ο』、『Χ』、『Ο』、『Θ』、『Μ』、『Μ』、『Ν』、『Η』。分かっていない文字は恐らく六つ。でもこれだけの文字でどうしろって言うんだ――?

 悩んだ瞬間、羽根ペンの宝石が光りだす。インクの染みがパピルスの中を勝手に動き回り始める。――いや、違う。少しずつ移動しているのだ。色々な組み合わせを試すように。ジェミニの『二ツ星』の能力だった。

 だが特に目ぼしい単語に行き当たらない。あと二つ、単語を調べる必要がある。コニーとオフィウクスだ。

 一際大きな音がする。見ると、エリーがミノタウロスを投げ飛ばしたらしい。

 なんとかオフィウクスに近づけないものか、と考えていると――テールがオフィウクスの亡骸に傅き、痣を調べている。布切れが風の魔法に乗ってこちらへ来た。掴んで開く。『Α』と焦げ目がついていた。

「でかした……!」

 これで九つ目。あとはコニーだけだが、今はエリーの盾になっている。どう調べれば良い……?

「『テオメラス・ハ・――』」

「『三ツ星』、『アイ・シュケープ』!」

 目の前に妙な膜が現れる。触ってみると感触がない。

「『――デス・メラナトス』!」

 床に虚空が生まれ、中から死神の尖兵が中空を舞う。その内の一体が顎門を開いてジェミニに接近してくる――。

「ちょ、ちょっと――」

 咄嗟にパズルフロアの奥に移動する。だがそのまま死神は追いかけて来る。

「うわあぁああああぁぁああぁぁぁっ! 死にたくないぃぃいいっ!」

 喰われる直前、目の前の膜が光り輝き死神を拒んだ。死神はとんぼ返りしてミノタウロスに向かって行く――。

「ガアアアァアアアアァアァァァ!」

 死神は皆、ミノタウロスに襲い掛かったが、全て掻き消えた。

「『テラ・メラゲリノス』!」

 エリーが紫炎を纏う。ミノタウロスがテールに襲い掛かった。アリアドネはエリーだと分かっている筈だ。となると、後衛を先に片付ける作戦か――。

「ミノタウロス、こっちを見ろォ!」

 エリーが叫ぶ。ミノタウロスが振り向いた瞬間、――コニーの右腕を切り落とした。


「無視すんじゃねぇよぉぉッ! ボクから目を離す度にこうするからな! 愛しの大好きコズミキコニスくんが、達磨になっても良いのかよォォォゥッ!?」

「ガアアアァァアアァァァッ! この腐れ外道がァアアアァァァッ!」

「化物風情が人の道を語るんじゃねえぇええェエエェエェェッ!」


 えげつないことをする。だがお陰で勝機が失われずに済んだ。

 エリーとミノタウロスが鬩ぎ合っている隙に、テールが切断されたコニーの腕を拾う。先と同じ様に布切れが飛んでくる。

 そこには『Εエプシロン』と焼かれた後が。

 二つを書き加る。更に『Σ』も加えた。『Μ』と似ているからだ。

 並べ替える。そして辿り着いた。たった一つの単語だが、良く知っている単語だ。

 『Θ』、『Ε』、『Ο』、『Σ』――。

 『ΘΕΟΣ』――『テオス』。

 もう一つの単語も分かった。必然的に最後の単語も。

 そうか、全てが繋がった。答えは――。


   *


 アクエリアスとミノタウロスが鬩ぎ合っている間に、コニーの腕を拾う。手の甲を見ると、『Ε』の痣があった。布に焦げ目をつけ、風の魔法で飛ばして運ぶ。

 宝石時計を見る。ほとんど黒に近い青だ。暮れなずむ日の桃色しか残っていない。

 これで出せるヒントは全部出したわよ、ジェミニ。あとはアンタ次第。劇作家の意地見せてよね……!

 その達成感が思わぬ隙を生んだ。

 見られた――ミノタウロスが、宙を舞う布切れを目視した。

「『シュケープ』!」

 鞭の呪文でミノタウロスを拘束する。だが数秒しか持たない。奴が力を入れただけで、鞭は千切れ去った。ミノタウロスはジェミニに向かう。

 だが背後からアクエリアスが襲いかかった。右腕を大きく振るい、『真空波』を作り出す。ミノタウロスの足の腱にヒットし、大きな裂傷を作る。その傷口はライブラの体に刻まれた斧のような斬り跡と非情に良く似ていた――。

 ミノタウロスが転ぶ。アクエリアスが足を掴んで投げ飛ばそうとする。

 何かが飛んだ。ミノタウロスの手元からだ。

 ジェミニに当たった。雷光。遅れてミノタウロスが投げ飛ばされる。

 私はすぐさまジェミニに近づく。

 黒焦げになって死んでいた。体は真っ二つ。顔の頬らしき部分に、『Πパイ』と読める光り輝く痣があった。恐らく、儀式上、ヒントのため光るようになっているのだ。

 傍らに円盤のようなものが転がっていた。――レオの盾だ。転んだ時、ミノタウロスはこの盾を拾って――雷を宿してジェミニに飛ばしたのだ。パピルスは全て燃えていた。盾が帯びた雷のせいだ。

 宝石時計を見る。一縷いちるほどしか光が残っていない。漆黒の暗闇が宝石を支配している。


 ――終わった。私たちの負けだ。

 後はミノタウロスにボリボリ食べられて、おしまい。


 ――あっけない最後だ。

 あんなにも仲間と協力して、いがみ合って、死なせてしまったというのに……。

「嫌だ……嫌……死にたくない……!」

 でも、もう――。

「死にたくないぃぃいぃいいぃいいぃぃっ!」

 左腕に鋭い痛みが走った。出血している。傷跡を見る。血を拭うと――『Α』の字だった。まだ死んでいないのに、なんで文字が――。『Α』だけじゃない。『Π』と『Ο』、続いて『Μ』――。

 私は床に落ちたジェミニの羽根ペンを見た。宝石が光っている。『タルモス』を使う。ジェミニの『三ツ星』――『遺言筆記』……。

 生き残りの中で文字を読めるのは私一人。

 これは――ジェミニからのメッセージ。

 でも、もう時間が――。

「早く!」

 腕の疼痛が酷くなる。次々と文字が書き込まれていく。

「早くして!」

 でも、もう時間が――。

「早くしろおぉおおぉぉぉおおぉおぉぉぉっ!」

 十四文字――書き込まれ終えた。

「『ΑΠΟ ΜΗΧΑΝΗΣ ΘΕΟΣアポ・メーカネース・テオス!』」

 機械仕掛けより出づる神よ。

 腕に刻まれた文章を叫ぶ。

 ミノタウロスの動きが止まった。

 アクエリアスを包む紫炎が漆黒に変わり、ミノタウロスの体が発光した瞬間――燃え上がった。真紅の炎がミノタウロスを包み込む。だがミノタウロスは苦しむことももがくことも叫ぶこともなく――そのまま倒れた。炎は燃え続ける。――多分、もう死んでいるのだ。

「……やった?」アクエリアスが呟く。ミノタウロスは動かない。炎が消えた。だが指先一つ動かさない。死んだのだ。

「やったぁぁぁっ! 大勝利ィィィッ!」

 アクエリアスはコニーを放り捨て、両腕を天高く突き上げる。私はアリエスに近づいた。脈は無い。息もしていない。死んでいる。間違いない。

「やっぱり正義は勝つんだね! これでボクたち英雄だ。お金いっぱい貰えるよ! ところでさ――」

 背後からアクエリアスが言う。

「『これ』、いつになったら元に戻るの?」

 アクエリアスを覆う漆黒のオーラは、勢いを無くすことなく燃え続ける。


「――戻らないわ。絶対」

「――何?」


 とうとう、『兆候』が現れ始めた。

「う、ぐ――なんだこれ? え――?」

 アクエリアスは急いで鉤爪を外し、自分の指を見た。異様な速度で爪が伸びているのだ。

「な――なんだこれはッ!? 爪が伸びるのが目に見える!? なんでッ!?」

 それだけはない。歯が急に生え変わり、牙になる。体が前傾気味になり、皮膚から剛毛が生え始める――。


「き――貴様ァァァッ! ボクに何をしたァァァッ!?」

「アンタに使ったのは、『テラ・メラゲリノス』っていう、禁術よ。かかった人間は破格の力を手にする代わりに、狂い獣のようになる悪魔の術……」

「なんだと? ふざけるな! そんなことが――う? なにこれ? おしりが熱い! 溶けるみたいに……! う、ぐぐぐぐ、え――な? なんだこれはッ!?」


 もう尻尾まで生えていた。

「う、ううう、も、戻せ! 早く元に戻せ! 術を解くんだァァァッ!」

 アクエリアスは膝を着き命令する。私を襲う体力すらないのだ。『テラ・メラゲリノス』は被術者の肉体を極限まで酷使し、スタミナを限界まで搾り取る……。


「無理よ」

「ふざけるな、クソッ!」


 アクエリアスはマンドラゴラを取り出し、噛み砕く。だが獣化は止まらない。


「なんで!? どうしてッ!?」

「もう遅いわ。炎が黒くなったら危険信号。しっぱが生えたらもう終わり。そこまで進んだら、光の呪文やマンドラゴラでも治せない。奇跡が起きても元には戻らない」


 頭から耳まで生え始める。猫に似ていた。獣化の果てに何になるのかまでは、術者にも分からない……。

「ああぁあああああぁぁぁああぁぁぁっ! 熱い! 熱い熱い熱い……! 体がッ! 骨がッ! 筋肉がッ! 溶けるみたいに熱いんだあぁァァッ!」

 全身の骨格や造りそのものが変わっているのだ。人間から獣へ、全身の構造そのものが獣化していく――。

「アンタは人を殺した。三人。三人も。アリアドネの座に胡坐を掻いてね。アンタは、人の形をしてちゃいけない――化物よ」

 四足を着き、床に爪を突き立てる。特殊な髭が生え始め、体が体毛に包まれていく――。

「ボクをッ! このボクをッ! 獣如きに貶めるつもりかァアアアッ!? ガアアァアアァアァアアァァァッ!」

 声帯さえも変化してきたのか。声の質が少女の物から、野獣の咆哮に変化する。

 床を何度もひっかく。牙を剥き出しにし、吼え続ける。だが獣化は止まることなく進んでいく。

「ま、待て! なんでボクがこんな目に遭わなくちゃならない!? ボクは英雄だぞ! ミノタウロスを殺した英雄だ! 後世まで語り継がれるべき人類の希望だ! それが何故!? どうして!? 戻せ、戻してくれ! 頼む! お願いだよ! ボクたち仲間じゃないか! 一緒に戦った仲間じゃないか!」

 私は冷ややかな視線でただ睥睨した

「ガアアアァアアアァアアァァァ! ふざけるな! テメェ如きに人を裁く権利があると思ってんのか!? ふざけんなよ調子に乗りやがって! 今ならまだ赦してやる! だから治せ! 元に戻せ! 早くするんだ、早くしろ、早くしてくれぇぇぇッ!」

 体の筋肉が盛り上がっている。服が裂ける。ベルトが悲鳴を上げる。この姿は――大型動物だ。しかも、噂に聞く、遠方に棲息するという伝説の――。

「誰か! 誰かいないのか!? 誰か助けてくれぇぇぇ! 誰でも良い! 誰かいないのかよぉぉぉっ!? 誰か――いないのかよぉぉぉぉぅ!?」

 ベルトが千切れた。バックルから宝石が全て零れ落ちる。とうとうアクエリアスは蹲った。

「ぐ、ぅ、ぅうぅうぅううぅぅぅ……。――師匠、助けて」

 ――涙。透明な色だった。

 全身の骨格、筋肉、顔の造詣が変わりきった。尻尾も生えきり、全身を体毛が包み込み――。

「おおおぉおぉぉぉおぉぉぉぉぉッ! ド畜生がぁあああッ!」


 それが人間としての最後の言葉。


 途端、咆哮を止める。奴はこちらを見た。漆黒の火炎が消える。獣化が完了したのだ。


 虎だった。真っ白な――純白の毛並みの虎。

 私は杖を構える。

 だが虎は悲しげな蒼い双眸をこちらへ一向けした後、ダンジョンへと続く扉に向かって突進する。無理やり扉を開き、ダンジョンの奥深くへ去っていく。

 部屋には私一人が取り残された。


 アリエスの亡骸を運ぶ。コニーの隣へ。

 二人の手を重ね合わせる。

「……次があったら、幸せになりなさいよ」

 私は光に包まれ始めていた。時間が来たのだ。杖に嵌められた宝石が呼応している。これが転送の源となるのだろう。

「皆……ごめんね。皆……さよなら」

 杖を握り、呪文を唱える。火炎が部屋を埋め尽くす。


「レオ、オフィウクス、コニー、ジェミニ……アリエス。皆、皆、皆……。汝の遥かなるエリュシオンへの旅路に無病と息災のあらん事を。風と共に去りぬ、安らぎの地へ――」


 視界が光に包まれて――ダンジョンを脱出した。

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