◆第十三章 Stage4(エントランスⅡ)

 ビスケスが亡くなった。今夜から見張りはない。寝不足にならずに、ベッドで横になれるのはありがたかったが、寝不足になる方が良かったに違いない。


 天井を仰ぐ。ぼんやりとする。眠ろうと取りとめもなく考えている内に――気づいた。

 今夜、アリアドネがミノタウロスに襲われて死んだら、全て終わりなのだ。今まではビスケスの警備や眠気があったから意識しなかったが……考えてみれば、これほど睡眠を妨害するファクターはない。自分が襲われるだけじゃない。アリアドネが襲われても死ぬのだ。

 今夜、俺が殺される確率は九分の一。アリアドネが殺される確率も九分の一。つまり死ぬ確率は九分の二。約二割。それが死ぬ確率。五回に一回は死ぬ確率。ミノタウロスは強敵だと思っていた。二回も儀式で勝利を収めた熟練と。だが――単に運さえ良ければ、二回勝つことは可能なのだ。敵は運さえも味方につけている可能性がある。歴戦の勇者のような、戦に愛された存在。そんな奴相手に、勝利することができるのだろうか? 生き残ることが、できるのだろうか……。


   *


 松明の火だけが頼りの暗い廊下を歩く影がある。薄氷の上を歩くような足取りで、尚且つ歩くよりも早く走るよりも遅いスピードで、影は迷宮の通路を歩く。やがて一枚の戸の前に辿り着く。

 影は戸を叩く。反応は無い。もう一度叩く。無反応だ。影はゆっくりと戸を開き――。

 隙間から這い出る蛇の姿を見た。

 首に絡まり引きずり込まれる――。

「――ぐ、がぁッ!」

 松明が顔を照らした。

「嘘……アンタが、ミノタウロスだったの……?」

 女性の声が聞こえる。

「嘘でしょ……サジ……」


   *


 サジタリウスが起き上がる。体には鞭がグルグル巻きにされていた。


「……えーと」

「サジ、アンタどういうつもり……?」


 ヴァルゴは手にサジタリウスの武器、万能ナイフを持っている。


「ご、誤解だ。俺はミノタウロスじゃない……!」

「そう言って私が信じると本気で思ってる?」

「嘘じゃない。だってほら、俺弱いし」

「変身とかしたら強くなるかも知れないじゃない」


 サジはヴァルゴの顔を見つめる。


「そう緊張した顔すんなって。俺は盗賊。物は盗っても命は盗らない」

「いや、命も盗るでしょ、盗賊は」

「い、今は専らトレジャーハント専門なんだよ。あと空き巣とか」

「ただの犯罪者だ……」

「そうだよ。ケチな犯罪者だ。だからミノタウロスじゃないって! 信じて!」


 ヴァルゴはサジタリウスを睨んだ後――。


「何しに来たの?」と問う。

「この天下の大盗賊、サジタリウスめが、この世で最も美しい宝石を奪いに参りました」

「何の話?」

「貴女の心です」

「……マジで言ってんの?」

「冗談でここまでしない」

「何で私の部屋が分かったの?」

「エリーが騒いで急ぎで部屋決めがされただろ? そのどさくさに紛れて君の番号を盗み見たのさ」

「ストーカーみたい……」

「ストーカーじゃない。盗み見たっつたろ。盗賊さ」


 暫し黙り込み、ため息を吐いてから――。


「よくよく考えたら馬鹿らしくなってきた。アンタが本当にミノタウロスなら、とっくに私死んでるし、そもそも目立ち過ぎ。それに九割の確率で白なんだっけ? なら違うわね」

「賢明な判断痛み入ります」


 睨み付けた後、鞭を解く。


「イテテテ、こーゆー趣味ねーのに」

「で、本当は何しに来たの?」

「さっき言った」

「……口説きに来たの? 死ぬかも知れないのに?」

「盗みたい物を盗めないまま死ぬなんて、死んでも死にきれないからな」

「呆れた……」

「それに、俺は死なないよ。不死身だ。今日だって、雷は中らなかった。髪は焦げたけど」

「これのお陰ジャン」


 ヴァルゴは掌で黄色い宝石が三つ嵌ったナイフを弄ぶ。


「大盗賊は使う道具も一流なんだよ」

「ふっ……支給品の癖に」

「やっと笑ったか。道化は副業なんだけどな」

「またそうやって」

「いや、これはマジ。たまーに大道芸とかしてる。変装してな。仕事の予算が足りない時とか……」

「その仕事って言うのは?」

「運送業」

「またそうやって――」

「いやいや、盗むだけじゃなくて運ぶのも仕事の内なんだって。家に帰るまでがピクニックだって言うだろ?」

「私ピクニックなんて行ったことないけど」

「俺もない」


 互いに黙った後、失笑する。


「サジは――何で盗賊に?」

「俺? 家業」

「本当に?」

「親父が盗賊だった。俺は盗みの英才教育を受けて育ったんだ」

「お父さん、まだ生きてるの?」

「死んだ。捕まって処刑されたよ。でも、覚悟はしてた。いつあぁなってもおかしくないんだ。俺たちの仕事っていうのはそういうもんだ。水みたいなもんで、日照りが続けば渇いて、大風が吹いたら飛ばされる。明日があってもなくても良いよう生きろ。俺はそう教わった」

「刹那的なのね」

「本当は死んでもおかしくないのに、ズルして生きてるもんなんだ。むしろまだ生きてるのがラッキーなのさ」

「ふーん」

「そういうそっちは?」

「私?」

「そう、踊り子」

「……言っても信じないと思うよ」

「信じるさ。俺の目を見ろ」

「猫みたい」

「良く言われる。でも猫は嘘は吐かないだろ?」

「本当の事だって言わないけど……」

「良いから、ほら、猫に言ってると思って」

「……じゃあ、サジ、聞いてくれる?」

「頭を撫でて良いとまでは言ってないけど……」

「私ね、妾の子なの」

「……」

「お父さんが死んだら食べていけなくなっちゃって。それで踊り子をすることにしました。以上」

「君も苦労してんだな」

「犯罪者ほどじゃないと思うけど……」

「はいはい、すいませんねー。犯罪稼業の甲斐性なしで。どーせ俺は風太郎ですよ」

「私だって似たようなモンだよ。あっち行って踊ってこっち行って踊っての繰り返しだもん」

「俺だってそうさ。あっち行って盗んでこっち行って盗んでの繰り返しだ。何が問題ってリピーターがいないのが大問題だ!」

「当たり前だっつーの!」


 ヴァルゴはサジの頭を軽く小突く。


「……何、元気付けに来てくれたの?」

「何度も言わせないでくれよ」

「……じゃあ、本当に?」


 サジは肯く。


「何で? 私、……正直、ヒステリー起こしてばっかで、強い訳でもないし、脱出に貢献できてる訳でもないのに、何で……」

「いや――今日のボス戦で言ったこと、覚えてるか?」

「……だから、アレは――」

「でも、なんつーか、カッコ良かったぜ。まぁ……お前の踊り見た時から、良いなとは思ってたんだけど……。笑うと結構可愛いしな。で、戦ってるとこと見て、本気になった。黄金の林檎のパズルの時、俺が本当に黄金の林檎を渡したいのは誰か、って考えたら――」

「じゃあ、本気で――」

「お前が好きだ」


 二人の間に沈黙が流れる。ただ互いに目で会話しているようだった。

 そう見えただけで会話の内容は分からなかったが、二人は唇を重ね合わせて、ベッドに横たわった。

 ――それをずっと『ミノタウロス』は見ていた。


   *


 目が覚めた。ということは、生きている。アリアドネは殺されなかった。代わりに誰かが殺された。

 エントランスホールに移動する。皆が集まっていた。

「アンタ、早いじゃない」そう言えば、一昨日はテールに起こされた。昨日はレオだった。

「見張りがなかったからだな。……全部で四人か」

 いないのは――。


「ライブラは?」

「ここだ」


 眠そうな声が聞こえる。


「おはよう」

「あぁ……。もう朝なのか。暗いから実感が湧かん」

「眠れなかったのか?」

「いや……布団に入ったらもう、……気絶したみたいにな。で、気づいたら起こされていた」


 じゃあ、あといないのは――。

「皆」

 通路からレオとオフィウクス、アリエスが現れる。表情は芳しくない。

「こっちに」

 皆で移動する。つまり、――犠牲者の所へ。


 殺されたのはサジだった。毛布をかけられていたが、これまで通り、腹を斧のようなもので割かれ内蔵を喰われたと言う。傍らには破壊された万能ナイフ。柄の部分に象嵌部位があったが、当然宝石はない。

 だがそれとは別の毛布をかけられた何かがあった。毛布ということは――。

「ヴァルゴだ」

「嘘だろ……」

 なんで、二人も……これまで一人ずつだったのに。

 だが間違いない。ヴァルゴの傍らには、ブツ斬りにされた鞭があった。柄には象嵌部位。宝石はない。


「その、遺体の状態は……?」

「これまで通り。だが腹部の損傷が一際激しい。胴体が繋がってない。引き千切られたような有様だ。見るか?」

「でも――」


 女性陣の配慮で遺体を隠していたのに、今更……。


「二人だぞ。しかもこれまでとは違う殺し方だ。何らかの意味があると考えた方が良い」

「……遠慮する。でも顔だけ良いか?」


 アリエスが毛布を捲る。顔が出てくる。間違いなくヴァルゴだ。思ったよりも苦悶や恐怖に囚われた顔をしていなかったのが不幸中の幸いだった。

「文字は……?」

 額に手をやりながら言う。

 ヴァルゴの右手の甲に痣があった。猫の耳のような記号……。


「『Μミュー』か」

「サジも同じだ」


 レオがサジの右手の甲を指差す。同じ『Μ』の字があった。

 ミューは『四〇』を意味する数字でもある。

「だが見方によっては『Σシグマ』とも見える。シグマの数価は『二〇〇』。テータ以外は全て偶数だが……。特にヒントらしいものはないな」

 それにしても、何故二人同時も? ミノタウロスは姿を一人殺せる時間しか維持できなんじゃなかったのか……?


「そう言えば……男でも毛布をかけるようにしたんだな」

「不可抗力でな」意味深長にオフィウクスが言う。

「……どういう意味だ?」

「素っ裸なんだ。下着さえつけてない」


 ……おい。


「念のため聞くけど、ヴァルゴは?」

「サジとお揃い」

「そういうジョークは関心しないな」ライブラがオフィウクスを睨みつけた。

「つまり……えーと、二人は同じ部屋にいたと?」

「そう考えるのが自然だ。で、運悪く両方まとめて殺された」

「でも同じ部屋で寝るのは――」

「寝ることは禁止されているが、いることは禁止されていない。帰る前に死神がやって来た訳だ」

「……こいつらそういう仲だったってこと?」

「恐らくは。昨日の夜からそうなったのかも知れんがな」


 相変わらずの言い種だ。だがサジとヴァルゴはアウトローチームにいたし、非戦闘チームにもいた。恋愛感情が沸いてもおかしくないのかも知れない。


 遺体の確認が終わり、火葬に入る。

「サジタリウス、サジタリウス、サジタリウス……。汝の遥かなるエリュシオンへの旅路に無病と息災のあらん事を。風と共に去りぬ、安らぎの地へ――。ヴァルゴ、ヴァルゴ、ヴァルゴ……。汝の遥かなるエリュシオンへの旅路に無病と息災のあらん事を。風と共に去りぬ、安らぎの地へ――」

 二人同時の犠牲。

 サジは皮肉屋で抜け目のない喰えない奴だったが、その能力には大いに助けられた。

 ヴァルゴはヒステリーばかり起こしてたが、こんな状況下では仕方なかった。本人なりに十二分に戦った。


 二人共戦ったんだ。魔物に対して果敢に武器を振るった訳じゃないけれど、戦ったんだ。でも負けたら死ぬ。どんなに勇ましく戦おうと、負ければ死ぬ。それが戦争の掟だ。


 二人の冥福を祈る。できればもう戦うことのないように祈った。


 朝食を摂った後、タルタウロスの前へ。

 だがタルタウロスは喋らない。暫し待ったが反応がない。

「タルタウロス、済まないが、僕たちはダンジョンに行きたいんだ」

 レオが声をかけるも、反応がない。

 壊れているのかと思い、叩く。

「んぁ?」

 動いた。


「タルタウロス、ダンジョンに通してくれ」

「あ……なんだよ、いっつも煩いからてっきり……寝坊したぞ」


 俺たちのせいかよ!?


「あー、おはよう、諸君。また頭数は減っているようだが、む? 八人?」

「全員いるぞ」

「……ふむ。なるほど。確かに全員いるようだな――ではタルタウロス討伐の戦士たちよ、これから汝らに糧を与える」


 扉が開いた。

「自分の名前が書かれた宝箱を開けるが良い」

 補給を行う。


「宝石はレオの手に渡ったのか」とオフィウクスが俺に言う。

「皆で決めたことだ」

「有益な投資になると良いな」

「レオだぜ?」


 問題ない。

 ダンジョンへ続く扉の前へ。

「では、諸君、健闘を祈る……」

 扉が開く。


 始まる。第四の死闘が――。

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