◆第一章 Stage1(エントランスⅠ)
戸をノックする。「どうぞ」と間延びした声。
「失礼します」
戸を開くと、ガタイの良い青年が木を彫っているのが見えた。ナイフで器用に猫を彫刻している。
「本日付けで配属されました、コズミキニコスです。ご指導ご鞭撻、よろしくお願いいたします!」
「ん? あぁ。ま、よろしく。ベッドは廊下側が空いてるから。机はそっちね」
先輩の机と対になるように、反対側に机が一脚置かれている。机の上には置物が置かれていた。
手に取る。石の彫刻だ。小さな裸婦像。
「あの、これ――」
「あ、それ前にいた奴の……」
「前にいた方は?」
「それは――」
けたたましく鐘の音が鳴る。緊急警報の鐘――。
「出ろ」
短く言い、先輩は部屋を出る。
「何してる出陣だ!」
「――は、はい!」
縋る様に着いて行く。武器庫へ向かう。
「さっきの」
「はい」
「相部屋だった奴な、死んだよ」
「え――」
「つい一週間前、殉職した」
急いで装備を纏う。
門を開けるとすぐ傍に敵が――。
「おい、何でこんな近く、ぐっ」
先輩の胸板に矢が突き刺さった。
「セン――」
振り下ろされる剣。捥がれる俺の右腕。
「――え、あ?」
鬨の声。異邦人が鬼の形相で剣を振り下ろす。剣が風を斬る音は、「死ね」という発音に聞こえ――。
「おおおぉぉぉぉおぉぉぉっ!?」
目が覚めた。
全身にしとどに汗を掻いている。俺は――え?
「ゆ、……夢」
なんて、夢だ。縁起でもない。まだ一日目だぞ……。
顔を両手で擦ってから、やっと気づいた。
ここは……どこだろう。
石造りの部屋。天井も床も壁も――石。窓すらない。
おかしい。配属された兵舎は木造建築だった筈だ。何故こんな石蔵みたいなところに……。
灯りは壁にかけられた松明のみ。手にとって部屋を見渡してみる。
先程まで寝ていたベッドがある。
それだけだ。それ以外に家具も道具もない。ベッドしかない部屋。
着ている服は白いキトンにベルト。クレタ人の一般的な服装だ。
出入り口は一つだけ。石製の引き戸だ。動かしてみると、思ったよりも滑らかに動く。
外は室内よりは明るい。松明が多く焚かれているからだ。狭い廊下になっており、左右は見渡せない。すぐ曲がり道になっているからだ。部屋を出て歩く。取り敢えず右を選択。すると二手に分かれる道に。また右を。少し歩くとまた二手に。こんなことが二三度続いた。石畳の廊下を囲う石造りの壁は天井まで伸びきっており、乗り越えていくことはできない。
視界の左手で何かが動く。咄嗟に身構える。
「誰かいるの!?」
少女の声だ。こちらに松明を向けている。こちらも松明を前に出す。薔薇のように鮮やかな長い赤毛を二つに結んだ少女だった。吊り眼で気の強そうな雰囲気。十四、五歳くらいだろうか。服は俺と同じ、白いキトンにベルトだった。
「アンタ、何者?」
高圧的に問いかけてくる。
「アンタ、何者?」と聞いて来るからには――恐らく俺と同じ境遇の人間だ。
「怪しい者じゃない。俺はコズミキコニス。一応、兵士だ。そういう君は?」
「……。……私はアステール。職業は――魔法使い」
魔法使い。……始めて見る。
「アンタ、ここがどこだか分かる?」
「いや。気づいたらここにいた。君も?」
「えぇ。国から呼び出しがあってね。国立研究施設への内定が決まったって連絡が来たから、上京してきたの。部屋に案内されて眠ったら……ここに」
どうやら俺たちは、――攫われたらしい。
「アンタ、私以外に誰かと会った?」
「いや」
「そう。――ねぇ、誰かいるの!?」
途端、アステールは大声で道の深奥に向かって叫ぶ。
「何故急に大声を」
「だってまだ誰かいるかも知れないじゃない。一人いるんだから他にもいるでしょ」
蟲みたいに言うなよ。
「おーい、誰かいるのか」
遠くからそんな声が聞こえた。野太い男の声だ。
「ほらね」
自慢げにアステールは笑う。
二人で声のする方角へ。声を頼りに右折と左折を繰り返す……。
やがて二人の男と遭遇した。
「お、人だ。人ですぜレオさん」
三十代の大男が松明を掲げながら、隣に立つ二十歳ほどの長身の男に喋りかける。長身の男は何やら安堵した表情を浮かべた。
「アンタたちは?」
アステールが先程と変わらぬ声音で高圧的に問う。
「申し送れた。僕はレオ。こちらはキャンサー。共にミノス王に仕える兵士だ」
「アンタたちも?」と赤毛の少女。
「というと?」
「自分も兵士なんです。昨日、配属されたばかりですけれど」
「私は違うわ。研究員」
「我々と同じ兵士に研究員。これは心強い。共に力を合わせ、状況を打開しよう」
「ってことは、アンタたちも何でこんな目に遭ったのかは知らなかいワケ?」
「赤毛の嬢ちゃんたちも?」大男が聞く。
「赤毛の嬢ちゃんじゃないわ。アステールよ」
互いに沈黙する。
「とにかく歩こう。他にも仲間がいるかも知れない」
レオは凛とした声音で俺たちが来た道とは別の道を指差す。兵士としての勘、というわけではないが、隊を率いうるカリスマ性があると感じた。
時に道を曲がり、時に呼びかけ、反応があった道を行くと――開けた場所に出た。巨大なホールのようだ。
ホールには俺たちの他に、八人もの男女がいた。男性三名、女性五名。こちらと会わせると、男性七名女性七名ということになる。全員が白いキトンにベルト。丸腰だった。
「こんなにたくさん……」
レオが呟く。確かに、十四人もこんなところにいるとは思わなかった。
「失礼、君たちは?」
八人の中にいた一人の女が歩み寄ってくる。黒い長髪を後頭部で括っている。物腰に隙のない何かを感じる。恐らく、武道の心得があるのだろう。
レオが代表して答える。
「僕たちはミノス王に使える兵士と研究員だ。気づいたらここにいた。君たちは?」
「私たちも同じだ。気づいたらここにいた。もっとも、兵士はいないがな」
八人を見る。確かに、兵士らしい者はいない。
「あの、取り敢えず、自己紹介しませんか? 私、アリエスと言います。神殿で神官見習いをやってます。よろしくお願いします」
黒髪の物腰の柔らかそうな少女がのんびりとした声で言う。柔和な表情を浮かべていた。
周りの反応は芳しくなかったが、取り敢えず俺たちから自己紹介をすることにした。
「私、アステール。魔法使い。テールで良いわ」
レオ、キャンサー、俺の順で自己紹介が終わる。
続いて、先程の女の番になった。
「私の名はライブラ。侍女への教育係として招かれた。方々で槍術を教えている。よろしく頼む」
白い短髪の野性味のある顔をした少女の番になる。テールやアリエスと同い年くらいだろう。
「ボク、アクエリアス。エリーって呼んでくれて良いよ。職業は格闘家。宜しくね」
「次は僕で」
金色をした癖っ毛の優男が皆の中心に立つ。
「ぼくの名前はカプリコーン。気軽にコーンと呼んでくれ。職業は吟遊詩人。オルフェウスのような吟遊詩人になるのが夢さ」
だが竪琴は持っていなかった。
後の六人はどうも口が重い。
「えっと、じゃあ、そこの君、名前は?」
コーンがずっと体育座りしていた女に問いかける。
「アタシ? アタシは……ヴァルゴ。踊り子やってる。つか、自己紹介とかしてる場合? さっさとここ出たいんだけど」
「全員そう思ってる」
ぶっきら棒に目つきの悪い男が言う。皆がそちらを向いたせいか、男が自己紹介を始めた。
「俺はオフィウクス。賢者をしている。国が所蔵している本に用があってな。やっと閲覧許可が降りたと思って上京したらこのザマだ」
「へぇ、賢者。じゃあアタシと一緒だ」とテールが言うが――。
「呪い師と一緒にするな」と一蹴された。獰猛な獣のような目でオフィウクスを睨み始めた。
「じゃあ、次、俺で……。俺はジェミニ。職業は、一応、劇作家」
「へぇ、どんなの書いたの?」
ヴァルゴが興味を持ったようで訊ねたが、ジェミニは頭を掻いて言う。
「……アスクレピオスの心臓」
「有名なの?」
「いや……たった一度講演されただけ。あんまり良い評価はされなかった」
「なんだ」
ジェミニはヴァルゴを睨んだが、ヴァルゴはまた俯いてしまった。コーンからジェミニまでの四人は皆同年代に見えた。
「後三人だね、じゃあ、君は?」
レオは屈んで視線を合わせ、十二歳くらいの大人しい少女に問いかける。少女は暫し間を置いてから話し始めた。
「
「占い師ってこと?」とレオ。
「なら何故この状況を占えなかった?」
とオフィウクスが意地悪く問う。
「それは――……しか当たらぬからじゃ」
「え? 何だって?」
「一割しか当たらぬからじゃ!」
途端、大声でビスケスが怒鳴る。
一割……たった……。
残り二人になった。
見れば分かる。どちらも職業を明かしたがらない性質だ。
つまり――アウトロー、ということ。
「ちなみに、そちらの二人は?」
ライブラが問う。二十歳くらいの女の方から話し始めた。
「私はスコーピオン。職業は……殺し屋」
皆が息を呑む。冗談を言っているようには見えない。
「暗殺者と呼ぶ者もいる。仕事の依頼を受けて上京した。以上」
「じゃ、俺も話しますか」
次に猫のような目をした十七、八に見える金髪の男が喋り始める。
「俺、サジタリウス。仲間内ではサジって呼ばれてる。職業は、世間一般では盗賊って呼ばれる行為に従事してる。ま、こんな状況だ。俺とお隣さんの職業には目ェ瞑ってくれ」
サジの自己紹介を最後に、全員の名と職業が判明した。
「で、これからどうするんですかい? レオさん」
「そうだね……取り敢えず、手分けしてこの建物を調べようか」
「おいおい、何急に仕切ってんだよ、アンタがリーダーだっていつ決まったんだ?」
さっそくサジが突っかかった。
「何言ってんだオメェ、盗賊風情が、このお方をどなたと心得る! かの有名な英雄、カウリオドゥース様のご子息であらせられるぞ!」
――まさか、あの爪牙の異名を持つカウリオドゥースの息子なのか? 本当に?
「よせ、キャンサー、こんな時に――」
「しかしレオさん――」
「尚更信用できねぇな」
サジは声を低め、レオをねめつける。
「ボンボンのお坊ちゃまの指揮なんざな。俺は俺のやり方でやらせてもらう」
「こら、単独行動をするんじゃない!」
ライブラが呼び止めるが、聞く耳を持たない。
「ならサジ。君の意見を聞こう」
レオの声にサジは立ち止まる。
「ここで待つ。動かずにな」
「なっ――」
皆が息を呑む。閉じ込められておきながら、動かない……だって?
「アンタバカァ? 閉じ込められてるのに動かないってどういうことよ! このままじゃ全員野垂れ死によ!」とテールが大声で喚く。
「動いても死ぬかも知れないぜ」
「なんでよ!?」
「罠があるかも知れない」
その一言に皆静まり返る。
「ぶっちゃけ、そこらは俺の専門だ。脱獄や墓荒らしも一度や二度じゃない。この建築物の材質、組み方、分かる範囲で調べた。――結論を言うと、ヤバイな」
「ヤバイ、とは……?」
アリエスの問いにサジはシニカルに笑いながら言う。
「金がかかり過ぎてる。この石、黒岩石つって、切り出すのに大男が何十人も必要なほど硬い石なんだ。ちっとやそっとじゃ破壊できない。穴掘って抜け出すのも百パー無理だ」
「そ、それって、どういうこと……?」
ヴァルゴの問いにサジは静かに答える。
「一般的な地下牢や地下施設じゃないってことは確かだ。間違いなく国が噛んでる」
「まさか――」とレオが言いかけるが――。
「少なくとも、計画的な犯行だ」
とオフィウクスが口を挟んだ。
「何故そう言える?」とキャンサー。
「魔法陣だ。ベッドの裏にあったのを見なかったのか?」
ベッドの裏まで確認した憶えはない。というか、こいつはそこまで調べたのか……。
「転送の魔法陣だ。一方通行のな。俺たちは意図的にここに放り込まれたって訳だ」
「理由は他にもあるぜ。そこの『それ』。純金だ」
サジが指差す先にあったのは、台座に乗せられた――黄金の
「純金? 本当に?」
ヴァルゴを筆頭に皆が興味を持つ。俺も近づく。
見かけは――本物の髑髏のようだ。だが黄金に光り輝いている。
「どうして純金だと分かる?」とキャンサー。
「叩いた音で判別する。それがプロのやり方さ」
「触っても平気なのか?」
試しに触ってみる。……頭蓋骨らしい繋ぎ目がある。ひんやりとした温度。触って感じる重厚感。
「おい、気安く触るんじゃあない!」
突如、声が聞こえる。男の声だ。誰かと思って後ろを振り返る。皆、誰の声か探すように周りを見ている。
「お前だ、間抜け面。我輩に気安く触るんじゃあない、指紋が着くだろ!」
手元を見る。髑髏の顎が動いている。
「うわああぁっ!?」
思わず手を離し退く。
「ふん、腰抜けめ」
しゃ――。
「髑髏が喋った!?」
皆一様に驚愕する。だが当の髑髏はどこ吹く風で――。
「やっと十四人集まったようだな。それじゃ、『説明』を始めるとするか」
「せ、説明……?」
テールの問いに答えるつもりなのか否か、髑髏は喋り始めた。
「我輩は、この『迷宮』の番人であり、主だ。『怪物ミノタウロス』が幽閉された、タルタロスとも言うべき監獄の番人であることから、便宜的に、『タルタウロス』と名乗っている」
「タ、タルタウロス……?」
思わず
「ま、待て! 今聞き捨てなら無いワードが幾つかあったぞ! 『迷宮』とはどういう意味だ!」
オフィウクスが先ほどの落ち着き様からは考えられないほど狼狽していた。
「『迷宮』とは、この建築物そのもののことさ。ラビリンスとも言う。詳しい構造は後で説明するが、簡単に言えば敢えて迷うように作られた建築物の事だ。例えば無意味な分かれ道、行き止まりの道、元の位置に戻ってしまう道などが、意図的に作られている」
「なんでそんなくだらねぇもんを?」
説明を聞いたキャンサーが目を皿にしながら問う。
「ククク……。そりゃあ、閉じ込めて出したくない『奴』がいるからさ」
「ア、アタシたちそんなに嫌われてるワケ!?」
ヴァルゴのヒステリックな叫びに、タルタウロスは喉の奥で笑う。
「お前たちじゃねーよ。言ったろ? 怪物、って」
「それもだ! 怪物とは何だ! 何の話だ!」
またオフィウクスが喰い気味に問う。
「『怪物ミノタウロス』さ。神に匹敵する怪力の持ち主であり、悪魔のように残忍で冷酷、人間を喰って生きる正真正銘のモンスターだ」
「ひ、人を――喰う……!?」とコーンが二、三歩後ずさる。
「それだけじゃない。ククク、そいつの最も『特徴的な特徴』は――『牛の頭部に人間の身体を持っている』ことだ!」
牛の頭部に――人間の身体?
それ、くっついてるってことか? バラバラに切った二つを、とか……。
「なんでそんな醜いモンが存在するのか。それを説明するには少し長い話をしなければならない」
前置きしてから、タルタウロスは話し始めた……。
「三十一年前。この国の王を決める争いがあった。王位の争奪戦に勝利したのは、ご存知の通り『ミノス王』だ。何故勝利できたと思う?」
「海の神ポセイドンから、王位継承の証である牡牛を授かったからだと、承っております」とレオが答える。
「その牡牛はどうなったか、知っているか?」
「陛下が王位を継いだ後、海の神への供物とされ、ポセイドンに返還されました」
「その供物が偽者だったとしたら?」
「それは、どういう――?」
「すり替えたということか?」レオの疑問に被せるように、オフィウクスが問う。
「ご明察。王は授かった牡牛を供物にしなかったのさ。そもそも牛は借り物でミノス王とポセイドンが口裏を合わせて用意したものだ。王位を手に入れたら、牡牛は返還される契約だった。ところがミノス王は裏切った。牡牛があんまりにも見事で美しかったものでな」
「それ、まさか――借りパクってことか?」
サジが訊ねるとタルタウロスが「まぁな」と答える。
「そ、そんな馬鹿な……! 王がそのような裏切りを……!?」とレオが怒りと驚きを露わにするが――。
「人間でも神でも、欲に負ければ悪事に手を染める。となれば、当然面白くないのはポセイドンだ。契約を一方的に破棄されたポセイドンは、怒り憎しみ――復讐することにした」
「それ、ミノタウロスと関係あるの?」とエリーが緊張感のない声で問う。
「大いに! ポセイドンは
「なんだ、それは?」と訊ねる。
「禁術の一つよ。死神の術、死霊魔術、獣化の術などに並ぶ、禁忌とされている術。対象者を禁忌とされる恋に落とす、悪意そのものと言うべき呪いよ」とテールが解説してくれた。
「その通り。人間が最も苦しむ毒とは何か、ポセイドンは知っていた。『恋』だと知っていた。特に――禁忌の恋だとな」
「禁恋の内訳は多岐に渡る。近親姦から同性愛、姦通に至るまで」と劇作家らしくジェミニが解説する。
「その中で、ポセイドンはどのような恋を抱かせたと思う? 悪趣味さ。己の牡牛を利用したんだ」
「どうやって?」
エリーが訊ねるが、誰も答えない。間を置き、タルタウロスが答える。
「獣姦さ。ポセイドンは、パシパエに、ミノス王に奪われた牡牛に恋をする呪いをかけたんだ……」
「ちょ、ちょいちょいちょい! ストップ、ストーップ!」
大袈裟なリアクションでサジが話の流れを止める。
「まさかお前、それで産まれたのが『ミノタウロス』だなんて言わないよな?」
「そ、そうだ! 国王様ばかりか、王妃様まで
タルタウロスは暫し黙ってから――。
「さっき騒いだ二人。我輩の前に立て」
「な、なんでだよ?」
「要するに、お前らは俺の言うことを疑ってる訳だろう? 証拠を見せてやる」
証拠――? 何をする気なのか。
サジは警戒して近寄らなかったが、レオは果敢にタルタウロスの前に立った。
「これが証拠だ」
タルタウロスが口を開く。
「これは――」
「レオさん、どうしたんですか……? うっ」
レオとキャンサーの二人がタルタウロスの口腔を覗き込み、押し黙る。
俺も近づいて見てみる。
タルタウロスには舌があった。金色の舌。更に――王家の紋章が刻まれている。両刃の斧、ラブリュスの紋章だ。
「本物だ……」レオが呟く。
「納得したか?」
「じゃ、じゃあ……」
「国王は神の末裔だが所詮雑種。王妃に至ってはただの人間だ。『欲』があれば、『誤ち』がある。そういうもんさ。獣姦が一般的な過ちか否かは別問題としてな」
マジかよ……そんなエグい話、信じろってのか……。
「そんな――嘘だ……」
国王なのか王妃なのか、はたまた国なのか――どれにしろ、深い忠誠を誓っていたレオにとっては、あまりにもショッキングなスキャンダルだったようだ。
「怪物の顔が父親似なのは分かった。つまり――ミノタウロスは『実在』するんだな?」
オフィウクスが冷徹に話を進める。
「その通り。そして、ここにいる」
「この迷宮のどこかに?」
「違う。ここにだ」
「何……?」
怪訝な顔をする。皆もそうだ。一様に意味を量りかねている。
「それは、まさか――この十四人の中に、ミノタウロスがいるということか……?」
「そういうことだ」
場の緊張感が一気に高まる。皆が皆の顔を見る。この中の――誰かが、ミノタウロス? 牛頭人体の化物だと……? 俺は全員の自己紹介を聞いた。全員、間違いなく人間だった。
「待った。話が違うわ。だってさっき、ミノタウロスは頭が牛だって言ってたじゃない」とテールが言う。
「確かに。奴は今、化けているのさ。普通の人間、お前らと同年代の少年少女にな。外見で判断するのは不可能だ」
「何故?」オフィウクスが静かに問う。
「儀式だからだ」
「儀式って、何の?」今度はテールが訊ねる。
「ミノタウロスを封印し、抹殺するための儀式さ」
儀式ってことは、この迷宮も俺たちも、そのために……?
「儀式の説明をするには、話を戻す必要がある。ミノタウロスを産んだのは王妃パシパエ。ここまでは良いな。王は始め、この事実を隠匿した。当然だな。そしてこう考えた。もしかしたら、こいつは良い戦力になるのでは、と」
「――兵器にしようとしたのか」
今まで黙っていたスコーピオンが口を開く。
「あぁ。だが見積もりが甘かった。ミノタウロスは強過ぎた。その怪力で侍女や奴隷を殺すことも珍しくなかった。強力過ぎる兵器はただの脅威だ。やがて王は、ミノタウロスの暗殺を企てるようになった……」
「何故失敗した?」スコーピオンが訊ねる。
「殺せなかったのさ。王妃が邪魔をした……というのもあるが、力量的にな。彼の有名なカウリオドゥースにさえ、殺すことはできなかった」
「父上が!?」
「ミノタウロスは、振り下ろされた剣を――角で弾いて折った。名剣と呼ばれた剣をな」
「それで、どうなったんだ……?」俺が尋ねるとタルタウロスは「そう急かすな」と言う。
「王は通常の手段でミノタウロスを殺すのを諦めた。そこで儀式だ。特殊な儀式を行って、ミノタウロスの暗殺を謀った。儀式のため、王は名工ダイダロスに『迷宮』の建造を命じた。それが――」
「この場所、なのか……」
天井を見上げる。周囲を見回す。薄暗い――だだっ広い独房と呼ぶべき空間。こんなところに、半分とはいえ人間の血が通った存在を幽閉したのか……。
「化物はどっちなんだろうな……」
「言うねぇ、コズミキコニス。ここに入れられて、そんな発想をしたのはお前が初めてだ」
「初めて? それ、どういう意味だよ?」
「この儀式は今回が初めてじゃない。既に二回行われている」
嘘だろ――こんなクレイジーな事、三回もやってんのかよ?
「無論、一度目と二度目は失敗した。そしてこれが三度目になる」
「儀式について詳しく教えて貰おうか」
オフィウクスの興味は、脱出と儀式そのもの、どちらにあるのだろう……。
「ミノタウロスが九歳の誕生日を迎えた日、完成した迷宮に幽閉された。そこから儀式が始まった。一度に十三人。二十歳以下の少年少女を魔法陣を用いて迷宮内に転送する。転送された十三人は、協力して、儀式を成功させなければならない。これが『抹殺の儀式』。逆にミノタウロスが十三人の生贄を殺戮した場合、その血を媒介にして結界を張り、ミノタウロスが決して迷宮から出られないようにする。これが『封印の儀式』だ。封印の効力は七年間だけ続く。故にこの儀式は、七年に一度秘密裏に生贄を拉致する形で行われる」
「じゃあ――ぼ、僕が、才能を認められて……楽団への入団を認められたと言うのは……」
コーンが青褪めた顔で唇を振るわせる。
「お前を騙す嘘さ。お前だけじゃない。『全員』だ」
「ま、待て! お、俺は確かに兵士になったぞ! 入隊式にも出た!」
自分の声は上擦っていた。
「俺は騙されてないぞ! なのに何で――」
「お前、兵士か」
「そうだ」
「成績は?」
「は?」
「入団テスト時の成績は?」
関係あるのか、と思いつつも「三位」と答えた。
「だからだろう」
「は……?」
「一位を使うと軍事力が減る。だが三位くらいなら惜しくもないし、討伐を期待できる。そういうちょうど良い順位だ。だからお前が選ばれたんだろうな」
――。
なんだよ、その、適当な理由……。
そんな理由で、俺は――。
嘘だろ……兵士になれば、金だって手に入るし、保証もある。
兵士になれば――幸せになれると思ったのに……。
「お前らは、国に選ばれた生贄だ。国のために戦え、さもなくば死ね。――それが国の言い分、ってこった」
「なんでだよ……」
サジが声を震わせる。
「なんでこんな……」
「そうよッ、なんで、こんな――」
ヴァルゴは泣き出してしまう。
「なんで俺たちがガメツイ国王と淫乱な王妃の尻拭いしなきゃなんねーんだよッ!?」
「口を慎め! 陛下に対してなんたる言い種!」
サジの絶叫をレオが威嚇する。
「俺もサジに同感だ」
「オフィウクス!?」
「揃いも揃って欲に塗れたド腐れ脳味噌共の後始末なんざ御免被る。そんな暇はない」
「オフィウクス、貴様……!」
「アタシも嫌ッ!」
ヴァルゴが金切り声を上げる。
「なんで!? なんでアタシがこんな目に遭わなきゃいけないのよッ!? しかもクソッタレな国王共のせいで! あいつらがアタシたちに何をした? 何もしてくれてない! ふざけんなッ!」
「君たちには愛国心というものないのかッ!?」
レオが叫ぶ。途端、場が静まり返る。
サジの失笑。
「何が可笑しい!?」
「良いよなー、ホント。ボンボンのお坊ちゃまは、優等生ぶって『国王様ぁ』ってヨイショしてりゃ、喰いっ逸れないんだからよォ」
「お前……レオさんに向かって……!」
「やめろ、キャンサー。サジ、どういう意味だ?」
「何、俺たちとアンタは違うって簡単な話さ。アンタが国王に敬意を表するのは、要するに見返りがあるからさ。自覚はねーだろーけどな」
「僕は、そんな――」
「俺たちゃ違う。俺たちは掃き溜め暮らしの人間だ」
「俺は違うがな」オフィウクスが呟く。サジは気にせず続けた。
「俺たちには、王に対する恩も敬意もない。そんなもんを抱くに足る『根拠』がないからな。俺たちは国というシステムの中で、敗者側に追いやられた人間だ。当然、国を嫌ってる。金持ち、特に貴族は鼻持ちなら無い。王族だって例外じゃない。そんな奴らのために、命を賭けろ? ふざけてる。じゃあ逆に、奴らは俺たちのために命をかけられるのか?」
「陛下を含め、国の中枢は、全国民が幸せになれるように、最善の努力をしている!」
「どうかな。汚職だの着服だの、悪い噂は五万と聞くぜ。結局国なんてのは、『搾取』のシステムだ。スムーズに、効率良く、生かさず殺さず『奪う』ための仕組みさ……。で、奪われた側の俺たちが何故感謝しなきゃなんないんだ?」
「考え過ぎだ。国があるからこそ、我々は安心して生きていける。国がなければ、他国に攻められたり、公共事業も行き届かなくなる……!」
「ふーん。で、俺たちはその恩返しに、『命を懸ける』のが当たり前、だと?」
「それは――」
「随分と安いんだなぁ、俺たちの命。一生懸命生きたってのに、ドケチと獣姦マニアの後始末で死ぬんだもんなぁ」
「ま、まだ死ぬと決まったわけじゃないだろう!」
「でももう二回失敗してる。二回ってことは十三掛ける二、二十六人が生贄になって化物の胃袋の中、いやもうとっくに糞の中、って理屈になる。お前、勝てると思ってんのか?」
「無論だ! このような日のために、鍛錬を続けてきた!」
「アンタ結局心のどこかで下種な国王を信頼してるんだ。じゃなきゃそんな台詞言える筈ない。俺たちが『捨て駒』という可能性を何故考えない?」
「捨て駒?」
「儀式は方便みたいなもんだ。まぁ、勝てるシステムにはなってるんだろうさ。でも実際には二回負けてる。だが負けても封印は続く。国王にとっちゃどっちに転んでも得。むしろ変に生き残られてこの事実が流布されたら困ると考えれば、――死んで貰った方が得」
「陛下はそんな人では――」
「ないと言えるかァ? 神様の牛借りパクして嫁に化けモン産ませた野郎だぜェッ!?」
「……」
レオは黙ってしまった。フォローする声もない。当然だ。サジの疑心はこの場にいる全員が抱き得るものだ。
「俺は降りるぜ」
サジは一言告げる。
「降りるって――降りてどうする気よ?」とテール。
「さぁ……。取り敢えず、俺なりのやり方で脱出を試みるさ。国王の思い通りだけはご免だ」
「全員で参加しないのならば進むことはできないがそれでも良いか?」
タルタウロスが――澱みかけた空気に追い討ちをかける。
「それ――どういう意味だよ」
「この儀式には全員が参加しなければ意味がない。二手に分かれて、片方がこの部屋に残るといったことは許されない。全員でこの先に進むのでなければ、誰一人ここから出す訳にはいかない」
突如轟音。壁の一部がスライドし、そこから両開きの巨大な扉が現れた。
「あの先に、魔物の
「待て。ダンジョンとは何だ?」とオフィウクスが問う。
「説明の途中だというのに、仲違いを始めるからこういうことになるんだ。この迷宮は全部で四つの区間から成っている。今、お前たちがいるのが『エントランス』、エントランスの先が『ダンジョン』、ダンジョンを抜けた先にあるのが『ボスルーム』、ボスルームを越えた先に『パズルフロア』があり、パズルを解くことができれば、『第二ステージ』のエントランスに到達できる」
タルタウロスの説明によれば、ここは第一ステージのエントランスということになるが――。
「ちょっとそれ、幾つまであるの?」とヴァルゴが当然の疑問を呈する。
「それは教えられない」
「何でよ!?」
「決まりでな。だが脱出可能であることは保障する。無論、お前たちの努力次第ではあるがな」
俺はエントランスを見渡してみる。そもそもここは階層的にどこなのだろう。塔の中なのかも、地下にいるのかも、定かではない。いつになれば出られるか分からない迷宮行進を続けろと言うのか……。
「嘘でしょ……そんなの出られるか出られないか分からないじゃない! 他に何かないの!?」
「あるぞ」
タルタウロスはあっさり答える。
「あるの!?」
「あぁ――。そもそもお前たち、我輩の話を全く聞く気がないだろう。言った筈だぞ、これはミノタウロスを抹殺するための儀式だと」
衝撃の事実に気を取られて忘れかけていた。
「脱出方法は他にもある。――人間に化けたミノタウロスを殺すことだ」
空気が凍り、亀裂が入る。皆が皆の顔を窺う。この中にいる誰か。ミノタウロスを殺しさえすれば、――助かる。
「待て。解せない。ミノタウロスは彼の英雄カウリオドゥースですら殺せなかったのだろう? それを私たちに殺せと言うのか?」とライブラが訊ねる。
「儀式という『前提』を忘れていないか? 確かにカウリオドゥースすらミノタウロスには太刀打ちできなかった。だが今は違う。儀式の効力で、ミノタウロスは半ば人間であることを『強制』されているのだ。故に本来の姿ほどの力は持っていない。お前たちでも十分に殺せる程には、力を抑制されている」
――じゃあ、本当に、ミノタウロスを探し出して殺すという図式は成立し得るのか……。
「なんでそれをもっと早く言ってくれなかったんだ……?」
サジが一歩こちらへ踏み出す。
「そっちの方が早いじゃねーか」
「同感だ」
スコーピオンが剣呑な眼をこちらへ向ける。
「ただし!」
タルタウロスが叫ぶ。皆が注目する。
「一つだけ注意点がある」
「注意点?」
サジが怪訝そうに顔を歪める。
「話は最後まで聞けと何度言わせれば……。良いか、これは儀式だ。ミノタウロスを通常の手段で殺すことはできない。だから儀式で殺すしかない。儀式には――リスクが伴う。犠牲なしに成功させることは不可能だ」
「この中の誰がミノタウロスか分からないことが、リスクだと?」オフィウクスが冷静な声音で問う。
「あぁ、リスクの一つ目だ」
「ひ、一つ? まだあるのか!?」
俺は思わず頓狂な声を出してしまう。
「ある。お前たち十四人の中には一人、ミノタウロスが人間に化けて混じっている。でもそれだけじゃない。ミノタウロスを抜いた十三人の中に、儀式の要となる『アリアドネ』が『一人いる』」
「アリアドネとは?」とレオが訊ねる。
「アリアドネは儀式の要の役を担う存在だ。儀式が成功した時、アリアドネの存在を基点にミノタウロスを消滅させる」
「つまり僕たちの中に、ミノタウロスとアリアドネが一人ずついると?」
「そういうことだ。そして逆に言えば、アリアドネがいない場合、ミノタウロスを殺すことは決してできない。つまり、お前たちの中の誰かであるアリアドネが死亡した瞬間、お前たちの敗北が決定する」
「ま、待った!」キャンサーが言う。
「俺たちは、ミノタウロスを探して殺さなきゃならんのだろ? もし誤って殺したのがアリアドネだったら?」
「勿論、お前たちの負け。ミノタウロスの餌食になる」
「そりゃミノタウロスに有利過ぎねぇか!?」
「安心しろ。人間の勝利条件は二つある。お前たちがここから脱出することだ」
「俺たちがここから出たらミノタウロスはどうなる?」と訊ねる。
「死ぬ。お前たち人間が一人でも脱出に成功すれば、儀式は成功したことになる。成功した際はアリアドネを基盤に、ミノタウロスを抹殺する。またミノタウロスは結界に阻まれ、脱出することができない。これは儀式が続く限り有効だ」
「じゃあ、脱出が可能だと言うのは――」
「本当の事だ。ただし、脱出するには謎を解く必要がある」
「その謎はどこに?」とオフィウクス。
「それを見つけるのも含めて、謎だ」
ルールを簡単にまとめる。
人間の勝利条件。
一、ミノタウロスが死亡する。
二、ダンジョンから脱出する。
ミノタウロスの勝利条件。
一、アリアドネが死亡する。
「ちょ、ちょっと良いか?」ジェミニが片手を中途半端に上げる。
「ミノタウロスは自分がミノタウロスって自覚があるのか?」
「当然だ。自分に能力があることも自覚している。その気になれば、不完全体ではあるがミノタウロスに変化することができる。といっても、完全ではない。お前らでも束になれば、不完全体相手でも勝機はある」
「アリアドネは?」
「ある。アリアドネであることは本人にしか判らない。実はもうアリアドネとだけは会話をして、ルールを全て説明している。これで儀式に関する説明は全てだ。人間十二名、ミノタウロス一体、アリアドネ一名、全員に儀式のルールを通告した。これを以て、『儀式の開始』を宣言する!」
*
十四人の虜囚。虜囚の中には、一体のミノタウロスと一人のアリアドネ。
この中の誰がミノタウロスで、誰がアリアドネなのか。
それは本人にしか判らないこと。
剣士。
騎士。
弓使い。
槍使い。
魔法使い。
神官。
賢者。
占い師。
吟遊詩人。
踊り子。
格闘家。
劇作家。
盗賊。
暗殺者――。
バラバラの職業、バラバラの生い立ち、バラバラの生き様、バラバラの正義――。
十四の命を搾取する、悪夢の儀式が始まった――。
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