◆プロローグ
物語とは英雄の誕生から語られるものだ。
王妃の陣痛が始まったのは満天の星が空に瞬く夜も更けた頃合だった。王は既に王妃の出産を数回経験していたが、自分にできることが何一つないため、未だにこの待ち時間が苦手だった。王室を歩き回り、吉報を祈りながらも、不安を押し殺せずにいた。
「少し落ち着かれては如何ですか? 酒でも呑みましょう」
傍らにいた二メートルはあろうかという大男、家臣のカウリオドゥースが杯を手にしながら言う。
「そうは言うが、儂はどうにも慣れんのだ。この結果が出るまで延々と待たされる雰囲気が、苦手で苦手で……」
「何事もそういうものです。例え目前の戦に勝利しようと、策に成功しようと、それが吉と出るか凶と出るかは、誰にもすぐには分からぬもの。ミネルヴァの梟ですら、物事を見定めるのに夕刻まで時を要します。腰を据えて待ちましょう。両陛下のお子様です。無事に生まれてくるに違いない!」
「お前はいつもそう言う。そして、いつもその通りになった。だが今夜ばかりは胸騒ぎがする。何か良くないことが起こるのではないか、と――」
王の第六感は的中した。
ついに出産が始まり、獣のような声が分娩室から聞こえ始めた。産婆からの伝言を承った小間使いが、急ぎ足でやってくる。
「おぉ、ついに生まれたか!?」
「いえ、まだです」
「なら何をしに――」
「陛下、残念なお知らせが……」
「な、何だ……?」
「逆子です」
「逆子――」
王は愕然と呟く。
「もしもの事を、ご覚悟ください」
「……心得た」
王は俯き、室内を歩き回る。
「そら見たことか。私の予想通りだった! 逆子! 逆子では生まれてくるのは難しい。子だけではない、妻の体さえも――。とうとうこの日が来てしまったか……」
「死神に屈するのは早過ぎます! 祈りましょう、出産の女神エイレイテュイアに! 無事に殿下がお生まれになるように!」
「そ、そうだな……! お前の言うとおりだ! おぉ、神よ、出産の女神エイレイテュイアよ! どうか! 我が妻にお力をお貸しください……!」
「私も祈りましょう。女神よ、どうか我が王の側室にお力添えを……!」
王の祈りが通じたのか否か、陣痛は朝になるまで続き、瑠璃色の空が広がる黎明の時、とうとう産声があがった。
しかし、同時に侍女が裂帛の悲鳴を上げるのも聞こえた。
王は走った。分娩室に駆け込もうとする。侍女たちが止めたが形振り構わず、そのまま分娩室に入る。
「陛下! 入ってはなりません!」と産婆が止めたが――。
「邪魔をするな! 妻の顔を見せろ! 亡き妻の顔を! 生まれたばかりの子の顔もだ!」
「違うのです、お后様はご無事です。しかし――」
「しかしなんだ!?」
「その――」
「ええい、邪魔立てするな! 本当に妻が無事ならば会わせるが良い!」
王は産婆を無理やり退かし、分娩室へ。室内では赤子が元気な産声を上げていた。
王は分娩台に横たわった妻の顔を見た。妻もこちらを見る。確かに生きていた。胸を撫で下ろす。
次に王は産湯に近づいた。侍女が「お待ちください!」と叫んだが、王の耳には届かない。
産湯の中身を見た瞬間、王は侍女よりも大きな悲鳴を上げた。
産湯に使った赤子の頭は――牛の頭だったからだ。
似ているだとか、そういう意味じゃない。子牛の頭が角まで揃って人間の赤ん坊の胴体の上に乗っかって、ヒトと寸分違わぬ産声を上げているのだ。
王の新たな子は牛面だった。
王は嘘だと思った。夢だと思った。何者かの策謀だとも思った。だが間違いなく現実だった。
王は顔面蒼白。泡を吹いて倒れてしまった。王妃は生まれた子の顔を見て、さめざめと泣くばかり。
両陛下が可哀想?
ところがどっこい。自業自得なんだな。
遅ればせながら、両陛下のご紹介をさせて戴きます。
罪深き王の名はミノス。王妃の名はパシパエ。
我輩の名は、おいおい語ろう。それでは読者諸賢、暫しの別れ、最後に一言。
物語とは英雄の誕生から語られるものだ。しかし稀に、化物の誕生から語られるものもある。
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