見えない刃 7

早速曲が始まった。

一曲目は、曲紹介も何もなく始まった。

しかし、最初のワンフレーズを聞いた瞬間に何の曲を演奏しているのか僕は、分かった。

某狩猟ゲームのテーマだ。

キャッチコピーは、「ひと狩りいこうぜ」。

小学生の時に友達と一緒に躍起になってやっていたのが懐かしい。

などと思いを巡らせていると体に雷が落ちたようなホルンの音が、鳴り響いた。

思わず目を見開いた。

段々と大きくなってゆく音楽とともにホールの中の空気も熱くなってゆく。

そして、このテーマの聴き馴染みのある主題となる部分が流れてきた。

強敵と戦う楽しさ、挑戦していこうと思わせる人の心を強くさせる主題だ。

何か物語が始まるような、定期演奏会の始まりにふさわしい一曲であった。

そこから計十曲程度演奏をしたのだが、一曲一曲説明していくと長くなるので割愛させてもらう。

だが、決して演奏の程度が低いとかそういう訳では無い。

ステージの上にいるその吹奏楽部は、僕の知っている吹奏楽部では無かった。

誰に音を届けたいのか。

どうして音を奏でるのか。

どうしてそこに立っているのか。

その理由は、人それぞれで言葉にしなければ、普通は届かないものだ。

だけれど、彼、彼女らの奏でる音は、それを何よりも雄弁に語っていた。

人は、「何故?」と問われると答えられない。

つい口ごもってしまう。

自分が、それを行うことを当たり前としているから。

この世に当たり前ほど不確定で不明瞭なものは、無いのだ。

とある映画のキャッチコピーにこんなものがあった。

「歌は魔法」。

僕は、その通りだと思った。

魔法とは、火を出したり物を動かしたり空を飛ぶのもではない。

魔法とは、人の心を変化させるものだ。

人の心の形を変えるものが、魔法と呼ばれるのだ。

それは、それこそが一番難しい。

だから、魔法と呼ばれるのだ。

このホールにいる観客全員に音楽という魔法がかかっている。

ただの音楽なら心は、動かない。

自然と手拍子を始めてしまうような思わず笑みをこぼしてしまうようなそんな音楽だった。

少なくとも僕の心は、動かされたのだ。

この間の木曜日からこの定期演奏会までの登校日は、月曜日しかなかった。

当然、日にちが迫ってくると準備やら何やらで帰る時間も遅くなったのだろう。

僕はいつも通りの時間まで彼女を待っていたが、彼女が教室に訪れることはなかった。

だから、彼女の姿を見るのが一週間ぶりなのだ。

普通にスマホを利用して連絡は取り合っていた。

それでも、そこには文しか示されない。

本当のことなどわかりはしないのだ。

だから、直接見れてよかった。

元気に楽器を奏でる姿を見れてよかった。











演奏会が、終了した。

ホールの外に出ると西の空に太陽が、逃げ込もうとしていた。

ここで僕は、一つ悩んだ。

この後、吹奏楽部の皆は、お疲れ様会のような食事会を行う。

それが終わるまで彼女を待っているか、それとも帰ってしまうか。

時間が潰せるような場所が、この町にあれば悩むことなく前者を選択するのだが、生憎そのような場所がない。

はて、どうしようか。

「先輩!」

不意に後ろから声をかけられた。

我が校の吹奏楽部のトレードマークである赤いブレザーを着た女子が、立っていた。

僕の同学年の生徒ではない。

だって、その顔は見間違えるはずがなかった。

僕が、一番迷惑をかけた人。

僕が辞めたことによって一番迷惑がかかった人。

僕と同じ楽器を奏でていた後輩が、そこに立っていた。

「見に、来てくれてたんですね」

どうやら走ってきたようで息が上がっている。

「まあ、ね」

驚きのあまり二の句をつなげないでいる。

「○○先輩に言われたから来たんですか?

それとも自分の意思ですか?」

「半分半分かな。

本当は、聴きに来るつもりはなかった。

だから、言われたから来たと言うのもあるし、自分の選んだ道から逃げたくないから来たというのもある」

「そう…ですか」

沈黙が流れた。

気まずい。

「「あの」」

二人の声が重なった。

「…先にどうぞ」

「いえ、先輩からどうぞ」

「いや、先いいよ」

「いやいや、先輩からお願いします」

「じゃ、ジャンケンで決めよう」

「…分かりました」

最初はグーで始まるかけ声。

勝つか負けるかは、天の運。

出す手は、自分以外の意思は入り込まない。

究極的に公平なこの手段で僕らは、あらゆることを決めてきた。

どちらが、使用した部屋の鍵を閉めるだとかどちらが荷物を運ぶだとか。

勝率は、僕の方が高かった。

結局今回も勝ったのは、僕であった。

「楽器の片付けとか食事会とか大丈夫なのかなって思って…」

「楽器は、もう片付けました。

食事会の方は、少し遅れても大丈夫と言われましたので大丈夫です」

「流石。

優秀だね」

僕が、いた頃と何も変わらない。

そのままの後輩だった。

「じゃあ次は…」

「あの、先輩は、私のせいで部活を辞めたんですか?」

どうしてそうなった。

「別に、そういう訳じゃないよ」

理由もろくに説明していなかった。

責任を感じているのかも知れない。

「君に責任はないよ。

それだけは、言える」

「納得できません。

ちゃんと説明してください」

引き下がらない引き下がりたくない。

そんな顔をしていた。

「僕も理由は、分からなかった。

ただ、僕の居場所が、ここではないような気がした。

満たされない何かが、胸の中に逆流してとても息苦しかった。

音楽を奏でるということが嫌いだからだとか人間関係に悩んだからとかじゃないよ。

だから、君が悩む必要はないんだ」

きっと悩んだのだろう。

僕のせいで。

何も話さなかったせいで傷つけていたのだろう。

僕は、自分の行いを悔いる。

「納得できません!」

「ええ!?」

「冗談ですよ」

そういうと笑った。

近くにあるベンチに腰を下ろした。

「理由が聞けて良かったです」

「要らぬ心配をかけてしまったかな?」

「私のせいなんじゃないかなって思ってて何かしなくちゃいけないかなって思ったんですけど、何をすればいいのか分からなくて」

「大丈夫だよ。

言うなれば僕は、僕を探しにゆく旅に出たんだ。

曖昧で不確かでハッキリとしない僕を」

答えは、まだ得ていない。

だけれど、部活をやっていた時よりもましな答えが返せるだろう。

「その旅は、終わらないんですか?」

こちらをじっと見つめてくる。

「それは、どういう意味なのかな?」

聞かなくても分かっている。

分かっているのに聞いてしまう。

自分の悪癖に嫌になる。

「部活動に戻ってくる気はないんですか?という意味です」

「ない、かな。

今更どの面下げて戻れと言うんだい?」

「先生は、まだ退部届けを受理していません。

休部扱いになっています。

みんな帰ってくるのを待ってます」

と、言うことは僕はまだ吹奏楽部に所属しているということだ。

「でも、戻れないよ。

僕は。

あまりにも時間があきすぎた。

それにまだ僕は、僕であることの答えを知らない。

そんなやつがいたって迷惑をかけるだけだよ」

「そんなこと!」

「ない、とは言えないよね。

今日の演奏は、良かった。

とても。

故に僕の居場所は、やはりあそこでは無かったんだよ」

「分かりました。

先輩がそこまで言うなら止めません。

ですが、私は待っていますから」

その気持ちに答えられる日は、来ないだろう。









結局僕は、駅前にあるショッピングモールとも言えない寂れたビルのフードコートで時間をつぶしていた。

流石に四時間近く待っていたので本を丸々一冊読み終わってしまった。

手持ち無沙汰になったのでスマートフォンを弄り始める。

一応ここにいると連絡は、してある。

それでも、彼女が現れるかどうかは分からなかった。

壁掛け時計の針は、九時過ぎを指している。

そろそろ閉店らしい。

店員の目が、痛くなってきた。

そろそろ出るか。

そう思って席を立つと息を切らした彼女が現れた。

花束を抱えて。

今日は、よく走って駆けつけられる日らしい。

「まだ待っててくれたんだ…」

「一度待っていると言ったんだ。

最後まで待っているよ」

「ありがとう」

「別に僕が待っていたかったから待っていただけだから」

よくわからない空気が、二人の間を流れていた。

ただ、閉店らしい。

僕らは、フードコートを後にした。

「お疲れ様」

「ありがとう。

楽しんで、もらえたかな?」

彼女は、控えめに聞いてきた。

疲れているのだろう。

疲れが、ピークを通り過ぎるとしおらしくなる。

その時に下から顔をのぞき込まれるとつい何でも許してしまう。

「楽しかったよ。

今までに見たステージの中で一番」

「なら良かった」

ふふふと嬉しそうに笑った。

「ひとつ聞いても、いや、二つ聞いてもいいかな?」

「いいよ」

何だろうと不思議そうな顔をしている。

「どうして、この間の木曜日と月曜日の帰りは、教室にこなかったの?」

「君のことをさ、女の子を泣かせる外道だと自分の中で勝手に決めつけて、合わせる顔がなかったからかな」

「気にしなくていいと言ったじゃないか」

「そう言う簡単なことじゃないんだよ。

君を信じられなかった自分が情けなくなっちゃって」

自己嫌悪と言えるのだろうか。

それを許せない気持ちは、誰にでもあるだろう。

だから、彼女自身が許せないなら僕が許してあげるのだ。

「大丈夫。

君は、優しいんだね」

「そんなこと…ないよ」

彼女は、恥ずかしそうに顔を伏せた。

「二つ目。

君はさ、まだ僕が退部になっていなかったことを知っていたのかい?」

「…うん」

「どうして連れ戻そうとしなかったんだい?」

部活の面々のなかで一番一緒にいる時間が長い。

だけれど、一度もそんな話は出なかった。

「この間も言ったじゃないか。

君の決断で間違っていること以外は、否定しないって。

君のことが、私にとって大事だから君を傷つけたくなかったから」

大事にしてくれる人が、いるというのは嬉しいことだ。

否定しない事は、良いことでもあり悪いことでもある。

「この花束は、君が持ってきてくれたんでしょ?」

両手いっぱいにある花束の中から一つを取り出した。

小さな花束を。

「うん。

演奏会には、花束を持っていくのが礼儀だと思ってね」

「君が花束に付けたこのカードで無記名でも誰が贈ってきたのか分かったよ。

それと花で」

僕が、カードに書いた言葉。

「思わざれば花なり、思えば花ならざりき」

世阿弥の記した風姿花伝の一節だ。

「君の好きな言葉だ」

「うん」

この言葉は、とあるアニメの最終回で主人公が言っていた台詞だったのだ。

が、意味を調べてみるととても深い意味があることが分かった。

『飾らない「自身」をさらす事が美徳であり、自身の魅力に「慢心」する事は無粋な事であり、逆にその「魅力」を殺す事となる』事を説き、「能」における修行法を説いたものだと言う。

人は、何かと自分の心を隠してしまう。

無理に考えすぎてしまう。

考えすぎて楽しむことを忘れた舞台に美しさは、ない。

楽しみ、自分の精一杯を出し切った自分自身であることが、美しいのだ。

だから、この言葉が、僕の好きな言葉であるのだ。

「この花、アイリス。

とっても嬉しかった」

アイリス。

日本でいうならアヤメと言った方がわかりやすいだろう。

花言葉は、吉報や良い便り。

そして、あなたを大切にします。

このタイミングで贈るべきじゃなかっただろうかとも思ったけれど喜んでもらえたなら良かった。

「小説の方は、どうなんだい?」

唐突に小説の話を振られた。

「なんとか一次審査を通ったよ。

二次審査の結果を聞きに二週間後東京に行く」

本当になんとかであった。

一次審査を通った者の中で一番最後に名前が、書かれていたか、二次審査は、まあ諦めた方がいいかもしれない。

「なんで二次審査レベルで東京に行くの?」

「なんでも一次を通った人は、全員呼ばれているみたいだ。

多分、有望な才能だから今のうちに唾つけておこうという出版社の戦略だろうよ」

「そうなんだ。

頑張ってね」

そういうと彼女は、縁石の上に登った。

「危ないぞ」

「なら、手を繋いでよ」

手をこちらに出してきた。

「私はさ、人の道は今私の歩いている縁石の上のようなものだと思うだよね。

そこを歩いているとフラフラとして簡単に落ちてしまう。

私にはね、君みたいに真っ直ぐ歩ける自身がないんだ」

静かに手を取り、隣を歩く。

縁石の上に立ってようやく同じ目線になる。

「だからね、手を握っていて欲しいんだ。

落ちてしまうかもしれないから。

迷ってしまうかもしれないから」

彼女の手を握る。

「大丈夫。

離さない。

僕も言うほど自信満々な訳では無いから」

バス停に到着した。

「とーうちゃくっと。

お、ちょうど来たみたいだね」

彼女が、視線を送る。

暗い道に一筋の光が、走る。

そして、こちらに気がついたようで勢いよく停車する。

全く、乗客のことを考えていないのだろうか。

「少し、しゃがんでくれる?」

彼女に言われ、膝を曲げる。

目線が彼女よりも下になる位置で止まる。

「こうでいいかい?」

「うん」

そう呟くと彼女の顔が、僕の顔に近づいてきた。

そっと唇が、頬に触れる。

「じゃあね。

今日は、来てくれてありがとう」

呆然とする僕を傍目に彼女は、振り返りバスに乗り込んでいこうとした。

「待って!」

気がつけば、彼女の腕を掴んでいた。

そして、彼女の顔をこちらに向けさせる。

なんて赤さだ。

まるで夕日に照らされたようではないか。

多分僕も同じなのだろうけれど。

彼女の唇に僕のそれを重ねた。

どれくらいの時間だったのだろうか。

分からない。

一瞬だったのかもしれない。

もう少し長かったのかもしれない。

目を開けると彼女の顔があった。

バスの運転手が、早くしろと急き立てている気もした。

彼女は、僕の手を振りほどいて一言言った。

「ばか」

顔を真っ赤に染め上げて彼女は、バスに乗り込んでいった。











天国と地国とは、紙一重である。

良いことがあれば悪いことがあるように。

この世には、一見無関係で意味が全く違うよでありながら切っても切り離せないものが多すぎる。

僕は、阿鼻叫喚の絵図を目の当たりにしている。

その中に立ち尽くしている。

人の悪意の行使を見ている。

たくさんの人が倒れている。

女の子の泣く声が聞こえる。

誰かの叫び声が聞こえる。

逃げ惑う人々の姿が見える。

生の気配の薄い人の体がいくつも見える。

愉悦に浸る笑い声が、聞こえる。

その声の主と目が合った。

こちらへ向かってくる。

逃げなければ。

なにせ僕は、丸腰である。

相手の手には、赤く染まったナイフが握られている。

頭では、逃げなければならないとわかっている。

だけれど、恐怖で体が動かない。

恐怖に対して体とは正直である。

相手は、刻一刻と僕に近づいてくる。

やっとの思いで足が動いた。

性の衝動に駆り立てられて狂ったように動き始めた。

足は、僕のいうことを聞かない。

腕と足が、バラバラに動く。

僕の意思と反して転がるように逃げ出した。

声にならない叫び声を上げながら。

気が動転しているなかで意識が、引き戻された。

背中に鈍い痛みを感じる。

痛みを感じた場所を触る。

生暖かい何かが溢れ出てくる。

それが、血だと理解するほど僕の意識は保たれていなかった。

ただ、僕の背中に突き刺さったこれを刺してきた男に渡してはいけない。

そう本能が、告げていた。

固く持ち手を掴んで離さない。

それだけを頭の中で考えて走馬灯なんて見ている暇もなく意識は、遠のいていった。

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