見えない刃 6
人は、常に凶器を携帯している。
片時も離さずに。
しかし、見ることは出来ない。
それは、他のどんなものよりも殺傷能力が高い。
そして、それによってつけられた傷は、完全に治ることなどないだろう。
それのせいで争いが起こる。
そして、それでしか争いは終わらない。
どんな兵器、武器、凶器よりも危険なそれを僕らは、日常利用している。
それの名は、言葉という。
言葉は、人が持つ見えない刃だ。
時に鋭く尖って向けられた相手の心をえぐっていく。
たとえ、本来の意味と違う意味だったとしても。
言葉による傷口が、塞がるのには長い年月を使うことになる。
言葉が、戦争の火種なのかもしれない。
全く、愚かな人間たちがバベルの塔なんて作らなければ、今頃こんなことにはなっていなかったというのに。
だから、言葉の扱いには気をつけなければならない。
特にこのような一見勘違いを引き起こしそうな状況では、なおさらだ。
今僕の置かれている状況は、僕の隣には泣いている油木さん、そして僕のことをじっと見つめる彼女。
彼女は、なぜ油木さんが泣いているのかを知らない。
そして、この状況を僕と彼女が恋仲であるということを知っている他者が見たらこう思うだろう。
修羅場だと。
修羅場の本来の意味としては、血みどろの激しい争いや戦いの行われる場所とあるわけだから違うわけであるけれど。
現代人の意味としては、修羅場と言えるだろう。
今ここで血みどろの激しい争いが、行われたら僕は無事では済まない。
「何かをいうより先に僕の話を聞こうか」
先に話す権利を得ておこう。
そう考えた。
深呼吸をする。
「いいよ。
許してあげる」
明らかな不機嫌を振りまいている。
「まず、ここにいるのは油木さん。
最近僕が、相談を受けていた女子生徒だ。
えーと…」
ここで、僕は言葉に詰まった。
相談内容を話すべきか迷った。
彼女のプライバシーに関わることである。
僕の一存では、決められない。
彼女と僕のやりとりに気がついた油木さんが、きょとんとした顔でこちらを見ている。
「あなたが、女子を目が腫れるまで泣かせるような外道だとは、思わなかったわ」
どうするか迷っていると彼女が口を開いた。
完全に僕を見下している。
いや、見下げ果てている。
「いや、泣かしたのは僕じゃないぞ」
「嘘は良くないよ。
現に君は、理由の説明に手間取っているじゃない。
それが、何よりの証拠よ!
そんな人だとは、思っていなかった。
自分が無実だと言い張るのならそこの女子と何をしていたのか話してみなさいよ!」
完全に勘違いをしている。
ここは、油木さんから説明をしてもらったほうが早そうだ。
僕が、話したところで火に油である。
「油木さん、悪いけれど状況を彼女に説明してくれないだろうか?」
僕がそう言うと、ようやく状況を理解したようで口を開いてくれた。
「えっと、油木桜といいます。
いつも、反畑君には、お世話になってて。
今日も私の告白に付き合ってくれて、振られた私を慰めて、くれてて」
これで勘違いは、払拭されるはずだ。
今の僕が説明しても焦って上手く伝えられないだろう。
油木さんの説明は、相変わらず端的で簡潔でわかりやすい。
「そうならそうと早く説明してくれれば良かったのに」
一つ間を置いて、彼女は答えた。
どうやら、彼女も納得してくれたようだ。
「そういうこと。
別にやましいことは、何もしてない」
「そう思う割には、説明に手間取っていたみたいだけれど?」
「それは、その、告白の事とか油木さんのプライバシーに関わるし、僕の口から言っていいものか悩んだから」
彼女を拒絶するようなことは、もう言わない。
正直に隠さず伝えた方が早い。
「まあ、君ならそう考えるか」
きちんとした笑顔を見せてくれた。
今度は、目も笑っている。
とりあえず、一安心だ。
座っていた席に腰を下ろす。
隣で油木さんが、くすりと笑った。
「どうしたの?」
「いえ、お二人は、本当に仲がいいのだな、と思いまして」
「なっ」
ライトノベルと呼ばれる類の物語だとここで二人揃ってそんなことないとか言う場面なのだろう。
だけれど、別に仲が良いと言われて悪い気は、しない。
ただ、その油木さんの真っ直ぐさに驚いた。
「噂通りです」
「誰からの噂なのか一応聞いておこうか」
先程とは、打って変わって嬉しそうな油木さんに僕は尋ねた。
「吹奏楽部の部長さんです」
これまた嬉しそうに答えた。
一体何を話したのかは、聞かないでおこう。
多分、恥ずかしさのあまり僕の精神力のヒットポイントが、ゼロになるだろう。
「さあ、帰りましょう。
油木さんも一緒にどう?」
彼女が、空気を変えるように言い放った。
下校時刻は、とっくに過ぎていた。
このまま校舎内に残っていると色々と面倒だ。
「ご一緒しても、いいんですか?」
「いいよいいよ!
家は、どこなの?」
「えっと、学校のすぐ近くのセブンイレブンの辺りです」
「あ、じゃあすぐそばだ。
責任をもって家まで送っていくよ」
「今日は、塾がないのかい?」
「はい。
今日の告白の結果が、どっちだったとしても行けるような精神状態じゃないと思ったので自主休講です」
自主休講。
つまりは、サボったという事だ。
油木さんもなかなかやるな。
結果的に僕の知らない所で勝手に油木さんも一緒に帰ることや自宅まで送っていくことが決まっていた。
油木さんを家に送り届けて、今日もまたバス停へと向かう。
油木さんの家は、本当に学校のすぐそばで羨ましかった。
僕なんかとは、正反対だ。
「今日は、ごめんね」
どうやら、今日はよく謝られる日らしい。
「なにか謝らなければならないようなことをしたのかい?」
このセリフを言うのも二度目だ。
正確には、違うのであるが。
「いやさ、私の中で何も話を聞かずに色々と決め付けいたからさ」
「そんなことか。
ま、誰にだって早とちりすることくらいあるさ。
何も悪いことなんてない」
「そう…かな…」
なんとも納得しきれていないようだ。
一体どうすればいいのだろうか。
やけに落ち込んでいるような気もする。
部活で何かあったのだろうか。
後で部長に聞いてみるとしよう。
「あと一週間で定期演奏会か」
不意に話を振った。
「そうだね」
話が終わってしまった。
なんとか繋げなくては。
こういう時の無言ほど気まずいものはない。
「楽しみにしているよ」
「ありがとう」
またまた会話が、終わってしまった。
どうにかせねばと悩んでいるとバス停に到着してしまった。
今日もまたバスは、まだ来ていない。
「ねぇ、定期演奏会の日付は?」
僕は問いかけられた。
「五月四日だよね」
「正解。
それじゃ、一週間前の今日は?」
「四月二十七日」
「今日は何の日?」
「哲学の日」
二人の短い問答が続いた。
「そう、哲学の日。
ってええ!
哲学の日なの?」
「そう。
ギリシアの哲学者ソクラテスが、時の権力者から死刑宣告を受けて、刑の執行として毒を飲んで死んだ日だから哲学の日らしい。
彼が死ぬ間際に残した『悪法も法なり』という言葉は、有名だね」
「知らなかった…。
何でそういうことは、知っているのだか。
じゃなくてそれより大事な日何じゃないのかな?」
控えめに聞いてくる。
分かっている。
彼女が言いたいことは、分かっているのだ。
「ハッピーバースデー空」
今日は、僕の誕生日であった。
「ありがとう」
「なんだか反応薄くない?」
どうやら不満のようだ。
「その一言でいいんだよ。
それだけで十分なんだ」
これでまた一つ歳を重ねたわけだ。
年々衰えていくのを感じる。
気のせいかもしれないが。
歳をとっていく度に僕の活動領域が、狭くなっていっているのは気のせいではない。
やはり、歳はとりたくないものだ。
ゴウンゴウンと大きな音を立ててバスが到着した。
「あ、これプレゼント。
良かったら使ってね。
それじゃあね」
彼女は、一つの包みを残してバスに乗り込んでいった。
僕は、包みを手に過ぎ行く車立ちを眺めていた。
別に自分の誕生日を忘れていたとかそういう訳では無い。
それこそ、物語の中の主人公だ。
僕は、そのような高尚な者ではない。
ただただ、プレゼントを貰えた嬉しさに呆然としてしまったのだ。
プレゼントをカバンの中にしまいこんで駅へ向かって歩き出した。
ゴールデンウィークが差し迫ってくると教室の雰囲気が、ふわふわし始める。
部活勢は、遠征だ大会だ休みなんてない。と言いながらも休みを楽しみにしているようだ。
彼らにとっては、授業が一週間近くないだけで幸福らしい。
非部活勢は、この余暇に旅行だなんだと浮かれている。
確かに今年のゴールデンウィークは、長い。
海外旅行にも行けてしまうのではないだろうか。
本日の学校を乗り切れば、金曜日からは三連休である。
そして、週明けの月曜日に学校に行けばまた三連休。
金曜日に学校に行けば土日が訪れる。
その真ん中とも言える来週の水曜日しか予定の埋まっていない身としては、退屈極まりないのだが。
そんな浮かれた木曜日ももう昼休み。
僕は、いつもの親友とは違う人と昼食を食べていた。
「それでさ、何か心当たりがないかな?」
僕は、目の前に座る部長に尋ねた。
「分かんないな。
そんなに落ち込んでる感じだった?」
「うん。
何だかいつもに増して元気がなかった。
まあ、彼女が元気なのは休みの時だから学校のある日は、ほぼ常に元気がないのだけれど。
この場合の元気がないは、疲れていると置き換えられるかもね」
僕は、僕の感じ取ったありのままを伝えた。
それなのに部長は、段々ニヤニヤしていった。
「いやぁ、そんなに〇〇の事が好きだとはねぇ。
私、妬けちゃうな」
一体何を言い出すんだあなたは。
呆れ返った目で見つめる。
「どうしてそうなる。
好きであることは否定しないが、今の話の流れでどこにそれを感じ取る場面が存在した」
「うん?
いや、〇〇の事で相談があるって話しかけてきた時からだよ」
最初からじゃないか。
という事は、部長は最初からニヤニヤするのを我慢していたのか。
趣味が悪い。
「話を戻そう。
それで本当に心当たりは、ないのかな?」
「ないない。
〇〇に限って人間関係で悩むことなんてないし、部活も最近いい感じだから不満もなさそうだし少なくとも私は、知らない。
寧ろ、その理由は反畑しか知らないんじゃない?」
僕が?
そんな訳はないだろう。
最近は、特に何も無いのだから。
しかし、もしかしたらという事もある。
「あ、桜の事ありがとうね」
僕が、思い悩んでいると思い出したように部長が告げた。
「桜…?
あ!油木さんの事か」
油木さんの名前が桜であるということをすっかり忘れていた。
なかなか最低だ。
「そう!
昨日連絡がきてね無事解決しましたって。
やっぱり、反畑に任せて正解だったわ」
「そう言ってもらえて幸いだよ。
でも、昨日は、なかなか修羅場だったよ」
僕は、昨日起こったことを部長に話した。
ここで、再び書くと長々となってしまうため、割愛させてもらおう。
全てを話し終わった後、部長は言った。
「絶対それが原因じゃん!」
ここで、最初の相談に戻るわけだ。
「それって?」
「だから、その反畑が泣かしたかもしれないって言う決めつけてしまったことに落ち込んでたんだよ。
〇〇のことだから」
本当にそうなのだろうか。
だが、部長の言うことだから多分そうなのだろう。
彼女と部長は、中学から友人である。
六年も同じ学校に通っていれば、大体その人のことは分かるものだ。
熟知とも言える。
僕も親友とは小学校以来、かれこれ十二年目へと突入しつつある。
年月とは、怖いものだ。
「そういうものかな?
別に気にしなくてもいいとは、伝えてあるのだけれど」
「女子は、そんな単純なものじゃないんだって!
分かってあげなよ」
きちんと納得していたようだから僕には、それだけでは腑に落ちなかった。
「それで?
プレゼントは、何を貰ったの?」
未だに僕が悩んでいると好奇心の塊のような笑顔で部長が、聞いてきた。
「知りたいかい?」
「そりゃ知りたいよ」
ここで、教えてあげないと言えるだけの度胸と意地の悪さが僕にはない。
「猫」
「猫!?」
「の柄のブックカバーと小さな黒猫の描かれている栞」
「なんか、反畑にピッタリのものだね」
その品達に足して婚姻届が、同封されていたのだがそれについては黙っておこう。
彼女の積極性は、悪いことではないと思う。
だけれど、たまにずれているような気がする。
貰った二つの品々については読書好きには、嬉しい品だ。
単にブックカバーと栞と言ったって柄は千差万別。
趣味によって使い分けることが出来る。
書店で付けてもらえたりもする現代で自分のブックカバーを買う人は、少ない。
書店のものだと僕は、くまざわ書店のものが好きだ。
僕が犬派であるけれど猫が好きなことを知っている彼女ならでわの品だった。
帰りに感謝の言葉を忘れないと心に決めていた。
しかしその日、彼女は七時半になっても教室に訪れることはなかった。
光陰矢の如しとは、よく言ったもので気がつけば一週間が経過していた。
定期演奏会には、卒業していった先輩達が手伝いに来る。
なんとか見つからないようにホールの中に入ることの出来た僕は、二階席へ向かった。
このホールは、県北と呼ばれるこの地域では一番大きなホールだ。
音もよく響き、楽器を吹いていた時はとても気持ちよかった。
今となっては、であるのだが。
開演までは、時間がある。
去年の今の時期に吹奏楽のアニメが、流行っていた。
ふと、それを思い出した。
それは、よくあるサクセスストーリーだった。
弱小吹奏楽部が、厳しい先生の指導のもと全国大会を目指すという話だ。
アニメ自体は、一クールで府大会を通過したところで終わったらしい。
今度、続編がやるそうだ。
あのような成功は、二次元の中だからできるようなものだ。
一朝一夕の努力で実力がひっくり返ることは無い。
そんな物語が、好きではなかった。
毎日毎日楽器を奏でる彼女達もそんな事は、重々承知だろう。
だけれど、報われない努力はない。
僕は、それを知っている。
知っているからこそ報われない努力もあることを知っている。
努力を時間の無駄と切り捨てるか、それでもなお続けるかどちらが正しいのか僕は、分からなくなった。
多分どちらが正しいのかを今日、見に来たのだろう。
不意に照明が消えた。
照らされているのは、眼前のステージただひとつ。
一度きりのステージの幕が上がった。
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