見えない刃 4

それから二週間。

油木さんは、よく教室に訪れた。

そういう時に限って教室には、僕しかいなかった。

親友は、部活を辞めたのにも関わらず人数不足のために練習に駆り出されることが多くなっていた。

顧問の先生は、退部して行った生徒をなんだと思っているのだろうか。

どうして、部活動を辞めたのか分かっているのだろうか。

一度大学の教育学部からやり直すべきだ。

大学で思い出した話なのだが、我が国の教師育成もっと人間性を見るべきではないだろうか。

例え頭が良かったとしても、人間として馬鹿であるのならそれは、合計して馬鹿になる。

最近は、そんな教師が増えている。

哀しきかな。

この場合の馬鹿と言う人間としての馬鹿とは、周りの人やものに何の気遣いもできないような人のことを指す。

困ったものだ。

僕らのクラスでは、僕と彼しか居残り勉強をしていなかった。

故に僕ひとりの状況は、増えていった。

「もしかして何だけれど、油木さんは、四月生まれだったりするの?」

「うん。

四月二十九日が、誕生日」

桜と言う名前の人は、高確率で四月生まれと相場が決まっている。

他にも油木さんについていろいろなことを知ることが出来た。

「反畑君は、いつ?」

話す言葉が、原稿用紙一行以上になることが少ない。

まるでどこかの対有機生命体コンタクト用ヒューマノイドインターフェースのようだ。

要領が悪いと言っていた彼女だ。

簡単に意味を伝えようとしているのだろう。

「僕も四月。

油木さんの二日前」

簡単な会話である。

だから、とても話しやすい。

僕の誕生日の二日後とは、驚きだった。

同じ誕生日の人間に会ったことはない。

だけれど、僕の今までであった人たちの中では、一番僕の誕生日に近かった。

「そう、なんだ。

どうして分かったのかは、だいたい分かるよ」

「明らかに春って感じの名前だものね」

「反畑君は、そんなことないよね」

「ああ、僕のは姉の友達の持っていたぬいぐるみの名前から取ったみたいだよ。

全くもう少し考えてくれても良かったような気がするよ」

この件に関しては、断固として抗戦したい。

名前は、一生ついてまわるものだ。

カッコイイのがよかったとかそういう理由ではない。

寧ろ、カッコイイのがいいという理由なら『空』は、十分かっこいいと思う。

問題なのは、ぬいぐるみの名前という所だ。

いろいろな意味をこめられた名前を付けられるという。

しかし、僕はどうだ。

姉の気分のままに決められたそうだ。

それを許してしまう両親も両親なのだが。

という訳で嫌いではないけれど嫌いだ。

「油木さんは、どうしてその名前になったのか知っている?」

「私は、出産予定日からだいぶ遅れて生まれたの」

何か、原稿用紙二行以上は、話さないと決めているかのように言葉を切った。

このような感じで好きな人に振り向いてもらえるように感情を伝えられているのか少し不安になる。

「最初の予定日に桜が開花したらしくて、お父さんが『桜』って…」

声はだんだん小さくなっていき、最後の方は聞き取りにくかった。

一体どうしたのだろうか。

不思議そうに僕が、構えていると彼女は嬉しそうに笑った。

「こんな話をしたの初めてだから」

「その…ゆうきさんとは、そういう話はしないのかい?」

「うん。

いつもゆうきさんの話を聞くだけ」

「自分のことを知ってもらわなきゃだめだよ」

「そう…だよね。

がんばってみる」

油木さんは、『ゆうきくん』ではなく『ゆうきさん』と呼ぶ。

僕のことは、『反畑君』と呼ぶのに。

だから、僕も何となく『ゆうきさん』と呼んでしまう。

油木さんは、塾に通っているようで六時頃になると帰る。

僕は、というと相も変わらず彼女が教室の前の扉から顔を出すのを待っている。

放課後ずっと勉強し続けるのは、なかなか集中が持続しない。

だけれど、油木さんが来るようになってからは、勉強をしても最高で一時間半ほどだ。

適度に根を詰め過ぎることもなく、リラックスして集中できる時間だ。

油木さんを紹介してくれた部長には、感謝をしなければならいな。










「最近、楽しそうだね」

バス停に向かう途中の道、ふと彼女が口を開いた。

街灯が、寂しく点滅している。

誰か電灯を替えてあげればいいものを。

「そうかい?

まあ、退屈はしていないかな」

「うん。

とても楽しそうだよ。

気楽で良さそうだね私立文系クラスは」

これは、完全に嫌味であるな。

相当疲れているようだ。

「そうでもないさ。

筆記の他に実技と面接もあるからその練習もしなくては行けないし、筆記の形態も他とは少し違うからね。

僕の受ける所は、センター利用も出来ないし」

一見人生イージーモードに見えるかもしれない私立文系だが、僕の就職したい会社は倍率が高いなどと本当はハードモードなのだ。

取り敢えず、編集者になろうと思っている。

彼女に自信を持てと言われた後もやはりまだ持てていなかった。

それに自分で作った人生設計を崩したくは、なかった。

何をするにおいても小説を書く上での糧とすることが出来る。

だから、あらゆる経験をしたいと将来的に思っている。

海外にも行ってみたいな。

今興味があるのは、ロシアだ。

寒い土地ならではの文化やソ連であった頃からの歴史などに深い興味がある。

行ってみたいな。

そのためには、ロシア語を勉強しなくては。

僕が、ロシアに思いを馳せていると彼女が口を開いた。

「来るでしょ。定期演奏会」

「うん」

「あなたが、いなくなってから皆一生懸命練習したんだから」

「うん」

僕らの学校の吹奏楽部は、五月頭に定期演奏会を行っている。

ご察しのとおり、僕はそこに所属していた。

去年の十月までは。

何かが嫌だった。

上手くはいえないが、僕の居場所はここではないような気がしていた。

とても無責任でもう二度と合わせる顔のないような辞め方をした。

けれど、不本意ながら彼女や部長のように同学年の皆とは、顔を合わせることが多い。

だからなんとも言えない気持ちである。

僕は多分尊敬されるような先輩では、なかった。

あんな辞め方をしたのだ。

例え尊敬をされていたとしてもそれは、軽蔑に変わっていることだろう。

少なくとも後輩達には、会えない。

会ってはいけない。

会う権利を僕は、有していない。

小説を書いているのは、逃げ場所を作りたかったからなのかも知れない。

自分で想像したその中なら、僕は僕の好きなように生きられる。

言いたいセリフを言わせることが出来る。

僕の選んだ人生を歩ませることが出来る。

自由に居られる。

物足りないその何かを埋めることが出来ないまま、気づけば僕は退部していた。

その何かを今も見つけることは、出来ていない。

胸に空いた穴は、未だに塞がらない。

なぜならそれは、恋愛のそれではないからだ。

「あなたの選んだ道を非難するつもりはないわ。

間違った判断以外で他人が、その決断に口出しをすることなんて出来ないんだから。

だから、あなたには私たちを見て欲しい。

私たちの判断を見て欲しい」

「分かった。

ちゃんと行くよ」

気がつけば、バス停に到着していにた。

まだバスは、来ていないようだ。

バスは電車とは違い、時間通りに来ることが少ない。

必ず、一分か二分は遅れるし早かったりする。

確定した未来など存在しないのだ。

学校に関する他愛もない話をしていると十分ほどしてバスが到着した。

「それじゃあね。

気をつけて帰るのよ」

「普通それはこっちのセリフだろ」

たまにそこら辺の男子より男前なのではないだろうかと思ってしまう。

だけれど、これが出ている時は相当眠い時か疲れている時だ。

まだ、疲れや眠気のピークを通り過ぎていないだけましであるのだが。

「バス、寝過ごすなよ」

「大丈夫だって。

また明日」

「また明日」

バスは、排気ガスを撒き散らしながら前進していった。

「また明日」

不思議な言葉だ。

今夜中に世界がうっかり滅んでしまったらもう会えないのにまた明日が来ると僕らは信じきっている。

世界がほろばないとしてもだ。

一寸先は闇である。

だから、今を懸命に生きるのだ。









そして今日も同じような日が訪れる。

朝起きて、着替えて、ご飯を食べて学校へ行く。

カバンの中身を机の中へ移し、授業を受ける。

昼休みになり、親友と昼食を食べる。

他愛もない話をして、昼休みを潰す。

そして、再び授業が、始まる。

何も無い当たり前の日々だ。

気がつけば、放課後になっている。

そんな日々だ。

僕は、放課後を楽しみにしている自分がいることを見つけた。

油木さんが、訪れてくれることを楽しみにしていた。

そして油木さんは、今日も訪れた。

開口一番、

「私、今日、ゆうきさんに告白をしようと思います」

と耳を疑う発言をした。

飲んでいたお茶を吹き出しかけた。

「待って、どうして急にそんな気分になったんだい?」

甚だ疑問である。

ここ最近の会話では、そのような様子は全く無かったのに。

どうやら、ゆうきさんは、まだ彼女さんとは別れていないようなので、今告白するということは油木さんは、玉砕しに行くようなものだ。

「この気持ちを抑えられない、から」

いつも通りの短い言葉で呟いた。

その気持ちは、僕にも理解できる。

人を好きになるということは、そういう事だ。

最近結婚した歌手の歌にこんなに歌詞のものがあった。

恋が走り出したら君は止まらない。

あながち間違えではないだろう。

「止めはしないよ。

どうなったとしても僕は、知らない」

冷たいと思われるかもしれない。

だけれど、恋は油木さん自身のもので僕にどうこうできるものではない。

「はい。

分かっています。

ただ、見ていて欲しいのです。

反畑君には、お世話になったから」

それが、油木さんの望みなら僕は、聞き入れよう。

それに単純に僕も結果が気になる。

だって健全な男子高校生だもの。







教室に付属しているベランダからは、夕日が見える。

反対側の空の色とのコントラストが美しい。

教室には、油木さんがゆうきさんを待っている。

五時に三年五組に来てくださいと連絡をしたようだ。

五時までは、あと十分ほど。

ベランダに隠れて告白の様子を見守るというのは、なんとも趣味が悪いような気がするがこの際気にするまい。

教室を覗くと机に向かって本を読む油木さんがいた。

夕日に照らされた横顔に僕は、息を呑んだ。

単純に。ただただ単純に美しかった。

力強さを内包した美しさだった。

僕は、言葉を失った。

そんな時、現実に引き戻された。

教室の前の扉が開いた。

入ってきたのは、一人の女子生徒だ。

油木さんが、呼んだのだろうか。

僕と同じように告白に付き合って欲しいとでも行ったのだろうか。

油木さんが、席を立った。

「来てくれてありがとう結城さん」

油木さんは、女子生徒のことをゆうきさんとそう呼んだ。

窓は、開け放たれている。

聞き間違えるはずはない。

確かにゆうきさんとそう呼んだ。

僕は、自分の耳を疑った。

「そりゃ、油木ちゃんの呼び出しとあればくるよ。

いつもよく話は、聞いてもらってるからね」

一度落ち着こうと思った。

明らかに動揺している自分がいた。

確かに油木さんは、好きな人がいると言った。

一言もそれが男性だとは言わなかった。

そうなってくると「ゆうきさん」と呼んでいたのも合点がいく。

何もそれが名前だとも一言も言っていない。

この新学年が始まったばかりの時期は、名前の順の席であるのが定石だ。

席が前であるのだから「ゆうき」と聞いた時に名前ではなく、苗字を想像するべきだった。

完全に僕の勘違いと早とちりだ。

この疑問に早く気づくべきだった。

教室を覗くとふたりが向かい合って立っていた。

「それで、話って何かな?」

「ゆうきさん」。

恐らくは、結城さん、快活そうな女子だった。

短い髪でいかにも運動部だと言わんばかりの日焼けをしている。

まだ五月にもなっていないというのに。

地黒なのだろうか。

そして、瞳からは自信が満ち溢れている。

油木さんが、惹きつけられる気持ちもわからなくはない。

「あのね、結城さん。

私、あなたの事が好きなの」

何も偽らず、直球に油木さんは、告げた。

あの真っ直ぐだの瞳で。

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