見えない刃 3
「やる気が出ない」
「知らねーよ」
クラス替えをした後も同じクラスになり、まだ席替え前という事もある後ろの席に座る親友に悩みを漏らした。
小中高と同じ学校である彼は、なかなか僕の扱いを心得ている。
そうであることが、嬉しい。
彼がいる日々は、もう僕にとっての当たり前で、いない世界など考えられなかった。
それでも、辛辣が度を過ぎていると流石に悲しくなってくる。
これでも僕は、真剣に話しているというのに。
「五月病に係るには、早すぎだろ」
「いや、去年まではこの時期忙しかったんだけれど、部活やめてからは暇だし。
小説も審査待ちだからやることないんだよね」
「俺の知ったことじゃない。
帰れ」
相変わらず辛辣だ。
暇を持て余しているというのは、事実だ。
授業のカリキュラムも大幅に変わり、私立文系の大学を受験しようとしている僕らのクラスには、理系科目が一つも存在していない。
テストも近くないのに勉強のモチベーションを保つというのは難しい話だ。
「なにか面白いことがないだろうか」
僕がそう問いかけると呆れ顔が帰ってきた。
「そんなこと言ってる奴の所には一生かかっても面白いことなんてこねーよ。
それに、そんなことを言うという事はなにか訪れて欲しい事があるんだろ?」
彼の的確に欲しい答えが返ってくるところがとても好きだ。
彼の言う通り、僕には訪れて欲しいことがあった。
「うーん。
他人の恋愛話とか新人賞の結果とか」
「新人賞の方はともかく、恋愛話は何とかなるんじゃないか?
こないだまで苦しめられていたからその鬱憤晴らしか?」
「ま、そんな所。
どこかに転がってないかな。
恋する女子とか」
「人をモノ扱いするな」
手刀を頭に落とされた。
四月に入ってようやくみんなからのからかいが収まった。
僕のことを呼ぶ時は、彼女の名前で呼んでくるし、何かにつけて嫌味を言ってくる。
どこまで行ったのか。
そんなことまで聞いてくる。
他人の恋愛話にかまけている暇があるのなら自分の方を努力しろと言いたいが、それは人それぞれだ。
何も言えないだろう。
せいぜいアドバイスをしてやることくらいだ。
今日も何事もなく、一日が終わろうとしている。
当番制で回る掃除は、教室であった。
机を運び、ほうきで掃き、また机を運ぶ。
単純だ。
それゆえ手を抜くわけには行かない。
だって、皆で使う教室だ。
綺麗にしておきたい。
「ね、ね、反畑。
今日の放課後暇?」
なんの因果か三年間同じクラスになってしまった僕の元所属していた部活動の部長が、声をかけてきた。
「暇といえば暇」
「それじゃあさ、反畑に話を聞いて欲しい子が入るんだけどいい?」
「別に構わないよ」
今となっては、安請け合いだったと思う。
この時の僕は、あんな衝撃を受けることなど知る由もなかった。
ま、後悔しても何も始まらないのだが。
後悔など一ミリも感じていなかった。
掃除も終わり、誰もいない教室で待っていた。
親友も今日は、用事があるとかで先に帰ってしまった。
午後4時。
夕日というにはまだ早い、西日が教室に差し込んでいた。
突然、教室の後ろの扉がガラリと開いた。
彼女が手を引いて連れてきたのは、一人の長い髪にメガネの女子生徒だった。
彼女の口ぶりからして女子であることは、容易に想像できた。
そして、恋愛関係の話であることも。
多分、僕と親友が昼休みに会話しているのを聞いて、何とかしてくれたのだろう。
気配りがよく出来て料理も上手で裁縫もできる。
それなのに何故モテないのか。
甚だ疑問である。
「それじゃ、話聞いてあげてね。
私は、部活に行くから」
そう言って教室から去ろうとする彼女を僕は、引き止めた。
「ちょっと待て、初対面の女子と二人きりにするってどういう神経だ」
「いや、大丈夫大丈夫。
反畑なら心配ないって。
それじゃーねー」
人の言葉を聞かず、彼女は言ってしまった。
さて、どうするか。
残された女子もなんだか不安そうな顔をしている。
当たり前だ。
僕の精神力も見ず知らずの女子とフレンドリーにすぐさま打ち解けられるほど強くはない。
「取り敢えず、座りますか」
僕の後ろの席、親友の席に座るように勧めた。
「は、はい…」
席に腰を下ろした。
僕が、後ろを向いて座るという状況だ。
まるで一体全体どうして連れてこられたのかわからないような様子だ。
それもそうだろう。
あの部長のことだ。
特に何も説明しないで連れてきたのだろう。
僕にも何がなんだかわからない。
「えっと、三年一組反畑空です。
よろしく」
まずは、自己紹介だろう。
そうしなければ始まらない。
「三年五組油木桜(ゆきさくら)です。
よろしくお願いします」
この場合何をよろしくしているのか微妙にわからない。
ただ、僕らが知り合うためには、お互いを知るところから始めなければならない。
相手の緊張を解くには、自分のことを話すのが一番だ。
自分を知ってもらえればもらえるほど、相手と打ち解けられる。
これは、僕の経験則からである。
「いい名前だね」
「えっ、」
「いやさ、名前を平仮名で書いた時で地域やその時の気象によるかも知れないけれど普通なら一緒に見ることの出来ない雪と桜が一緒だから綺麗だなと思って」
「あ、ありがとうございます…。
そんなこと初めて言われました」
美しいものほど人は、見ることが出来ない。
それは、景色でも何でもないから。
「僕は、部長に話を聞いてやってと言われた。
話したいことがあるのなら話してくれ。
僕が力になれるかどうかは、分からないが」
沈黙が返ってきた。
別に急かしはしない。
完全退館時刻までは、三時間の猶予がある。
話したくなったら話してくれればいい。
急かしはしない。
その時は、案外すぐに訪れた。
「あの、私、話すのが苦手で要領を得ないかもしれないんですけど、聞いてもらえますか?」
「構わないよ」
僕は、笑顔で返した。
初対面の人と会話をする時、何かと緊張しがちになる。
そんな時に有効なのは、笑顔だ。
芸能プロダクションのプロデューサーが、アイドルをスカウトする時の文句ではないが。
「私、好きな人がいるんです。
ゆうきさんという方で、今私の前の席なんですけれど、よく面白い話をしてくれて、仲良くさせてもらっているうちに好きになってしまって」
ゆうきか。
聞いたことのない名前だ。
そんな人がいたのか。
「でも、その方には、お付き合いしている方がいるようなんです。
この気持ちは、どうすればいいですか?」
なるほどなるほど。
要するに彼女がいる相手を好きになってしまったと。
ハッキリ言おう僕の手には負えない。
だけれど、逃げ出したりはしない。
部長は、僕のことを信じて彼女を預けた。
では、その信用に僕は報いなければならない。
「まず、確認をしよう。
それは、恋愛感情としてなのかそれとも友達としての感情の好きなのか」
それは、とても重要である。
一口に好きと言ってもいろいろな種類がある。
先に上げた恋愛感情は、もちろんのこと友達、家族、仕事上etc……。
前に相談を受けた中で好きな人が二人いる。どうすればいい?
というのがあった。
そういう時は、どちらとも向き合ってみるのだ。
そして、冷静に自分の気持ちを確認する。
結局それは、友情と恋愛とで分かれたために無事にお付き合いに至ったわけだが。
めでたい話だ。
「恋愛、の方だと思います」
彼女は、控えめに呟いた。
そこに嘘はなかった。
僕は、途方に暮れていた。
恋愛ごとが悪いわけじゃない。
好きな人に相手がいるというのが問題だ。
どうしたものか。
下の名前で呼んでいるという事は、それなりに仲は良いのだろう。
だからこそややこしいのだ。
ゆうきとやらの彼女が、油木さんのお友達なのかもしれない。
そうなってくると僕がアドバイスしたことによって油木さんの方へゆうきの心が、揺らいでしまい別れるなんてことになんてなったら面倒だ。
お前のせいで別れるハメになったのだなんて言いがかりをつけられるかもしれない。
刺されるかもしれない。
この手の恋愛ごとには、一つトラウマがある。
これは、中学生の時だったのだが、彼女のいる我が友が、彼女ではない女子と親しくなったのだ。
教室にいる時は、結構話していたと思う。
そして、不運なことに彼女も同じクラスだった。
授業中にとか親しげに話している姿を見る度に嫉妬の視線をその女子に送っていた。
隣の席にいてとても怖かった思い出がある。
そして、僕はその彼女に相談されたのだ。
その女子と仲良くしないように我が友に伝えてと。
その時の僕は、何も考えなしだった。
受験勉強の疲れが出ていたのかしれない。
普通に何も考えずにありのままを我が友に伝えた。
その一週間後のクリスマスの日にそのカップルが、破局したのは言うまでもないだろう。
だから、僕はそれがトラウマになっている。
一つの恋心を潰してしまったのではないかと。
「諦めた方が、いいのかもしれない」
僕は、一番楽な道を提示した。
初対面で辛辣な、酷なことを言ったと思う、
開いた口が塞がらない。
僕は、それを初めて見た。
彼女でも告白した時にそんな顔をしなかった。
まるでこの人は正気か。
と思われているようだ。
「諦めるということは、簡単だから。
想いを告げて、振られて、そこから再び歩き始めることに比べたら」
彼女は、僕の言葉に納得出来ないようで俯いている。
諦める、言うだけなら簡単だ。
簡単で難しい。
矛盾をはらんだそれは、自分の手で切り開くしかない。
諦めて、新たな道を探す。
それもありだろう。
全然優良な道だ。
だけれども、歴史に名を刻むような人たちは、諦めるということを知らない。
恋愛感情なんて一時のホルモン分泌に踊らされているだけだと割り切るか、それでも前に進むか。
前者を選ぶような人間は、人間とは言えないだろう。
だって、人間というのは人と関わり会おうとする心だ。
恋愛感情だってそれと同じだ。
それを拒絶するということは、世界を拒絶することと同義である。
僕は、そんなのは嫌だ。
「それは、いや、です」
短く切れた言葉が、宙に踊る。
僕は、その言葉に少し喜んでいた。
「私が、初めて知った感情なんです。
諦めるくらいなら振られます」
澄んだ瞳が、僕を真っ直ぐ見つめてくる。
「傷つく覚悟は、出来ているのかい?」
傷ついて、傷つけて。
傷だらけになる。
無傷で青春を過ごしきれる者など誰もいない。
「覚悟は、あります。
そうでなければ、こんなに苦しまずに済みます」
瞳は変わらず真っ直ぐだ。
「その覚悟があるのなら大丈夫だよ。
僕に出来ることは、何も無い。
油木さんは、油木さんの進む道を知っている」
世の中には、上手く行かないことばかりだ。
それでも何とかしたいと思うから僕らは、悩み、助けを求める。
だから、人間でいられる。
それを油木さんは、心得ている。
僕の心配は、要らないようだ。
挑もうとするその油木さんの心に僕は喜んだ。
それから、好きな人について詳しく聞いた。
なんでもとてもカッコイイらしい。
それほどであるのなら僕の耳にも入っていてもおかしくはないのだが、僕は基本教室から出ないのだから知らなくても仕方はない。
それと、とても紳士な性格で人望も厚いようだ。
絵に書いたような優良物件であった。
彼女が、いるのもうなずける。
同じ彼女がいる身として学ばねばならないところがあるだろう。
「今日は、ありがとう」
油木さんが、俯きながらふと呟いた。
「礼を言われるようなことは、したつもりは無いよ。
いろいろな話が聞けて楽しかったし、何より油木さんと知り合うことができた」
「また、話を聞いてもらっても、いいかな?」
「ま、放課後は基本暇しているから大丈夫だよ。
話したくなったらここへおいで」
「うん」
油木さんは、心底嬉しそうに笑った。
同じでも違うそれを僕は知っている。
どちらがいいかなんて決められない。
けれど、どちらも美しかった。
だが、一つ言っておこう。
僕の気持ちが、彼女から揺らぐことは無い。
だって、僕は、彼女のことを愛してしまったのだから。
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