見えない刃 2

窓を叩く音で目を覚ます。

日付は変わり、三月一日。

卒業式の日だ。

どうやら寝落ちをしてしまったようで、充電の切れたパソコンが頭上にあった。

データが消えてなければいいけれど。

いくら私服の高校と言えど、式典には正装での参加が義務付けられている。

一年ぶりにタンスから引っ張り出したスーツに袖を通す。

着る回数が少ないということもあり、まだパリッとしている。

今僕ら家族は、祖母の家に住んでいる。

昔ながらと言うべきなのか平屋建てだ。

自室から食卓のある部屋へと向かう。

どうやら僕が起きたのが最後のようで、父はもう食事を終えていた。

「父さん今日は、早いんだね」

「ああ、早く行って片付けなければならない仕事があってな」

父は、車で30分ほどかかる前に住んでいた街にある工場に勤めている。

それなりに年齢がいっていることもあり、年功序列の概念の残る工場では、それなりの役職についているようだ。

我が家は、共働きである。

そのため、母も朝からせわしなく動いている。

父や僕の弁当作りと洗濯を同時並行で行っている。

1人で食事をすることなんてざらだ。

僕には姉がいるのだが、もう既に家を出ており、前にいた街で一人暮らしをしている。

僕が言うのも何であるが、ろくでもない姉である。

それは、もう口にするのをはばかられるくらいに。

今のところ全ての学校を公立できている僕とは、正反対で全て私立の学校に通っていた。

それによりどれだけ家計が圧迫されたことか。

自室から食卓へ向かう途中にある祖母の部屋には、誰もいなかった。

という事は、祖母は朝早くからでかけているらしい。

きっと畑でも見に行っているのだろう。

祖母とは、ここに来るまで大して交流もなかったのだが、この家族の中で一番好きだ。

真っ直ぐで大切なものが見えていて人の心を知っている芯の強い人だ。

そんな祖母を僕は、尊敬している。

食べ終わった食器を下げ、学校へと向かう支度をする。

歯を磨く為に洗面所へと向かう。

某会社の歯磨き粉を手に取りふと思う。

僕の家は、使用する市販物が家族の好きな俳優や女優、芸能人がコマーシャルをしているからという理由で使っているものが多い。

この歯磨き粉も僕の好きな女優がコマーシャルをしているから使用しているわけであって、それ以外の思い入れは、存在しない。

母が、よく飲むビールもとある歌手が、コマーシャルをしている物だ。

そういう行いが、テレビの中で彼、彼女を見る機会が増える最良の道だと僕の家族は、心得ているのだ。

こんな家庭は、他にもあるのではないのだろうか。

部屋にカバンを取りに行く。

今日は、特に授業があるわけでもないからカバンは必要ないかと思ったが、一応持っていく。

数学科の教師達が、課題プリントなるものを配るかもしれない。

玄関で靴を履いていると母が見送りに来た。

「傘、持った?」

「持った持った。

それじゃ、行ってきます」

空は、新しい門出には相応しくない悲しい色をしていた。

鉛色の雲が、重く垂れ下がって来ていた。









駅から学校へ向かう道すがら、空を見る。

どんよりと重そうな雲が垂れ下がっていた。

僕らの町に雨が降るということは、春が近づいてきた証拠だ。

太平洋に面している僕らの街には、めったに雪は降らない。

だから、雨が降り始めると春だなという気分にさせられる。

その翌日には、花粉が良く飛ぶから花粉症の僕としては、良いことばかりではないのだけれども。

この季節は、マスクが手放せない。

校門の脇にある卒業式の看板を横目に校舎へと入っていった。

学校に着くと、男子諸君の格好に驚きを覚えた。

女子は、なんちゃって制服という普段から私服を選ぶのが面倒臭い時に着るというブレザーの類を着ているため、新鮮味がない。

見慣れている感が、否めない。

が、男子はどうだ。

パリッとスーツを着込んでいる。

でも、同級生という油断からなのだろうか大して大人のようには見えない。

ただただ、普段とは見慣れなかった。

教師の指示があるまでは、教室待機とのことで自分の席へと向かう。

昨日は、女子に囲まれて今にもどこかへ逃げたい気分にさせた窓際の端っこの席であったが、やはりこのポジションは最高の場所だと思う。

教師達の目に止まることもなく、可もなく不可もなく授業を受けることが出来る。

少しぼうっとしていても気づかれることは無い。

「おはよ」

周囲の席のクラスメイトに挨拶をする。

誰も彼もが卒業式は、いかにもめんどくさいという顔をしていた。

その気持ちは、分からなくもなかった。

まだ時間があるようなので僕は、カバンから本を一冊取り出した。

電車の中で読んでいたのだが、いい所で駅に到着してしまったのだ。

雨の中を歩いて読むわけにはいかず、渋々我慢をしていた。

が、我慢の限界だ。

今年の大河ドラマの原作となった小説を読んでいるのだが、これがなかなか面白い。

戦国時代を駆け抜けてゆく一家。

3代かけてその名を天下に轟かすこととなる物語。

最期は、惜しいところで終わってしまう一家である。

故にその生きざまに憧れる。

一族を守るために最善尽くすその姿に。

よく僕はオタクだと言われることがある。

確かに小説の他にアニメや漫画を見る。

常人とは、比べ物にならないくらい。

暇さえあればその三つのどれかを見ている。

外でスマートフォンを用いて動画を見たりするから通信制限を食らったりもする。

だが、オタクとはまた違うと思う。

僕は、物語が好きなのだ。

人が創り出す物語が好きなのだ。

だから、そこに2次元だとか3次元だとかは関係ない。

言うなれば、オタクというよりは物語ギーグである。

沢山の物語を知っているせいかよく恋愛面で相談されることがある。

その手の話が大好きな僕にとっては、話を聞くだけで満たされるし、相手も解決されるようだしでウィン・ウィンの関係なわけだ。

部活動を辞めてからは、その機会はめっきり減ったが。

小説の中で山場を越え、これからという所でクラスごとに移動開始とのお達しを受けた。

まあ、読み切りたい部分は読めたからよしとしよう。










体育館に入ると卒業生の父兄が、大勢座っていた。

この学校の伝統でこういう式典ごとのパイプ椅子の設置は、1年生が貴重な体育の授業を削って行う。

働く人は働くがその逆もまた然りという状況になるなんとも言えない伝統だ。

こう綺麗に並べられた椅子を見ると1年生の時の苦労が思い出される。

生徒用の席の隣には、吹奏楽部が合奏の体型で各々音出しを行っている。

入退場の曲や国家、校歌を吹奏楽部が演奏するのもまた、伝統だ。

吹奏楽部の席の後ろには、金属製の扉があり、こんな雨の降る寒い日には冷えることだろう。

完全に他人ごとであるのだが。

自分の席に着席すると、視線を感じた。

なにやらこちらを見てヒソヒソと話す声が聞こえる。

大方何を話しているのかは、想像がつく。

昨日の今日でこんなにも知れ渡るとは、と思うくらい多くの視線を感じた。

「気にしない方がいいぞ」

隣に座る親友が気にかけてくれた。

僕には、正しい僕のことを知ってくれている人が二人もいる。

それだけで十分だ。

「分かっている」

在校生諸君が着席して少しすると何事もなく卒業式が始まった。

入場してくる卒業生諸君は、なんとも見ていて楽しかった。

女子の先輩方は、きらびやかな袴姿だ。

来年、僕の知っているような女子達もこんな格好をするのだろうか。

想像出来ない。

男子の先輩方は、スーツという普通すぎる格好もいいところだ。

これは、多分来年になっても変わらないだろう。

誰か一人くらい紋付袴で出席するような人は、いないのだろうか。

ここからひとりひとりに卒業証書を授与していくわけだ。

中学の時よりは、少ないとはいえ240人だ。

寝不足の僕には、とても辛い。

瞼が重い。










案の定寝ていたようで、隣に座る親友に起こされた。

名前の順で座ると必然的に彼が隣に来るのはとても有難い。

「終わったぞ」

「ありがとう」

「また、夜遅くまで小説書いてたのか?」

「新人賞の締め切りが、昨日までだったんだよ」

テストが終わった後の編集作業はなかなか応えた。

書いた時は、最高!と思っているのだけれど、後々から読み返すと修正しなくてはいけない点がたくさん出てくるのだ。

総字数が、十万字を超えているからそれだけ直す部分もあるということだ。

今の自分に書ける精一杯を出したつもりだ。

僕の二年間に及ぶ高校生活の集大成とも言えるだろう。

それが吉と出るか凶と出るかそれは神のみぞ知る。

「夢を追いかけるのもいいけれどな、あまり無理をするなよ」

「なんだかんだいいながらも優しいよな、お前」

「……本当にそういう所だよな」

いつものセリフは、心にしまった。

「さ、教室にあるカバンを取って帰ろう」

「今日は、待ってなくていいのか?」

「なにやら部活の先輩方の卒業祝いをするとかで先に帰ってていいってさ」

「そうか」

何かを言いたげな顔をしていた。

「どうした?」

「いや、何でもない」

僕らは、クラスの列に混ざり教室へと帰った。

教室に戻ると担任から各自解散を言い渡され、僕らは早々に帰路へついた。

三月に入ると高校生は、暇になる。

一日から卒業式で次の日は、高校入試の準備のため、午前中授業だ。

そこから二日間ほど入試のための休みになり、次の週には合格者判定会議とやらでまた休みがやってくる。

その後1週間も学校に行けば春休みだ。

テストも訪れない。

学校に入ることが不可能になる入試休みは、どこの部活も休みになるから部活の面々でディズニーに行く計画を立てている部活は多い。

彼女も部活の友人達とディズニーに行くようだ。

「お土産買ってくるね!」

と元気よく言われた。

活動的な彼女とは打って変わって僕は、自堕落に休みを過ごした。

何も無い休みほど、退屈なものはない。

これなら学校に行っていた方がましだ。

小説の新人賞の締切も過ぎ、やりきれる精一杯を行った僕は、一種の燃え尽き症候群のように真っ白に休日を過ごした。

朝は、昼近くまで寝て、ご飯を食べて本を読んでご飯を食べてまた寝る。

英語科から大量の課題が出ていたのだが、すっかり忘れていて休みの最終日に皺寄せが来たことは、言うまでもないだろう。

布団とお友達になり過ぎるのも問題であるなと自覚した。










とある三月の登校日も残り僅かになってきた日の帰り道のことだった。

「まだ、私の家雛人形片付けていないんだけれどどうすればいいかな?」

「片付ければいいんじゃないのか?」

片付けいないのなら片付ければい。

それだけの事だ。

どうして僕に相談する必要がある。

「そこはね、空。

僕が嫁にもらってあげるから安心しなとか言うところだよ」

「そんなセリフを言えるのは、物語の中のキャラクターだけだよ」

多分、雛人形をひな祭りが終わってもなお飾っているとお嫁に行けないとかいうあれだ。

結婚前にウエディングドレスを来たら婚期が遅れるといいこれといい女子は、案外どうでもいいことを気にするのだな。

これに限ったことではないだろうが。

「そうかな。

君なら言いそうなんだけれどな」

「どういう意味だ?」

「中二病だし」

「いつの話だ」

確かにそんなことになっていた時期もあった。

高校一年生のはじめくらいまでそんな感じだった。

自分のことを天才小説家と言っていた。

二言目には、「まあ天才だから」と言い放っていたような恥ずかしい記憶だ。

いわゆる黒歴史というやつだ。

そうそうに忘れてもらいたい。

今思い出すだけで穴があったら入りたくなるのだから。

「若気の至りという事で雛人形と共に片付けて置いてくれ」

「仕方ないな」

彼女は、微笑んだ。

心の中でつぶやく。

安心していいと。

この言葉を伝えられたらどんなに楽だろうか。

僕には、それを伝える精神力も度胸も持ち合わせていなかった。






ひな祭りの後日談を話して数日後。

僕は、緊張していた。

三月の某日。

チョコレートを沢山もらった男子ほど苦しむホワイトデーだった。

男子諸君は、チョコレートを沢山もらえる人を羨ましがるが、その人もその人で悩むのだ。

貰った数だけお返しをしなければならない。

故に僕は、思う。

沢山の義理よりもたった一つの本命だ。

それは、それで悩むのだが。

この機会に初めての料理をした。

料理と言っていいのかどうかは、分からないのだけれども。

市販のチョコレートを湯煎して、新しい形に作り変える。

どのような形にするのか迷った。

ハートというのは、どうも僕の正確に合わないような気がする。

かと言って星では、無難すぎる。

悩みに悩んだ末に一つの形を導き出した。

放課後の教室。

西日が差し込んできている。

月曜日は部活がない彼女は、みんなが帰り終わったあとの教室に入ってくるなり言い放った。

「さて、君よ!

今日は、ホワイトデーだよ!

お返しが欲しいな欲しいな!」

ムードなどどこ吹く風。

彼女は、直線的に要求してきた。

「安心していいよ。

きちんと準備してあるから」

僕は、カバンの中から一つの包を取り出した。

ラッピングをしてリボンまでつけた。

部活に所属していない帰宅部の利点かな。

時間ならいくらでもあった。

「わぁお…。

私があげたのよりも期待値高いね」

「頼むからハードルを挙げないでくれ」

彼女に包を手渡した。

「開けていい?」

「もちろん」

彼女は、リボンから丁寧に解いていった。

ラッピングに使った包装紙も綺麗に畳んでいる。

箱の蓋に手を伸ばした。

開けて一言。

「君らしいね」

「だって、これしか思い浮かばなかったんだもの仕方ないだろう」

「別に文句があるわけじゃないよ。

いやでもこれは、食べるのがもったいないね」

チョコレートを眺めながらスマートフォンで写真を撮っている。

「喜んでもらえたら良かったよ」

「滅多にないからね。

こんな本の形をしたチョコレートなんて」

小さな本の形をしたチョコレートを六つ。

箱に詰めて彼女に渡した。

やれやれ、自分のアイデア力のなさを呪うよ。

早々に一個を口に運んでいた。

「うん。

美味しい」

「まあ、市販のチョコレートを湯煎して形を変えただけだから味に変化はないはずだから大丈夫だとは思うよ」

つくづく大丈夫という言葉は、便利な言葉である。

ありとあらゆる場面で使うことが出来る。

故に僕はこの言葉があまり好きではない。

「君の作ったものならきっと何でも美味しいよ」

彼女の笑顔で僕の心は満たされた。










日々が過ぎ去るのは、早いことで気づけば三月は終わりを迎えていた。

長かった休みが終わり、新学期。

ついこないだ高校二年の三学期が始まったと思っていたのに。

離任式や入学式などと四月は、始まりから忙しい。

別れたと思ったら新しい教師達が、入ってきてそちらに慣れなければならない。

だが、授業で教えてもらわない限り、かかわり合うことがないから覚える必要はないと言えるのかもしれないが。

それが終わったと思ったら各部の新入部員獲得戦争が始まる。

去年は、馬鹿みたいに部員集めに奔走していたような気がする。

変人と思われるのをいとわずに通りがかる一年生に次々と声をかけていた。

その甲斐あってかいっこしたの学年には、沢山の新入部員が入った。

僕の生活にもなにか変化が訪れるのかと思ったが、相変わらず放課後の教室に残って勉強をする日々が続いている。

が、集中出来ずにだらだらと時間が流れていくのを眺めている。

彼女が、迎えに来るのも含めて何も変わっていなかった。

新人賞に応募した原稿の方も審査期間に入っているため、何もすることがない。

二月に力を出し切り、少し早い五月病になっていた。

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