雪と湯船と 2

僕が、よく使う物語の常を例に出すとするならば温泉に入る時に主人公が間違えて女湯に入ってしまうなどということが挙げられる。

が、挙げられるだけで現実問題そんなことが起こるはずがない。

とある恋愛漫画でとある人物の策略で主人公が女風呂に入ってしまい、ヒロインに助けてもらって男湯に通じている穴から脱出するというものがあった。

が、些か荒唐無稽過ぎて笑えた。

小さい子供ならいざ知らず、だいの高校生が間違えて女湯に入るなんて有り得ない。

そんなことをしたのなら、すぐさま警察を呼ばれ、僕の未来は暗いものとなるだろう。

彼女とはきちんと脱衣場の入口で分かれた。

これは、確実である。

読者の皆さんには悪いが、創作物のような淡い幻想など早々に捨てることをオススメする。

暖簾をくぐる。

何も無い土日とは言え、家族連れが多いようだ。

小さい子供が裸のまま脱衣所を駆け回っている。

それを諌めるお父さん達の姿が、なんとなく懐かしい。

そして、温泉街だからという訳でもなく、やはり年配の方が多い。

僕と同じくらいの年代はいなさそうだ。

適当に空いているロッカーに脱いだ衣服を入れ鍵をかける。

昔は籠の所も多かったが、現代社会は何かと物騒であるからロッカーが増えた。

それでもなお、籠のところは存在している。

全く女子のならともかく男のを盗んで何が楽しいのだろうか?

僕はきっと死ぬまで理解出来ないだろうな。

まあ、死んでも理解する気はないが。

男同士は、無理であるが女子同士ならなんとか許容できる。

百合ならまだ可愛いものだ。

見ていて微笑ましいものがある。

脱衣所と浴室を分かつ扉を開ける。

湯気に包まれた空間が広がる。

その旅館独自の浴室と浴槽。

草津温泉特有の強い硫黄の匂い。

人々の話す声。

温泉の流れる音。

それらすべてを含めて温泉と呼ぶ。

どんなに湯船に飛び込みたい衝動に駆られても、まず最初に体を洗わなければならない。

これは人としての第一のマナーだ。

体を洗う時に頭から洗うのが定石だと言う。

けれど人によっては、体を先に洗ったり、顔からなんて言うのもある。

普段は見ることの出来ない姿を見れる温泉という場所は、不思議だ。

様々なタイプの人間を見ることが出来る。

そして次に湯船だ。

どうやら露天風呂やサウナなんかもあるみたいだけどまずは中にある普通の小さい子供でも入りやすい設計になっている一番大きな湯船に入る。

基本を抑えた後に応用である露天風呂やサウナに移る。

何においても基本というのは、大事である。

日本には、「裸の付き合い」という言葉がある。

この言葉には、心に衣きせないで、くったくなく、隠し事もせず、付き合っていることという意味の他にこのような温泉施設や銭湯のような場所で見ず知らずの人が、気さくにコミュニケーションをとるという意味もあるそうだ。

繋がる心はなんとやらってキャッチコピーのゲームが昔流行ったっけ。

繋がる心は日本人が大切にしているからね。

流行る理由もわかる気がする。

かく言う僕もプレイしていた。

久しぶりにプレイしてみようかな。

もう二世代も前のゲーム機種であるのだが。

最近のゲームをいくつかプレイしてみて気がついたことがある。

昔の方が面白かったのではないかと。

だからなのか、CSで放送されているとある芸人が、昔のゲームをプレイしてクリア画面を見るという番組が、とても好きだ。

大抵クリア出来ない時の方が、多い気がするのだが何度コンティニューになろうとも諦めずにそのゲームをプレイし続けるテレビの中の芸人にエールを送っている。

ある程度温まったら次こそ露天風呂だ。

この季節だからきっと綺麗な雪景色が見れるだろう。

僕は、心が踊り、露天風呂へつながる扉に書かれている文字を読まなかった。

と言うよりは、メガネをかけていないのでよく見えなかったというのが、事実だ。

それと注意力不足だ。

今思えば、紙があることにも気づかなかったのかもしれない。

だって、それがこの先混浴と書かれているなんて夢にも思わなかったから。

完全に僕の過失であった。

だって、これも物語の常じゃないか。

しかも彼女と2人っきりで。








「ん〜!

いい湯だねぇ〜。

君がもう少し遅かったらのぼせちゃう所だったよ」

「そうか。

なら、今すぐ上がった方が身のためだぞ。

僕は旅先に来てまで看病はゴメンだ」

大きな岩を挟んで背中合わせ位にいる僕ら。

それは当然というものだろう。

だって、まだ高校生だ。

この露天風呂が混浴だと分かれば、一緒にお風呂に行こうというのも合点がいく。

想像できるだろうか?

露天風呂に出たら彼女に「おーい」と呑気に声をかけられた時の驚きが。

僕の注意力不足を呪った。

「それにしても、どうして混浴なんだか」

僕は、あきらめのため息をつく。

「いやだって、1度くらい入ってみたいものじゃない?」

「こういう所って大体年配の方ばかりだろうに」

「いいのいいのそれでも。

江戸時代では、混浴が当たり前だったらしいし、君も恥ずかしがらないでさ〜」

岩の影からこちらをのぞき込んできた。

「別に恥ずかしがっている訳では無いが、その、目のやり場に困る」

「良かった。

君も健全な男子高校生なんだね。

私は、その言葉を聞いただけで安心したよ」

安堵のため息をつく彼女に異議を唱える。

「どういう意味だ」

僕は、健全じゃないと思われていたのか?

「いや、君はいつだって友達ともアニメだとか小説だとかの話ばかりじゃないか。

だから、そういう事には興味無いのかと。

それに…私にも何もしてこないし」

少し固まった。

「知らないのか?

最近の物語ってやつはなかなか際どいのが多いんだぞ」

一度言葉を切り、息を深く吸う。

「それにまだ1ヶ月半ほどの付き合いだ。

それでお前のことを汚していたらそれこそ高校生として将来が危ぶまれるよ」

「ま、君ならそう答えるか」

二人の間に沈黙が流れた。

次は、僕が話を振るべきなのだろうか。

チラつく雪に煽られている気分だ。

「前に1度君に愛していると伝えたことがあるんだよ」

「クリスマスの時のこと?」

「そのずっと前。

十月頃のことだよ」

やはり伝わっていなかったか。

当たり前といえば当たり前だ。

「月が綺麗ですね。」が、「I love you」という意味だというのは知っている人が、少ないのが昨今だ。

僕は、その時のことを話した。

「ああ、あれってやっぱりそういう事だったの」

「え?」

「いや、気づいていたけれどもまさかっておもっちゃってね。

ごめんね?」

「なんだ…気づいていたのか…」

急に肩の力が抜けてしまった。

「確か、夏目漱石がそう訳したんだっけ?」

「そうだね」

「なら、私は君の訳を聞きたいかな。

君が訳した『I love you.』は、なんなのかを」

「そうだな…。

当たり前の日々は、美しい。かな。

君が、隣にいてくれる。

そんな当たり前の日々を僕は、美しいと思う。

だから、それが君への愛の想いだ」

彼女が、隣にいる今の景色。

それがなによりも美しい。

「なんだか恥ずかしいね」

そう言うと彼女は、女湯側の出入口へと足早に向かっていった。

恥ずかしいは、彼女の口癖なのだろうか。

「僕は、もう少しゆっくりしていくかな」

誰もいなくなった露天風呂でゆっくりと湯と雪景色を楽しませてもらおう。

少ない灯りに照らされる雪たち。

風に乗り、それは愉しそうに舞っている。

一つとして同じ動きをするものはいない。

まるで人間のようだ。

空に生まれ、陸に落ちるその時に儚く消えるその姿。

落ちてくるまでの短い間の命。

積もっていれば長く生きられるが、湯船に落ちたらその瞬間に消えてしまう。

いつかは、消えてしまうと知っているから美しいのだろう。

それが、人の営みなのだから。







部屋に戻ると彼女が部屋の前で泣きそうな顔をしていた。

理由を聞くとこう答えた。

「鍵なくしちゃった…」

彼女は、こういう所でぬかるのだ。







「鍵をなくしたとはどういう事ですか?」

取り敢えず僕の部屋に彼女を入れ、正座をさせる。

あくまでも冷静に静かに僕は、彼女に尋ねた。

「正確に言うとね、部屋の中に鍵を忘れてしまったの。

だから、なくした訳ではない!」

文明が進化してもそれを使う人間が進化しなければ宝の持ち腐れ、豚に真珠、猫に小判だ。

現代では、旅館だろうとオートロックが主流となっている。

故に外出時は必ず鍵を持つように中居さんに説明を受けたはずなのだが、彼女は忘れてしまう。

「それじゃあ、部屋の鍵を開けてもらいにフロントへ行こう」

僕が立ち上がろうとすると浴衣の袖を引っ張られた。

「いや、夕食もこの部屋だし、その後でもいいんじゃないのかな…」

上目遣いで懇願をされた。

僕が反論をできないのを分かってこの仕草をする。

自分の性と言うのは、時に邪魔になる時がある。

「じゃ、街でも見に行くか」

それでも、僕は、自分を変えることは出来なかった。

頭では、変えなければならないと思っているものほど簡単に変えることはできないのだ。

僕らは、夜の草津の街へと繰り出した。

と言っても、いかがわしいことをするためではない。

温泉街を楽しみに行くのだ。





夜の草津の街は、僕の住む町とは比べ物にならないくらい賑わっていた。

飲食店や土産物店、遊戯場など観光地として相応しい建物で囲まれている。

どれもこれも僕の住む町には、ないものばかりだ。

旅館に戻れば夕食が用意されているという事もあり、飲食店には入らない。

僕らは、レトロという言葉がピッタリ合う遊戯場に入った。

 ゲームセンターとは違って、電気を使うような遊具は、置いていない。

置いてある遊戯はスマートボールと射的。

射的はどんなものか想像がつくだろうが、スマートボールは聴き馴染みがない人が多いのではないだろうか。

簡単に言うとパチンコのようなものだ。

数字の書かれている穴にボールを弾いて入れる。

入ったら書かれている数字の数だけボールがもらえる。

そして、貰ったボールでまたゲームをする。

いたって簡単なゲームだ。

数台横並びにあるうちの一つに腰をかける。

台の前にいるおばちゃんにお金を払い、ボールを数個受け取る。

これが僕の軍資金だ。

ここから増やせるかどうかは、僕の腕にかかっている。

彼女は、射的の方に行ったようだ。

ゲームセンターでもそうであったのだが、僕らは互いに遊びたいもので遊ぶ。

互いの趣味趣向を否定しないという事が、彼女のそばにいると楽だと思わせる理由なのだろう。

小さい頃から両親が共働きであった事もあり、一人でいることが好きだった。

だから、誰かと一緒にいる時は、ひたすら相手に合わせていた。

それは、きっと僕ではない誰かだったのだろう。

だけれども、気づけば僕の隣にいる彼女の前では僕は僕らしくいられた。

それが、恋というものなのだろう。

ボールを弾きながら、射的に興じる彼女を見る。

子供たちに混ざって、的を狙い撃ちする姿は微笑ましいものがあった。

実際、子供たちの中に混ざっても違和感は無かったからだ。

上手い具合にボールを穴に入れることが出来、なんとか遊びをつなげることが出来ていた。

慣れてくると案外簡単なものだ。

何度か大当たりを出し、いい気分でいたところ彼女の方に目をやる。

なにやら店主に文句を言っているようだ。

威力が弱いだとかなんとか言っているのが聞こえる。

手元に一つも景品らしいものがないのが目に入り、席を立った。

「どれを狙っているんだ?」

「あれ」

短くそう言うと、段の一番上にある景品を指さした。

大きなクマのぬいぐるみ。

それは、到底射的用の銃では落とせないんじゃないかというくらい大きな。

「変わろうか?」

言うほど射的が、得意というわけではない。

ただ、今にも泣きそうな彼女を放っておけなかった気持ちからでた言葉だった。

「まあ、世の中上手く行かない事の方が多いからね。

私じゃ、あれを落とすことは出来ないかもしれない。

だけど、今日くらいは、私の力でなんとかしてみるって決めたから頑張ってみるよ」

どうやら野暮だったようだ。

僕は、彼女がぬいぐるみを落とすまで隣で待つことにした。








結局、彼女がぬいぐるみを手にすることは無かった。

どうしても欲しいと娘さんにねだられていたお父さんと一緒に落として、結果譲ってしまったからだ。

タイミングは同時だったのだから、もっと強く出ても良かったのではないかと尋ねたが、

「あの娘が、笑顔になってくれたなら私はそれでいいのよ」

と言われてしまった。

「それに、同時だったから落とせたようなものだし、それなら必要とされている所に行ったほうが、あの熊もぬいぐるみ冥利に尽きるんじゃない?」

まあ彼女が、納得をしているのなら僕は、一向に構わないのだが。

「本当にいいんですか?」

女の子の父親が申し訳なさそうな顔で話しかけてきた。

「いいんですよ。

あのぬいぐるみもあの娘に貰ってもらえて嬉しそうですし」

本当に悔いはないようだ。

「ただ、一つだけ娘さんと約束をさせてください」

そう言うと彼女は、しゃがみこんで目線を女の子に合わせた。

女の子は、不思議そうに首をかしげている。

「このぬいぐるみはね、お父さんが一生懸命頑張ったから君の手の中にある。

それを忘れちゃダメだよ」

「うん!

大事にするねお姉ちゃん!」

女の子は、元気よく答えた。

何もなくその純粋な心のまま育ってもらいたいものだ。

そうして、部屋へと戻ってきた僕らは、夕食を楽しむことにした。

テーブルの上に並べられた色とりどりの刺身や天ぷらなど懐石料理の逸品たち。

どれも美味しそうだ。

山に囲まれた地域でも新鮮な魚が食べられる点に於いては、技術の進歩を喜ぶべきだろう。

僕らは、夕食を思い切り堪能した。







「それで、そろそろ僕をここへ連れてきた理由を教えてくれてもいいんじゃないのか?」

僕は、彼女に尋ねた。

前回もだが、彼女の行動には、必ず意味がある。

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