雪と湯船と 1
鉛色の空に白銀の雪が舞う。
暖冬なんて言われていたって冬は冬だ。
雪だって降る。
むしろ猛吹雪と言えるだろう。
先々週くらいから急に襲い掛かってきた寒波の波は、僕らの町も直撃していた。
僕の視界は、新幹線の車窓へと向けられていた。
そこは真っ白に包まれていた。
言葉を失うほどの白。
感嘆を通り越して呆れてしまう。
とある小説の一節を引用するなら、
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」
実際はトンネルを抜ける前からであったが。
時は、二月十三日。
バレンタインを翌日に控えた土曜日だ。
バレンタイン。
聖バレンティヌスさんが、国が結婚を禁じた時に恋人同士をこっそり結婚させていたため、酷い拷問にあい、その後死刑にあった日だという。
そのため、現代では恋しい人にチョコレートを贈る日となっている。
チョコレートを贈るという点に置いては製菓会社の策略であるのだが。
そんなのに踊らされるのが、日本人の良いところだ。
彼女のお陰で大分こういう年中行事について詳しくなった。
このバレンタインの話も新幹線に乗った直後に聞かされたのだ。
最近のバレンタインは、本命のチョコの他に友チョコや義理チョコ、男子からの逆チョコなんてものまであるらしい。
チョコレートを渡す人によって分けられるのは、便利なことだろう。
愛を告白する日と言うよりは、感謝を伝える日としての側面が大きい近年のバレンタインだ。
だが、そんなものにかまけている暇は僕ら学生にはない。
栄えある学年末テストが目前に迫っていた。
毎回テストは大切にしている方で、二週間前から準備をしている。
娯楽と呼ばれるものには触れず、勉強に集中している。
今回のテストは4日間に渡って行われる。
金曜日にテストを行い、バレンタインのある土日を挟んで月曜から水曜まで。
金曜日のテストは、難なく凌ぎきることができた。
故に、土日には総復習をしなければならない。
そんな土日に僕は、雪国にいる。
「いやぁ、すごい雪だね。
雪合戦でもしたいよ。
あ、ポッキー食べる?」
新幹線の隣座席で子供のようにはしゃいでいる彼女。
差し出されたポッキーを受け取る僕。
「確かにすごい雪だね。
でも、2人じゃ雪合戦は出来ないだろ」
「いやいや、こういう雪国だと雪合戦大会みたいなのが開かれていたりするよ?」
「ああ、言われてみれば」
それだとしても、二人じゃ参加しずらいだろう。
バレンタインの差し迫った土曜日。
僕は、朝から彼女に連れ出され、言われるがままに着替え等々旅の用意をさせられ、持っていきたいものをカバンに詰めさせられ、電車に乗ってターミナル駅に向かい、そこから新幹線に押し込まれた。
「長野新幹線で何処に向かっているんだ?」
例の如く行き先は告げられていない。
ノープランなのかプラン済みなのか彼女は何も教えてくれない。
いや、新幹線の切符をきちんと予約済みだったことからプラン済みなのだろうけれども。
僕は、どうも彼女の行き先を聞く機会が多いような気がする。
「取り敢えず軽井沢。
そこからバスに乗るよ」
軽井沢からバスか。
何処に向かっているのか皆目見当がつかない。
軽井沢からバスに乗るということは、そこよりも日本海側の場所ということだろう。
今年も相変わらず日本海側には、雪が沢山降っているようだ。
冬だからスキーとか?
久しくやっていないからやりたくはないな。
運動不足であるから筋肉痛になる未来が、容易に想像できる。
こんなに寒いのだし温泉にでも浸かりたい。
温泉。
なんという甘美な響きなのだろうか。
同じ泉質、同じ浴槽、同じ内装。
そんなものは一つとして存在していない。
同じ場所でも建物が違えば全然違う楽しみ方ができる。
日本の文化を代表する一つだ。
こればかりは、日本が火山に恵まれた国でよかったと感じさせられる。
僕的には、何も考えず、湯船に浸かっているのが至福だ。
だが、何も考えないということを持続させるのは、難しい。
途中からは、未だ趣味の域を出ない創作小説について考えたりしている。
これがなかなか捗るのだ。
後は、風呂上りの牛乳は外せないな。
僕が、温泉について妄想を膨らせていると彼女が口を開いた。
「一つ、目的地について言うとするならそれは君が喜ぶ所だと言うことだよ」
彼女は、そう言うと手元にあるメモ帳へと目を移していた。
なにやら、いろいろ書かれている。
あまりのぞき見しない方が、後々楽しめそうだ。
どれ、僕も勉強の続きをするとしよう。
例え勉強机が無かったとしてもやれることは沢山ある。
特に文系である僕は、暗記ものが多いから。
やらねばならないものは挙げていけばきりがない。
日本史、世界史、地学、英単語、etc…etc…。
やれやれ難しいものだ。
人の脳は、一週間もあれば覚えたことを忘れてしまうという。
幼いころのスポンジのような脳とは違い、あらゆる煩悩を含んでしまった僕らの脳は、暗記には不向きだ。
それでも、やらなければならないのだから頑張るしかあるまい。
どんなに僕らが立ち止まったって運命は、進むのだから。
それでも、暗記をする時は、憂鬱だ。
ふと教科書から顔を上げ、窓の外に目をやる。
猛スピードで変わりゆく景色。
どこまでも続くような雪に覆われた大地。
窓に叩きつけられる雪の結晶。
色んなことに触れるということは自分を豊かにしてゆくと言うが、果たして僕は豊かになっていっているのだろうか。
彼女と一緒にいると色んなことを思い知らされる。
これもきっとなにかの始まりなのだろう。
吹雪の中に光を見つけた。
白銀に覆われた軽井沢に着いたかと思うとすぐ様バスに押し込まれた。そこからバスに揺られて一時間半、降り立った地には煙が立ち込めていた。
煙と言っても火事という訳では無い。
湯けむりだ。
雪とはまた違った白に僕の視界は遮られている。
「見よ!
これが草津だ!」
私がここを作りましたと言わんばかりの声で宣言をする。
「お前が誇ることでもないだろ」
「またまた、そんな事言っちゃって。
本当は嬉しいくせに」
「そんなこと、ない」
「声が裏返ってるよ」
うぐっ。
何も言い返せない。
強い硫黄の臭いが鼻をくすぐる。
目の前に広がる湯畑から湧き上がる湯けむりを見て、思わずにやけてしまう。
温泉好きにはたまらない。
広大な湯畑を擁する草津は、日本人なら一度は訪れたい温泉街ベストスリーには入るだろう。
「いや、だって天下に名高い草津温泉だよ?
テンションが上がらないことがあろうか?いやない」
「…なんで反語なのかは聞かないでおくよ」
何か言いたげだが、この際気にはしない。
反語を使ってしまいたくなるほど僕のテンションが高いのだ。
「それで、これからどうするんだ?」
「一応旅館を予約してあるからそこに向かうよ」
ふと、ここで正気に帰ってみる。
旅館を予約してあるということは、金銭のやり取りが発生しているということだ。
それだけじゃない。
新幹線のチケットだってバスの料金だって彼女が用意していた。
僕は、一銭も払っていない。
「ねえ、お金ってどうしてるの?」
「ああ、私がもう払ってあるから大丈夫だよ」
「いや、どうやったって気にするよね!
後で幾らかかったか教えて。
きちんと払うから」
「気にしなくていいのにな」
「そうはいかない」
僕だって男だ。
女子にばかりお金を払わせてばかりいたら男が廃る(すた)というものだ。
念のためにお金は、そこそこ持ってきている。
だって、彼女にはどこへ連れまわされるのかわからないのだから。
物語の常に置き換えてみると予約が取れていなくてカップルで一部屋になってしまうなんてことがよくあるが、きちんと一人一部屋だ。
そういう点で、彼女は抜かりがない。
泊まる旅館は、なかなか良いと感じた。
パッと見であるが。
僕らの泊まる部屋は、和室であった。
どこの温泉街にでもあるような畳が敷かれており、椅子の置いてある窓際はフローリングになっており、冷蔵庫などが置かれている。
押し入れの扉を開けると布団がしまわれていた。
タンスの中には温泉街おなじみの浴衣が畳んでおいてあった。
昔ながらで素朴で当たり前の温泉宿の雰囲気に僕は、喜んだ。
部屋は、それなりに広かった。
畳にして十畳。
二人でも余裕が残るくらいだ。
窓の外の景色もいい。
こういう点でも彼女は、抜かりがない。
僕の好みを知りえている。
座布団に座り、テーブルに肘をつき、何をするかを考える。
温泉に入りに行くのもいいな。
まだ、お昼を少し回ったところだ。
大浴場は、そんなに混んではいないだろう。
でもやっぱり…
「ねぇねぇ!温泉に行こうよ!」
勢いよく部屋の扉が開いた。
「それより勉強しようか」
僕は、不敵な笑みで鞄から教科書類を取り出した。
二人とも向き合って、ペンを走らせる。
駄々こねるかと思ったが案外あっさりと聞き入れてくれた。
「確かに私が無理やり連れ出したんだから君のいうことを聞くのも当然だよね。
でも、お風呂に行く時は一緒だよ」と条件付きではあるが、別に男湯と女湯で分かれている以上一緒に行くことに犠牲は伴わない。
ともかく中断されたテスト勉強ができるのは幸いだ。
「君さ、自分の名前についてどう思う?」
唐突な問いであった。
「特に考えたことは無かったけど、あんまり好きではないかな」
「え〜、なんでよ?
普通にいいと思うよ?」
なんでと言われると自分でも疑問に思う。
僕の名前は、二文字であり呼びにくく、友達にもあまり呼ばれないことが一番に挙がってくる理由だろうか。
名字が四文字で呼びやすいというのもあるだろうが。
名前と逆の物の名前だったら気に入っていただろうに。
僕は、その名前を持つ親友を思い浮かべた。
「単純に語呂が悪いからかな」
「ふーん。
もったいない。
私は、君の名前が好きだよ」
そう言うと彼女はノートへと目を向けた。
「そういう自分はどうなんだ?」
今度は僕から話を振ってみる。
「別に嫌いじゃないよ。
ただし、好きでもないけどね」
「有名な小説家と同じ名前というのは羨ましい限りだけどね」
「私と同じ名前の人なんて沢山いるよ。
それほど珍しい名前ではないしね。
それに苗字はともかく名前の方は読み方を変えなければ一緒とは言えないよ」
彼女は、言葉を切った。
どうやら名前は鬼門らしい。
僕は、彼女の名前はとても彼女らしいものだと思うのだけれど。
どれ僕も勉強に戻るとしよう。
得意な科目は日本史だ。
得意というよりは好きなだけかも知れないが。
だから、ついつい日本史ばかりを勉強してしまう。
それでは、時間がいくらあっても意味が無いというものだ。
よく、日本史の中でどの時代が好きかと聞かれることがある。
僕は、迷わず幕末を選択する。
あくまでも好きな時代という話ではだ。
好きに歴史上の人物は直江兼次であるし、生まれたかった時代は、元禄時代のころの江戸で少し裕福な商人の子供として生まれたかった。
どれくらいの時間が経ったのかは分からなかった。
ただ、外の景色は色を変え、辺りは暗くなっていた。
あの後何か会話をしたかと言うと、
「大浴場で大欲情」
「女の子がそんなこと言うもんじゃありません」
「早くお風呂に行こうよ」
「あともう少し」
こんなつまらないことだけだ。
充電器に繋いだままのスマホの電源を入れる。
時計は、18時過ぎを示していた。
「そろそろ風呂でも行くか?」
「その言葉を待っていました!」
僕の言葉を聞くなり彼女は、部屋から飛び出していった。
朝適当に詰め込んだカバンから着替えの下着を取り出す。
やはり、温泉街なのだから浴衣を着るべきだろう。
この際寒さは換算しない。
心なしか踊っている僕の心を押さえつけ、彼女の準備が終わるのを待つ。
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