見えない刃 9
生前の彼が使っていた部屋に入った。
きちんとお母さんには、許可を取ってある。
なんでも彼が生きていたときのままのようだ。
千葉君は、もう慣れているようで足の踏み場がない部屋をするりするりと進んでいき、ベッドにたどり着いていた。
なれたものだ。
私は、この部屋に来たのは二度目だ。
同じようには出来なかった。
どうして、掃除をしないのだろうか。
足元には、教科書の類や本や漫画が溢れていた。
本棚にしまえばいいものをと思ったけれど、それにはもう本をしまうスペースなど存在していなかった。
もう一度くらい訪問して片付けをすれば良かったなと後悔してしまう。
「あいつは、結構単純でこういうパスワードって簡単なものにしているんだよ」
千葉君は、枕元においてあったパソコンのスイッチを既に入れていた。
ようやくのことで私が、私がベッドにたどり着き、千葉くんの隣に座るとパソコンの画面にはパスワード入力の画面が出ていた。
「あいつのパスワードは、最も尊敬している人の名前を数字に無理やり当てはめたものなんだ」
千葉君が、四桁の数字を入力する。
四、八、六、九。
し、や、ろ、く。
シャーロック。
無理があるような気がするが、まあそれも彼らしい。
自作の主人公の名前ですら、自分の名前を無理やり反対にして反対であってるか分からないって言っていたくらいだもの。
ともあれ、これでパソコンは開いた。
「空は、本当にホームズが好きだよね」
「本当に。
小学校の時なんて昼休みは、図書室にこもってホームズのシリーズを読み漁っていた時期もあったよ」
シャーロックホームズ。
霧の街ロンドンに住まう灰色の脳細胞を持った名探偵。
時には、バイオリンの名手。
時には、ボクサー。
靴についた土の種類だけで助手のワトソン君が、どこを通ってきたのかを当ててしまうなんてことも描かれているらしい。
ホームズが、住んでいたと言われるベイカー街221Bには、シャーロックホームズミュージアムなるものがあって、未だに捜査依頼の手紙やモリアーティ教授の目撃情報なんかが、届くらしい。
多くの人に衝撃を与えてきた作品であることは、一目瞭然だ。
彼もその1人であったのだろう。
「そして、驚くことにあいつは、すべてのパスワードを統一しているからこの四、八、六、九であいつの持つアカウントだとかそういう類のものに簡単にログインができるわけだ」
パスワードは、一個ずつ変えた方がいいと言われることが多い。
だけれど、彼は、面倒だったのだろう。
多分彼は、複数のパスワードを作ったら忘れる自信があったのだ。
そんないらない自信ばかりを持たないで欲しい。
呆れを通り越して感嘆してしまう。
千葉君は、そそくさとインターネットを開いて、新人賞のページへ飛ぶ。
そこで求められたのは、ログインパスワード。
なんの躊躇いもなく数字を入れていく。
当然の如く開いた。
マイページ、そこに表示されたのは、全二十話の一つの物語。
タイトルは、「四色」
今の彼が伝えられる全てがそこに詰まっている。
彼が、自分のすべてをそこにつぎ込んだ。
物語は、一行も読んでいないのだが、そんなことを感じ取った。
「ちょっと待ってね」
千葉君は、そう言うとマウスを駆使して何かを始めた。
沈黙が、流れた。
私と千葉君の間には、会話が少なかった。
千葉君が、どのような人なのかだいたい察しはついている。
それでも、何が好きで何が嫌いだとか普段は、何をしているのかとか私は、何も知らない。
人のことを知るためには、話す必要がある。
話し会うことでしか私達は、お互いを知ることが出来ない。
それ以外の知っているは、知っているうちに入らない。
だから、私はまだ千葉君について何も知らない。
私と千葉君は、彼のことについて以外話をなかなかしないからだ。
「ねぇ、千葉君は普段何をやっているの?」
「唐突だね」
パソコンから顔を上げることもなく千葉君は、答えた。
「少し、気になって」
「普段か。
放課後はいつも通り教室に残って勉強してたり、早く帰った時とかは家出ゲームしたり読書したりアニメ見たり。
週末は、たまに出かけたり」
まるで部活を辞めた後の空の生活だ。
本当は、この二人は双子なんじゃないだろうか。
思わず、そんな疑問を持ってしまう。
「まるであいつみたいだって思った?」
思っていたことを当てられ、びくりとしてしまう。
「どうして?」
「なんとなく、勘かな」
千葉君は、こちらに視線を送りながらそう呟いた。
ニヤリと笑いながら。
つい彼と千葉君を重ねてしまう。
「さて、俺の事を話したんだから○○さんの事も教えてくれないかな?」
急に私に話を振られた。
「私は、毎日部活だよ。
最近は、帰らされてばかりだけれど」
「きっと、みんな気を使っているんだよ。
だって、さっきまで、泣くまで○○さんの顔には、生気がなかったもん。
まるで生きた屍の様だったよ」
そう言っていたずらっ子のように笑った。
「えっ、」
私には、衝撃的だった。
そんなにも死んでいたのだろうか。
自分でも全然気が付かなかった。
「きっと、自覚なかったんでしょ。
まるで寝癖だね寝癖。
髪の毛の寝癖。
それが付いていることに自分じゃ気づけない。
他人から言われて初めて分かる。
まあ、現代には、鏡があるからそんな事も少なくなったのだろうけれど」
相変わらず口と手を同時に動かしている。
とても器用な人だ。
そういう点では、彼とは違う。
彼は、とても不器用だった。
不器用すぎるくらいに。
彼と千葉君を足して二で割れば丁度良くなりそうだ。
などと要らぬことを考えていると不意にどこかで機械音が鳴った。
余りにも唐突すぎて飛び上がってしまった。
「な、何の音?」
「多分プリンターの音。
この部屋のどこかにあると思うんだよね。
探してみて」
そう言うと千葉君は、ベッドに寝転がってしまった。
私は、足場のない中を四苦八苦して歩く。
それにしても汚い。
汚すぎる。
本当に大晦日に掃除をしたのだろうか。
半年も立たないでこの有様とは、どういう事だ。
積み上げられていた本を倒してしまったり、何かよく分からない部品のようなものを踏んでしまったりしながらようやく机の下で元気に動いているプリンターを見つけた。
大量に紙を吐き出している。
「何を印刷しているの?」
「あいつの小説。
なんかデータ消しちまうのは、可愛そうだなって思ってさ。
ネットに載せられてた小説を右クリックでコピーしてワードに移して印刷した」
確かに吐き出されてきた髪には、原稿用紙のマス目が印刷されていてその中に文字が刷り込まれていた。
「二部印刷してるから○○さんと俺とで一部ずつ持っていよう。
とりあえず、読み終えて感想を言い合おうじゃないか。
あ、投稿されていた小説のデータは、消去したから安心して」
「ありがとう。
でも、私、読むスピードは、あまり早くないんだけど」
「ゆっくりでいいよ。
だいたい文庫本一冊くらいの量だから。
それでも、なるべく早いほうがいいな。
それじゃあ、一学期の終業式の日までって言うのはどうかな?」
「それでいいよ。
頑張って読んでくる」
こうして私の読書生活が、始まった。
それからというもの私は、登下校のバスの中、休み時間、空き時間があれば一行でも多く読めるように努力した。
彼が、思ったことを知るために。
彼が、伝えたかったことを知るために。
小説の内容は、こうであった。
一人の少年が、母親を亡くしたことにより、父親と一緒に都会の街から田舎に引っ越して、そこで生きることと死ぬことについて知っていくという純文学だった。
その中で主人公が、死と生について考えるのが、四つの景色。
タイトルにある四色。
拙い文章ながらもよく書きまとめられていた。
語られていた四つの景色。
私は、それを見たいと思った。
本当にあるのかどうか分からないけれど。
一つは、夜のあらゆる光が、邪魔な都会の雑踏。
一つは、日本の原風景のような田舎町。
一つは、その田舎で見える満天の星空。
一つは、教室から見える夕焼け。
その全てを私は、見てみたいと思った。
「私はさ、理解力があまりないから多分文章だけじゃ空の伝えたかったことが、理解できていないと思うんだよね」
一学期最後の登校日。
教室に残った千葉君に私は、私の感想を述べていた。
「だから、この景色を見たい。
空の想像の中なのかも知れないけれど」
「いや、多分全部見られるぞ」
帰ってきたのは、意外な反応だった。
「あいつはね、変に現実的だから実際にある景色を描くんだよ」
千葉君は、そう言いながら原稿用紙の束を捲っていく。
「この都会の雑踏は、昔俺達が、住んでた街だろうし、田舎のところは今住んでるところだと思う」
再び原稿用紙を捲っていく。
「それで、この星空は君も見たであろうあの星空。
この夕日の景色は、去年の教室から見えたものだと思う」
案外あっさりと解決した。
「それじゃあ、景色を見に行くかい?」
千葉君の笑みは、とても不敵だった。
都会の街の喧騒は、耳障りだった。
夏休みの初日。
私と千葉君は、私の家の最寄り駅から一時間ほど電車に揺られて到着した都会にいる。
私が、部活が終わるのを待ってもらったために今の時間は、午後二時。
最も気温が高くなる時間だ。
アスファルトが、夏の暑さを吸収してメラメラと陽炎を見せている。
「あっつい」
暑さにうんざりしたような顔で千葉君が呟く。
「そうだね」
私たちの住んでいる街とは、大違いで熱が凄くこもっている。
高層ビルが、多いせいだろうか。
ビル風なんてものもあるけれど、その風は生暖かくて寧ろ暑さを感じさせる。
「ここで描かれているのは、母を亡くした主人公が夜の街を徘徊する場面か。
少し早く来すぎたかな」
「そうだね。
どこか時間を潰そうか」
「折角大きな街に来たんだし、書店巡りでもしようよ!」
目をキラキラと輝かせた千葉君が、そこにいた。
ココ最近よく一緒にいるが、見たことのない笑顔だった。
「あ、いや、今のは何でもない」
すぐに正気に戻ったような顔になった。
私は、思わず笑ってしまった。
「千葉君でもそんな顔をするんだね」
声を上げて笑ってしまった。
「そんなに笑うことはないだろう」
「だって、本当に空みたいな事を言うんだもん。
千葉君のキャラじゃないって」
「俺だって本くらい読むさ。
だって、あいつとずっと一緒だったんだぜ?
そりゃ、本好きにもなるっていう話だ」
「それもそうだね。
それじゃあ、千葉君たってのお願いということで書店巡りに行こうか」
私達は、この街にある書店を巡る旅に出た。
と言ってもこの街には、三つしか書店がないらしくて、しかもその三つすべてが駅から歩いて行ける中にあるそうで大した旅ではなかったのだけれども。
最初に訪れた書店は、駅のロータリーから広がる商店街にあった。
そこは、都会の商店街らしくとても盛況だった。
私の町にあるシャッター通りとは大違いだ。
店内に入るとクーラーの涼しさに救われた気分になった。
隣に立つ千葉君を見ると先程のようなキラキラとした顔をしていた。
けれど、私の視線に気がつくと咳払いをしていつもの顔に戻った。
なんだかそんな景色が懐かしかった。
前にも似たようなことが、あったような気がする。
「それじゃ、とりあえず自由に本を見ようか」
その言葉を残して千葉君は、店の奥へと進んでいった。
私の意思は、無視ですか。
私の知っている本好きは、書店に来ると理性を保てないのか。
彼もそうであった。
本屋に入るなり「それじゃ、自由行動で」とその言葉を残して書店内のどこかへ消えていった。
十分だけと言われて五十分の滞在になったことだってある。
今となっては、懐かしい思い出であるのだが。
どこへ行ったのか分からない千葉君を放っておいて私は、参考書のコーナーへと向かった。
色々と腑抜け他生活を送ってきたが、受験生としての自覚はある。
成績がいう程よろしくないから努力しなければならない。
進路は、まだ決まっていないのだけれども。
彼のように自分の進む道を私は、示せていない。
私は、一体どこに行きたいのだろうか。
どこかに私が進む道を示した参考書は、ないだろうか。
あるなら教えて欲しい。
興味があることが、無い訳では無い。
色々な国の言葉とかは、学んでみたいと思う。
けれど、その興味が将来役に立つのかどうか分からない。
どこに行けば学べるのかも分からない。
調べていないというよりは、調べたくなかった。
私は、まだ大人にはなれないでいたのだ。
結局、どれくらいの時間が経ったのだろうか。
本を読んでいると時間が過ぎていくのが分からない。
興味を持ったのであれば買えばいい話なのだが、ここまで読んでしまうと最後まで読み切ってしまいたくなる。
だから、千葉君が隣に立っていることに全然気がつかなかった。
「そろそろ次の書店に行こう」
自分で移動を申し出る当たりが、彼とは違っていた。
「もういいの?」
その申し出に驚いてつい聞いてしまった。
「えっと、それは意外だっていう反応かな?」
「うん。
君も空と同じ穴の狢だと思っていたから自分で言い出すとは思っていなくて」
「心外だな」
いじけたように呟いた。
「昔、あいつと来た時と何も変わっていなかった。
安心したよ」
そう言うと優しい笑みを浮かべた。
その姿が、なんとなくだけれど彼と重なって見えた。
「それじゃあ、次の書店に行こうか」
私達は、この書店をあとにした。
この書店では、ゆっくりと読書をすることが出来た。
次の書店でもゆっくりとすることが出来た。
この調子で三つ目もと思ったのだが、そうは問屋が卸さなかった。
三件目の書店の店内に入ると店主に、睨まれるように見られた。
個人経営の書店らしくて、万引きにでも警戒しているのだろうと思っていた。
だけれど、店主が注視していたのは違うものだった。
「もしかして、翼ちゃんかい?」
「やぁ、おじさん。
久しぶり」
どうやら、千葉君のお知り合いのようだ。
「いやぁ久しぶりだね。
元気にしていたかい?」
「おじさんこそ元気にしていたかい?」
二人で肩を叩きあっている。
うん。
私は、完全においてけぼりだ。
千葉君と一緒にいるとこれが多いような気がする。
「どうだい?
上に上がってお茶でも飲むかい?」
「別に俺は構わないけれど、お店の方は大丈夫なの?」
「駅前に大きな書店が、出来てからは、そっちに客が流れちまってね。
客なんて来やしないよ」
そんなんでいいのか店主よ。
駅前に出来た大きな書店とは、多分最初に行った書店だろう。
「そっちのお嬢ちゃんもどうだい?」
「えっと、いいんですか?」
「いいよいいよ。
翼ちゃんの彼女さんかい?」
私は、口ごもった。
「違うよおじさん。
そちらの彼女は、空の彼女だ」
「空、のか」
そう言うと店主は、無言になり上に私たちを通した。
二階の部屋は、簡素だと言えば聞こえがいいがとても殺風景だった。
「まあ、そこに座んなよ」
進められるままテーブルの周りに座った。
「麦茶でいいかい?」
「あ、はい」
反射的に答えてしまった。
店主が台所に向かったのを見送って私は、千葉君に小声で尋ねた。
「これは、どういう事かな?」
「どういう事って?」
「いや、だから」
「なぁーに二人で内緒話をしているんだい?」
思ったよりも早く店主が戻ってきた。
「ま、不思議だよな!
こんなしがない書店の店主と自分の友達が知り合いなんだから」
店主は、笑顔で答えた。
「俺はね、こいつと空が小学生の時によく世話してたんだ」
「そうなんですか」
「そうそう!
毎日毎日うちの店に来て、立ち読みしたり漫画を眺めるだけ眺めて帰って行きやがるんだ。
流石に一年もそれが続いたから『冷やかしなら帰ってくれって』言ったんだよ。
そしたらなんて答えたと思う?」
私は、考えた。
千葉君のことはまだ良くわからない。
だけれど、空ならなんて答えるだろうか。
「どれも面白そうだから一概にどれを買うのか決められないとかですか」
「お、嬢ちゃん感がいいね!
そうそう、空のやつはそう言い放ったんだ。
そこからだよ。
こいつらに色々と教えたのは。
面白い小説や分からない言葉とか。
今となっては、懐かしい思い出だけどな」
「まあ、俺はあいつがおじさんと仲良くなって暫くしたら引っ張って連れてこられたんだけどな」
やれやれという感じで首を振っていた。
「震災が起こった後、少ししたら二人揃って引越ししちまうんだって別れの挨拶を言いに来たっけな。
寂しかったけれど、そこで送り出せない俺じゃない。
でも六年ぶりくらいか。
時の流れは、あっという間だな。
こんなにもあの時のちんちくりんを大きくしちまうんだから。
だから、久しぶりに空の名前を聞いたと思ったらあんな事になっちまってよ」
途中まで上機嫌であったのに彼のことを思い出すと顔を伏せた。
「他の誰かだとは、思わなかったんですか?」
あらゆる人が集まる東京で起こった事件だ。
他の誰かと間違えても仕方ないんじゃないだろうかと思う。
「間違えるわけないだろ!
反畑なんて苗字は滅多に見ないしそれに、あいつの顔を見間違えるはずがねぇ」
店主は、心底悲しそうに肩を落としていた。
「今日は、どうしたんだい?」
確かにその疑問が、湧くだろう。
だって、六年近く疎遠だったのだ。
突然現れたこと、そして彼のことがあるんだ。
なにか理由があると思うのも必然だ。
私がどう答えるべきか悩んでいると千葉君が、口を開いた。
「あいつの書いた小説についてこの街を訪れたんだ。
だから、おじさんが元気にやっているのかっていう確認とあんなヤツにも彼女が出来たんだよっていう報告に来たんだ」
「…ありがとな」
それが、私に向けられた言葉なのか千葉君に向けられた言葉なのか私にには分からなかった。
「そろそろ時間だから行くね」
そう言うと千葉君は、立ち上がった。
「時間が無い中わざわざ寄ってくれてありがとな。
なんか久しぶりに元気でたわ」
「それなら良かった。
僕も安心していくことができるよ。
これは、空の書いた小説。
おじさんに渡しておくね」
そう言うとカバンの中から原稿用紙の入った紙を手渡した。
「それじゃ」
「ああ、元気でやれよ」
私たちは、夜の都会へ足を踏み出した。
夜の街には、人が溢れていた。
夜になったのだから少しは、暑さが和らぐかと思ったけれど、そんな事は全然なかった。
行き交う人の多さでプラスマイナスゼロである。
「どうして、私をあの本屋さんに連れていったの」
私は、千葉君に聞いた。
「君に俺とあいつが、どんな所で育ったのかを知ってもらいたくてさ。
俺の方は、完全についでなんだけどさ。
あいつは、あのおじさんに色々と教えて貰っていた。
あいつという人間の人格が、構成されたのはあの書店でなんだ。
あのおじさんがいなければ、あいつは君と出会うことはなかっただろう」
意外であった。
彼は、本を読んで物語を知ってその上であの性格を構成しているのだとばかり思っていた。
千葉君が、断言するのだからよっぽどなのだろう。
「あいつは、小学校の時にいじめられていたんだよ。
その時から色々と考えることが、変だったからどうしてもね。
先生までグルになってイジメていた。
俺だったらきっと不登校になるくらいに。
だけれど、俺は助けの手を差し伸べてやることが出来なかった。
助けたりしたら次にいじめられるのは俺だ。
その自分を守る気持ちの方が、勝っていた。
だから、イジメもしないし助けもしなかった。
それでも、あいつは折れずに学校へ通い続けた。
あの書店で出会った本たちから逃げないことを教えてもらったから。
だから、あいつに手を引かれてあの書店に連れ込まれた時は、どんなに嬉しかったことか」
千葉君は、心底嬉しそうだった。
私も彼がイジメにあっていたことは、聞いていた。
それを彼以外の他者の口から聞いたのは初めてだった。
どうしても、彼だけからの話だと脚色や先入観が、混ざっていると思うから。
不意に千葉君が、立ち止まった。
「多分ここで、主人公は最愛の母を亡くしたことによる喪失感から一つの答えを見つける。
俺は、分かっている。
あいつが伝えたかったことも。
だから、あえて言わないよ。
自分で答えを見つけるんだ」
繁華街、と言うのだろうか。
色んな音が、ごちゃ混ぜに流れていた。
これを騒音と呼ぶのだろう。
千葉君は、人混みをうまく避けながら歩いていく。
何が、答えなのだろうか。
彼は、この中から何を伝えようとしたのか。
主人公の気持ちになってん考える。
光り輝くネオン。
赤い、車のブレーキランプ。
行き交う人々の声。
それは、笑い声だったりため息だったり様々だ。
鳴り響く車の音。
誰もが足早に歩いていく。
隣を通り過ぎてゆく。
そんな景色を私は、悲しいと思った。
「なんだか、悲しいよ」
つい声に出ていた。
「こんなに急いでどうしたいのだろう。
まるでなにかに追いかけられているみたいだ。
何に?
時間だ。
こんなに生き急がなくては、行けないなんて悲しいね」
前をゆく千葉君の手をつかむ。
「日々に追われる人の悲しさと当たり前に明日が来ると思っている人の愚かさ」
千葉君は、立ち止まった。
「うん。
正解だと思うよ」
短くそう言い切った。
ここで、ふとした疑問が思い浮かんだ。
「どうして、そんなに言い切れるの?」
「えっと、それは、この間あいつのパソコンのデータを見ていた時に小説のプロットらしきものを見つけてそこに四つの景色それぞれで伝えたいことが、書いてあったからだよ」
「なら、そのプロットを私に見せてくれても良かったんじゃないの?」
「それじゃ意味が無いと思ったんだ。
この景色たちの答えは、君自身が見つけるべきなんだよ。
そうじゃなければ、君は、前には進めない」
断言されてしまった。
「千葉君が、そう言うならそうなのかも知れない」
不思議とそんな気分になった。
私は、やはりまだ一人じゃまっすぐ歩けないようだ
「本当の答えを聞くことは、できないと思う。
だけれど、俺が知っているあいつの記憶とプロットを頼りにあいつが伝えたかったことを君に伝えられるように努力するよ」
優しい笑みだった。
彼は、本当に幸せ者だな。
暫く会っていなくても死を悲しんでくれる人がいて、こんなにも思ってくれる親友がいて。
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