06:我慢できませんでした
ずっと廊下で抱き合っているわけにもいかなかった私たちは、すぐに隊長さんの私室に移動した。
完全な安全地帯まで来て、ようやく私は肩に入っていた力を抜くことができた。
「ごめんなさい、話の途中だったのに。でも、あれ以上隊長さんを悪く言われたくなくて……」
今さらだけど、まだ話さないといけないことがあったかもしれないのに、勝手な行動をしてしまって申し訳ない。
それでも、あんなの我慢ができるはずなかった。
隊長さんとあの王太子の過去なんて知らない。私は隊長さんの身分すら知らなかった。私が知っている隊長さんなんて、きっとほんの一握りなんだろう。
だからって、隊長さんがあんなふうに言われてもいい人じゃないことくらい、私でもわかる。
「気にするな。いつものことだ」
「いつものこと、って……」
「あいつとは昔から折り合いが悪い。悪態にももう慣れた」
「そ、そんなの慣れないでください!!」
なんでもないことのように話す隊長さんに、私は思わず怒鳴ってしまった。
つらそうな顔をしてくれたほうが、まだ救いがあったかもしれない。
隊長さんはもう、あれを『当たり前』のものとして認識してしまっているんだと、わかってしまったから。
泣いていいのは私じゃないのに、目頭が熱くなった。
「無視もできない関係だ。大人になって聞き流せるようになった。俺は傷ついていない」
隊長さんの大きな手が、私の頬を包み込む。
ぬくもりを分け与えるみたいに。気持ちを、伝えるみたいに。
「大丈夫だ、サクラ」
まっすぐ私を映す、青みがかった灰色の瞳は、本当に少しも揺らいではいないようだった。
慣れてしまうのは悲しいことだけれど、言葉をそのまま受け止めているんじゃなく、ちゃんと流してくれているなら、まだいいのかもしれない。
隊長さんの中に、その言葉が残っていないなら。
「もしかして、顔を合わせたくない人って……」
「……ああ」
私の指摘に、隊長さんは苦々しげな笑みをこぼす。
やっぱり。小隊長さんが言ってたのは、王太子のことだったのか。
顔を合わせるたびにあんな嫌味を言われるんだったら、そりゃあ会いたくなんてなかっただろう。
「情けないところを見せてしまったな」
「どこがですか! 隊長さんは最初から最後まで格好よかったです!」
「そうか」
「そうです!」
力強くうなずくと、ようやく隊長さんは表情を和らげてくれた。
「俺の、立場も……黙っていてすまなかった」
立場……。
あれだよね、王太子の従兄……つまりは、王族だったってことだよね。
貴族だとは聞いていたけど、まさかその上の王族だったなんて思いもよらなかった。
小隊長さんは王太子との確執を知っているみたいだった。ということは隊長さんの身分も当然知っていたんだろう。
というか、たぶん……みんな改めて口にしなかっただけで、知らなかったのはこの砦で私だけだったんだろう。
「それは……たしかに話してほしかったですけど。でも、怒ってはいません。隊長さんにも色々あるだろうし」
他の人はみんな当たり前に知っていて、恋人の私だけ知らなかったっていうのは、たしかにあんまりいい気分じゃない。
でも、私だって元の世界への未練をずっと話すことができなかったわけだし。
恋人だからこそ言いにくいことっていうのもあるだろう。
どうして黙っていたのか、隊長さんの過去を知らない私は、一方的に責める気にはならなかった。
「あいつの言うことにも一理あるんだ。そんなことで幻滅するお前ではないとわかってはいたが、どうしても、話せなかった。……それは俺の弱さで、狡さだ」
ポツリとつぶやき、隊長さんは広げた右手を見下ろす。
今までその手で掴み損ねてきたものを、一つ一つ思い返すかのように。
感情が抜け落ちたような横顔に、私はたまらず手を伸ばす。
パンっと両手で隊長さんの頬を叩くように挟み込むと、隊長さんは衝撃からか目をまたたかせた。
「隊長さんは、すごいです。すごい人です。そんなふうに言わないでください」
正面から灰色の色の瞳を覗き込んで、叱るみたいに言った。
元の世界ではまったく馴染みのなかった瞳の色。私は隊長さんの持つその色が大好きだ。
冷たいようでいてどこかやわらかい、不思議な色。私がつらいとき一番傍で見守り、包み込んでくれた色。愛しい愛しいと火傷しそうなほどの想いを伝えてくれる色。
その瞳が癒えない傷を内包しているなら、私は絆創膏になる言葉をかぶせてあげたい。
「私の好きな人を悪く言ったら、私が怒りますからね!」
……実際には、そんなケンカ腰みたいな言葉しか思いつかないわけだけど。
考えなしに話す癖はどうにかしたいものだね。
そんな私でも隊長さんが受け入れてくれちゃうから、どんどん悪化してる気もする。このまま本当に我慢知らずになってしまったらどうしよう。
「……お前は、まっすぐだな」
隊長さんは私を見下ろしながら、その目を細めた。
どこか、まぶしげに。
「自分の傷からは目をそらすくせに、他人の傷には敏感で、ためらいなく救いの手を差し伸べる」
「私はただ、好きな人には笑顔でいてほしいだけです」
大切な人にはいつもにこにこしていてほしい。つらい思いはしてほしくないし、そのために自分にできることがあるんだったらしてあげたい。
それってすっごく普通の、当たり前のことだと思う。
なのに、隊長さんが言うと得がたい美徳みたいに聞こえるから不思議だ。
「隊長さんが王都に行きたくないなら、私だけでパパッと行ってきちゃいますよ。私だけじゃ何をすればいいかわからないから、誰かについてきてほしいですけど」
王族なら、王都に行ったら何かしら面倒なしがらみがありそうだ。故郷に旅行に行っても挨拶回りで一日が潰れる、みたいな。
隊長さんが一緒に来てくれるのが一番安心できるけど、私のために無理はしてほしくない。
小隊長さんとか、シャルトルさんとか。護衛ついでに誰かしらついてきてくれれば、なんとかなりそうな気がする。
エルミアさんやハニーナちゃんと一緒に行って、王都観光するのも楽しそう!
いやいや、大丈夫ですよ。本来の目的を忘れてなんていませんよ。
「いや……」
隊長さんは言葉少なに否定して、頬を包んでいた私の手をそっと取った。
ごつごつとした大きな手に握り込まれると、私の手の小ささが際立つ。
「お前を守る役目を、他の者に譲るつもりはない」
誓いを吹き込むみたいに、その手の甲に口づけを落とす。
それはまるで、お姫様を守る騎士のようで。
隊長さん……キザだ……。
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