7 -心配する理由-
使用人が戻ってくるのは夕方になるだろうと事前に聞いていた。
それまでサクラはいつもどおり部屋にこもり、俺はいつもどおり仕事をこなしていた。
夕刻、執務室の扉を叩いたのは、隠密部隊の隊員だった。
「やっほー、第五の隊長さん」
「レット。先に戻ってきたのか」
気安く声をかけてきたのは、レット・スピナー。
黒茶の髪に、長めの前髪に隠れた瞳は赤褐色。背が低く童顔で、総合して見ると冴えない印象の青年だ。
けれどとんでもなく優秀なことは、数年も一緒に仕事しているためによく知っている。彼は自身の印象を利用して、人々に紛れ込む。いや、その印象すらも作られたものだ。
隠密部隊とは言っても、実質は軍の連絡役に近い。その中で、レットは本当に情報を武器にしている。
今回彼は、使用人たちと共に避難していた。戦闘能力はあるが、町民と顔見知りなので、使用人との橋渡しを頼んだのだ。
実際のところは、使用人が町民相手に悪さをしないようにとの監視的な意味合いもあったが。
「うん。まああと数十分でみんな砦に着くけどね。先に知らせとこうと思って」
「誰も変わりないか」
「ないない。しいて言うなら、けっこうな期間砦あけてたから、掃除大変だろうなぁって話してたくらい。みんな元気だし、戻りたくないって人もいないよ」
レットの報告に、俺は内心で安堵の息をつく。
魔物の存在に慣れている使用人が多いが、今回初めて避難を経験したという者もいる。
結界に守られているとはいえ、魔物を近くに感じて、砦に戻るのを怖がる者もいるかもしれないという懸念があった。
杞憂ですんだのならそれでいい。新たな働き手を探すのは、この辺鄙な砦では大変なことだ。
「そうか。ご苦労だった」
俺のねぎらいの言葉に、いいえー、とレットは答える。
それから、急にニヤリと嫌な予感のする笑顔に表情を変えた。
「それより第五の隊長さん? おもしろいもの隠してたんだってー?」
知られていないはずはないと、わかってはいた。
何しろ初日にミルトに知られていたのだから、この砦にいた隠密部隊だって知っていておかしくはない。
隠密部隊は連絡役であり、監視役でもある。隊員の素行に常に目を光らせている。それはもちろん、隊長であっても。
レットはミルトとどこか似ている。だからなのか二人はとても仲がいい。
違うのは、レットには悪気も他意もなく、純粋な興味本位なことが多いということ。そして、少年のような外見のせいか、あまり邪険にしにくいということだ。ある意味で余計にたちが悪い。
「……おもしろいものではないが」
「じゅーぶん、おもしろいよ。女の子でしょ? かわいい?」
「捉え方は人によるだろう」
かわいいかかわいくないかで言えば、かわいいだろう。
とは思ったものの、口には出さないでおいた。面倒なことになるとわかっていたから。
「ぼくは隊長さんの好みだったかどうかを聞いてるんだけどなー」
「そういう目では見ていない。彼女は精霊の客人だ」
そうだ、サクラは精霊の客人。いずれは国に保護される存在。
好みだとかどうだとか、考えていい相手ではない。
一緒の部屋で過ごすのだって、もう終わりなのだから。
これからは適度な距離を取って接する必要がある。
「ふーん、相変わらずかったいね。第五の隊長さんらしいけど」
何がおもしろいのか、レットはにやにやと笑っている。
顔の作りはまったく違うのに、その表情はミルトにそっくりだ。
そういうことにしておいてあげる。とでも言いそうな顔に、ため息をつきたくなる。
「じゃあまあ、ぼくはそろそろ寝るー。また王都にも行かなきゃいけないしね。引き継ぎしといたから、いない間に何かあったらそっちによろしく」
「わかった。ゆっくり休め」
レットの本来の仕事は、王都との連絡役だ。
秘密のルートを持っているのか、特殊な魔法を使っているのか、隠密部隊は移動が早いのが特徴だ。
レットはその中でもさらに時間を縮め、王都まで馬を飛ばしても五日かかる距離を、その半分の時間で移動してしまう。
一般には移動に適さない夜でさえ、隠密部隊は速度を落とさないのだという。
これから寝て、今日の夜に砦を出るのなら、明々後日の昼ごろには王都についていることだろう。
生活習慣うんぬんは、今さらなので何も言わなかった。
部屋を辞するまで、レットは嫌な笑みを崩すことはなかった。
使用人たちが帰ってきたことを、挨拶に来た使用人頭によって伝えられる。
手短に精霊の客人の存在を告げ、詳しくはミルトに聞けと言って話を終えた。
仕事が忙しい自分の代わりに、使用人頭とサクラを引き合わせる役をミルトが買ってでた。実のところ、彼も忙しさはどっこいどっこいのはずだが、俺のほうが要領が悪いというだけの話だ。
ミルトに頼んだことは昼休憩のうちにサクラにも伝えておいたから、とどこおりはないはずだ。
今ごろ使用人頭と顔を合わせているんだろうか、と思うと、妙に落ち着かない気分になる。
それからしばらくして、ミルトが報告にやってきた。追加の書類のついでに、ではあったが。
「問題はなさそうですよ。使用人頭も彼女のこと気に入ったみたいでしたし」
にこりと一見害のなさそうな笑みで、ミルトは言った。
使用人頭は真面目な男だ。サクラと反りが合わないこともあるかもしれないと思っていたが、なんとかなったらしい。
「だいたい、彼女の性格なら心配することないんですよ。あの子、かなり変わってますけど社交性はあるんですから」
「たしかにな」
そのことは俺も彼女と接していてわかった。
笑顔を絶やさず、話し上手。だからといって人の話を聞かないというわけでもない。
頻繁に冗談を言うものの、それは悪質なものではなく場を和ませるようなもの。
あの軽いノリにさえついていけるなら、誰とだって仲良くなれるだろう。
「だいたい、隊長と笑って話してられるくらいなんだから、それだけでもすごいと思いません?」
にっこりと、今度は悪意が込められていると見てわかる笑顔を浮かべた。
どうしてこう、俺の周りには人をからかうことを楽しむような奴ばかりなんだ。
「それは俺を貶めているのか?」
「まっさかー。ちょーっと隊長の顔が怖いってだけの話ですよ」
ミルトはすかさず否定する。顔は笑ったままで。
否定しきれていないが、わざわざ突っ込むのも疲れる。
顔が怖いということは自覚があったから、仕方がないということにした。
ついたため息は、思っていたよりも重苦しいものとなった。
サクラが部屋からいなくなり、元の日常が戻ってきてから、三日ほどが過ぎた。
自室に戻っても出迎えてくれる笑顔はない。一緒に夕飯を食べる人もいない。元から大きいベッドをさらに大きく感じた。
寂しい、というのとは違うだろう。そんな感傷的なものではない。断じて。
そもそも部屋にはいなくとも、彼女は同じ砦内にいる。働いている姿を見かけることだってある。
見かけたときのサクラは笑っていたし、特に変わりなく、元気そうに見えた。
ただ、元の生活に戻っただけだ。精霊の客人という、目を離せない存在が砦で働いているとはいえ。
仕事中、食事中、部屋に戻ってきたときや夜寝るとき。ふと彼女のことを思い出してしまうのは、彼女が精霊の客人だから。
ただ、それだけだ。と俺は自分に言い聞かせた。
赤い髪の使用人とすれ違ったとき、俺は反射的に振り向いていた。
たしか、サクラとよく一緒にいる女性だ。
ミルトからも報告を受けている。名は……。
「ガネット」
「はい? 何かご用でしょうか」
彼女はすぐに振り返って、問いかけてきた。
不思議そうな顔をしているのも当然だ。兄とは話したこともあるが、彼女に話しかけたのはこれが初めてなのだから。
思わず声をかけてしまったために、何を言ったらいいのかわからなかった。
なんでもない、と話を終わらせてしまおうか。
そんなふうにも考えたが、滑らかとはほど遠いものの、気づけば言葉を発していた。
「……その、サクラはどうだ」
どうしても、サクラのことが気になってしまう。
それは彼女が精霊の客人だから。そのはずで。
だからこうして周りの人間に尋ねるのも、この砦の最高責任者として、おかしくないことのはずだ。
「どう、とは?」
「仕事だとか、それ以外でも。うまくやれているか?」
言葉を足すと、ガネットは怪訝そうな表情をゆるめた。
「どんどん仕事を覚えていっていますよ。多少の失敗はありますが、最初は誰だってそんなものです」
サクラのことを思い出しているのか、ガネットは笑みをこぼした。
仕事を始めたばかりとしては、悪くはない評価だろう。
同室の人間ともうまく打ち解けられているらしい。
「あの子、がんばり屋ですから。周りにもかわいがられています」
年上に囲まれながらも、物怖じしない無邪気さでもって、周囲に溶け込むサクラが目に浮かぶ。
ミルトの言うとおり、心配することはなかったようだ。
すべてに同意するのは癪だけれど、たしかに、人に怖がられやすい俺にすら気安く接してきた彼女だ。人付き合いが得意なことはわかっていた。
何も、俺が気をもむようなことはなかったのだ。
「そうか、呼び止めてすまない」
「心配なさらなくても大丈夫ですよ。意外と過保護なんですね」
「……そういうわけでは」
くすり、とガネットは笑った。
俺としては過保護なつもりはなかったが、どうにも決まりが悪い。
自分でも不思議だった。
心配するようなことはないはずなのに、どうしてこれほどに心配してしまうのか。
「では、これで失礼します」
そう言い残してガネットは去っていく。
俺もまだ仕事がある。執務室に戻るために足を進める。
ここ数日、見かけるだけの少女。
何度も何度も思い出してしまうのは、彼女のことが心配だから。
では、心配してしまう理由は?
サクラが精霊の客人だからだ、と俺は心の中で答える。
それだけでは説明がつかない気もしたが、深くは考えないようにした。
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