2 -守るべき存在-

 それから、休憩中にサクラの様子を見に行き、精霊の客人についての説明をした。

 元の世界には帰れない、という事実を、彼女は静かに受け止めた。

 無理をしているのだろうと、すぐにわかった。

 当然だ。今まで生きてきた世界を、今まで得てきたすべてを、他者の都合で捨てさせられた。そんな理不尽を簡単に飲み込めるわけがない。

 なのにサクラは、泣きもしなかった。それどころか笑ってみせた。

 心配する俺に向けて、大丈夫だとでも言うように。


「隊長さんは優しい人ですね~」


 思いもよらないことを言われて、俺は動揺した。

 心配してもらえてうれしい、とその表情は語っていた。

 別に、心配くらい誰でもするだろう。

 サクラはまだ若い。一人でできないことだっていくらでもあるはずだ。

 突然異世界に来てしまって、戸惑わないわけがない。

 頼りない身体、華奢な肩、あけっぴろげで無防備な性格。

 本当にこの世界でやっていけるのだろうかと、誰だって言いたくなるだろう。


 弱き者は、守らなくてはならない。

 軍人として、特権階級にある者として。

 特に精霊の客人は、国からも保護される存在だ。

 この砦の最高責任者として、俺には彼女を守る義務がある。




 夜、あとは寝るだけとなったとき。

 想定外のことでサクラと諍うことになった。


「ベッドはお前が使え。俺はソファーで寝る」

「そんな、部屋主差し置いてベッド使うなんてできませんよ! 私そんな恩知らずじゃありません!」

「俺がいいと言っているんだ。遠慮する必要はない」

「遠慮します、させてください! 断固拒否します!」


 互いの主張は真っ向から食い違った。

 俺としては当然と思っていたことを否定されたのだから、対応に困った。

 サクラはサクラで、譲れないものがあるらしい。

 昨日の夜でさえ、抵抗らしい抵抗をしなかったというのに。

 意外と頑固な面もあることを知った。


「もういっそのこと、一緒に寝ます? 昨日みたいに」


 平行線をたどっていた口論に、一石を投じたのはサクラだった。

 言いようには眉をひそめたものの、最終的にはその提案を受け入れることになった。

 昨日おそわれたベッドで、おそった男とよく寝れるものだ、とサクラの無頓着さには呆れたが。

 広いベッドだ、人一人分くらいの距離をあけても窮屈には感じない。自分にその気がないのだから、間違いなど起こるはずがない。

 その考えを、サクラの一言がぶち壊した。


「ええと……しないんですか?」


 反射的に怒鳴ろうとして、思いきり息を吸ったらむせてしまった。

 息苦しさに、咳き込みながら身体を丸める。

 この苦しさは間違いなくサクラのせいだ。


「……何を言っている」


 息が整ってから、俺は静かにそう言った。

 ずいぶんと迫力のある声になってしまったように思う。

 サクラは今のところ、特に俺を怖がる様子がないために、つい配慮を忘れてしまう。


「や、だって初対面でいただかれちゃいましたし。そういうことなのかなぁなんて」

「お前の意志ではなかったんだろう」


 言ってから、後ろめたさをごまかすようにため息をついた。

 あれは無理やりだった。陵辱と言っても間違いではないだろう。いくら、サクラがほとんど抵抗をしなかったとはいえ。

 俺はサクラを手篭めにするために、この部屋から出るなと言ったわけではない。

 そう思われていたのなら心外だ。


「まあそうなんですけど。すごく気持ちよかったので別にいいかなーって思ったりしなかったり」


 軽い、軽すぎる。

 そんなことでいいんだろうか。

 この調子では馬鹿な男を助長させるだけだ。危機管理がまったくなっていない。

 よくこれまで無事でいられたな、と不思議に思ってしまったほどだ。

 それだけ彼女のいた世界は平和だったのかもしれない。


「あ、隊長さんの好みじゃないって言うならしょうがないですね、すみません」

「そうじゃないが……」


 見当違いなことで謝るサクラに、反応に困ってしまった。

 好みで言えば、外見は特に問題はない。そもそも女を外見で選んだことはなかった。

 内面は、たしかに好みとはかけ離れているだろう。だからといって嫌いというわけではない。

 そういうことではなく。

 国に保護されるものである精霊の客人であるサクラは、俺にとってすでに守るべき存在になっているのだ。

 好みか好みじゃないかなんて関係ない。

 責任を取るつもりもないのに手を出すことなど許されない。


「もう少し、自分を大切にしろ。俺に言えた義理ではないだろうが」


 手を伸ばして、サクラの頭をぽんぽんと軽く叩く。

 夜の闇に溶け込むような黒い髪は、やわらかくてさわり心地がよかった。

 つかめてしまいそうなほど小さな頭だ。

 昨日見た、細い肢体を思い出す。一つ一つのパーツが小さな身体は頼りなく目に映る。きっと成人もしていない。

 無自覚で無防備すぎて、簡単に損なわれてしまいそうなか弱い少女。

 根が朗らかでも限度はある。一度折れてしまえば、その分落差は激しいだろう。

 笑顔を絶やさない彼女の、悲しみに染まった顔を見たくはない。

 そのためには自衛をしてもらわなければならない。


「……隊長さん、いい人ですね」


 つぶやくような、思わずこぼれたというような、ささやかな声だった。

 俺に聞かせるためではなく、ただ自分の中で確認しているだけといったふうに聞こえた。

 何を言っているのか、と俺は呆れたくなった。

 優しい人と言ったり、いい人と言ったり。

 サクラは俺を買いかぶりすぎている。

 その“いい人”におそわれたのは、どこの誰だ。


「本当にいい人なら初対面の女を抱いたりはしない」


 俺は苦々しい口調でそう告げた。

 なぜか、サクラは小さく笑い声をあげた。

 どこに笑う要素があったのかはわからない。

 けれど、彼女が昨日の夜のことをまったく気にしていないということは、嫌でも伝わってきた。

 それはそれで複雑なものがある。女としてそれでいいのか、と。


「そこは、ほら、人間誰だってちょっとばかしハメを外しちゃうことはありますよ」


 ちょっとばかし、で女をおそっていては、この世は犯罪者だらけになってしまう。

 サクラの認識の軽さに、頭痛がしてきそうだ。

 同意もなく無理やりに犯されたんだぞ。

 俺を罪人として突き出す権利も、慰謝料を請求する権利もあるんだぞ。

 たぶん、そんなことは考えもしないんだろうが。


「お前は、変わっているな」

「あ~、わりと言われ慣れてます、それ」


 だろうな、と思った。

 サクラが変わっているのは、異世界人だから、というわけではないらしい。

 こことは違う世界で、サクラがどう過ごしていたのかは想像することもできない。

 だが、きっとあまり今と変わりはないんだろう。


「もう抱かない。だから安心して寝ろ」


 はっきりと、断言した。

 どこまでも朗らかで、ひどく無防備で、危なっかしい少女。

 俺がサクラにできるのは、安全で、安心できる居場所を提供することだけだ。

 それが義務であり、俺なりの償いでもある。

 だから。


「ありゃりゃ、残念です……」



 その言葉は、聞かなかったことにした。

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