41:全部、伝えました

「よう、隊長の愛人ちゃん」


 夜、隊長さんの部屋に向かっていた私に声をかけてきたのは、灰茶の短髪に深緑色の瞳の、隊長さんと同じくらい体格のいい男の人だった。

 見覚えのある顔なんだけど、名前は聞いたことがない気がする。

 少なくとも隊長さんの直属部隊の隊員さんではなかったはず。


「……なんのご用でしょうか?」

「ハッ、認めやがった」


 私が答えると、その人は鼻で笑った。

 ああそっか、ここは否定するべきとこだったのか。

 小隊長さんがいつもそう呼ぶものだから、もう呼ばれ慣れちゃってたよ。

 やっぱりあの愛称はどうにかしてもらわないといけないね。


「用がないのでしたら失礼します」


 私はぺこりと頭を下げて、その場を去ろうとした。

 男の人の様子からして、あまり楽しい用事じゃないだろう。

 避けられるなら避けるべきだ。

 と思ったんだけれど、そううまくはいかないらしい。


「待てよ」


 去るよりも先に、男の人に手首をつかまれる。

 遠慮なくつかまれているせいで、けっこう痛い。

 しょうがなく、私は振り返る。

 なんだろうこの人。因縁でもつけるつもりなのかな。

 今までこんなふうに隊員さんに絡まれたことってなかったんだけど。

 隊長さんの愛人っていう噂が、私のことを守ってくれていたんだと思う。

 じゃあこの人はなんなのかっていうと……何事にも例外はつきもの、ってこと?


「なあ、俺にもいい思いさしてくれよ」

「……放してください」


 その言葉は無視することにして、私は自分の希望を告げた。

 どうひかえめに解釈しても、男の人の言葉には性的なニュアンスが含まれていた。

 知ってました? 言葉だけでもセクハラになるんですよ。

 もちろん私は応じるつもりなんてないし、性的なことどころかこうして話しているのすら嫌になってきている。

 放してくれたなら超特急で隊長さんの部屋に逃げ込むんだけどな。

 とはいえ、礼儀のなっていない男にそれを期待するほうが間違っているかもしれない。


「いいだろー? 咥えんのに隊長のもんも俺のもんも大して違いはねぇよ」


 ニヤニヤと下品な笑みを浮かべながら、男は言う。

 咥えるって、上と下とどっちの口にだろう、なんて考えちゃう自分も下品なんだろうか。下品なんだろうね。

 とにかく今は、この危機的状況をなんとかしないと。

 どう考えても力勝負で勝てるわけがない。

 今でも手首がぎりぎりと痛いのにね。これでもたぶん本気じゃないだろうしね。

 説得しても、聞いてくれそうにないしなぁ。

 誰かが通りがかってくれれば一番いいんだけど、と視線を巡らせてみると……。


「それは俺への侮辱と取るぞ」

「た、隊長……!」


 鶴の一声ならぬ隊長さんの一声。

 男の背後から近づいてきた隊長さんに、男はあわてて振り返った。

 隊長さんはこの上なく厳しい顔をしていらっしゃる。

 私に向けられているわけじゃないってわかっているから、別に怖くはないけど。


「これに手を出すな」


 か、か、か、かぁっこいい……!

 男前だよ隊長さん! しびれるよ隊長さん!

 それって、俺の女に手を出すな! ってことだよね? そうだよね?

 まさかリアルでこんな台詞を聞くことになるなんて思わなかった。

 すごいね隊長さん、素でヒーロー役が務まるよ。


「ちっ……」


 男は悔しそうに舌打ちをしてから、私から手を放してどこかに行ってしまった。

 捨て台詞を言ってくれたら、それこそ雑魚キャラチックだったんだけど。

 現実にそこまで求めちゃいけないか。



  * * * *



 場所を移して、隊長さんの部屋。

 隊長さんはいまだに険しい顔をしたままだ。

 今回は私は何もしていないし、私に怒っているわけじゃないと思いたい。


「怖くはなかったか?」


 隊長さんは私の手首をそっとなでながら、聞いてきた。

 強い力でつかまれていた手首は、うっすらと赤くなってしまっている。

 あざにまではならないと思うけど、まだ少し痛い。


「怖いよりも、むかつきました」

「お前らしいな」


 正直に答えると、隊長さんは苦笑した。

 そんな表情も好きだなって思った。


「私、咥えるなら隊長さんのものがいいです」


 言わないほうがよかったのかもしれないけど、気づいたらそんなことを口走っていた。

 隊長さんのものなら上の口でも下の口でもオッケーです。

 喜んでもらえるならいくらでもご奉仕しますよ。

 そういうことをしてもいいって思えるのは、隊長さん限定だ。


「……言葉を選べ」


 笑みから一転、隊長さんは顔をしかめる。

 まあ隊長さんならこう言われても喜ばないだろうなぁとはわかってた。

 でも、今の私の素直な気持ちだった。


「他の人じゃ嫌なんです。私がさわってほしいのは、隊長さんだけです」


 私ははっきりと言葉にした。

 青みがかった灰色の瞳を覗き込む。

 そこに映る感情を、すべて取りこぼさないように。


「私がさわってほしいのも、さわりたいのも、キスしたいのも、抱いてほしいのも。全部、隊長さんだけなんです」

「……身体だけか?」


 どこか不安そうに、そう尋ねられる。

 私は手首に添えられていた隊長さんの手を、両手でぎゅっと握った。


「違いますよ! 好きって言いたいし、言ってほしいし。毎日ちょっとしたことを話して笑ったりだとか、おいしいものを一緒に食べたりだとか。そういうことも隊長さんとしたいです」


 たしかに気持ちいいことは好きだけど、それだけでいいわけじゃない。

 いろんな言葉を言いたいし、言ってもらいたい。いろんな気持ちを共有したい。

 恋人ができるっていうことは、自分の日常の一部に相手が入り込んでくることなんだと思う。

 私は隊長さんに日常の一部になってほしい。そして、隊長さんの日常の一部になりたい。

 そんなふうに思うくらい、私は隊長さんのことが好きだった。


「私の“好き”は、そういう意味です。隊長さんの気持ちとは違うんですか?」


 挑むような心地で私は告げた。

 これで『違う』って言われたら、振り出しに戻るかもしれない。

 それでも、確認しなくちゃいけないと思った。


「……いや」


 隊長さんは言葉少なに否定する。

 瞳の奥に、温度を持った感情が揺らいでいる。

 ほら、瞳を見ればすぐにわかる。

 隊長さんは私のことが好きだ。

 愛しい。欲しい。そう、熱いまなざしが告げている。


「本当に、いいんだな?」


 手首に触れていた手とは逆の手が、私の頬に伸ばされる。

 産毛をなぞるような優しい触れ方に、私は微笑んだ。


「抱いてくれますか?」


 私の問いかけに、隊長さんは細く長く、ため息を吐く。

 それはあきらめるようなものではなく、何かを覚悟したかのような。


「もう、黙れ」


 隊長さんはそう言って、唇に触れるだけのキスを落とす。

 そして、そうするのが自然なことのように、私を抱き上げてベッドに連れて行ってくれた。

 のしかかってくる大きな身体に、ドキドキと期待に胸が高鳴る。

 灰色の瞳が熱を宿していて、私を溶かしつくそうとしているみたいだった。

 唇が身体中に降ってくる。くすぐったさと、ほのかな快感。

 肌に触れる角ばった手は優しくて、もっともっと、私の全部に触れてもらいたいって思った。


「好きです、隊長さん」


 黙れって言われていたけど、これだけはちゃんと伝えたかった。

 隊長さんの首にぎゅっとしがみついて、熱くなり始めた身体を押し当てる。

 鼓動の速さで、私の気持ちは伝わるはずだ。


「……俺もだ」


 耳元で、隊長さんはささやく。

 知ってます、とはさすがに言わなかった。

 口をふさがれたから言えなくなった、というほうが正しいかもしれない。


 黙れって言われても、それからはもう、勝手に声が出ちゃってどうしようもなかった。

 でも、それは抑えなくてもいいらしい。もっと聞きたいって言われたから。

 あの最初の夜とは全然違って、隊長さんはどこまでも優しかった。

 優しかったけど、手加減はしてくれなかった。

 ぐでんぐでんのでろんでろんに甘やかされて、あちこちが熱くて仕方なくて、気持ちよすぎておかしくなっちゃいそうで。



 なんだか、気持ちいいだけじゃなくて……とても、しあわせだなって、そう思った。

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