36:抱いてくださいと頼んでみました

 起きたらすでに夜になっていました。

 幸いというかなんというか、媚薬効果は一時的に切れているみたい。

 またいつあの状態になるかわからないのは怖いけどね。


 体調不良だから、ということで特別に、私の分の夕ご飯もここに運んでもらっていた。

 そう手配してくれたのはもちろん隊長さん。ちゃんと仕事を休むって連絡もしてくれたらしい。

 あの体調不良の原因はなんだったのか、私はご飯を食べながら隊長さんに説明した。

 夢の中に精霊が出てきたところから、オフィに聞いたことを全部。

 つまり、私の中にいる精霊が淫乱なのも、解決するためにはエッチしなきゃいけないことも。

 隊長さんは話を聞きながら、だんだんと怖い顔になっていった。

 私の中の精霊に対して怒っているのかもしれない。


「ということで、抱いてください」


 全部話し終わって、ついでにご飯も食べ終わってから、私は隊長さんにそう言った。

 そうなるだろうなぁとは思っていたけど、隊長さんはさらに顔を険しくさせた。


「何が、ということで、だ。そんなもの聞けるわけがないだろう」


 だよねぇ、隊長さんは真面目だもの。

 でも私にも、引くに引けない事情がある。


「だって、ご機嫌取りしないとやばい気がするんです。いつストライキされるかわかったもんじゃないですよ。そしたら言葉通じなくなっちゃうし、他にも何か困ったことが起きるかもしれないし」


 精霊は気まぐれだって、隊長さんは言っていた。

 精霊は何よりも自由なんだって、オフィも言っていた。

 異世界から人を連れて来ちゃったり、気まぐれに姿を現したり加護を与えたり。

 それならきっと、手を引くときだってあっというまだ。

 私には、この世界で一から言葉を覚えられる自信はない。

 脳っていうのは年とともに衰えていくものなんだよ。私はもうお肌の曲がり角の二十歳なんだよ。

 そりゃあ、時間をかければなんとかなるとは思うけど。

 今、こうして言葉が通じて、交流できる喜びを、失いたくはない。


「それは……可能性がないとは言えないが」

「だから抱いてください! そうすればお互いスッキリです!」


 テーブルに身を乗り出して、私は言った。

 隊長さんだって私に触れたくなるって言っていたんだから、考えようによっては一挙両得じゃないかな。

 向かい側に座る隊長さんは、はぁ、と重いため息を吐いた。


「はいそうですか、と言うとでも?」


 う、と私は声をつまらせる。

 言わないよねぇ、やっぱり。それでこそ隊長さんだよねぇ。

 困った、打つ手なしだ。

 隊長さんは、このままだとまた半径一メートルのバリアを張るんだろう。

 距離を置かれて、遠ざけられて。

 私があきらめるまで、それを続けるつもりなんだ。


「隊長さ~ん……。どうしてそんなに頭がかたいんですか」

「なんと言われようが、了承するつもりはない」


 きっぱりと隊長さんはそう言い捨てた。

 どうあっても、私を抱いてくれるつもりはないらしい。


「……こうなったら最終手段です。小隊長さんのところ行ってきます」


 そう言い残して、私は隊長さんの部屋から出て行こうとした。

 おあつらえ向きに今は夜だもんね。ちょうどいいよね。

 小隊長さんはハニーナちゃんのことが好きみたいだけど、あの人の性格からして、隊長さんとは違って据え膳はいただく派だろう。


「待て。何をしに行くつもりだ」


 扉にたどり着く前に、隊長さんに手首をつかまれて引き止められる。

 私の手首を握る隊長さんの手の力は思ったよりも強くて、絶対に振り払えそうにない。


「もちろん抱いてもらいに」

「却下だ」

「隊長さんにそんな権限はありません!」


 反射的に私は声を荒らげた。

 勝手なことを言う隊長さんに、怒っているのは本当。

 でも、すぐに止めてくれたことに、ほっとしてしまう自分がいるのも事実だった。

 そんなこと言われたら、嫌でも期待しちゃうじゃないか。


「……頼む」


 私を止める権利が自分にないことは、隊長さんが一番わかっているんだろう。

 隊長さんは、どこかすがるように私を見つめている。

 離さない、と言わんばかりに、隊長さんの手に力がこもる。


「ずるいです隊長さん。あれもダメこれもダメじゃ、私もどうすればいいのかわかりません」


 困りきってしまった私は、隊長さんを見上げてそう告げた。

 私だって、抱いてもらうなら隊長さんがいいって思っている。

 ……違う。本当は、隊長さんじゃないと嫌だ。

 好きになる前なら、たぶん、他の人でも大丈夫だった。

 でも今は、隊長さん以外となんて考えられない。


 だからって、このまま何もしないでいるなんて、怖くて仕方がない。

 私に貴族であることの苦しみがわからないのと同じように、隊長さんには私の気持ちがわからないんだろう。

 たった一人で異世界トリップしてきちゃった私には、拾ってくれた隊長さんと、私の中にいる精霊さんくらいしか味方がいない。

 その少ない味方に嫌われちゃったら? 力を貸したくないってそっぽを向かれちゃったら?

 どうやってこの世界で生きていけばいいっていうのさ。


「私の身体、そんなに嫌ですか? 二度と抱きたくないくらい」

「そんなわけがない。……わかっていて聞いているだろう」


 ぎろり、と隊長さんに睨まれる。

 そりゃあわかっていますとも。

 他でもない隊長さん自身が言っていたんだからね、触れたくなるって。


「じゃあ、いいじゃないですか。据え膳食わぬは男の恥、ですよ」


 女のほうから「抱いてください」なんて、据え膳も据え膳だと思うんだけど。

 ああでも、隊長さんけっこうモテるみたいだから、そんなにめずらしいことでもないのかな。

 一番最初の夜の誤解だって、前にもそういうことがあったからなんだろうし。

 そう考えると、私なんかじゃお粗末?


「お前が……」


 隊長さんの灰色の瞳が、切なげに細められる。


「お前の心が、俺にないのなら。身体だけつながってもむなしいだけなんだ」


 その声はとても切実な響きがあった。

 私のほうがいけないことをしているんじゃないかって気になってくる。

 隊長さんは、私みたいに「まずは身体からでも」なんて考え方はできないんだね。

 真面目で誠実な隊長さんらしいや。


「私の好きだって気持ちを信じないのは、隊長さんです」


 いまだ手首をつかんだままの隊長さんの手に、私はもう片方の手を添える。

 指先から、この想いが伝わればいいのに。

 私は隊長さんが好きなんだよって。

 すごくすごく、誰よりも好きなんだって。

 隊長さんが疑う気もなくなるくらいに、全部伝わっちゃえばいいのに。


「お前の態度が信じさせてくれないからだろう」

「どうすれば信じてくれるんですか?」


 私は隊長さんを見上げたまま聞いてみる。

 教えてくれたら、どんなことだったとしても言われたとおりにしようと思った。

 どうやって想いを示せばいいのか、私にはわからない。

 何度言っても、隊長さんは信じてくれない。

 言い方が悪いのか、他に理由があるのか。

 態度、と言われたって私にはなんのことだか理解できない。

 これ以上ないくらいにわかりやすく、好きだって伝えているつもりなのに。


「……あまり、困らせるな」


 隊長さんは視線をそらして、そうつぶやく。

 何それ。困っているのは私のほうだ。

 隊長さんが好きで、ちゃんと言葉にしているのに、本人には信じてもらえない。

 そんな微妙なときに、自分の中にいる精霊は勝手なことをするし。

 まさに、泣きっ面に蜂状態。



 もう、どうしたらいいのかわからないよ。

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