「彼女の居ない世界」2

その日の深夜、家に帰って倒れ込むように眠ると夢を見た。

懐かしい声が聞こえてくる――。




『せっかく生きてるんだから、誰かを本気で好きになったら?』



なったよ。本気で好きになって大切に想うようになった。



『大切な人が作る思い出には、いつでもそこに自分が居たいじゃない?』



うん、今では分かるよ。花と一緒に思い出をもっと作りたかった。



『あたしは幸せにはなれない。いつか別れて君は他の誰かを好きになる。その時あたしは、君の記憶から消されてしまうの』



花――

おまえは分かってるようで何も分かってない。花を失ってから、忘れようと色んな女と出逢ったけど、俺の記憶から花が死ぬ事は無い。



まだ、生きてるんだ。



『駄目よ、そんなの!だってあたしなら―― 君に幸せになってほしい』




花――。




「花!」



自分の叫び声で目が覚める。見慣れた天井を暫く見つめ、大きくため息を吐いた。

起き上がってみて、酷い汗を掻いている事に気付く。



まただ、また彼女の夢を見た。毎日のように同じような夢を見ている。



「くそ!」



ぐしゃぐしゃっと髪を掻き乱し、そのまま洗面台に向かった。

嫌気がさす。彼女を毎日思い出してしまう事と、全く泣けない自分に。

水をかけて顔を上げると、鏡の中には生気をなくした自分が居る。そして鏡越しに風呂場が見えた。



つい思い出してしまった。水に滴り笑う彼女の顔と声を。それでその後、此処で髪を乾かして、何でも言う事聞けって言ってきた。



彼女に手を出せない頃からよく此処で一緒に夜を明かした。だから洗面台には、コンビニで買った歯ブラシセットが無造作に置いてあって、顔を洗う時に使っていたヘアーバンドや小さな化粧水まで置いてある。そういえば、邪魔になったら捨てて良いよと言っていた。今では、彼女の置いていった物は全て思い出に繋がる材料となっている。そう思うと捨てるべきだなと決意した。



だが、いくら物を捨てた所で、この家には思い出が溢れる程にある。

もう何ひとつ思い出したくないのに、それらに囲まれて生活していくのは辛すぎる。此処を出なければならないと思った。何処でもいい、彼女の事を思い出さなければ、何処だって構わない。






                    ***




数週間後、引っ越し先が決まり荷造りをしていた。

そんなに物はないと思っていたが、全部出していくと意外と結構あるなと苦戦した。



「あー、なんだかんだ面倒だな。まあ、でかい物は引っ越し屋に――。」



そう独り言を呟きながらテレビを動かしたその時、そこから一通の手紙が出て来た。忘れようとしていた記憶が蘇り、ズキンと胸が痛む。



あの日、彼女が死んだと聞かされた日に放り投げた物。彼女が俺に書いたと言う、最後の手紙。“この世にもう居ない”という現実が受け入れられなくて、すっかり忘れていた。導かれるように自然と手にし、二つ折りにされた便箋をゆっくり開く。



一見しただけでぷっと吹き出して笑ってしまった。“君へ”という文字が最初に綴られていたからだ。手紙でも名前を呼ばないとは、頑固な彼女の性格を思い出してしまう。だがその後に続く文に釘付けになった。“この世に居ない”と人から聞いただけで、彼女の言葉を聞いていなかったからだ。



この手紙からは、我が儘で自分勝手で、それでいて温かくて優しい彼女が感じ取れる。まるで目の前に彼女が居るような感覚に陥った。






                君へ     




この手紙を読んでいるってことは、リンから全部聞いたんだよね?

まず初めに、ごめんなさい。あたしは君に酷い事をした。

だって死ぬと分かっていたのに、君と付き合った。最低だよね?


初めて出逢った時のことを覚えてる?

道に迷ったあたしに君は“出口まで案内してやる”って言ったよね。

今思えば、暗くて這い上がれない闇から君が救ってくれたんだなと思う。


先生に余命宣告をされる前から、もう駄目だと思ってた。

どうせ死ぬなら、最後に生きてるって実感出来る事がしたかった。

いつもとは違う生活と自分を求めた。


そして神様に、今まで病気と闘ってきたご褒美に、人生最後のプレゼントをくださいってお願いしたの。


そしたらね、君に出逢えた。


だけど君とはいつも言い争ってばかりいたよね。

それでもあたしは毎日とても楽しくて、なんだかワクワクしたの。


君と喧嘩したり、笑い合ったり、キスして抱き合って恋人同志になった。

お婆ちゃんがくれた家にいつか一緒に住もうって言ってくれた時、本当は凄く嬉しかったの。だってあたしには、夢のような事だもん。


最近、そのことばかり一人で考えてる。


もしも一緒に住んだら、毎日言い争ってそうだよね?

例えばあたしが作った料理に君が文句を言って喧嘩になったりとか、浮気してるんじゃないかって君の携帯電話をチェックしてまた喧嘩になるとか。


あ、今考えただけでうんざりしたでしょ?


だけどあたしは、そんな当たり前の日常を送りたかった。

君とまた喧嘩したい。


でもあたしには大切な思い出がある。君といつもより長く一緒に過ごした二日間、あれはあたしの中でとても色濃くて、それでいて愛を感じることが出来た二日間だった。


あたしね、夏が大好きなの。だから今年の夏は、花火にプールにお祭に海、全部君と一緒に過ごせて本当に嬉しかった。君と過ごせた夏が、人生で一番幸せだった。


勿論、圭太君も交えて3人で遊んだ日々もとても楽しかったよ。

圭太君もあたしの事、心配してるはずだよね?そう考えると凄く申し訳ない気持ちになる。だけど君の傍に圭太君が居てくれて本当に良かった。

圭太君は誰にも真似できないほど優しくて、それでいて君の事を誰よりも理解してる。そんな友達そうそう出来ないよ?


3人で遊んでる時に良く思った、あたしが居なくなっても圭太君がきっと君の支えになってくれるって。2人には、このままずっと仲良く一緒に居てほしい。

そこに交じることはもう出来ないけど、この夏に一緒に過ごせただけで、それだけであたしはもう満足だよ。



1人で勝手に満足すんなって怒る君が想像出来るな。

それはそうだよね。病気のこと黙ってて本当にごめんね。

望んでいたのは、限界まで君と一緒に居ることだった。


だけど君との夢みたいな二日間を過ごせた後、あたしの運はとうとう尽きちゃったみたい。あの日の夜、救急車を呼ぶ事になった。それでもう、二度と外へは出られなくなっちゃった。


お祭で取ってくれた君似のぬいぐるみ、覚えてる?

あれね、病室でいつも一緒なの。君だと思って毎日抱きながら眠ってるよ。


君には謝る事が沢山あるけど、1番謝りたいのは、黙ってこの世を去ること。

あたし、自分が弱っていく姿を君に見られるのが耐えられない。君だけではなく、本当は誰にも見られず静かに死にたい。


ほら、犬や猫も死に際を見せたくないからって、死ぬ前に姿を消すでしょ?あれと一緒だと思って。


もしも最後まで一緒に居られたとしても、君に看取ってもらうなんて考えるだけで辛くなる。だって、きっと君は酷く悲しむでしょ?そんなの見ちゃったら辛すぎて、大きな後悔を抱えたまま死ぬ事になりそう。

だったら、お互い最後の思い出が綺麗なまま別れよう?


教会でした約束覚えてる?


お願いその5、君はあたしが居なくなっても夢を持って。

君はこれからも生きていけるんだから。両親だって生きてるし、圭太君のように君のことを真剣に考えてくれる人も傍に居る。


支えてくれる人が沢山居るでしょ?


あたしが居なくなっても、その人達や新しく出逢う人達と、毎日を大切に生きて欲しい。夢と希望を持って未来に向かって欲しい。


本当は傍でそれを見ていたかったけど、こうなったら仕方ないよね。

あたしは君の背中を押す役割で充分。


だけど最後に、大きな我が儘を聞いてください。

生まれ変わったら、またあたしと出逢って欲しい。あたしを見つけて欲しい。

今度こそ永遠に一緒に居られるように。


約束だよ。約束を守れない男は嫌いだからね、絶対だよ。


それまでは静かに君の幸せを見守ることにします。

だからあたしが傍に居ると思って、前を向いて生きて。


君があたしを忘れることが出来たその時に、ちゃんと天国に行くよ。


バイバイ。

またいつか逢える日まで。



花より

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