第9章 彼女の居ない世界

「彼女の居ない世界」1

あの後、リンさんが何かを言っていた。

一ノ瀬さんから既に聞いた病気のことや、花がどれだけ俺を想っていたかなんて事を。だけど正直どれも耳に入らなかった。頭の中がぐるぐると回り直ぐに横になりたいくらいに気分が悪くなった。



リンさんに気分が悪い事だけを告げ、彼女のアパートを後にする。

その後どうやって自分の家に戻ったかは覚えていない。ただ呆然と手紙を握り締めたまま足を進めただけだ。そんな状態は家に戻っても変らずで、何処にも座らず立ったまましばらく過ごした。



心は酷く、酷く痛いのに、涙が全く出ない。

脳裏を過ぎるのは、彼女の顔と出逢って過ごした日々。



『人と人は傷付け合うのに、どうしてまた人を求めるんだと思う?』



思わず頭を抱えて深く息を吐いた。



『あたしと君は、出逢うって決められていたから』



突然怒りという感情が心を占めていく。手紙を持った手に力を込めると、いとも簡単にぐしゃっと折れ曲がってしまった。それを思い切り床に叩きつける。



俺達は何故出逢ったんだ?これが運命だなんて言葉で片付けられてしまうのか?

彼女の事を分かってあげることが出来ず、支えにもなってあげられなかった。

そしてそのまま別れの言葉はなく、看取ってあげることも出来ずに、彼女はただ死んだ。



心が張り裂けそうだった。何も考えたくない。

彼女との事はもう、何ひとつ思い出したくもない。



だってもう、二度と逢えないんだ――。







そして――



現在に至る。



前の生活に戻り、毎晩毎晩遊び歩いた。いやもしかしたら、その頃よりも酷い遊び方をしているかもしれない。女を見つけては声を掛け、何人もと関係を重複させていった。そんな生活を続けていたら、あの夏全てが幻だったように思えるようになった。これでやっと、彼女との夏は終わったんだ。



以前は圭太が働くクラブばかりに顔を出していたが、最近では複数掛けもって顔を出すようにしている。



この日、久し振りにいつものクラブに顔を出すと、圭太が血相変えて駆け寄ってきた。



「やっと掴まえられたよ。俺の耳にもどんどん入ってる。最近のおまえ可笑しいぞ?」



圭太に彼女の死を伝えていない。というか、誰にも言ってなかった。

適当に「はいはい」と流して、目の前を通り過ぎた女の腕を掴んだ。



「可愛いね、俺と遊ばない?」


「おい大輝!」



その時、圭太が客に呼ばれ、渋々といった様子で離れて行く。その隙に声を掛けた女をいつもの特等席に連れて行った。



久し振りに来たら客のメンツが少しだけ変ってた。お陰で手を出したことのない女ばかり居る。見境なんてなかった、とりあえず暫くは色々な女と遊ぼうと思った。

イチャついている時、仕事を済ませたのか再び圭太がやってくる。



「大輝、話聞けよ。学校にも来ねーし、俺を避けてるようにも思える。何があった?」



そう、避けていた。彼女をよく知る奴に会いたくなかったから。

だから、おどけるような素振りで答えてやった。



「何だよおまえ、今良い所なの見えてねーわけ?どうもしてねぇから、余計な心配すんなよ」


「誤魔化すなよ、もしかして花さんの事で何か――。」


「うるせぇな!あいつの話はすんな、もう過去なんだよ!」



そう怒鳴ったのと同時に、イチャついてた子が怯えたように逃げてしまった。



「あーあ、圭太のせいだ」


「なあ、何があった?何で言ってくんねーの?」


「言う事なんかないからだよーっと」



茶化すようにそう言って立ち上がると、ムッとしたような表情で引き止められる。



「俺に嘘を突き通せると思ってんの?おまえとどれだけ付き合い長いと――。」


「ああ、出たよ、何でも知ってるみたいなその態度。前からずっとうぜぇと思ってた。おまえはさぞかし利口な人間なんだろうな、だけど俺からしたらそれが鼻に付くんだよ」



圭太の表情は更に険しくなる。いつも柔らかい表情ばかり見せているこいつのこんな顔を初めて見た。



「勝手にそう思ってろよ。俺から言わせるとおまえは弱すぎる。本気で好きになった女が傍に居ないだけでその様か?」


「あ?」


「もっとやれる事があるだろって言ってんだよ!そんなに引きずる位なら何としてでも捜し出して、ずっと傍に居たり、励ましたりする事だって出来るだろ?」



そんな事、出来るもんならとっくにしてるんだよ。

あの夏の想い出しかないんだ。きっと彼女はそれ以上を望んでなかった。だからこうなった。だけど俺の気持ちはどうなる?埋めようとしても埋まらないこの気持ちは、一体どうしたらいいんだ?



おまえにこの気持ちは分からない。



「はいはい、いつだっておまえが正しいよ。これでいいんだろ?もう放っといてくれ」


「おまえさ、花さんのこと本気とか言っておきながら、本当はそんな自分に酔ってただけなんじゃねーか?」



カッとなり思わず圭太の胸倉を掴んだ。



「おまえに何が分かんだよ」


「じゃあ分かるように説明してみろよ。ほら、出来ないんだろ?そんな自分にムシャクシャして、色んな女を傷付けて、おまえって本当、まだまだガキだよな」



圭太と長い付き合いの中で、口喧嘩さえしたことがなかった。それなのに、殴り合いの喧嘩となった。テーブルが倒れ、酒が引っ繰り返ってグラスが割れ、周りは大騒ぎする。そんな中、オーナーや店員が止めに入り引き離された。



だけど圭太の怒りは収まっていない様子で、吐き捨てるようにこう言い放った。



「花さんに今のおまえを見せてやりてーよ!」



胸がズキッと痛む。

ひりひりして息苦しくて、まるで全身傷だらけになったような気分だ。

圭太はそのまま店の裏に連れて行かれ、酒をかぶった俺に女の子が布巾を差し出してくれる。



「大丈夫?」



顔を上げると、前に関係を持ったことのある女だった。思わず強く腕を掴み、そのまま引き寄せる。



「大丈夫じゃない。介抱して」


「うん、いいよ」



その子を連れクラブを出た。



圭太との友情も終わってしまったのかもしれない。

大事な物を失うとまたもう1つ失って、そうして最後には全部無くなって、彼女の記憶も消えれば良いと思った。

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