「終わりの鐘」3

平日だったのと夏なのとで、なんとか日が落ちる前に到着する事が出来た。

彼女に指定された場所は、海水浴場などで有名な海ではなく、人があまり居ない田舎のような場所。



だけど彼女は晴れやかな顔をしている。

俺はというと、始めてに近い長距離運転で緊張の糸が解け疲れていた。



それにしても、なんでわざわざ館山なのかは分からない。海なら他にある。例えば千葉の海といえば九十九里。なんてたってナンパと言えば九十九里だ。彼女に出逢う前はよく行った。だが見渡すところ、今まで来た海よりも綺麗で澄んでいる。だから来てみたかったのかなと思った。



彼女は呟くようにして言う。



「懐かしい――。」


「懐かしい?」


「嬉しい、君と此処に来れるなんて」


「来たことあんの?」


「お願いその3、ついて来て」



そう言って俺の手を取り歩き出す。

寄せては返す波を眺めながら海沿いを歩いていると、心地良い風が俺達を包んだ。



「ねぇ、前にも聞いたけど、君は本当に夢とかないの?」


「ああ、ないな。とりあえず今は、花がずっと傍に居てくれる事かな」


「――そういう事じゃなくて、やりたい仕事とかは?」


「うーん、考えたくねぇなぁ」


「考えて。働けるだけ有り難いじゃない―― 世の中には働きたくても働けない人が山ほど居るんだから」


「リストラとか?」


「それもそうだけど、体が不自由だったり心の病だったり、人種差別で働きたいのに働けなかったり、その人達の気持ちとか考えた事ある?」


「我が儘し放題の花は、俺の気持ちを少しは考え――。」


「なによ?」


「いや――。」


「それだけじゃない、君は学校で学ぶ事が出来るでしょ?」



たまに突然、こうやって真面目な事を言い出す。こっちから真面目な話をすると逃げるくせにだ。彼女の頭の中を一回覗いて見たいと何度も思う。



「学校に行きたくても行けない子は世界に沢山居るの。君の生活は普通ではない、凄く恵まれてるのよ。それなのに、どうして夢を持たないの?」



周りの友達や知人の事を中心にしか考えられない俺に対し、彼女はたまにこうやって世界から物事を考える。前まではそういう奴ってなんか苦手だったけど、不思議なことに彼女に言われると普通に聞くことが出来た。



「分かるけど。だけどさ、本当に何も思い付かないんだよな」


「そっか―― まぁ、それも悩みの内だよね。お洒落なんだからアパレル系とかは?」


「え?そんなこと考えた事もねーな」


「夢が思い付かなくても考えるの。考える事が大切よ」



気が付くと海が随分と遠くにあった。ぽつりぽつりとある住宅を越えて坂道を歩いていくと神社があって、その隣には墓地がある。



「着いた」



彼女はそう言って手を引いてくる。思わず逆方向に引っ張った。



「入んの?もう日も落ちそうなこの時間に何で墓地に」


「怖いの?意気地なし」



笑いながらそう言って、強引に手を引っ張る。そして躊躇うことなく墓地へと入って行った。夕方にこんな場所に来る人はまず居ない。閑散としていて、並ぶようにして立つ墓石を見ていると気が引けてくる。



「おい、何の為にこんな所に入るんだよ」



彼女は何も答えずにただ足を進め、1番奥にある墓地の前で立ち止まる。

そして手を放し、笑顔で墓に向かって口を開いた。



「お婆ちゃん、今日はお花も何もなくてごめんね」


「え?此処って――。」


「うん。昨日話したお婆ちゃんのお墓」



成る程。彼女はただ海が見たかったのではなく、恐らく初めから此処に来たかったのだろうと思った。初めからそう言えばいいのに。



「お婆ちゃん、彼はあたしの彼氏なの。格好良いでしょ?だけど意気地はないし考える頭もなくて、まだまだ子供の上にエッチだし――。」


「おい」


「だけど、あたしの一番大切な人だよ」



その言葉に胸が熱くなった。彼女に大切な人だと思われている、それだけでもう充分なくらい幸せな気持ちになれた。



そして彼女は左手を見せる様にして広げ掲げる。



「ねぇお婆ちゃん、そんな彼がいつか指輪をくれて、この指輪とサヨナラ出来る日が来ると思う?」



冗談交じりに笑いながらそう言う。

事前に言ってくれれば何かしら予想して用意が出来たかもしれない。

突然連れてくんなよなと思った。



咄嗟に周囲を見回し、慌てて近くにあったクローバーを摘み取る。そして彼女がはめている指輪の上にそれを結んだ。



「仮っ!」



そう言うと彼女は、子供の様に無邪気に笑う。

毎回指輪を作ってはめてあげたお婆さんの気持ちがよく分かる。この笑顔を見たら、もっと喜ばせてあげたいと思ってしまう。



2人で手を合わせて挨拶し、墓を後にして車の中に戻った。

車内から海を眺めていると、彼女が無理やり俺の上に乗っかってきて胸に顔をうずめてきた。



「君は本当に、神様がくれたプレゼントだったんだね」


「え?」



そこで突然、ぽろっと一筋の涙を零す。



「生きてて、良かった――。」



その涙を拭い、そっと唇を重ねる。

なんだか分からないけど、言いようのない悲しい気持ちになったからだ。



彼女が目の前に居て俺の手の中に居る。なのに、今にも何処かに消えてしまいそうな儚さが拭い去ることはない。大切に想ってる気持ちをどんなに言葉にしても、少しも伝わらない気がする。



今までしたことのないような優しいキスをして、言葉だけで埋まらない気持ちを表そうとした。しばらくしてから彼女が顔を離し、潤む瞳で甘えるような声を出した。



「お願いその4、ここでして?」



そして長いキスを――

彼女をたくさん愛した。





                   ***




東京に戻ろうと車を走らせてものの数分、彼女が突然止めてと言い出す。

止まった先を指差し、行けと指定してきたのは教会だった。



車から降りて近付くと、建物は下からライトに照らされ、幻想的な雰囲気を醸し出していた。日が落ちて辺りは暗い。教会の他に敷地内に小さな建物があり、そこから牧師と見られる格好をした老人が出てきた。



「やべ、勝手に入ってくんなって怒られんじゃん?」



そんな風に心配する俺を他所に、彼女は手を上げて歓喜の声を上げる。



「ミケイルさん!お久し振りです」


「おお、もしかして花ちゃんかい?」


「そうです!覚えてくれていたんですね」


「忘れるわけないだろう、高校生の頃しょっちゅう来てたじゃないか」



近くで見ると、日本人なのか外人なのか定かではない顔立ちをしていた。だが彼女が口にした名前からすると、恐らく外国人なのだろうと思う。優しい目に沢山のしわ、白髪からして相当歳は取ってると思った。



「今日はね、彼氏と遊びに来たんだ。ほら挨拶してよ、牧師のミケイルさん」


「あ、初めまして。横山といいます」



するとミケイルさんは、優しく手を握ってくる。



「宜しく。花ちゃんの彼氏に会う日が出来るなんて、とても嬉しいよ」



その言葉を聞いて、男を連れてきたのは初めてなのだろうと思った。

高校生で教会によく来ていたなんて、自分が高校の頃と比べると雲泥うんでいの差がある。ナンパに明け暮れ女を探す日々を送っていた。教会なんて全く縁がない生活だった。



「ミケイルさん、中に入ったら駄目かな?」


「勿論いいよ、約束したからね」


「それも覚えててくれたの?嬉しい」



何の約束だかは分からないが、ミケイルさんの好意に甘えて彼女と一緒に教会の中へ入っていった。



中は温もりを感じるような内装で、木で作られた席が前までずらっと並び、その先は壇上のようになっている。壁に空と天使の絵が描かれ、窓はステンドガラスで出来ていた。初めて見たその光景に感動していると、ミケイルさんは気が済むまで見学しておいでと言い出て行ってしまう。



「なあ、さっき話してた約束って?」


「高校の頃ね、いつか大好きな人を連れくるから、その時は2人きりで中に入りたいってお願いしてたの」



そう言って手を引いてきて、先頭まで走らされた。

壇上に乗って彼女は向き合うようにして立つ。



「此処で好きな人とキスするのが、あたしの夢だったんだ」


「キスして欲しい?」



挑発するように言ったのに、彼女は怒ったりせず優しい眼差しで笑顔を見せる。



「うん、してほしい」



そんな目で純粋に見つめられると、意地悪なことも言えなくなる。

彼女の肩を抱きそっとキスをした。



「――夢が、叶った」



そう言う彼女の表情は、笑顔ではあるけど何処か悲しげに見える。

言いようの無い不安を徐々に感じてきた。それを払拭するようにえて明るい口調で問いかけてみた。



「高校の頃ってことはさ、昨日話してた婆ちゃんもこの辺りだろ?そこには行かなくていいのか?」


「もう4年はあそこには帰ってない。それに思い出がありすぎるし―― いいの、いつか帰るから」


「そっか」


「そんなことより、お願いその5です!」



そう言って手を上げ、にこっと笑みを作る。



「君は―― これから夢を持って」



言い終わったその表情が今にも泣き出しそうで、嫌な予感がして仕方なかった。

彼女と深い関係になれたと思っているのは自分だけで、彼女にとってはそうではないのかもしれない。心の奥底に、何かを隠している気がしてならなかった。



「花さ、今も俺と別れる時の事を考えてる?」



すると彼女は、ほんの少しだけ目を泳がせる。



「別れる事よりも、もっと明るい方に未来を考えねーか?例えば婆ちゃんが残してくれた家に、いつか一緒に住むとかさ」


「――それ、本気で言ってるの?」


「俺はいつだって花には本気だよ」



するとぎゅっと力強く手を握ってきて、俯きながら泣き出してしまった。



もどかしい気持ちが苛付きとなって表れてくる。このままずっと一緒に過ごしていきたい。その想いは充分に伝えてきた。なのに彼女は“終わり”ばかりを気にしているようだ。それに腹が立って仕方ない。



「それは何の涙なの?言いたい事があるなら言えよ、何を聞いても受け入れるから」


「君と居ると、辛くて辛くて仕方ないの」


「どういう意味?」



彼女はようやく顔を上げる。沢山の涙が止め処なく零れていた。

その涙は、これから起きる事を物語っていたんだ。



「だって―― あたしは君に、酷い事をしてる」


「え?」



その時、教会の鐘の音が大きく響き渡った。普段なら祝福かのように鳴る音が、今思えばあれは“終わり”を意味していたように感じる。



俺達の終わりを告げる音――。



楽しかった彼女との夏は、あの鐘が鳴った時に全て終わってしまったんだ。

あの時、握った彼女の手をずっと離さずにいたら、そしたら俺達にはどんな未来が待っていたのだろうか。今ではそんなことばかりが、頭から離れないんだ。

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