第7章 終わりの鐘

「終わりの鐘」1

狭いシングルベッドで、彼女を後ろから抱きしめて離さなかった。

こんなにいつまでも抱き締めていたい気持ちは初めてだ。



「変なの、君がそんなに優しくしてくれるなんて思わなかった」


「うん、好きだから」


「君、本当に変わったよね?」



彼女に消えられた日々がトラウマになっているのか、何処にも行かない様に力を込めて抱き締める。いつもだったら絶対にしない、照れ臭い言葉と行動。その全てを素直に表したかった。



「あのさ、いつになったら俺を名前で呼ぶわけ?」


「――ねぇ、君があたしと付き合う前に、何人ここに連れ込んだの?」


「話し逸らすなよ」



彼女お得意の、自分が聞かれたくない質問をされたら質問返し。その手は通じない。すると彼女は抱き締める手を解き、寝返りを打って見つめてきた。



「ねぇ答えて。何人なの?」


「んなこと聞いてどうすんの?」


「別に、ただ知りたいだけ」



本当の事を言っても信じてもらえる気がしない。そんな思いから黙り込んだ。

その様子を見た彼女はムッとした表情を作る。



「ちょっと、もしかして三桁とかいくの?」


「いや、どんだけだよそれ。女を此処に連れ込んだことねーんだよ」


「嘘つき」


「やっぱり、そう言うと思ったわ。だけど本当」


「本当なの?どうして?」


「理由言うから、花もその左手の指輪の真相教えろよ」


「え――。」



ずっと気になって仕方なかった、出逢った頃からはめているリング。

男除けとか言ってたけど、別の理由がある気がする。

彼女は戸惑うように黙った後、小さく頷いた。それを見てから口を開く。



「ここに連れ込まなかったのは、ただ自分の領域に入って来て欲しくなかっただけ。なんつうか、動物と同じって感じというか――。」


「色んな子としまくってたんだもんね」


「う、ん?いや、そういう意味じゃなくて、一線を置きたかったというか―― ああもう、綺麗ごとじゃなく正直に言うわ。その時ヤレればいい、相手のことなんか知りたくないし俺の事も知ってほしくない。だから自分の領域に入れる理由がないと思ったんだ」


「――君、変われて良かったね。じゃなきゃ女の敵の最低男」


「花のお陰だよ」


「あたしのお陰じゃないよ。君はもとからそういう人だったでしょ?」



いや、それはない。思い返して見ても、本当はちゃめちゃだったなと思う。

今まで俺がしてきた事をもし彼女にやられたら、心がズタズタになっただろうな。そう考えると、今まで寝てきた女達に申し訳ない事をしたかもしれないと反省する。今の俺が想像できないほど冷たい奴だったから。



「だけど花さ、初めて会った時、俺のこと残念って言ったじゃねーか」


「うん、最初はそう思った。だけど一緒に居たら直ぐに分かったよ。何が理由かは分からないけど、君は自分を偽って繕ってた。本当は良い人なのに」



自分が良い奴なんて到底思えない。

だけど正直な所、傷付くことに臆病になっていたのは確かだった。

過去のことを掘り返して原因追究なんて事はしない。ただぼんやりと思い出すのは、両親が忙しくていつも家に1人で居たことと、母親を傷付ける父親のこと。



それが原因だなんて被害者ぶるつもりはないが、あの頃思ったことはよく覚えてる。結婚なんて意味の無いことだというのと、傷付いた人間はもろいということ。



両親は離婚せず今も一緒に暮らしている。父親は相変わらず不在がちらしいけど。

自分の女癖の悪さは、父親譲りなんだと割り切っていた。

だが彼女に出逢って、それらが何だったんだと思う程に考えが変ってしまった。



「あのさ、初めて会った日に花、俺達は出逢うって決められているからって言ってただろ?」


「うん。その通りだったでしょ?」



そう言って微笑む彼女を見ていたら、不思議な気持ちになった。

最初は言葉の意味がよく分かってなかったけど、こうして自分の部屋に彼女が居ると、あの言葉に信憑性が出てくる。



「花って予言者?」


「そんなわけないじゃない。あの時はもちろんこうなるなんて思ってなかった。ただ、意味のないことなんてないんだって事を自分に言い聞かせたかったの」



いまいち意味が分からず首を傾げると、ぎゅっと抱きついてきてキスをしてきた。

彼女の長い髪が絡み付いてくる。キスに応えていたら再び良い雰囲気になってきたが、そこでハッとした。



「危ねぇ、まだ花の話し聞いてねぇし」


「ちっ、バレたか」


「誤魔化そうとすんなよ」



まんまとこのまま流される所だった。

彼女はふうっと息を吐きながら仰向けになる。

じっと天井を見つめたまま小さな声で話し出した。



「少し暗い話しになるかもしれない。この指輪はね、お婆ちゃんの形見なの」


「形見?」


「うん、お婆ちゃん韓国人でね、日本語はあまり話せなかったんだけど、一緒に暮らしてたんだ」


「え?てことは花、韓国の血も入ってんの?」


「うん」



ただでさえその事実に驚いたのに、彼女は更に驚く事を告白していった。



幼い頃に両親を事故で亡くしているそうだ。家族3人で車で出掛けていたある日、酒に酔って運転する車が対向車線に入ってきてぶつかってきたという。

後部座席に居た彼女だけが、奇跡的に無傷で助かったらしい。



「お爺ちゃんが日本人で、両親が居なくなってからは3人で過ごした。だけどあたしが高校2年の頃にお爺ちゃんも死んじゃって、それからはお婆ちゃんと2人きり。でもお爺ちゃんが居なくなってから、お婆ちゃん少しぼけちゃってね?あたしに対して、幼い子供にするように接してくる事が多かった」



彼女は小さく微笑み、優しい表情のまま左手を掲げる。



「あたしが学校から帰ると、庭からしろつめ草とかクローバーとか何かしらの花を摘み取って、左手の薬指にはめてくるの。“花ちゃんよく来てくれたね。いつか結婚したら、こんな風に好きな人に指輪をはめてもらうのよ”って言ってね。周りはそんなお婆ちゃんと住んで大変だねって言ってきたけど、全然苦じゃなかった。そんなお婆ちゃんが可愛くて大好きだった」



柔らかい表情でそう言う彼女は、お婆ちゃんっ子なのだというのを表していた。

普段取る我が儘な言動は全て偽りなのではないかと思うほど、彼女の過去と想い出は悲しくて温かく感じる。



「大学生になるって頃に、お婆ちゃんも死んじゃったの。遺書には全財産をあたしにって書いてあるって弁護士の人に言われた。お婆ちゃんには日本語が話せる妹が居てね、その人にも素直に受け入れなさいって言われて、一緒に過ごしてきた家とこの指輪を貰ったの」



そんな過去があったとは想像もつかなかった。両親を亡くして、そして、育ててくれた人達までもを亡くしてしまうなんて、酷く辛い思いをしてきたのではなかと感じる。だからたまに彼女は、心に残る様なことを言うのかもしれない。



「不思議だよね。お婆ちゃんの物なのに、あたしにサイズがピッタリ」



そう言って、溢れ出たように涙がぽろぽろっと零れ落ちる。

それを見たら居た堪れない気持ちになった。



「――ごめん」


「どうして謝るの?」


「無理に聞いた気がしたから」


「ううん。話したら、なんだか少し気が楽になった」



俺は普通の家庭に生まれて、そこそこ恵まれた生活を送っていた。

しかも勉強もろくにせずに女と遊ぶ日々。彼女の過去を聞いてみて、いかに自分がちっぽけでどうしようもない人間なのかが分かった。



こんな気持ちになったのは人生で二回目だ。最初は圭太の生い立ちを聞いて。



圭太も事故で家族を亡くしている。

この時、感覚でしか分からなかったことが明らかとなった。

だから圭太と彼女はどことなく似ているんだ。

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