「夏の始まり」3
***
もう二度と口を利きたくなかったが、渋々中庭に向かうことにした。
面倒この上なかったが、恐怖がそれに打ち勝ったのだ。
中庭には何本もの木が立ち並び、この時期は葉が鮮やかに色付いている。
屋根つきのテーブルと椅子が何個もあって、学生はそこで昼を取ったりする。
中々広いので、彼女を捜すのが大変だった。
何処だよと苛々しながら歩き回っていると、ある人物に目が奪われる。
疎らに学生が居る中、離れた場所にある長椅子に寝転ぶ女が居た。
俺の中で変な女=彼女だ。
近付いてみてやっぱりなと思った。
仰向けになって目を瞑っているのは、紛れもなく彼女。
「おい、男じゃねーんだから」
「……」
彼女から反応は無い。まじで寝てんのか?
そう思い覗き込んだら、突然首元を掴まれグッと引き寄せられた。
近くで見つめ合ったのはこれが二回目だ。揺らぐことのない真っ直ぐな彼女の瞳を見ていると、何もかも見透かされてる様な気持ちになりドキドキしてしまう。
だがこのドキドキはきっと、警察に追われる犯人のような気持ちに近いのだろう。
「あの、花さん?」
「これでも男に見える?」
「や、見えません」
「宜しい」
そう言ってゆっくり起き上がる。
そして隣に座れと言わんばかりに、ぽんぽんっと長椅子を叩いた。
仕方なく隣に座り、次はどんな脅しで攻撃してくるのかを警戒する。
だが以外にも彼女は何も言葉を発さない。
何の為に呼び出したんだ?と思ったが、大人しい内に色々聞いておくことにした。
「あのさ、何で“離婚調停中”で登録したの?」
「昨日、君が女の子に責められてあたしにとばっちりが来たでしょ?それであたし、離婚を考えてるけど子供がいるからって嘘付いたじゃない。だからそうしたの」
「ああー、え?それで?ややこしくね?」
「ややこしい?何処が?」
何故か彼女は切れ気味で睨み付けてくる。
だが俺もやられっぱなしじゃ気が済まない。短気の女は嫌いだ。
「普通は名前で入れるだろ。そもそもな、人の
「だって君――。」
「それにな!花さんは俺がおまえって呼ぶと怒るくせに、俺の事は君とかあんたとかで名前で呼ばねーじゃん?自分の発言が矛盾しまくりだってのに気付かねーの?」
「あぁ」
言われてみれば、そんな事を思っているように目線を上に向けている。
この機会に、どんどん相手の砦に攻め入ってやろう。
「大体さ、一言もなくホテル出てくか普通?人として有り得ねーだろ」
そう告げると、俺に視線を戻しじっと見つめてきた。
「――
「はあ?」
戦力が一気に急降下。
俺の陣がガラガラと崩れ落ちていくような感覚に陥る。
彼女が俯き、長い髪がさらっと流れて顔を隠した。
「あたしね、クラブ行ったのって初めてだったんだ」
話が急に飛んだ気がするが、女にはよくある事だ。
いつもの癖がつい出てしまい、合わせるように答えてしまった。
「まじで?どうしたらクラブに行かない人生を送れるのか、俺には理解不能だわ」
「……」
彼女はいまだ顔を上げずに俯いている。なんだかこうやって見ると大人しい女のように思えるが、ちょっと油断したらいつものあの傲慢さが出る気がする。
いつもだったら大人しい女は自分がリードしてやるんだが、腕を組みながらいつでも臨戦態勢を取っていた。
それにしても、昨夜からどれが本当の彼女なのか分からない。
「あたしは君が羨ましい。君みたいな人生を送ってみるのも、良かったかもしれないね」
「今から送ったらいいんじゃねーの?」
顔だけは美人なんだから、相当遊んできたんだろうなと思っていた。
内心、かなり意外だなと思って驚いていた。
「うん、だから普段したことのない事をしようと思って行ってみたの。行く前に、神様に願い事をしてから――。」
「願い事?」
「最後のプレゼントが欲しいって」
何故最後なのか、何故そんな事を願っているのか、この時の俺には全く理解出来なかった。彼女がゆっくり顔を上げる。
真っ直ぐに俺を見つめ、優しい笑みを見せた。
「そしたらね―― 君に出逢ったんだ」
その言葉と表情に嘘臭さはなく、心からそう言っているのが伝わってくる。
湿気混じりの風が俺達を包み込んだ。その匂いは、夏が近付いていることを表しているようだった。
昨夜と同じシフォンのトップスがふわっと風に乗って揺れている。
だが彼女が今見せている顔は、昨夜のものとは違う。
どこか悲しげで、それでいて優しい表情だ。
「だからね、番号消さないで」
「え?あ、携帯のこと?」
「そう、時々でもいいから、付き合ってほしいの」
思わず疑問を抱き固まる。
この女に付き合う?これからも、この先も?
まじかよ、それは勘弁だな。咄嗟に言い訳を考えた。
「いやでも、俺も勉強とか就活で色々と忙しいし」
完全なる言い訳だ。勉強も就活もする気は全くない。
すると彼女が昨夜の表情に豹変する。
「インポだって言い触らすから!まずはうちのサークルの後輩達から徐々に――。」
「わ、分かりました分かりました!ほんっと、たまーにでも良いなら」
臨戦態勢を解除していたので、突然のことで慌ててそう答えてしまった。
だけど少しずつ距離を離していけばなんとかなるだろう。
この女気まぐれっぽいから、その内俺のことも忘れるはず。
この時はそう思った。
「ありがとう」
そう言って再び優しく微笑んでくる。
怒ってると思ったら突然優しい顔になったり、
下品な事を言ったと思ったら突然心に残るような一言を呟いたり――。
彼女はジェットコースターかの如く、猛スピードで上がったり下がったりだ。
俺はこれからそのコースターに付き合わなければならないことになる。
それもかなりの振り回されようで、落っこちてしまいそうなくらいに。
そんな事になるなんて、微塵にも思ってなかった。
今思えばこの日から始まったんだ。
一生忘れられない。だけどもう思い出したくもない。
楽しくて悲しい―― あの夏の始まり。
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