「夏の始まり」2

離れた場所で、教授が耳に入らないことをたらたら話している。

講義を受けている大半が携帯電話を弄る奴、居眠りする奴ばかりだった。

俺の場合、小さな声であれこれうるさく聞いてくる圭太の対応をしている。



「だから、何もねぇって言ってるだろ」


「何もなくねぇじゃんかよ。寝ちゃったじゃない?って言われてたじゃん。ちゃっかりホテル連れ込んでるし、話ちげーじゃん。まさかおまえ、この期に及んで怖じ気づいたの?」



もう、うんざりだ。

あんな意味がなく思い出したくもないことを、なんで口に出して伝えないとならないんだ。



俺も圭太も身長が高い。その二人が体を縮こめて話している様は、なんとも格好が悪い。早く会話を終わらせてたくて早口で答えた。



「違う違う。一つだけ言えることは、あの人は面倒で危ない女だってことだ。早く番号着拒にしないとな」


「誰が危ない女だっての?」


「!!」



振り返るとそこに、頬杖をついて余裕の笑みを見せる彼女が居た。

ちゃっかり此処の学生の一人として紛れ込んでいる。

神出鬼没、恐ろしいほどに。



「い、いつの間に」


「今さっき。そーっと入ってみた」


「や、入ってみなくていいから。花さんは卒業生、出席をしてはいけません。ほら、早く帰れって」



シッシッと、まるで動物でも追い払う様に手を振った。だが彼女は微動だにもしない。だから早く帰れって。表情だけでそう語りかけた時、しれっとした表情で言われた。



「ねぇ、着拒したら此処の学生全員に、君がインポだって言い触らすからね」



――は?

んーっと、この女、マジで何なんだ?

唖然としてしまい、彼女を見つめたまま固まってしまった。

圭太が驚いた表情で見てくる。



「インポ?」



圭太まで何だ?彼女の言葉を鵜呑みにしたその顔。

こんな情緒不安定で脅迫紛いな発言をする女を信じるのか?

おまえと何年の付き合いだと思ってんだ。



あえて冷静に否定することにした。



「この人の言う事は全部嘘ばっかりなんだよ。適当に聞き流せ」


「だってラブホで結局何もしてないじゃない」



本当、こいつッ!どの口がそんなこと言ってやがるんだ。

手を出そうとしたのを何度も止めたのはおまえじゃねぇか!



小さな声で怒りを露にした。



「ああ、してない。してないけど、それで何でインポってことになんだよ。おまえ頭可笑しいだろ?」


「またおまえ?何様なの?あたしは七瀬 花だって言ってるでしょ?」



駄目だ、こいつと話してると腹が立って冷静さを保てない。

相手にしちゃ駄目だ。この女、イカレてる。

頭を抱え、怒りをため息に乗せた。

これ以上関わると、俺の性格と人生が破綻しそうだ。



「大輝、怖じ気づいたの当たってたんだな。今まで遊び過ぎたんじゃねぇか?」



圭太は可哀相にというような、哀れみの表情で見てくる。



え、嘘だろ?その女信じんの?俺とおまえの数十年に渡る付き合いは一体何だったんだ。密かに落ち込むも、追い討ちを掛ける様に彼女はへらっと笑いながら言う。



「そう、この男はヘタレなの」


「なあ、あの状況で何がどうしたらヘタレとかインポって事になんだよ?」


「ちょっと、インポインポ言わないでくれる?あたし一応女なんですけど」


「はあ?おまえが言い出したんだろ?」



こいつ、マジで――。

女じゃなかったらぶん殴ってやりてー!

怒りに打ち震えるも、圭太が吹いて笑い出した。

声を出さないよう笑っているせいか、しまいには涙まで流し出す。



こっちは全く笑えねぇ。腸わたが煮えくり返りそうな思いだ。

彼女がぽんっと肩を叩いてくる。嫌々振り返ると、傲慢な態度で言い放った。



「とにかく、この講義が終わったら中庭に来てね。じゃないと言い触らすよ」



その命令を残し、教授が後ろを向いたのを利用して、素早く講義室を出て行った。



「大輝と花さん、お笑いコンビみてぇだな」



人事だと思ってあからさまに楽しそうだ。

勘弁してくれ、あんな女と誰がコンビを組みたがるんだ。

もう何も言う気を失くして、講義を聞く素振りを見せた。だが圭太は構わずに話続ける。



「それにしても珍しいな?大輝があんな風に女と言い争うなんてさ。今までは嫌われないようにって、どんなにウザイ子でもあんな態度取った事なかったじゃん?」



言われてみて気付く。確かにそうだったかもな。

こりゃマジで重症だ。女大好きの俺が、嫌だって本人にバレるほどの態度を取っちまうなんて、相当どうでもいい存在なんだろう。

こんなにも合わない女がこの世に居るんだなとしみじみ思う。



「本音で話せる異性がおまえの前に現れて、俺は正直ホッとしたよ」


「あ?」


「まあいいや。おまえでもヘタレるっつーことが分かって、安心したわ」



自分からベラベラ話しておいて、満足したのか圭太は真剣に講義をノートに取り出す。あの女の言った事を信じてるのが気に食わない。

おまえと俺の何年もの友情は、一体何処へ行っちまったんだ。



苛々が治まらないので、貧乏揺すりしながら教授を睨みつけていると、ノートに目を移したまま圭太がぼそっと呟いた。



「行かないと花さん、本当に言い触らしそうだな」



確かに。あの女ならやりかねない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る