第4章 忘れられない夏(前編)

「忘れられない夏(前編)」1

7月中旬


去年は7月っていっても半袖一枚では肌寒く、夏って感じではなかった。

だが今年は酷く蒸し暑い。


それは彼女と共に訪れたかの様だった。



普通、大学生は夏休みに入っている。

だがうちの学校は厳しく、単位が危ない奴、成績が悪い奴は定期的に夏も通わなければならない。俺は両者で、単位も成績もヤバイので通わざるを得ない。



この日も講義があって居眠りをしていた。

そんな中、ジーンズのポッケで携帯電話が震え出し、自然と目が覚める。

薄目で電話を取り出した。画面にはこう表示されている、“着信 離婚調停中”と。



まただ―― そう思い顔を歪ませた。



実は昨夜も朝方まで一緒に居た。いや、正しくは一緒に居させられただ。

ここ数週間、毎日と言えるほど彼女に付き合わされている。

だからといって男女の関係がある訳ではなく、ただただ、振り回されていた。

すぐ目の前に女が居るのに手を出さないなんて、彼女を全く恋愛対象に見れないのだろうと、そう考えていた。



思わず小さく声が漏れる。



「まじで何なんだよ――。」



そしていつも通り、この着信を無視した。

着信が収まるとすぐにメールが届く。これもいつもと同じパターンだ。



メールの内容はこうだ。初めに“早く出なさいよ”次に“シカトしてるわけ?”

そして“今から後輩達に連絡しようか?”と最終的に脅しに入る。

それで諦めて電話に出る→彼女に会う。

毎回この繰り返しだったが、今日の俺は違う。もう限界だった。



更に無視を付き通すということを、初めて決行することとした。



昼休みになり食堂に行くと、圭太がよっと言って顔を出す。

こいつは成績も単位も何の問題もなかったが、学食の飯が安いっつー理由で昼になるとやってくる。一応実家に住んではいるが、本当の両親ではない。

圭太は幼少期に両親を亡くし、親戚に引き取られたのだ。

義理堅い圭太は、お世話になってきたからと、学費を返すために節約生活を送っている。



こいつのそういう所を見習った所で俺には到底出来そうにない。

女にモテる生活を送ってはいるが、圭太には一生敵わない気がしている。

俺は親に仕送りしてもらって一人暮らしなんて、甘えた生活してるしな。



当たり前のように一緒に席につき昼飯をとっている時、懲りずにまた携帯電話が震え出した。だが、何事もなかったようにエビフライを口に運んだ。



「おい、鳴ってねーか?」



無視して黙々と食べ続けていると、勘が鋭い圭太はにやっと笑ってから言う。



「ああ、花さん?相変わらず毎晩一緒なの?この機会に付き合ったら良いのに」



思わずエビフライを吹き出しそうになった。



「勘弁してくれ。俺は今、あの人からどうしたら逃れられるかっつーことで頭がいっぱいなんだよ。もうウンザリなんだ、こんな生活は」


「もったいねぇなぁ、おまえが大好きな美人なのに」


「はっ、美人?今となっちゃ笑えるな。やっぱりおまえの言う通り、中身は大事だってことがよーく分かった。中身があれじゃ美人ではない」


「そうかぁ?今までおまえが寝てきた女のが問題あると思うけどな」 



ってことは何だ?あの女は問題ないって言いたいのか?

あの女の言動が問題無いとしたら、なんて表現すればいい?

そうか、あれは変人の域に達してるな。

変人だから問題(仕方)ないっつーことなら少しは納得がいく。

だが俺にはあの変人に付き合う義理が無い。



「あのさ、圭太はよく知らねーようだから言っておくが、一緒に居ても金は出さなきゃ女っ気もない、すぐキレる、我が儘し放題で振り回す、それらに付き合えないって言えば脅しに掛かる。どうだ?それに比べたら今まで俺が寝た女はみんな女神だろ」



と、その時、後ろからポン!っと誰かに肩を叩かれる。



“来たか――”と思い、血の気が引いていく。

恐る恐る振り返ってみて、やっと息ができたように大きく息を吐いた。



「どうしたの?そんなに怯えて」



うちの学校の中でかなりの美人のマドカ。肩を叩いたのは彼女だった。

8頭身のスレンダーな体系、顔は中世的な美形。

有名な雑誌には出ていないが、モデル事務所に所属している。



男なら誰しも憧れる彼女と俺は、一度だけ関係を持った。

それは七瀬 花と出逢う一週間前の出来事だった。



目は付けていたが、どうせ彼氏居るんだろうなと思っていたから、自分から近付いたりはしなかった。だがいつも行くクラブにたまたまマドカが現れ、俺達は意気投合してしまう。彼氏は居ないが、俺と同じで色んな男と遊びたいと言っていた。

この日はかなり最高の出来事だった――。

が、後に七瀬 花に出逢ってしまい、その出来事もすっかり忘れていた。



「ああー、ビビッた。マドカだったか」


「はぁ、どの女と勘違いしたんだか。だから最近メールも返信ないの?」


「え、メールくれてた?」



もとからメールとか面倒だから返信するタイプではないが、最近じゃ受信ボックスがあの女で埋まってしまって、全部をちゃんと読んでいない。

携帯電話を取り出し確認していると、横から圭太がナイスフォローをしてくれた。



「いやいやいや、こいつがメールとか着信返さねーのは、今に始まったことじゃねーから」


「そうなんだ、ちょっとホッとした。あたしも色々と忙しかったんだけど、最近わりと暇だから、大輝とまた遊びたいなぁって思ってたの」



そう言って見せた可愛い笑顔に、何故か心が救われる思いになった。



ああ、女神様――。

疲れきった俺を癒してくれそうだ。



「大輝モテるから、もう相手してくれないのかと思った。うちのサークルの子達なんて、しょっちゅう大輝のこと格好良いって言うしさ」


「うっそ」



ヤベェ、女神がいっぱいだ。

そうだった、俺はモテてたんだ。

あんな我が儘で変人な女を相手にしてる場合じゃねーだろ。

自分を見失いそうになってたわ。



「いつがいい?」


「大輝に合わせるよ」



この感覚久しぶりだ。最近振り回されっぱなしで忘れていた。

そうだ、相手の都合だけで自分の時間を奪われるなんて間違ってる。

普通の女はこうやって話し合ってから時間を共有するんだ。

やっぱり俺は“ちゃんとした女”と遊ばなきゃ腐るな!



マドカが手帳を開いて予定を確認していたその時、突然何処かから――。



ひろくん!」と叫ぶ声がした。



振り返るとそこに現れたのはなんと、七瀬 花。

ウェスト部分が締め付けられたピンク色のワンピースを着ている。

見た目だけは無駄に清楚な美人。


思わず頭を抱えた。

やっぱり出た―― 何であいついつも神出鬼没なんだよ。



彼女はずんずんこちらに向かって歩いてきている。

思わず立ち上がって後ずさりした。ここに居る人達の視線が彼女に集まっている。



マドカは顔を歪ませて言った。



「誰あの子?」



彼女が俺の前に立ちはだかり、逸らさずに真っ直ぐ見つめてきた。

俺に直感や霊感は全くないが、とてつもなく嫌な予感がする。



「は、花さん、お願いだから今は勘弁してく――。」



彼女は突然、ぽろっと涙を流した。



「ええ?なっ」


ひろくん、どうして電話に出てくれないの?」



だからさっきから何だそのひろくんって呼び方は?

そんな風に呼んできたことは一度たりともない。

ヤベェぞこれ。名女優、花さんが出てしまう。



どう切り抜けようか考えていたその時、彼女は食堂内に響き渡るほどの大声で叫んだ。



「妊娠してから連絡くれないなんて酷いじゃない!!」



このくそ暑い日に、その一言で身も心も瞬時に凍りついた。

マドカをはじめ、此処に居る人達の視線を一気に集めてしまう。

男は面白そうに、女はドン引きといった感じだ。



妊娠?何を言って――。

一回もヤッてねーし!いや、今はそこが問題じゃねぇ!



彼女はそのまま顔を俯かせ、しくしくと泣きだす。

恐らく演技だというのを感じ取り、苛付きがMAXに達した。



「おまえ、いい加減にしろよ!」



彼女の腕を乱暴に掴むと、マドカか気まずそうに言った。



「あ、あの、なんか込み入った話みたいだから、私行くね」


「ちょっ、マドカ――。」



逃げる様に立ち去ったマドカの後姿を見て、心の底から落胆した。

呆然としていると、圭太が引き攣った顔で耳打ちしてくる。



「おまえ、この学校でもう女に手出せねぇな」



プッツンっと何かが切れ、怒りが込み上げてきた。

今まで溜まってきたもの全てが溢れ出てきて、今にも爆発してしまいそうだ。



乱暴に彼女を引っ張り歩き出した。



「こっち来い!!」

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