「忘れられない夏(前編)」2

これは傍から見れば、どっからどう考えても俺が悪者。

だがそんなことを気にする余裕など、今の俺には一ミリたりともない。



チャイムの音が鳴る中、強引に手を引いて中庭までやってきた。

周りの人が不思議そうに俺等を見ながら、校内へと足を進めていく。



人が居ない場所で手を放すと、彼女が突然大笑いしだした。

殴ってやろうかと思うほど、今にもブチ切れる寸前。いや、もうブチ切れてるか。



「笑ってんじゃねぇよ!おまえ一体どういうつもりだよ!」


「それはこっちの台詞!どういうつもりであたしをシカトするわけ?」


「シカトだけでこんな事されちゃ、まじやってられねぇんだよ!」



女にここまで切れたのは初めてだった。

ここまできたら女とかもう関係ねぇ。イカれた変人にはビシッと言ってやらねぇと駄目だ。



感情的に怒る俺を気にもせず、彼女はいつもと変わらない傲慢な態度を貫き通している。



「ね、君はもうあたしをシカト出来ないでしょ」



卑劣・外道・悪魔、そんな二文字の漢字達が頭を過ぎる。



「もう俺に関わんな!つうか近寄りもすんな、マジで迷惑だ」



怒りを込めて言い放ち、背を向け歩きだした。



二度と会いたくねぇ。彼女はきっと、人を馬鹿にすること、陥れることが大好きなのだろう。だったら俺ではなく、他をあたってくれ。彼女にはドMな男がお似合いだ。



全身から怒りがみなぎっているのが分かる。

何か物にでも八つ当たりしたい気分だったが、我慢して歩く足を早めた。

と、その時――。



ぎゅっと後ろから抱き締められる。振り返って見ると、彼女がしがみ付いていた。



「なっ、なんなんだよ、離れろって」



振り解こうとするも、必死に力を込めてくる。

そして彼女は、消えそうなくらい小さな声を出した。



「お願い、見捨てないで――。」



――えええ!?



あまりに想定外の事態に、気付けば怒りが吹っ飛んでいた。

その代わり慌てふためいてしまう。



他の女ならうんざりしていたかもしれない。

だが、手を出そうとしても突き放す自分勝手な女が今、全身の力を込めて抱き付いてきている。トキメキとかよりも、動揺のが勝っていた。



「君はね、あたしにとって最後のプレゼントなの。居なくなられたら嫌」


「ちょ、意味分かんねーって、いいから離れろよ」


「ごめんなさい」



思わず抵抗する力を緩めてしまう。



あ、謝ったぞ。彼女がこんなしおらしく謝るなんて初めてだ。

いつもだったら自分が悪くても謝らない。

それどころかああ言えばこう言うで、負けを認めた事が一切無い。



「や、あの、別にそんなに怒ってる訳じゃ――。」


「ほんとに?」



顔を上げ泣きそうな顔で見つめてくる。その顔を見ていたら、つい――。



「おう」



ふて腐れながらも、怒ってないということを認めてしまった。

ん?何か違くね?認めてから疑問を抱いてしまう。



「じゃあ、今夜も付き合ってくれる?」


「いやそれは――。」


「やっぱり怒ってるんだ」


「違う違う、そうじゃなくってさ」


「じゃあ良いんだよね?待ってるから!」



満面の笑みを見せ立ち去る彼女を、唖然として眺める。

俺に今、何があった?そして何を言っちまった?と、頭の中が混乱する。

しばらくしてからやっと我に返った。そして、何故だ俺?と問い質す。



発狂してぇ。夕日に向かって叫ぶとか、海に向かって叫ぶとか、それは青春って感じがするが、俺の場合は違う。自分がもう分からない。あの女と自分に向かって、発狂したい。彼女に女らしい事をされると完全に負ける。

あいつはきっと女たらしの俺を攻略して、上手い具合に振り回してる。

まるでアリ地獄みたいに、彼女から抜け出す事が出来ない。



何故なんだ?



その後、うな垂れるように校内に戻ると圭太に捕まり、

あまりに放心状態だったのもあって正直に全て話した。



「それ完全に転がされてねーか?典型的な小悪魔女子だな」



そう言われたが、何の返答も出来ない。



小悪魔ならまだマシかもしれない。俺にはたまに悪魔に思えることがある。

もうどうにでもなればいい。一気に疲労感に包まれ、立ち向かう気力を失くした。

向かっていけばいくほど、嫌な方向に進む気がするからだ。


もうあの女の好きにさせりゃ良い。

最終手段で出来ることといえば、飽きてくれるのを待つってことしかない。






                    ***




彼女はいつも、大学の入り口の前で待ち伏せしている。



すげー根気あるなって思う。このくそ暑い中でよく待ってられるなって。

ま、ずっと外に居るかは知らないが、そこまでして俺を捕まえたいとは恐れ入る。



彼女にとって好都合なのは、入り口付近に大きな木があるってことだ。

その木陰の下で携帯弄るわけでもなく、本を読むのでもなく、ただぼーっと出てくる学生を眺めてる。



一歩引いた場所でその姿を眺め、はあっと大きくため息を吐いた。



足が重い。



すると俺に気付き、駆け足でこっちに向かってきた。



「ちょっと今日遅くない?あたしあんまり待たされるの好きじゃないんだけど」



さっきやらかした出来事が全て、無かった事になっているように感じ取れる。

しおらしく謝っていた彼女は、とっくに何処かへ消えてしまったようだ。



「つうかよ、勝手に待ってるのはそっち――。」


「約束したじゃない、嘘つき」


「……」



小悪魔な女は大嫌いだ。むしろ色んな女と遊んで来た俺が、小悪魔と呼ばれていたはずだ。それに上から物を言う女も嫌いだし、自分の立場が下になるような女なんか有り得ない。それなのに何故俺は、この女とこうもしょっちゅう一緒に居るのだろうか。考えても考えても答えは出ない。だからもう頭を空っぽにするしか策はなかった。



「んでさ、今日は何処に行く気?」


「渋谷のいつも君が行くクラブに行こう?」


「え」



一番行きたくない場所を指定されてしまった。


そこだけは嫌だ。関係を持った女達が居るし、この人がまた何かやらかしそうで危険極まりない。現に俺は今日、マドカという最高の女を失っている。この女の手によって。



「嫌なの?最近までは毎日のように行ってたんでしょ?行き慣れてて良くない?」


「行き慣れ過ぎで嫌なんだよ」


「あたしが知り合いだって思われたくないってこと?」


「ちげーよ、色々だよ色々」



すると目を細め、何かを探るみたいにじっと見つめてくる。

こえー、まるで無言の抑圧。



「ああ、そっか君、残念な人だもんね。恋人候補がたくさん居るから、あたしが傍にいたらマズイってことね?」



恋人候補―― ではないが、大方そういうことだ。

だが口に出して説明するとなるとややこしくなりそうだ。そう思いだんまりを貫いた。シーンと静まり返る中、ちらっと横目で様子を見てみると、目を上に向けて何か考え事をしている。



何考えてんだ?恐ろしいな。

彼女の考え、それは何か嫌な事が起こるきっかけみたいに思えて恐い。



「だけど、あたしはあそこに行きたいんだよね。じゃあさ、向こうに着いたら別行動するよ。だったらいいでしょ?」



え?何でそうまでして行きたい?それだったら俺と一緒に行く意味なくねーか?

そう突っ込みたい所だが、口を挟んで今まで丸く収まった試しがない。言い争いになるだけだ。勝手に好きなことやらせんのが一番。飽きてもらうのを待つのみだ。



彼女の要望を受け入れた振りをして、一緒に馴染みのクラブに向かうことにした。







電車で3駅目に渋谷がある。ホームに一緒に並んだ時、改めて客観的に彼女を眺めてみた。



この性格さえなければ、どっからどうみても美人。

今俺達が赤の他人だとしたら、声掛けてたかもしれねーな。



額に少し汗を湿らせ、熱を逃がすようにふーっと息を吐いている。

その姿でさえ魅力的だ。何も知らなければな。

だが俺達はもはや他人のようでそうではない。

ここ何日もずっと一緒に居て、やっかいな姉貴でも出来たような気分だった。



その時ふと思う、こいつ年上だけど仕事は?と。



「あのさ、しょっちゅう俺と連んでるし昼間に突然現れるけど、何の仕事してんの?」


「ああ、前もそれ聞いてきたよね?だから秘密だって言ってるでしょ?」



そうだ、そういえば聞いた事があった。

だがその時は秘密なんて可愛い言い方ではなかった。確か“うるさい”と言われたはずだ。



「本当はニートなんじゃねぇの?」


「は?ちゃんと一人暮らししてるし。殴られたいの?」


「そりゃ不思議に思うだろ?それになんで俺ばっか?友達居ねーの?」


「君さ、ここまできて気付かないの?どうして私が君とばかり居るのか――。」



そう言って真っ直ぐに見つめてくる。



その目は勘弁してくれ。何故かドキドキしちまうんだ。

思わず先に目を逸らした。



野生の動物の世界では、先に目を逸らした方が負けだ。

彼女の瞳と心は鉄板の如く強い。もう俺の負けでも何でもいいから、早く解放してくれ。



その時、電車がやってきて大勢の人が現れる。

それを避けようとすると、彼女が何気なしに手を繋いできた。

人の波に流されないようにだとは思うが、それにしたって方法は幾らでもある。



「花さんさ、そうやって男心を弄ぶことが趣味なんだろ?」


「どの口が言ってるの?自分だって大勢の子を弄んでるくせに」


「ああそうか―― って、ちげーよ俺は。お互い遊びだって割り切ってんだよ」


「あ、乗り突っ込みしてるし、ウケる」



彼女はくすくす笑い出す。

気付けばつられて、自然と口角が上がってしまった。



手を繋いで笑顔になる俺達は、傍から見れば恋人同士なのだろう。

今日あんなにも腹を立てていたのに、そう見られることが嫌じゃないと思える自分が居る。笑顔の彼女は純粋無垢な少女のように可愛い。人を困らせる時は悪魔のようなのにだ。不思議なものを持っている女だなとつくづく思う。



天才は昔、変人と呼ばれていたという。物理学者のアインシュタインなんかが代表的例だ。ま、そこまで大層な話ではないが、これはもしかしたら彼女の才能なのかもしれない。自然と人の人生に入り込むという才能が――。



いや、自然ではない。まったくをもって不自然だ。



俺はどうかしてる。暑くて頭が可笑しくなったのか?

少しでも彼女を見直しそうになるとは。そうだ、彼女の才能はきっとこれだ。

“人の人格を破壊すること”これのがしっくりくる。



車内に入ると冷気が迎え入れてくれた。その涼しさにホッと一息つく。



この方面はいつだってそれなりの乗車客が居る。

座れた試しがないので、当たり前のように扉付近に立った。



「ね、さっきの話だけど、あたし男を弄んだ事なんて一度もないよ」


「いやいや、それはないだろ」



一緒に居てみて思ったが、たまにその振り回しように感心さえしてしまうことがある。振り回すことに迷いや躊躇いが一切感じられない。

これは沢山の男を弄んできたに違いないと思っていたのだ。



「本当だってば、信じてよ。あたしは君の言うことは何だって信じてるんだから」


「は?俺を信じてる?それだけはぜってー嘘だわ。女に信用されたことねぇもん」


「確かにあたしはよく嘘を付くけど、だけどこれは嘘じゃない。信用してるよ、君の事」


「ど、どの辺を?」


「一緒に居て思ったの。君は凄く良い人だって」



彼女が珍しく俺を褒めている。それに驚き言葉を失くしてしまった。



今まで女に褒められた事といえば、外見に関してだけだ。

背高いねとかカッコイイとかお洒落だねとか。別に中身を褒めろなんて思っちゃいない。女との関係の持ち方が欠落してるというのを重々承知してるからだ。



「言っておくけどあたし、滅多に人を信用しないから。だから信用されて良かったね」


「なんだ、それ」



正直言うとこの時、凄く嬉しかったんだ。

好きだのカッコイイだの言われるより、ずっとずっと嬉しかった。

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