「忘れられない夏(前編)」3

クラブに着くと彼女は「じゃ、後でね」と、案外あっさり何処かへ消えていった。

だが気が気じゃなく、落ち着きなく彼女を捜し回った。

変な噂を言い触らしたりしないだろうな?と考えると心配だったからだ。



少し様子を見ようと思ったので、誰にも声を掛けず酒を注文しに行った。

すると正面から、慌てた様子で圭太がやってくる。



「おい、入ってきたの見たぞおまえ。よく連れて来たな?」


「ああ、なんか流れで」


「今や学校中の噂の的だぞ?おまえと寝たら妊娠して捨てられるって、何人もの女子が既に騒いでる。大学最後の夏はおまえにとって終わったようなもんだ。女と遊べなくなったんだからな」



ペラペラ話す圭太の言葉を何故か他人事のようにして聞いていた。



そうだな、今年は学生生活最後の夏だった。

その最後の夏に、今までのツケが全部回ってきたのかもしれねぇな。

まあだけど――。



「だけど、1年の時じゃなくて良かったわ」


「は?」



もし早い段階で彼女に出逢ってしまっていたら、俺はそっからずっとモテなかったってことだ。考えただけで恐怖だな。だったら出逢ったのが最後の夏で、まだ良かった方なのかもしれない。ぼんやりそんな事を考えていたら、圭太が俺の顔の前で手を振っていた。



「おーい大輝、おまえ一体どうした?」


「圭太、俺はな、もう心身ともに疲れたんだよ。疲労困憊だわ」



ぐったりしながらそう告げていた時、遠くから手を振ってきている女の存在に気付いた。あれはサキ。金髪で小麦肌と、見るからにギャルな女。

何度か関係を持ったことがある。後腐れない奴で丁度良い存在だった。

軽く手を上げて応えると、グラス片手にこっちにやってきた。



「大輝ー、久しぶりじゃーん!大輝に会いたくてまた此処に来だしたんだけどさぁ、全然現れないから遊び卒業したかと思ったしー!」


「いやぁ―― 色々と立て込んでてさ」



そう言いながら目だけでフロアーを見回す。すると、人と人の間から彼女が見え隠れした。彼女はこっちに気付いていない。何故ならば知らない男と楽しそうに話していたからだ。男はここじゃ見ねぇ顔だ。



サキの話を聞きながらも、ちらちら彼女の様子を観察した。

酒片手に体くっつけて、至近距離で話をしている。



此処は大音量で音楽が掛かっているから、会話するのに近付いてしまうのは仕方がない。だが、目を疑うほどに楽しそうだ。男が彼女の耳元で何か話すと、手を叩いて大笑いしている。



その光景が何故か苛立つ。



よくよく考えてみると、彼女が他の男と2人きりで話している所を見たことがない。



「大輝、聞いてる?」


「お、おう。聞いてる聞いてる」



慌ててサキに視線を戻す。



俺は何かやらかさねぇかと気が気じゃねぇのに、何をのうのうと笑ってやがるんだあいつ。



「だからさ大輝、前みたいに一緒に抜けない?」


「え?」


「何?駄目なのぉ?誰かと一緒に来たとか?」


「や、ひと――。」



1人で来たと言おうとした時、何故か彼女がさっき言った言葉が脳裏を過ぎってしまう。



『信用してるよ、君の事』



何だか分からないが、後ろめたくなってきた。



「えっと、1人っつうかなんつうか――。」



もごもごと濁しながら、再び彼女が居る方に目をやる。



「はあ!?」



思わず声を上げちまった。

この後ろめたい気持ちなんて露知らず、彼女は知らない男に後ろから抱き付いていたのだ。



酔ってんのか?いや、酔うには早すぎる。意味が分からない。

サキは目を丸くして、俺の視線の先を探り出した。



「なになに、なんかあった?」


「いや何でもない。そうだな、もう少ししたら抜けようぜ」



少しでも後ろめたくなったのが馬鹿だった。

あの女、さっき簡単に人は信用しないとか言ってなかったか?

そうか、やっぱりあれは嘘だったんだな。

忘れてたわ、あの女が最低のイカレ女だっつーことを。

あの女の言葉を鵜呑みにしたら、馬鹿を見る。



まあいい、俺も自由に遊んでOKっだっつーサインだと受け止めよう。

さっきの疲労困憊も何処へやら、なんか知らねぇが燃えてきた。



その時、会話を聞いていたのか圭太が耳打ちをしてくる。



「おい、花さんはいいのか?」


「ああ、いいよいいよ、ありゃ楽しんでんだろ?他の奴に抱き付こうが何しようが、俺には関係ねぇし」


「抱き付くって?花さん置いて抜けていいのかって聞いてんだけど」



あ、そっちの事か。それももうどうでもいいし関係ねぇ。

サキの手を取っていつものソファーに移動した。

このソファーに来たということは準備段階。サキはそれをよく知っている。



「大輝、まどろこっしいやり方しなくても、サキはすぐホテルでOKだよ?」


「んな色気ないこと言うなって」



サキは膝の上に乗ってきて、首に手を回す。女とイチャつくのは久しぶりだ。

最近といやぁ、怒鳴る女、我が儘な女、男勝りな女、そんな奴としか一緒に居なかった。全部同一人物だが。あそこに居る――



あれ?気付くとさっきまで居た場所に彼女が居ない。

ついでに言うと一緒に居た男も。



あんの嘘つき女、何処行った?



フロアを見回してみると、彼女は圭太と一緒に居た。



ああ、圭太の所か、ホッとした。ん?ホッとした?可笑しくね?

サキを抱き締める手に思わず力を加えてしまう。

ムカツク―― 胸糞わりぃ。何なんだよこの苛立ちは。彼女によりも自分に腹が立つ。



何に関してもいつでも余裕でいたい。

感情的になったり誰かに固執したりするなんて、格好悪いことだと思ってる。

今までそうならないよう行動してきた。だからこの苛立ちは性に合わねぇ。



2人の様子を見ていてハッとした。彼女は上機嫌な様子で圭太の頬にキスをしたからだ。おいおい、あいつハイになりすぎだろ。毎日一緒に居た俺だってあんなんされた事ねーぞ。いや、別にされたくねーけどさ―― ああ、くそ!堂々巡りださっきから。



つい自分の髪を掻き乱す。



圭太はあからさまに照れていた。それを見たらますます腹が立った。

圭太は真面目で純粋な奴なんだ。弄んでんじゃねぇよって。



すると、さっき彼女が一緒に居た男が戻ってくる。

何かを耳打ちした後、2人は寄り添いながら出口の方へ行ってしまった。



まじで?持ち帰っちゃうの?そんな簡単について行くんだな、馬鹿じゃねぇ?

まあ、それで俺達が出逢ったあの日のようになれば、彼女の興味はあっちに向くかもしれない。良かったじゃねぇか、願ったり叶ったりだ。やっと開放される。



――でも、やっぱムカツクな。



「大輝?さっきから何処見てるのぉ?」



そもそも何かが可笑しい。俺と一緒の時はあんなに軽くなかった。

安易に抱き付いたり頬にキスしたり、そんな事ちっともして来なかった。



何なんだよ、一体。



「ちょっとゴメン」


「ええ?大輝ってばぁ!」



サキを押し退け圭太の元へ向かった。

何がどうしてああなったのかが気になって仕方ない。



「おい圭太、あの男誰?初めてみた顔なんだけど」


「いやぁ、今日の花さん相当ハイだねぇ?」


「おい、聞けって。おまえ知らねぇか?あの男のこと」


「どうしたんだよ大輝、こえー顔してさ」



圭太はそう笑い飛ばす。



分かってる、女のこと詮索するなんてどうかしてる。

関係を持った女にでさえ、誰と何をしようとどうでもいいと思っていた。

だが今は気になって仕方ない。情でも湧いちまったのかもしれない。

心配だという思いが何処かにある。



「大輝、まさかとは思うけど、本気で花さんに惚れた?」


「は?有り得えねぇ!そういう事じゃねぇんだって、ただ俺は――。」


「花さん多分ヤラれるぞ?あの男さ、最近顔出すようになったんだ。毎日違う女持ち帰って泣かして、おまけにちょっと暴力的だって聞いた事がある」


「はあ?おまえ、それ知ってて何やって」



思わず圭太に詰め寄ってしまった。だがしれっとした顔で首を傾げてくる。



もういい、俺が何とかする。

慌てて彼女の後を追うことにした。



「大輝、完全に惚れたな」



背中に圭太の声を感じつつも、耳に入らないほど夢中で人の波を掻き分ける。



ここから起きた出来事は、頭が真っ白だっというか無我夢中だったというか、体が勝手に動いたという感覚で、正直あまり覚えていない。二人を見つけ出した俺は、思わず彼女の手を掴んだ。彼女は心底驚いたような顔をしている。目を丸くさせ、掛ける言葉もないといった様子。



「花、帰るぞ」



半ば強引な形で彼女の手を引き歩く。すると、一緒に居た男が立ちはだかってきた。



「おい、誰だてめぇ」



「てめぇが誰だっつーんだよ!」



ガシャン!とグラスとボトルが割れる音が響きわたる。

勢い余って思い切りその男をぶん殴ってしまったのだ。

その行動に気付いたとき、自分にドン引きした。



彼女を取り戻そうと他の男を殴るなんて、頭狂ってる奴の行動としか思えない。

倒れたテーブルとガラスの破片が散る中で男は体を起こし、恐ろしいほどの形相で睨みつけて来る。



ヤベ、こいつ暴力男なんだっけ?



呆然としていると、圭太が慌てた様子でやってきた。



「おいおい、店でトラブル起こすなよ!警察来ちまうだろ」



こいつの顔を見たらハッとして我に返る。

ここに居る人達が呆気に取られたような顔で俺らを見ていた。

今日は人の注目をよく浴びてしまう日のようだ。



とにかく―― 逃げちまおう。



再び彼女の手を強引に引き、走ってクラブを後にした。

街中を走り回るも、彼女が抵抗するように逆方向に引っ張ってくる。



「ちょっ、ちょっと何なの?離してよ!」



クラブから大分離れた場所でやっと足を止め手を離した。

かなり走ったから、体が熱を持って熱い。

側では車が何台も列を成して走り、多くの人が道を行き交ってる。

何が起きたのかしばらく分からず、ぼーっと息を整える彼女を見つめた。



「君、酔ってるの?どうかしてる」



さっきまでビビって大人しかった癖に、いつもの調子で怒り出す。

うんざりした。助けてやったのに、人の気もしらないで。



今日一日で溜まったストレスと、自分でも何故あんな事をしてしまったのか分からない苛付き。それらで葛藤している所なのに、傍らでぎゃーぎゃー彼女が騒いでいる。



「ていうか、さっきあたしを呼び捨てにしたねよ?いい?何度も言うけど、あたしは年う――。」



うるせぇんだよ!そう思った次の瞬間――

彼女を強引に押さえつけ、キスしてしまった。

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