「彼女との初体験」2
急いで元居た場所に戻ると、彼女が姿を消していた。
しまったと心の中で思う。
ヤベェ、まさか他の男に――
そう思っていたら、後ろから誰かに抱き締められた。
振り返るとそこには彼女が居た。上目遣いで俺を見てにこっと微笑む。
その瞬間安堵のため息が漏れた。
「うっわ、まじで焦った。突然消えんなよなぁ」
「ねぇ―― さっき、今までで見た中で一番格好良かったよ?」
「はあ?」
「女の子に声掛けられてたでしょ」
「え?見てたのかよ」
「君が飲み物買いに行く時にね、こっそり後からついて行ったの。そしたら女の子に声掛けられてたから隠れて見てた」
「なんで隠れんだよ、いつもだったら“彼はあたしの旦那ですけどー”とか嘘つきながら現れるのが花だろ?」
何でああいう時に限っていつもの力を発揮しねーんだ。絶好のタイミングだと思うけどな。彼女は後ろから抱き付いたまま離れない。顔を俯かせるその姿を見ていたら我に返った。
また胸当たってるんですけど――。
まずいまずいまずい。慌てて目を瞑って萎えることを考える。
すると背後から小さな声が聞こえてきた。
「だけどさ、あたしより君にふさわしい子との出逢いかもしれないじゃない?だったら運命に逆らっちゃいけないでしょ?」
思わずパチッと目を開く。下心も吹っ飛び、彼女から離れてじっと見つめる。
だがいつもと違って俺を見ない。相変わらず意味が分からねぇ。
「そんな出逢い、一生起こんねーから安心しろよ」
「一生はないでしょ」
なんだそれ。なんか知らないが苛付いて来た。不愉快だ。
もしかして何か不満でもあるのか?女ってのはこれだから面倒だ。
そう思うけど、それより何より何を思っているか彼女の本音が知りたい。
「何?もしかして俺と別れたいわけ?」
「全然っ、別れたくない!」
やっと目を合わせ、いつもと変わらない様子でそう言う。
本当、付き合えても何考えてるのか分からない。自分の考えをベラベラとよく話すと思ったら、大事なことは一切言わないし、こんなに意味の分からない女と付き合うのは初めてだ。だけど、自分が想ってることは伝えないといけないと思った。
彼女に消えられたあの日以来、伝えられないという事がトラウマになっていたからだ。
「あのさ、一応言っておくけど、俺は花とは死んでも別れねぇし、どんなに美人でも花以外の女には全く興味ないから。はっきり言って、このプールに来てる女の中でおまえが一番だ。分かったらほら、これ飲め!」
彼女の発言は時に苛付き、それでいて悲しい気持ちにもさせる。
付き合う前に信用してるとか言っておきながら、本当は信用されてない気がして辛い。だからもう黙ってくれ。そんな思いで飲み物を差し出した。
すると彼女は、呆気に取られたような顔を見せてから大人しくストローを銜える。
ごくんと一口飲んでから、目を丸くさせて言う。
「君、やっぱり今日はすごく格好良いね」
「“今日は”って何だよ、さっきから」
「だって、あたしと付き合う前の君は相当残念だった」
「残念って、それ花の口から久々に聞いたな」
確かに彼女と付き合って少し変わったと思う。
だけど変わりたいと思って変わったのではなく、自然と変わっていったんだ。
これは彼女のお陰なんだと思う。
椅子がある場所まで移動して休憩していた時、突然彼女がこんなことを言い出した。
「ねぇ、君さっき“死んでも別れねぇ”って言ったよね?」
思わず呆れたような表情を作ってしまう。
まだ言うかコイツ。
何も言わずにいると、詰め寄るようにして問いかけてきた。
「もしもどちらかが死んだら―― それは別れにならない?」
「また、そうやってすぐ揚足取る」
「違う、そうじゃない」
何でそういつも後ろ向きなのか分からない。
人を振り回して我が儘言うくせして、俺との関係にはいつも不安を抱いてる様だ。
だったらもっと優しく接してほしい。おまけに甘えてくれでもしたら万々歳だ。
彼女は答えを待つようにじっと見つめてくる。仕方なく口を開いた。
「もし、もしな?俺が死んだとしたら、霊になって花にまとわりつくよ。だから別れにならないと思う」
「駄目よ、そんなの!」
まさかの物凄い剣幕で否定された。
少しは喜ぶかと思ったんだけど、それどころかちょっと切れている。
そしてムッとした表情のまま俯いた。
「だってあたしなら―― 君に幸せになってほしい」
そう言うと意を決したかのように顔を上げ手を握ってきた。
「君にはいつも幸せでいてほしいの。あたしはいつもそう思ってる。ちゃんと覚えておいてね」
もう頭の中が“?”で埋めつくされている。何も言葉が出ない。
何だか、明日にでも彼女が消えるみたいな言い方しやがると思った。
まさかまた消える気じゃ――
「あのさ、俺は今すげぇ幸せなんだけど」
「そっか、なら良かった」
「だからぜってぇ別れねーよ?」
「もう分かったってば、しつこいとふるよ」
「……」
***
自分がプールに行きたいと言っておきながら、夕方になると彼女は突然――
「飽きた。他の所に行きたい」と言い出した。まあ、いつもの事なので今更ムカつかない。とりあえず着替えようとプールを後にする。
着替え終え外で彼女を待った。
夕方だっていうのに外はまだ全然明るい。蝉の鳴き声を噛み締めながら目を瞑った。やっぱり夏は良いな。それに加えて彼女がまだ一緒に居てくれる。
それがなんだか心の底から嬉しかった。すると、わっと脅かすようにして彼女が現れる。
彼女を見つめ思わず固まった。
「ビックリした?」
「び、ビックリするわ。なんで浴衣?」
華やかな朝顔の絵が入った紺色の浴衣を着ている。
まだ少し濡れた髪をひとつに結って、上目遣いで俺を見つめていた。
くっそ、腹が立つほど可愛いな。
「今日ね、君んちの近所の神社でお祭りがあるんだよ?」
「あ、そういや毎年この時期だったかな。だからか、プールにしては花、荷物持ってき過ぎだろと思ってたわ」
うちの近所の祭りの事をよく知っていたなと驚く。
俺だって独り暮らしを始めてから二年経ってやっと知ったことなのに。
彼女が事前に何かを調べる事もあるらしい。いつも思いつきだけで行動していると思ってた。
「ナイスプレイっしょ?」
「かなりナイス!」
テンションが一気に上がった。勿論、祭に行けて嬉しいのではない。
水着姿に浴衣姿、それにテンションが上がっているのだ。
だがそれと比例するように限界値も急上昇。
本気でマズイかもしれない。襲わないという自信がどんどん無くなってくる。
祭に向かう途中、いつもの如く彼女はベラベラと何かを喋っていたが、限界値がMAXに達しそうな俺は、彼女を見つめながら“その浴衣脱がしてぇ”とかそんなことばかりを考えた。
彼女と結ばれる日、そんな日は来るのだろうか?
まさか、そんな事が全く起きないまま歳をとっていくのだろうか?
有り得ない。その前に確実に彼女を犯してしまうぞ。
神社に到着すると、彼女は嬉しそうにきゃっきゃと騒ぎ出す。
まだ薄暗い空の下、神社に並んだ沢山の出店の灯りが華やいでいて、いつもと全く違う場所に思えた。こんな盛大にやっていたとは知らなかった。一度も来たことがないし、来ようと思ったこともない。
特に何をしたいとか食べたい物もなかったので、楽しそうにはしゃぐ彼女の行きたい所に合わせる。彼女はこれでもかという位、色んな物を食べまくっていた。やきそば、じゃがバタ、イカ焼き、フランクフルト、そしてチュロスを食べながらたこ焼きの屋台を指差す。
「ねぇねぇ、あれも食べたい!一緒に食べよ?」
「なんかさ、初めて2人でラブホ行ったの思い出す」
「ん?なんで?」
「あの時も花、ありえねぇ量の食べ物頼んでさ、嬉しそうにニコニコして一緒に食べようって言ってきただろ」
「あはは、懐かしいね」
あの日の事を思い出すと今こうしてる事が不思議で、それでいて奇跡にも思える。
たこ焼きを一緒に食べていると、嬉しそうに彼女は言う。
「あたしね、誰かと一緒に食べるの好きなの」
熱そうにしてたこ焼きを頬張っている。
浴衣姿ってなだけで仕草が全て可愛く見えるから不思議だ。
「別に1人で食べても2人で食べても同じだろ?」
「ううん、1人で食べるより1.5倍くらいは美味しい気がする」
「何だそれ、麺増量を売りにするCMみてーだな」
「だけどね、君と食べたら3倍美味しい。大好きな人と一緒ならもっと美味しいの」
真顔で彼女を見つめたまま、見えない所でぐっと手に力を入れる。
まじかよ、すげぇ可愛い!抱き締めたくなる衝動を一生懸命抑えた。
だけど彼女はそんな事は露知らずで、笑顔でずっとたこ焼きを食べ続けている。
今日はずっとこんな調子で我慢ばかりしている。
自分の理性を保つことがこんなに大変だとは思わなかった。
今までは欲望の
彼女はもごもごとした口調で何処かを指差す。
「んー、あれ欲しい。取ってきて!」
それはくじ引きの屋台だった。色んな景品が紐に繋がれている。
「あそこに見える、変な猿のぬいぐるみがどうしても欲しい」
「え?」
そのぬいぐるみは、彼女自身が“変”というように、ぶっさいくな猿だった。
あんな物が欲しいとは趣味を疑う。
「欲しい欲しい、どうしても欲しい!」
「は?あんなのの何処が」
「どことなく君に似ている気が――。」
「おまえな、喧嘩売ってんのか?」
「とにかく欲しい!取ってくれたら何でもするから」
“何でも?”今の俺にその言葉は危険だ。
ぐらっと来た。
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