「忘れられない夏(後編)」5

「――キス、して」


「はあ!?」



いや、確かに何か言えよとは思ったけど――。



「早く」



彼女の言動は本当、いつでも俺の予想を遥かに越える。



徐々に心拍数が上がってきた。

今までしてしまった発言も含め、恥かしすぎて何処かに隠れたくなってくる。

彼女は何もせず動揺する俺を見つめ、ふて腐れた表情を作った。



「この間は無理やりしたくせに」


「あ、あれは――。」



いつだってこんな風に彼女にたじたじだ。いつだって心を掻き乱される。

だけどきっとこれが、忘れていた恋愛感情なんだと思う。

こんな日が俺に来ようとは、1ミリたりとも思わなかった。



「帰る」



彼女は冷たくそう言い放ち、背を向けすたすたと歩き出してしまう。



待て待て、ちょっと心の準備が。

駄目だ、待つ様子が見られない。迷うことなく早足にどんどん離れていく。

嘘だろ?今更怒って帰るのとか、一体どういう神経してんだよ。



慌てて後を追って引き止めた。



「ああもう、分かったよ」



すると嬉しそうに笑顔を見せ近付いてくる。



たかがキス一つで、こんなにドキドキするなんて久しぶりだ。

いや、もしかしたら初めてかもしれない。

こんな所でキスなんか出来るかよ、ちょっと触れたらすぐに離れよう。

そんなことを考えながら彼女の肩を抱く。



覗き込むように体を屈ませ唇に触れた時、彼女が背中に手を回してきた。

その時、何かが弾けるような感覚を味わう。

彼女の唇、華奢な体、近くに感じる香り、通じ合った心、それらを感じたら止まらなくなった。彼女という存在はやはり、媚薬に近いものかもしれない。



ずっとこうしていたい。街中でイチャつく恋人達の気持ちが初めて分かる。

周りなんてどうでもいい。目の前に彼女が居る事、それだけが全てだ。



興奮冷めやらず、思わず彼女の胸に手がいってしまう。



その時――



「いってぇ!」


「そこまでしろとは言ってないし」



思い切り足を踏んづけられた。



「おい、そもそもそっちが――。」



再び怒って立ち去る彼女の後を足を引きずりながら追う。



なんだか凄い女と付き合うことになってしまったが、だけどこの時の気持ちは、

まるで全てに受け入れられたような、そんな幸せな気持ちでいっぱいだった。






                    ***





翌日は学校で圭太に会うなり怒鳴られたが、経緯を話したら俺達が付き合ったことを喜んでくれた。そして彼女の提案で、三人でご飯を食べに行くことになる。



学校から歩いて15分ほどの場所にある居酒屋チェーン店、

そこでご飯を食べてる時、向かいの席に座る圭太は呆れ顔で言った。



「あのさ、さっきから思ってたんだけど、君達、近すぎない?」



俺も最初は疑問に思ったが、彼女にはパーソナルスペースってもんがあまり無いらしい。隣同士の席につくなり、ほんの少し動いただけでも体がぶつかる程の距離に居る。彼女はというと、きょとんとした顔で圭太を見つめていた。



「近い?」


「それじゃあご飯も食べ辛くないっすか?」



最初の頃はさり気なく距離を取っていたが、時間が経つとまた近くなる。

最終的に彼女の習性なんだと思って諦めた。だが今日はいつもに増して近い。



「だって、好きな人の傍に居ると落ち着くから」



さらっとそう言った彼女にドキッとする。可愛くて抱き締めてしまいたくなった。



「そんなこと言って、圭太くんだって彼女と一緒の時はこうでしょ?」


「いやいや、そんな近くないっす」


「へぇ、そうなんだ。そういえば彼女と遠距離なんだっけ?何年付き合ってるの?」


「ああー、もうすぐ5年になると思います」



高校2年の頃から圭太と付き合ってる彼女、名前は唯(ゆい)ちゃん。

ショートカットで笑顔がめちゃめちゃ可愛い。

性格は明るくて誰とでも分け隔てなく接する優しい子。圭太にお似合いだと心の底から思う。



男子からも人気が高くて、テニス部に所属していたため、スコート姿の唯ちゃんが見たいがために覗く男子がつねに居た。大学進学とともに唯ちゃんが引っ越すことになり、いまや遠距離恋愛となってしまったってなわけだ。



遠距離恋愛とか俺には絶対無理。圭太にしか出来ない事だろうとずっと思ってる。



「ね、圭太くん正直に言って。浮気しちゃったことある?」


「ないっす」



圭太は即答する。そういう奴だ。

なんてったって俺とは全く正反対の性格で、真面目を絵に描いたような人間だ。

女に言い寄られている所を何度か見たこともあるが、適当に流したりせず真剣に断る。いつしかそれが相手のためだからと言っていた。



「圭太はこういう奴なんだよ、ずっと昔からな」



すると彼女は俺と圭太を交互に見つめ、険しい表情で首を傾げた。



「何で君と圭太くんって、仲良くなれたんだろう?」



失礼な奴だ。

からかう為とかではなく、心からそう思っているような言い方だった。



「大輝だって根は良い奴なんすよ。ほら、今は花さん一筋だしね、ウザったいくらいに」



笑いながらそう言う圭太をまじまじ見つめた後、彼女はふっと優しい笑みを見せた。



「圭太君ってさ、本当に良い人だね」



なんか感じ悪い。彼女の中の俺って一体どんなイメージなんだろうか。

俺の前では我が儘自己中炸裂させてるけど、圭太にはそんな素振り微塵も見せない。俺には心を開いているのだと思いたい。



「ね、圭太くんは――。」



どうやら彼女は圭太に興味津々な様子。それに苛ついて、つい割って入った。



「なあ、何で圭太は圭太くんなのに、俺のことはいまだに“君”とか“あんた”って呼ぶんだ?名前覚えてる?」


「はあ?バカにしてんの?」



ずっと引っ掛かってることだった。彼女は何があっても俺を名前で呼ばない。



「そもそも君だって、携帯電話にあたしのこと“離婚調停中”って登録したまま変えてないじゃない」


「それは今までずっとそうだったから、その方が花って気がするし―― ってか、そもそも最初にそう登録したのそっちだろ?」


「はいはいそこ、イチャつかない」



圭太は呆れるような顔で俺達の間に入ってくる。



イチャついてねーって。そう思いむっとした表情を作ったまま背もたれにもたれ掛かった。名前で呼んでこないなんて些細なことだけど、本当それが何故か引っ掛かって仕方ない。名前くらい、ちゃんと呼べよ。



その後、3人共ほろ酔い気分で気持ち良くなり、コンビニで花火でも買って河川敷でやろうということになった。



コンビニの真裏にある河川敷。川を挟んで向かい側に微かに見えるのは、幻想的にさえ思える工場の灯りと高速道路を走る車のライトだけだ。



「おいおい、誰だよこんなに買ったのは」



コンビニの袋がはちきれんばかりの量で花火が詰め込まれている。

彼女が率先して袋を開け花火を取り出した。



「いいじゃない、沢山あった方が綺麗だよ。皆で何本も持ってやろうよ」



満面の笑みで心から楽しそうにしている。それを見ていたらなんだか心が和んだ。



時刻は気付けば夜中の2時。それなのに俺たちはかなりテンションが高く、花火をする所をお互い写真に撮り合ったりして盛り上がっていた。色取り取りの火花の中で笑う彼女は本当に綺麗で、つい見とれてしまう程だった。



「あー、もう無いの?」


「いやもう充分やっただろ」



遊び道具がなくなって、ようやく少し眠たくなってきた。

ごろんとその場で寝転ぶと、2人も疲れたのか一緒になって横になった。

すると圭太は、空を指差し眠たそうな声を出す。



「おー、都会なのに結構星が見えるなー」


「俺達いつも渋谷だからな。あそこにいちゃ星なんて見えねーよな」



ぼーっと空を見ていると、彼女が小さな声で言った。



「圭太くんの彼女も此処に居れば良かったね。きっと一緒に居たかっただろうな」


「お、花さん優しいなー。さすが年上」


「だって大切な人が作る思い出には、いつでもそこに自分が居たいじゃない?」


「良かったじゃん、花は今俺と一緒だぞー」



そう言うと彼女は、呆れた様にあーあと大きくため息を吐いた。



「君は本当、いつも自分のことばっかり」


「おまえに言われたかないわ!」



圭太はずっと俺達のやり取りを楽しそうに眺めてる。

同じ年なのに子供を見守る父親みたいだなと思った。



「だけど花さん、俺は楽しい事があると彼女も一緒だって思うようにしてるんです。そうすれば彼女も思い出に参加出来るでしょ?」


「素敵だね」


「でも、思い出は時に残酷ですよね。寂しくてやり切れない気持ちになることもあります」


「うん―― よく分かる」



少しだけ蚊帳の外に居る様な気持ちになった。

俺と彼女はしょっちゅう会話が噛み合わないのに、何故か圭太と彼女だとすんなり会話が進む。それは多分、2人が何処か似ているからだと思った。



圭太は幼い頃に両親を亡くしているし、孤独で悲しい思いを沢山してきたに違いない。弱音なんて吐いたことは1度もなく、それどころか人の心配ばかりしてる。

苦労ばかりしてるのに、本当に偉い奴だなって関心していた。

なんとなくだけど、彼女も圭太と同じで、何かを背負っている様に感じていた。



だけどこの時、俺と圭太は思いもしなかったんだ――



彼女が死んでしまうなんて事は。

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