「忘れられない夏(後編)」4
人にぶつかりながらも
外に居る女達が、俺を見てあからさまにこそこそ話している。
酔っ払って吐く奴、気だるそうに煙草を吸う奴、それらを通りすぎた時、少し離れた場所で、何処かを見て立ち尽くす彼女の後姿を見つけた。
淡い水色で、花柄のワンピースを着ている。
湿気交じりの緩やかな風に乗って、長い髪がさらっと揺れていた。
やっとだ、やっと会えた。
感情が高ぶっていく中、そっと距離を詰めていく。
気配に気付いた彼女が振り返った時、どきっと心臓を大きく胸打った。
だが彼女といったら、むっとしたような表情を見せる。
「もう、あれ見てよ!!」
そう言って何処かを指差した。
その先には屋台がある。目を細め、睨むようにしてそこに書かれた文字を読んだ。
「――焼き、芋?」
「そう!有り得なくない?渋谷で焼き芋屋だよ!?」
ん?
慌てて走ってきたから汗が全然止まらねぇ。
湿気交じりの風、むわっと絡みつく空気、それらがどんどん体温を上げていく。
あっちぃな。で、この女は一体、何を言ってやがるんだ?
「しかもさぁ、このクソ暑い時期に焼き芋って、超ウケない!?」
まあ、確かにそうだけど。
彼女はもうその屋台に釘付けだ。
一緒になってそれを見るも、頭の中のハテナが消える事はない。むしろ増える一方だ。
「なのにあんなに客が集ってる。皆さぁ、なんで?っていう感じで寄っていくんだろうねぇ。オヤジの作戦勝ちって感じかな」
そう言って関心しているような顔を見せている。
それを見ながら息を整え頭の中を整理した。
音信不通、10日振り、渋谷、焼き芋、興奮する彼女。
「あー、アイス持参して焼き芋に付けて食べてるし!あったま良いー、美味しそー!」
そう言って肩を叩いてくる。
は?この女、まじで何だ?
「ちょっと、何をボーッとしてんの?アイス買いにいくよ!!」
そう言って強引に手を引いてきた。それによって、やっと我に返る。
待て待て待て!
「おい、まさかそんなことで俺を呼んだの?」
「そんなこと?あんっな珍しい事めったにあるもんじゃないよ、馬鹿じゃないの!?」
「嘘だろ――。」
「あれ?そういえば君、来るの早かったよね、何で?」
きょとん顔を見せる彼女の顔を見ていたら、何かがプッツリ切れてしまった。
力強く彼女の手を振り解く。
「ああもう、何なんだよおまえ!」
怒り心頭。くそ暑い気温の中で頭に血が上ってしまって、のぼせてしまいそうだ。
何故こんなにも俺が怒ってるのか、それを理解してないような彼女の表情にも腹が立つ。分からねぇのなら、伝えるのみだ。
「10日振りに連絡来たと思ったら焼き芋!?おまえのが馬鹿じゃねぇのだろ!」
「あ、10日振りだったんだ――。」
今すぐ、俺の10日間を返してくれ!
ここ10日間の自分を思い出すと情けなくて仕方なくなる。
そこに今の様子の彼女をプラスすると、更に間抜けに思えて涙が出そうだ。
惨めな思いをさせておいて、当の本人は何日も連絡しなかった事を忘れてる?
ふざけんな、頭にきすぎてハゲそうだ。
「大体なおまえ、携帯の電源くらい入れておけよな!」
「え?君、連絡くれてたの?今までそんな事なかったからビックリ――。」
「するだろ!?あんな風に勝手に消えられれば誰だって」
「あんな、風?」
えええ!?忘れてる?
彼女は眉を顰め、目線を上に向けて考え込みだした。
その姿に
どうしたらこの怒りは収まるのだろうか。
彼女と話せば話すほど、怒りがどんどん増していくだけだ。
そして情けなくなってくる。ぐしゃぐしゃっと自分の髪を軽く乱してから言った。
「おまえ、俺にキスしただろ!?」
「ああ、あの日ね!」
「あの日ねじゃねぇよ、まじで嫌になってきた――。」
ああ――
此処に来たのが間違いだったのか?変な期待をした俺が馬鹿だったのか?
何してんだろ、俺。
がくっと俯くと、彼女が恐る恐るといったようにそーっと覗き込んできた。
「えっと、何なのさっきから、どうかした?」
ここ10日間の俺の気持ちを思い知らせてやる。
そう思い、意を決して顔を上げた。
「どうかもするだろ?あれから俺はおまえの事ばっかり考えて、頭おかしくなりそうで――。」
「え?」
彼女は驚いた表情のまま固まってしまう。だが怯む事無く喋り続けた。
「そっちにとっちゃ大した事じゃないかもしれねぇけど、俺はもう限界だ。おまえの事考えすぎて疲れたし、あんな日々もう思い出したくもない」
しばらく無言の時が流れた。
不穏な空気が漂う俺達を、通り過ぎる人達が面白そうに見ては通り過ぎていく。
目の前の彼女は目を大きく開いたまま、じっと見つめてくる。
そして、まるで謎が解けたかのように口を大きく開けた。
「君もしかして―― あたしを好きなの?」
その発言にこっちは唖然だ。
あんな分かり易い行動を目の当たりにしておいて、気付かないとか有り得るのか?
俺だって今まで否定し続けてきたけど、心の何処かで気付いてた。
圭太も勘付いていたように、周りから見れば一目瞭然だったと思う。
本当に頭イカれてんじゃないのか?
彼女は途端に目を泳がせ、俺から視線を逸らす。
「で、でも君は、恋なんかしない人だと思ってた。だからあたしは――。」
「俺もまさかこうなるとは思わなかったけど、気付いちまったんだから仕方ねぇだろ」
何回も何回も否定してきた。
誰かに本気になるなんて、この先ないことだと思ってた。
物心ついた時から、俺は恋愛感情という物が欠けた人間なんだと自覚していた。
だけど本当、人生ってもんはどうなるか分からないもんだ。
今思えば全て、頭じゃなく体が勝手に動いていた。
そうして最終的に辿り着いたのは、知らなかった自分だった。
「だって君、あたしに好きなんて今まで一言も」
「や、そうだけどさ、だけどこの間付き合えないって言ってきただろ?あれは俺の気持ち知っててフッたって事なんじゃねぇの?」
「あれはそういう意味じゃない。自分に言い聞かせたと言うか、何て言ったらいいかな」
この夏の始まりから今まで、誰よりも長く一緒に居たけど、本当、彼女の言いたい事と考えは全く見えない。だけどもう見えなくても構わない。目の前に居てくれさえすれば、想いを伝えることが出来る。
「もういい、俺あの後すげぇ後悔したんだ。花さんに、好きだって伝えられなくて」
あの時、後悔っていうのは正にこの事を言うんだなって思った。
試験に間に合わなくて、もっと前から勉強しておけば良かったとか、
あれ売り切れる前に買っておけば良かったとか、これはそういうレベルの話じゃない。なんでいつも傍に居たのに気付かなかったんだろうって、なんであの日、もっと早く引き止めなかったんだろうって、何日も引きずって考えたのは初めてだった。
彼女は何も答えずに、困惑したような表情を見せている。
もう何も答えなくても良い。伝えられただけで、それだけで満足だった。
そんな時、彼女の目から突然ポロポロと涙が流れ出した。
近付くと一歩離れ、怒ったような表情で見てくる。
「もうこれ以上、何も言わないで」
「言っておくが、こんな俺はかなりレアだぞ?」
「うん、分かるけど」
「突然音信不通になって、もう二度と会えないんじゃないかって思った時、自分の気持ちを少しでも伝えておけばって――。」
「止めてって言ってるじゃない!」
彼女は素早く涙を拭い、足早にこの場から去ろうとする。
もう同じ過ちは繰り返したくない。逃がしてたまるか。
その気持ちだけで無理やり後ろから抱き締めた。
傍で付き
もう絶対に離してはなるもんかと腕に力を込めていく。
やっと会えたんだ。
この機会に言いたいこと全て言ってやらないと、気が済まない。
「好きだって言ってだろ!?ちゃんと最後まで聞けよ、何で逃げんだよ」
「――あたしも君が好きなの。だから、逃げたくなる」
本当分かんねぇ。お互い想い合ってるなら、本当は喜ぶべきだ。
だが彼女は喜ぶどころか悲しむ始末。このまま分からないままだとまた後悔する。
そう思って抱き締める手を放さなかった。
すると彼女は、震えた声で呟いた。
「恐いの―― いつか思い出になるのが」
「思い出?」
「恋人同志なんて、いつか別れが来るんだよ?」
彼女が、こんなにも付き合う事に対して後ろ向きな考えを持ってるとは思わなかった。だから俺とは付き合えない?それが理由だとしたら、ますます納得がいかない。
「皆がそういう訳じゃないだろ?中には結婚して」
「そんなのごく一部だけでしょ?あたしは幸せにはなれない。いつか別れて君は他の誰かを好きになる。その時あたしは君の記憶から消されてしまうの。それが一番恐い」
「俺らまだ何も始まってねぇだろ?始まってもねぇのに、終わる話ばっかしてんじゃねぇよ」
何でこんなに後ろ向きなんだ?そう思ったけど、こんなにも真剣に彼女の気持ちを聞けたのは初めてだ。女と真面目な話なんて、何よりも面倒だと思ってた。
だけど不思議なことに、彼女の想いはもっとちゃんと聞きたいと思ってしまう。
考えがいつも間逆をいく俺達だからこそ、ちゃんと話し合いたいと思えた。
「――君ってさ、意外とポジティブなんだね」
「おまえが後ろ向き過ぎなんだろ?それに俺は今まで色んな女と遊んできたけど、本気になった事なんてなかった。だから、そう簡単に終わる気がしねぇんだけど」
本気でそう思った。
これはただの恋心じゃない。時に憎いほど腹が立ち、憎いほど愛しいと思う。
これが愛なんじゃないか?俺なんかが、そんな風に初めてそう思えた。
彼女はゆっくり振り返り、眉を下げ涙目で見つめてくる。
「後悔、することになるよ?」
「両思いなのに付き合わねぇ方が後悔するだろ」
そう告げると黙り込んでしまった。再び無言の時が俺達を包み込む。
俯く彼女を見つめていたら、今になって恥かしさが込み上げてきた。
何か言えよ。早くしないと、自分の発言を思い返して照れ臭くなってしまう。
そんなことを考えていた時、顔を上げ真っ直ぐに見つめてきた。
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