「七瀬 花」2

「え、何?」


「――別に。つくづく残念な奴だと思って」


「おまえさぁ」



バシン!っと、突然頭を叩かれた。

驚きにムカつきも込めて睨むと、にこっと嘘臭く微笑んできた。



「おまえじゃなくて、七瀬 花!」



さっきまでにこにこ笑ってたのに、悲しい顔になったり、怒り出したり、

情緒不安定なんじゃないか、この女。

これじゃあ、せっかくの外見もくすむ。中身で損するタイプだな。



「はな、さんは、彼氏とか居ないだろ?」


「あーん?あんた喧嘩売ってんの?」


「だってその性格じゃ、男なんかできねーだろ」



すると、何故か得意げな顔を見せる。

ふんっと鼻でひとつ笑ってから、呆れるような物言いをしてきた。



「君さぁ、なぁーんも分かってないのね。みんな夢中になるの。別れた男は全員、あたしを求めてバカみたいに追い掛け回してくるのよ」



それに対し俺の方も呆れた笑いが出てしまう。

なーに言ってんだか、その性格で。めでたい女だな。



「その性格に加え妄想癖?花さん相当イッちゃってんな」



すると乱暴にフォークを投げ捨て、チッと舌打ちをしてくる。



「はいはい、すみませんね」


「何その言い方、ムカツク」



腹が膨れてきた所で眠気がやってきた。

それと同時に心が冷め、何してんだろ?とこの状況に疑問さえ抱いてくる。

何で俺がこんな情緒不安定な女の相手をしなきゃならないんだ?この際、帰ってやろうか。



ジュースを飲みきって、気だるくソファーにもたれ掛かった。

全部の皿の底が見えてきた時、彼女もお腹いっぱいになったのか、ゆっくりフォークを置き、俯きがちに呟いた。



「もしもあたしと君が付き合ったら、凄く気の毒なことになる」



ギョッとした。付き合う?

何でそんな話になる?まだ何もしてねぇ段階で、一体何を考えてるんだか訳が分からない。面倒だから、茶化すようにして言ってやった。



「それはそれは気の毒だろうな、花さんと付き合う男は」


「君、全然分かってない」



彼女はそのまま黙り込んでしまう。

シーンと静まり返る中、疑問がますます増幅していった。

何?まさかこんな短時間で、真剣に付き合う事とか考えてんの?

あのストーカー女の二の舞は面倒だな。そう思ったから、事前に伝えておくべきだと考えた。



「花さん俺、特定の彼女とか作らないんで」


「どうして?」


「んーっと、過去に彼女居た事はあったけど、俺どうせ浮気するし、浮気したら彼女は泣き喚くし面倒だろ?だったら作らない方がマシじゃん?」


「はぁ、本当、残念で可哀想な男」


「何なんだよそれ、さっきから残念残念言いやがって」



普通に怒って言ったのに、突っ込みだと捉えられたのか、彼女は手を叩いて笑い出す。



「君を怒らせるの超笑える!癖になりそう」



いやいやいや、癖になられても次はないから。密かにそう考えて顔を歪ませた。

笑いがおさまると、彼女の顔が突然優しい笑みに変わり、真っ直ぐに見つめてくる。



「せっかく生きてるんだから、誰かを本気で好きになったら?」



そう言った彼女の顔が凄く綺麗で、脳裏に強く焼き付いた。



一通りご飯も食べ終えたし、あとはもう行動を起こすのみだったが、

一つだけ、どうしても聞きたいことがあった。



「花さんのその、左手の指輪はどういう意味?」



旦那が居るってことも有り得る。

一応聞いておかねーと、後で変な事に巻き込まれたら嫌だ。

彼女は忘れていたようにきょとんとした後、ああ、と呟いて左手を掲げた。



「これね?何だと思う?」


「結婚してるとか?」


「それはない。あたし、結婚は絶対しない」


「じゃあ何?」


「なんだろう?男、除け?」


「は?結局俺とラブホ来てんなら、男除けの意味なくね?」



すると彼女は再び大笑いし出す。

事実を伝えたまでなのに、何がそんなに可笑しいのか理解に苦しむ。



「君って本当、面白い」


「ったく、何なんだよ」



呆れながらも笑いがおさまるのを待った。

笑ってちゃ手が出し難い。そもそもこの女、ヤル気あんのかも疑わしい。

じっと見つめていると、彼女の目から突然、大粒の涙が零れ落ちた。



笑い涙には見えなかった。一つ落ちるとまたもう一つ、ポロポロどんどん涙が落ちていく。彼女は悲しい表情のまま笑い続けていた。



女の涙なんか見慣れてる。未練たらしい涙、嘘臭い涙、怒りの涙、その全てが嫌いだった。だけどあまりにも突然だったのと、異質な部類に入るその不思議な涙に、動揺が隠し切れない。つい肩を抱いて顔を覗き込んだ。



「花さん?」


「ごめん」


「いや俺、何か言っちゃいけないこと――。」


「ううん、君は悪くない」



彼女の涙はおさまる様子が見られない。

それどころか、塞き止めていたものが溢れ出るように泣き続けていた。

今までは女が泣くと、面倒だと思いながらも抱き締めた。抱き締めりゃ良いんだろ?そう思って。


だけどこの時は自然と体が動いた。

華奢な体を正面から抱き締めた時、今まで仕方なくしていたものとは違うということに気付く。



“ヤベェ、また殴られでもするかも”なんて事が頭をかすめたが、不覚にもドキドキした気持ちも抱いた。



彼女がゆっくり背中に手を回してきて、力なく抱き締めてくる。

さっきまで自分勝手で気の強い女だと思っていたのに、今は弱い女に思えた。



「人と人は傷付け合うのに、どうしてまた人を求めるんだと思う?」


「え?さあ」


「考えて」



突然何を言い出すんだと思いながらも、なんとか捻り出した。



「寂しいから?」


「そっか、君は寂しいんだね」



これは何だ?心理テストなのか?



出逢って少ししか経ってないけど、彼女の言動は全て理解できない。

この先また会うことがあったとしても、理解しようとはしないだろう。

だけど今この時は、分かっている振りをしてでも、何故だか彼女を抱き締め続けていたい。



「それさ、答えあんのかよ」



「あるよ。あたしと君は、出逢うって決められていたから。皆そうなの、傷付いてもまた誰かと出逢ってしまう―― 決められたことだから」



躊躇う事なくそう言い切る。



何言ってんだろと思いながらも、この状況にドキドキする気持ちが変わることはない。すがり付くように傍らで泣く彼女を他所よそに、なんか良い雰囲気じゃね?今がチャンスかもしれないという考えが過ぎった。



体を少し離して彼女を見つめる。

たくさんの涙で濡れた頬、眉を下げ潤んだ目で見つめてくる瞳。

それらにそそられヤル気満々になった。

顔を近付け、キスしようとしたその時――。



思いっきり突き飛ばされた。



「うそ、この部屋カラオケがある!」


「おーい」



彼女はテレビの前まで小走りで移動し、マイクを手に取り笑顔を見せた。



「こんな時は歌って元気出さなきゃ、ね!」



こんな時ってどんな時だよ。泣いてたのおまえだけだし。



その後、俺にマイクを渡さずに永遠と歌い続ける。

かなり昔の曲ばかり歌うから、知らないのもあってたまに退屈になってしまう。

そんなこんなで、気付いたら眠っていた。



夜明けにふと目が覚めると、テレビ画面が青々とした色で止まっていた。

彼女はマイクを握ったまま眠っている。



布団を掛けられていたことに気付き、手に取って彼女に近付いてみた。

青い画面に照らされた彼女の顔をじっと見る。また泣いたのか頬が涙で濡れていた。何故だか少し不憫に思い、布団を一緒に掛けて横になった。



キャミソールにショートパンツ、この角度からは膨らんだ胸の谷間が見える。

こんな姿の女と一つの布団で一緒に居るのに、ヤラないなんてアホらしいな。

ぼーっとそんなことを考えていたら、再び眠りについてしまった――。



それからどの位眠ったのか、甲高く鳴る電話音で目が覚める。

目を擦りながら受話器に手を掛けた。



「――はい?」


「チェックアウトのお時間になりますが、ご延長なさいますか?」


「え?」



とっさに部屋中を見回す。彼女の姿が無い。

まさかとは思ったが、上着や荷物もなかったので先に帰りやがったようだ。



「すみません、すぐ出ます」



受話器を置いて駆け足でバスルームまで行く。

シャワーを浴びてたりしてなんて思いもあり、恐る恐る扉を開けたが誰も居なかった。



つい舌打ちが出てしまう。



あの女、自分勝手にもほどがあるだろ。

頭に血が上ってきたので、水で顔を洗った。

大きくため息を吐いて、鏡に映った自分を無意味に眺める。



もしかしてあれは、夢だったのか?とも思えてきた。

あんな訳の分からない女、夢であってほしい。

だが、だとしたら今はこのラブホではなく自宅のはずだ。

此処に居るということは、夢ではなかったということを表している。



荷物を取りに部屋に戻った時、鞄の中身が散乱していることに気付いた。



あれ?俺こんなに荒らしてたっけか?と考えた後、ハッとする。

思わず財布を開け中身を確認したが、何も変化はなかった。

胸を撫で下ろし、荷物を纏めて部屋を出た。



外に出ると、強い日差しが眩しく照り付けてくる。

あー、もうすぐ夏だな。なんて思いながら太陽を睨んだ。



あの女――

まじで何者だったんだ?



そんな時、携帯電話が震え出した。

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