第13話 「骨を喰らう女」
その日、僕は仕事で荻窪に出かけた。仕事が済んだのは午後9時。荻窪駅のホームに上がる階段をゆっくりと歩いていると、ちょうど黄色い総武線の電車がゴトゴトと走ってきたので、僕は階段を踏み外しそうになりながらも電車に飛び乗った。
電車は津田沼行きだった。以前から疑問に思っていたことだが、中央線と総武線の違いは八王子方面行きか千葉方面行きかの違いなのだろうか?
wikipediaを見たら、中央・総武緩行線・・・東京の三鷹駅からお茶ノ水駅を経由して千葉県の千葉駅までを各駅停車で結ぶJR運転系統の通称。三鷹駅~お茶ノ水駅間は中央本線、御茶ノ水駅から千葉駅間は総武本線・・・だそうである。そうなのか?
電車は荻窪駅から千葉方面に向かって走る。
20代の時に東中野に住んでいた僕には中央線沿線の街には格段の思い出がある。車窓から見える夜の街を懐かしく見ながら僕は昔を思い出す。思い出深い街が途切れると電車は新宿駅に到着し、疲れ果てた人たちをごくりと呑み込む。疲弊した乗客たちの息遣いが電車の中に充満する。
その後は何事もなく電車は四ツ谷駅に着いた。ここでも勤務を終えて疲れ果てた乗客たちがどっと流れ込んでくる。その数は新宿駅よりかなり多い。
僕は座ろうという欲望丸出しの人間を見るのが嫌なので、その人間らしいい醜い気を感じないために目をつむって寝たふりをしていた。たくさんの人の息遣いを感じる。真夏の暑い空気が電車のドアから滑りこんでくる。暑い空気とともに“嫌なモノ”が侵入してきたような気がした。同時にバタバタという乱暴な足音がしたので薄眼を開けてみると、僕の座る前に妙に痩せた女性が立ってブラブラと揺れている。
女性の左手にはコンビニのビニール袋が垂れ下がっている。女性が落ち着きがないからなのか彼女がぶら下げているビニール袋がガサガサガサ・・・と大きな音をたてている。電車が動き出す。満員の乗客で膨らんだ電車が四ツ谷駅を出ると、乗客たちが揺れる・・・。僕の前に立った女性は座りたいからか周囲をキョロキョロと伺っているようだった。
しかし満員の電車では座ろうにも乗降客の多いお茶ノ水か秋葉原までは無理だろう。僕は女性の異様な視線を感じながら眼を閉じた。座りたいのか?女性はどうしても座りたいようで、僕に向けて「お前が早く降りて席を明け渡せ」という気を全身から発しているような気がした。
彼女はコンビニのビニール袋をガサガサと動かす。僕は「俺は船橋まで降りないよ」とあるのかないのか知らないがインチキな気を送ってみる。すると・・見事にそれが通じたのか女性は僕の席の横取りを諦め、僕の右隣に座る女性の前に移動してビニール袋を再びガサガサさせ始める。僕の右隣に座る女性は、コンビニ女の妙な威圧感を感じたのか、それとも単純に降車する駅だったのか・・・水道橋で席を立って電車を降りた。
「うわ、女が隣に座る・・・」
コンビニ女は僕の右隣にドカッと乱暴に座って「お前が降りればよかったのに」と言うように僕に鋭い視線を送っている・・・ような気がする。気のせいかもしれないが、僕は継続して寝たふりをしている。薄眼を開けてみると、顔ははっきりとは見えないものの、どうやらコンビニ女は結構な美人のようだった。しかし、美人だということはどうでもよい。僕にはコンビニ女の異常な気配の方が気になって仕方がないのだった。
美人のコンビニ女は僕の横でガサガサと音を立てて何かしているようだ。電車の中で満員なのに関わらず足を組んだり周囲の目を気にすることなく鼻くそをほじったりミニスカートの女の子のパンティをのぞき見ようとしてモゾモゾと落ち着かない人間は大嫌いだ。落ちついて見えるのを待てばよい(笑)
横目でチラリとコンビニ女を見ると新聞紙を広げて読み始めた。「満員電車の中で大開きに新聞読むのは礼儀知らずの爺さんばかりだと思っていたが・・・」
ガサガサと音を立てた源はこの新聞紙だったのだ。僕はイライラするのを我慢して寝たふりを続行することにした。しばらくすると新聞紙のガサガサという音よりも大きな雑音に気がつく。今度はガリゴリという固いものを削るような音だ・・・。僕はようやく気がついた。コンビニ女は新聞の陰でコンビニ袋から何やら食べものを取り出して食っているのだった。しかし・・・それにしてもこの固いものを削るような音は何なのだろう?クッキーでも食べているのだろうか?否、クッキーに齧りつくよりも、もっと大きな音なのだ。僕はまた横目でチラリとコンビニ女を見た。
しかし、新聞紙に隠れて彼女が何を食べているのか見えないのだ。するとガリゴリという雑音が止まった。不思議に思って僕は、はっきりとコンビニ女の方を見た。まさに背中に冷水を浴びせかけられたように・・・という表現がぴったりなように僕はぞっとした。彼女は新聞紙の上の方をわずかにめくって僕を睨んでいたのだ。彼女とまともに目があった僕はしばらく彼女の視線から目を外すことができなかった。「ひひ」彼女は低い声で僕を嘲るように笑った。そこでやっと彼女の手元が見えた。
それはベージュがかった白い棒のようなものだった。同時にぷーんと死臭のような匂いが僕の鼻をついた。
「骨?」
そのとき電車が亀戸駅に到着した。電車が駅に滑り込むと同時にコンビニ女は新聞紙をガサゴソと乱暴に畳んで席を立った。コンビニ女の後ろ姿は妙に大柄というか巨大であった。電車のドアが閉まると同時に彼女は僕の方を見て笑った様な気がした。
電車は平井駅を出て夜の闇を突き刺すように進んでいく。
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