第12話 「弁天山」

1957年1月2日、僕は福島県のいわき市に生まれました。父親は同じ福島にある猪苗代町の農家生まれで建築住宅販売会社の営業マンでした。母親は岩手県一関市にある神社の神主の娘で、電話交換師をしていました。ふたりがどうやって知り合って結婚したのかはまだ聞いたことがありません。

その時期の記憶はほとんどありませんが、列車の操車場の中をひとりで歩いていて、目の前に列車の方向を変える回転式転車台があったのを記憶しています。最近になってインターネットで調べてみると小名浜操車場の写真がありました。勿来には貨物の操車場もあります。どちらかだと思うのですが、ひとりで隣町の小名浜や勿来まで歩いて行けるわけはありませんから、両親と一緒に行った際の記憶の一部だったのでしょうか。

それから間もなく、父親の転勤でいわき市を離れ、同じ福島県内の会津若松、郡山などを経て福島市の弁天山という小さな山の麓に建つアパートに落ち着きます。僕はこの地で幼稚園から小学校入学までの時期を過ごします。弁天山というのは不思議な山で、昼間のうちはひとりで山に登ったりしましたが、夜になれば街灯もなく真っ暗で、さらに登山口には小さな鳥居があって、子供心に恐怖を感じたものです。

最近になって知ったのですが、弁天山は森鴎外の「山椒大夫」で有名な安寿と厨子王が生まれ住んでいたところだと言われています。しかし、これは中世に成立した説経節『さんせう太夫』を基にした創作ですから本当に住んでいたわけではないのです。

でも、創作だとしてもそんな伝説があったせいでしょうか、僕はこの頃に不思議な体験をしています。

ある晩のことです。家族で布団に入り寝ていたのですが、真っ暗な部屋の中で突然目を覚ました僕は天井や壁の中から物凄い数のミミズのような細長いものがニョロニョロと這い出てくるのが見えました。驚いた僕は寝ている両親を起こそうとすると、今度は両親の鼻や口や耳から同じミミズが這い出てくるのが見えました。気がつけば部屋の中にはミミズのようなものでいっぱいです。僕は叫びました。驚いて飛び起きた父親が明かりをつけると部屋の中のミミズは消え失せていました。「風邪の熱でうかされたんだろう」と両親は言って笑いました。その時の両親の顔を恐ろしく感じたものでした。

またある日、こういうこともありました。その日、母親は台所で夕飯の支度をしています。僕は居間で寝転がりながら壁に掛けてあった父親の背広を下から見ていました。そのうちに背広の袖口が気になって仕方がなくなりました。そこで袖口をぐいと掴んで袖口から中を覗き見たのです。すると袖の上から小さな男性の顔が僕を見下ろして笑っていました。男性と何か話したような気もしますが記憶にありません。それから母親に「かあちゃん、背広の中に誰かいるよ」と言ったのですが、「馬鹿言うな」と笑われ、ふてくされた僕は「ほんとだもん」と言いながら再度袖口から覗くと、もう男性の顔は見えませんでした。

だいぶ後になってからですが、壁に掛けてある背広の袖口を覗いても何も見えないことに気がつきました。だって背広の肩から覗くことは不可能ですからね。

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