第7話 マリンと呼ばれた女

『 葉月莉央』それが、マリンの本名だ。誰が『マリン』と名付けたのか思い出せなかったが、サルサダンスの教室に通っていた頃か、そう呼ばれるようになった。

おそらく、帰国子女で、アメリカで暮らした事があったから、マリリン・モンローから付いたあだ名では無いかと思われる。


神様は不公平だと思った。


日本人なのに、何故こんな目立つ顔に産まれて来たのだろう。平凡な顔で産まれて来たなら、アメリカで暮らす事もなかっただろう。

アメリカで暮らした事はそんなに悪くはなかったが、日本を逃げるようにしてアメリカに行かなければならなかった自分がイヤだった。


中学生の時、その整った容姿のせいで何かと、クラスの女子からイジめられた。今から思うと、嫉妬の他何物でもなかったのだろう。


莉央が悪いのか?


何度も、自分を責めた。莉央が何をしたって言うのだろう。


 学校のノートに、『男好き、ヤリマン、ぶりっ子』等などと書かれて、そのノートを母親に見つけられ時に、


「学校を変わろう。」

 

と、言われた。

 普通、学校の担任に文句を言いに行くのが本当なのだろうが、学校もあてにならない。と、判断したのだろう。

  母の決断は早かった。


 何処に転校しても一緒だと思ったが、母親が提案したのはアメリカだった。


サンフランシスコ。

 

そこに何があったかと言うと、父の妹、叔母さん、亜紀さんが住んでいた。

莉央は、日本から離れたくはなかったが、その時の状況は最悪なもので、学校に行く勇気が無くなっていた時期だった。自分でも限界だと思った。

 それでも、イジめに負けたと思われるのが嫌だった。

 

 結局は、イジめに負けた形で、サンフランシスコに行く羽目にはなってしまったのだが。  

 アメリカ行きが、莉央に取って今までの自分の人生をリセットする最高のチャンスではあったが、イジめに耐えた自分はなんだったのか。呆気なくそこに逃げてしまう自分もまた、許せ無い。

 

英語が喋れないのに、異国の地での不安は計り知れ無いほどだ。両親と離れ離れになるのだ。莉央には妹が居た。二人姉妹だ。妹とも離れて暮らす事になる。

留学費用も、相当なお金だ。その全てを母の実家、莉央にとっては祖父母になるが、全部出してくれると言う事だった。


母の実家はかなりと言うほどのお金持ちではないが、そこそこ土地も貯金も持っていた。自分達に取っては死に金だから、何かあった時と言うよりは、孫の役に立てるならいつでも使って欲しい。大学の費用にして欲しいといつも母に話していたらしい。

下手に財産を残すよりは、莉央に使って貰った方が祖父母も喜ぶと、母が父を説得した。

莉央は、恵まれていると思った。祖父母に感謝した。そして、両親に。


 子供の頃、幼馴染みがいた。同じ保育園に通い、いつも三人で遊んでいた。男一人に、女二人。

 よくあるパターンだ。


 小学校の頃の莉央は、活発で、男勝り。


  結花と拓也。


 莉央にとって、この二人がいてくれたらそれだけで良かった。


  拓也は、オットリした性格で、目立つ男の子でも無く、どちらかと言うと結花と莉央の後ろをいつも付いて歩く頼り無い優柔不断な男の子であった。

 優しい気持ちの男の子であった。


夏に蝉の死骸が落ちているのを見てお墓を作って埋めていた事とか、莉央が転んで泣いていた時も、一緒になって泣いてくれていた。


  莉央がイジめにあってた時も‥。


 小学校を卒業する頃、結花に嫌われた。


  多分、それがイジめの発端だろう。反抗期に差し掛かったクラスの女子は何かにつけ怒っていた。どこかにはけ口が欲しかったに違いない。その対象になったのが莉緒であった。


 結花と一緒にいると楽しかったのは小学生までで、あれだけ遊んだのに、あれだけ楽しかったのに、『結花は莉央の引き立て役』そんな風に言われるようになってから、結花は莉央から離れていった。


  結花は敵になった。


  クラスのどの女の子達にハバにされようが、無視されようが、ノートにイタズラ書きされようが構わなかったが、結花に無視されるようになったのは辛かった。

  小学生までの楽しい思い出が全部、嘘のように思えて、悲しかった。


  拓也は、莉央を守ってくれた。が、彼が、莉央を庇えば庇うほどイジめがエスカレートして行った。

 所詮、男には目に見えない陰湿な部分を女は持つ。


 やはり、アメリカに行った方が良いだろう。自分が居なければ拓也も莉央を守らなくて済む。


 中三の夏、サンフランシスコに旅立った。

 クラスの誰も知らない間に。

 

 拓也にだけは伝えたかったが、言えば、折角決心したのに拓也に『行くな』と言われたら、サンフランシスコに行けなくなる様な気がして、言えなかった。

 多分、拓也は『行くな』なんて事は言わないだろう。でも、彼の切ない目を見たら、動けなくなってしまう自分がいる。彼と別れる最後の顔が、彼の切ない顔なら、イヤだと思った。


  産まれ変わろう!


  何もかも忘れて!


 サンフランシスコの街は、不思議な街だった。色んな人種が混ざり合っている。

  亜紀さんは、ボーイフレンドの『アート』と言う、ヒゲもじゃのアイルランド系の白人と暮らしていた。生計は、観光ガイド。

 そんな所に、亜紀さんは何も聞かずに、ただ優しく莉央を、受け入れてくれた。

  まず、言葉の壁を越えるために、サンフランシスコの語学学校に通った。

  辛かったと、思えるのは最初の3カ月だけだった。

  友達が居なくても平気だったはずの莉央が、小学校の頃の明るさを取り戻す様に沢山の友達を作った。


  中国人、韓国人、台湾人、日本人も居たが、莉央の一番の友達は韓国人だった。友達が出来ると、彼らの国の言葉を沢山覚えるようになった。


  元々、頭は悪い方じゃない。


  瞬く間に、四ヶ国語が喋れる様になった。そうなると、世界中、怖いものなし。何処にでも平気で行く事が出来た。


 サンフランシスコで生れ変り、大学を卒業する頃、将来の事を決めなければない岐路に立たされた。

アメリカに残り、映像の仕事をしたいとも思ったが、一度日本に帰って語学を生かして何か出来るかもしれないと思った。

 両親の事も心配だったし、全ての留学費用を負担してくれた、祖父母に恩返ししたいと思った。


 あの時の、莉央をいじめた彼女たちの顔を忘れることは無かったが、拓也がどうしてるのか知りたかった。メールを何度もしようかと思ったが、拓也の事を考えるだけで、あの頃の自分にフレッシュバックして辛い思い出が横切った。

 日本に置いてきた全ての思い出を破棄したかった。良い思い出だけを残して。


 亜紀さんは凄い人だった。

 

 サルサの音楽が好きで良くサルサバーに連れて行ってくれた。


 部屋の掃除をする時もサルサ。陽気な人だ。ボーイフレンドのアートも、最初は熊かと思ったが、優しかった。『アート』と言うのは実際、ケルト語で熊と言う意味らしい。本人は、古代ケルトの王の名前だと自慢気に言っていたが。

 二人の共通点はボルダリングであった。サンフランシスコの郊外に『ヨセミテ国立公園』と言うのがある。そこに魅せられて故郷を離れ移り住んだ二人である。


 莉央は日本に帰った。


 日本に帰ってからは仕事も順調に決まり、平和な毎日を過ごす事ができた。

 

 拓也に会った。


 拓也は昔のまま。あの時から全然成長してないように莉央には思えた。

 以前よりも美しく成長した莉緒を見て、拓也は顔を赤く染め、目を見て話す事も出来ないほどだった。

 幼い頃に遊んで心を許しあった仲間ではあった。

 「ごめんね。黙ってアメリカに行っちゃって。」

 最初に莉央はあれだけ庇ってくれていた拓也に謝った。怒っていただろう。でも月日は流れた。

「オレは、情けなかったよ。莉央を、守りきれなかった。自分を責めた。‥‥けどね、どこかでホッとしたんだ。莉央が幸せになってくれれば良いって。正解だったみたいだね。今の莉央は生き生きしてる。保育園の頃の莉央みたいだ。」


二人して、声を出して笑った。久しぶりに、心の中の氷が徐々に溶けて行くような気がした。

それから、二人が恋に落ちていくのも早かった。何故か気の合う二人。


元々、二人で一つだったのだ。


その一人が成長して、また、一つになった。


「結花はどうしてる?」


ずっとその名前を口にするのを避けて居た。


「わからない。高校までは一緒だったけど、結花は莉央がアメリカに行ってから一度もオレとは喋らなかった。顔も、見なかった。」


「ただ‥。」


「ただ、何?」


「莉央が居なくなって、誰かがイジめたからだとか噂になって、結花が槍玉になってたみたい。女子の事は良くわかんないけど、オレも最近、成人式の時に会った友達に聞いた話。結花も辛かったんだと思う。」

「元々、莉央に似て負けん気なところそっくりなクセに、涙脆くて、優しい子だったもんな。」


そう、何か歯車か噛み合わなくなったのだ。元気で居てくれたら良いと思った。あれ程、憎んだのに。憎んだ?

イヤ、結花を恨んだ事もあった気がするが、憎んだのかよく分からない。結花と拓也と三人のチームワークが崩れるのがこの世の終わりだったのだ。


毎日、あの頃なんで泣いていたのか?


誹謗中傷に屈する莉央では無かった。結花と拓也の三人チームがあればなんだって出来たのだ。

結花が何故敵になってしまったのが理解出来なかったのだ。そんなに脆いチームだったのか。

ただ、情けなくて泣いた。




ある日、莉央は栄の美容室に行った。友人の紹介の美容室は、雑居ビルの3階にあった。

珍しくパーマでもかけて見る気になった。世間ではゆるカワが流行っていた。

大きな鏡が置いてある窓際の席に通された時、ふと、懐かしいリズムが耳に入って来た。

『サルサだ』

微かにあのリズム。美容室のBGMとは別の所から聞こえて来た。


懐かしかった。サンフランシスコで、亜紀さんとアートがセクシーに楽しく踊っている姿が思い出された。


カットをしてくれる、少しイケメンのお兄さん。ヒゲもカッコ良い。アートのそのモジャモジャのヒゲとは似ても似つかぬ様に手入れが行き届いている。

「何か、サルサの音楽が聞こえて来るんですけど、どこかで鳴ってます?あ、サルサってわかります?」

「あ、ああ〜〜、上ですよ。上がサルサバーになってます。今日はレッスンがあるのかな?」

「え?そうなの?後で行って見ようかしら?」

「僕、行った事ないですけど、楽しそうですね〜。踊りとかは苦手なんですけど、結構、綺麗なお姉さんとか出入りしてますね。最も僕は、ちょっと幼い感じの子が好きなんですけどね〜。」

「あ、ゴメンなさい。お姉さんは、綺麗過ぎて‥。本当に日本人ですか?モデルさん?」


そう、最近ではモデルさん?って聞かれる事が多い。スカウトされる事もあるが、何のスカウトだ?


イヤ、サルサバーがこんな間近にあるなんて知らなかった。忘れていた感覚が蘇る。後で、絶対行って見よう。


しかし、どうやらお兄さんは、そのサルサバーに好きな子が居るらしい。後で、コレも調査して見よう。


サルサバーに行ってレッスンを受けるようになると、段々と内部事情が分かって来るようになった。美容師のお兄さんは、ナナちゃんと呼ばれる、ちょっと太めで、おっとりさんの彼女に興味があるようだった。


何故か、そこで『マリン』と言うネームを与えられた。莉央はそのネームが気に入った。


ナナちゃんは、拓也に似ていた。おっとりさんで、優しくて、でも、自分に自信がない。そこが、残念である。

日本人って見た目で半分以上性格も判断する。

確かに見た目は大事なのだが、莉央のように容姿のせいで辛い過去を持つ女にとっては、馬鹿げた話だと思った。


『ちまちまと細かい事気にしてんじゃねーよ。』


と、言いたかったが、ウジウジした性格は直らないらしい。


ナナちゃんとは、飲みにも良く行った。日本人の女友達は居なかったので嬉しかった。莉央は、どちらかと言うと酒豪で、飲めないナナちゃんは夜明けまで付き合って、拓也の愚痴とかも良く聞いてくれていた。


『ナナちゃん、どうしてるかな?』


半年くらいしか『ベラム』に通わなかったから。今度は、莉央が友達を裏切る様な形になってしまった。


莉央は、拓也と一緒になりたかったのに、拓也は、『莉央とは住む世界が違う。莉央にオレは相応しくない。』

と、訳の分からない事を行って離れて行った。


拓也は、大学を出てから就職活動にも失敗し、フリーターとして働いてるだけだった。優しいだけでは生きていけない世の中である。

夢は持っていた。映画を作りたいと熱く語っていた。いつか、莉央をヒロインにしてアクション映画を作る。と。


でも、結局、現在の情けない自分が、許せなくて、莉央に頼る自分がイヤで別れてくれと言って来た。また、莉央の容姿のせいでもあった。莉央には、もっとイケメンでカッコ良い男の方が似合うと。


一体、誰が決めるんだ?恋人に似合う、似合わないって。


何を言っても無駄だった。拓也が、男として胸を張って莉央の恋人と言えるまで待ってくれと言われた。でも、待たなくても良いとも。

見事に拓也に失恋した訳である。


その頃、韓国の友達が起業して、通訳の仕事で手伝って欲しいと誘いがあった。


莉央は日本に居るのがイヤになっていた。祖父母も老人ホームに入り、莉央が日本に居る理由も無くなっていた。


ただ、ナナちゃんに何も言わずに日本を離れてしまったのは心残りではあった。ちゃんと、言えば良かったのだが、ナナちゃんは、拓也に本当に良く似ていた。何と無く、ナナちゃんには別れの言葉を言いたくなかった。

すぐ、また『ベラム』に戻って来るつもりもあったのだ。


美容師のお兄さんは、ちゃんとナナちゃんに告白出来たのだろうか?



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