第5話 トモちゃん

エレベーターを降りると、顔見知りの生徒が三人程いた。入り口、入ってすぐの所にソファーが置かれている。

さっきの彼女を探す。ナナより五分は早く着いているはずだ。


姿が無い。

声を掛けた若い男性も居ない。男性の方は背中越しに聞こえてきた声だけしか聞いていなかったが、それらしい人物も居なかった。

ナナの勘違いだったかも知れない。サルサシューズでは無く、他のステージで踊る本格的なダンサーだったのかも知れない。

ナナの知らない世界がこの栄と言う街には広がっている。

東京の地名で言うなら新宿辺りになるだろう。


「こんにちは。」

「こんにちは〜。」


ありきたりな挨拶から始まり、

「ナナちゃん、今日のレッスンはどうする?シャインまでやってく?」

「あ、多分ムリ。今日は初級だけ受けて、また、夜パーティーに来れたら来ます。」


最初に話しかけて来たのは、半年前から『ベラム』に通ってる『ヤスコ』だ。

ヤスコさんは、これまた、年齢不詳。

ただ、昔ディスコなるもので一杯踊っていたそうな。子供の手が離れ、ようやく自分の時間が持てたと言う、優雅な主婦である。

ヤスコさんは、昔は細身だっただろうと思われる体型ではあるが、50代の年齢は誰が見ても50歳なんだろうと納得する容姿である。

ムリにスリムパンツを履いてはいるが、腰に付いた贅肉は隠せない。大きめの派手な幾何学模様が付いたTシャツを着ている。屈むと脇肉、腰肉と至るところの贅肉が波打ってるのがわかる。


『ベラム』の生徒はヤスコさんと同じような年代の主婦が多い。同じように、若い頃ディスコでフィーバーしていた輩が多いのではないかと思われた。

キャシー先生もその内の一人かも知れないが、キャシー先生は元々クラシックバレエをやっていたので、踊りには優雅さと、美しさが溢れ出ていた。

ディスコもだが、中には、社交ダンスを若かりし頃やってたと言う、もう少し年代も上の人もいる。

もちろん、20代、30代の若くてキレイな『マリン』のような女の子も大勢いる。

男性はどうかと言うと、ダンス好きが集まった感じではあるが、サルサダンスに通う女子目当ての人も少なからずはいる。

イケメンが多いのかどうかは分からないが、いたって普通の男性ばかりである。

たまに、パーティーで外国人を見かける。ラテン系のその人達は、流暢に日本語を喋る人もいれば、片言の日本語で、女性をナンパしてたりする輩もいる。

彼らと踊れたらラッキーだ。日本人のリズム感とかが違ってセクシーに踊る。

もっとも、ナナにして見れば、外国人と言うだけでのぼせ上がってしまうので、彼らのリードが上手いのか、下手なのか分からないのであったが。

日本人だと、踊りが上手でパーティーで、人気の男性がいたとしても、パーティー以外で見かけると、さえないサラリーマンだったりする。

キャシー先生に言わせたら、『サルサマジック』らしい。

フロアでカッコよく踊れる男性は素敵だが、彼らから踊りを取ったら手も繋ぐのも躊躇する。と言うらよりは、手も繋ぎたくない、男性だったりする。


カウンターの中から、キャシー先生が、

「ナナちゃん、いらっしゃい。」

「こんにちは〜。」

「今日のレッスンはどうする?」

「初級コースだけでお願いします。」

「夜のパーティーは来る?」

「はい、多分。来ます。」


短いやり取りをして、レッスン代を払う。


「じゃ、ちょっと待っててね。もう少しで、先生見えるからね。」


ソファーに座りながら、サルサシューズに履き替える。ナナの足は大きい。身長は155㎝。体重は内緒。足のサイズは、24.5㎝。身長の割には足が子供の足のように平たく、不恰好である。

サルサシューズは、ヒールがある。8㎝、7㎝のヒールの高いシューズを履いて踊ると足も長く見えるし、綺麗だとは思うが、ナナはヒールが履けない。4㎝のローヒールのシューズで踊る。

それでも、足が痛くなる。長時間は踊れないのである。幸いな事にパーティーでは、男性からのお誘いがあまりない為、何曲も続けて踊る事が無い。三曲立て続けに踊るものなら、足が悲鳴をあげてしまう。

初級レッスンだけでもかなりのオーバーワークである。


きっと、もう少し体重を落としたら、ダンスも軽やかに踊れるようになるのではないか?心の中ではそう思うのであったが、ダイエットに成功した試しがない。


エレベーターが開き、中からさっきナナの隣に座っていた『トモちゃん』と呼ばれた彼女と、女性数人。男性も数人降りて来た。きっとその中の一人が、彼女に声を掛けた若い声の男性に違いなかった。


「こんにちは〜」


全員が挨拶した。


「じゃ、そろそろレッスン始めましょうか?」

「皆さん、準備は良いですか?」


サルサシューズに履き替えた女性が七、八人。男性は五人だった。

それでもフロアは一杯になる。


東京を拠点にしている、ダンサーの先生は、たまに大きなイベントとか、パーティー、フェスティバルなど催し物があったりすると地方に呼ばれたりする。

次いでにアウェイで無い所のサルサバーで特別レッスンを組んだりする。基本、何処に行っても、誰と踊っても楽しく踊れるようにする為に、サルサバーを経営している者同士の繋がりが出来ているのだ。


今日のレッスンは『アキラ』と言う男性ダンサーだ。


今日のレッスンに来ている生徒達で三分の一はこの『アキラ』先生の、東京の生徒さん達であろう。

追っかけでは無いが、一緒にパフォーマンスする人達だ。

東京も、名古屋もそう遠く無い。生徒に名古屋でレッスンします。と、声を掛ければ着いてくる輩も居る。ヒマを持て余して居る、奥様連中は金持ちである。


ただ、初級クラス。


東京からお供で来た彼らは、人数合わせの可能性も高い。初級クラスにワザワザ入らなくても、充分にサルサを踊る事が出来る。

彼らの目的は、中級、シャインだろう。初級は、身体慣らしと言った所だろうか。


レッスンが始まる。

ストレッチから始まり、全くの初心者がどれだけいるか確認してから『アキラ』と呼ばれた先生が丁寧に指導してくれる。


案の定、ほとんどの人がサルサダンスを完璧に踊れる人達である。

ターンが半端無く上手い。軸がブレ無いのである。綺麗にステップを踏む。


身体半分は後ろを向いているのに目はまだ前方一点を見据えたまま、身体が元の位置に一回転する瞬間に頭が身体に追いつく。

上級者になると首を上手に使って回転する。


ナナは、その回転の仕方も頭では分かっているのだが、中々上手くいかない。


その中で、一際、目立つ人がいた。彼女だ。


『トモちゃん』


と、呼ばれた彼女は、ナナが思っていた通り、綺麗だった。背筋が伸び、躊躇する事の無い足運び。何も考えずに、自然に身体が動いてるようだ。

そして、思ったお通り、彼女のスカートは、クルクルとフロアの真ん中に花を咲かせていた。


基本ステップ。


何度となく、繰り返し繰り返し、頭に入れたが、今だにワンテンポ皆んなより遅れる。ナナはそのワンテンポ、遅れてる事にすら最近まで気がつかなかった。


休憩時間に、トモちゃんと話しがで来た。トモちゃんから話し掛けて来てくれたのだ。

嬉しかった。


「さっき、ドーナツ食べてませんでしたか?隣でしたよね?」

「はい、あ、やっぱり、そうでしたか?」

「私、トモって言います。今日は、アキラ先生のお供で来ました。ま、身内なんですけど。」


身内と言うのは、アキラ先生の教室に通ってると言う事なのだろう。ナナもキャシー先生の身内である。

さっき、後ろから声を掛けて来た男性はどうやらアキラ先生らしかった。


「お上手ですね〜。サルサ。何年くらいやってらっしゃるんですか?」


ナナは、普段から会話らしい、会話を持ち合わせ無いのでこんな質問をするなんてと、自分でも驚いた。彼女の素敵な笑顔が、そうさせたのか、話しやすい人だと思った。きっと誰にでもそうなのだろう。人柄と言うか、辺りを暖かくさせる雰囲気のある人だと思った。


「そうですね〜、サルサは最近ですね。それまでは、スキューバダイビングを少し。」

「は?」

ナナは、耳を疑った。『今、なんて?』

「あ、ダイビング。海に潜るんですけど、趣味です。だけど、ダイビングって背筋使うんですよね。かなり体力いるんです。こう、海から陸に上がる時ね、背筋が無いと、上がれ無いんですよ。タンク背負うでしょう、ウェイトも付けるんですよ。」

「凄いですね〜。」

と言う言葉しか出てこなかった。


再び、レッスンが始まった。


いつもより、キツイレッスンだった。ナナは汗だくになり、必死で皆んなに着いて行くのがやっとだった。

トモちゃんと言うと薄っすら汗をかいているぐらい。相変わらず、爽やかだ。

ステップも余裕。ターンも余裕。


そして何より、楽しそうに踊る。


中級レッスンが始まるまで1時間ほど時間が空いた。その間にグループの者達で喫茶店に行ってお茶したり、ベラムに残りダベっていたりする。

ナナは、大抵は、キャシー先生と話ししてたりするが、栄の街を探検に出かける時もあった。たまに、ヤスコさん達とお茶に行く事もあった。


ナナは、今日は中級クラスには出ない。出れないと言った方が正しい。50代のヤスコさんですら、中級クラスに出る気満々だが、ナナにはその体力も残って無い。


「次のレッスンには出ないいんですか?」

トモちゃんが聞いて来た。

「あ、もう、ちょっと疲れたんで、休憩します。夜のパーティーには出たいんですけどね。」

「ナナちゃんって言うですよね?さっきキャシー先生がそう呼んでらっしゃいましたよね。」

「え、ええ。そうです。」

「まだ、次のレッスンまで時間あるし、お茶でも飲みに行きませんか?」

「この辺、あんまり知らないから。近くに良い所無いですか?」


何故か、このトモちゃんと話しているとドキドキする。


確か、このビルの斜め向いのホテルの地下にオシャレなカフェがあった。一人ではあまり入りづらいお店ではあるが、トモちゃんにはそのお店の雰囲気が似合うと思った。


「あ、じゃあこの近くにありますから、案内します。」

「アキラ先生も一緒に行きませんか?」

アキラ先生に向かってトモちゃんが話し掛けた。

アキラ先生の身内だろう、東京から来た生徒と思われる女性の一人が、トモちゃんの言葉を聞いてクスッと笑った。


「トモちゃん、次のレッスンサボるつもり?良いけど、シャインには必ず戻って来てよ。」

アキラ先生が答える。


それを聞いていた、さっきクスッと笑った彼女が、


「母子でも、厳しいですね〜。先生」


「???????母・・・??子?」


ナナは何の事か分からなかった。トモちゃんと、アキラ先生が母子と言うのか?

イヤ、イヤ、あり得ない。もし、そうであるなら、継母??16歳で産んだの?

ナナの頭の中がグルグル回転する。


ベラムの人も皆んな目が点になってる。キャシー先生を除いては。


「ほら〜、母子って言うから、皆んなビックリしちゃってるじゃ無い。何の為にトモちゃんって呼ばせてるのかわかん無いじゃないの〜。正真正銘、トモちゃんは、アキラ先生のお母さんだよ。あ、言っちゃった〜〜。だって、トモちゃん、また若くなったんじゃ無い?絶対、50歳過ぎてるなんて見え無いもん。」


キャシー先生がニヤニヤして言う。


『な、な、な、何〜〜????』



恐るべし、トモちゃん!!

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