第4話 魔女現る
『まだ、レッスンの時間まで30分はある。』
ナナはいつも一時間くらいは早めに行くようにしている。早く行って、キャシー先生とおしゃべりしたりするのが楽しかったし、栄の繁華街を歩くのは、『ベラム』に行く時くらいしかないから、繁華街の街をゆっくり楽しみ楽しかったかった。
今日の予定は、スィーツをお腹に入れてから『ベラム』に行き、キャシー先生とおしゃべりするつもりだった。
時間は充分にあったはずなのだが、途中で、ショップに寄ってしまったので、キャシー先生とおしゃべりする時間を取るか?スィーツを食べる時間を取るか?で、全く悩まなかった訳ではないが、スィーツを取った。
ダイエットを気にしないでも無い。むしろ、メチャメッチャ気にしてはいるが、こればっかりはどうにもならないのである。
自分の美に対する意識が低いのである。
痩せたいとは思ってはいるが、諦めも半分。今更、体型を気にする歳でも無いとか、努力する気持ちはあるのだが、根っからの怠け者で、甘い物を食べ無いと生きていけないと思い込んでいる。
自分の都合の良いように生きて来た。
『ベラム』にサルサのレッスンに通うようになって、少しは痩せたかと思いきや、逆に心なしか肥ったようにも思う。
運動したら、必然的に甘い物が食べたくなるのである。
『今日はTVのCMで宣伝していた、新しいドーナツが食べたい。』
家を出る時から決めていたのだ。
足早に、通りに面した目的の店に行き、細長く作られた店内はほぼ満席ではあるが、カウンターのお一人様の席に2、3席の空きがあるのを確かめてから、ドーナツと、コーヒーを注文する。
至福の時である。
このお店でレッスン始まりのギリギリまでいれば良い。五分もあれば充分、『ベラム』まで行ける。
隣に腰掛けて、同じようにドーナツを美味しそうに頬張る女性がいた。彼女と、ナナの間に置かれた紙袋の中から、ブルーのサテンのシューズが見えた。
『サルサシューズだ。』
彼女の目的地は『ベラム』に違い無い。
この時間。日曜日の昼下がり。東京から有名なダンサーがやって来るとの事。
レッスン内容は3部構成になっていた。
初心者のクラス。中級クラス、シャインのクラス。
シャインとは、パフォーマンスを目的として作られた、1人で踊るものも、ペアで踊るものも、グループで踊るものもあるが、女性が美しく、きれいにどうしたら踊れるか?と言うのが基本に創作されたダンスである。
男性のリードに合わせて自由に踊るサルサダンスとは別のものだが、女性にとっては、色々な小技を教えて貰えるので、シャインが好きな女性も少なからずはいる。
3部構成のレッスンを通しで受ける者も居るが、それなりに中級クラスは技術もいるし、お金もかかる。
ナナは初心者のクラスに出て、夜、パーティーが始まる時間にまた来ようと思っていた。夕飯は、中華を食べようと決めていた。
隣にドーナツを美味しそうに食べて居る彼女は、初めて見る顔であった。小柄で、歳の頃は、私と変わらな30代くらいだろうか?
正直な所、女性の年齢は全くわからなくなって来ていた。サルサをやってる女性は特に、年齢不詳ばっかりだった。
何やら、スマホを片手で操作しながら一口、一口とドーナツを口に運び、たまにペロッと舌先で唇の端を舐める。
女のナナでもドキッとした。
所作が色っぽいと思った。可愛いと思った。じっくり観察した訳では無いが、肘と肘がぶつかりあうくらいの狭いスペースである。
まして、サルサのシューズを彼女は持っているのである。
気になる。
『話しかけて見ようか?』
そんな勇気は生憎、ナナには持ち合わせていない。
ただ、彼女に惹き込まれてしまった事は言うまでもない。
服装、シューズ、アクセサリー、バッグの全てにおいては、お洒落ではあるが、上品な大人の女の魅力が出ていた。
彼女の持つ持ち物全てが、お洒落で、素敵な小物達ばかり。ファッションに疎いナナでさえ充分にわかった。
決して、名古屋の女性が好きな明らさまのブランドのバッグを持っている訳では無い。
主張し過ぎない、アクセサリー達。
人差し指にはプラチナだろう、ダイヤがプレスしてある細めのリング。
お揃いのピアス。
ネイルも、白のフレンチネイルが施されている。白くて細い指先に良く合っているが、二十歳の指先よりはシワも血管が目立つ。
キャシーと同じように歴史が感じられる手の甲ではあるが、それが職業病か?太陽の下で働く人の手か、美容師みたいにシャンプーを絶えずする人の手かも知れない。
実際のところ、分からない。だけど、身体と同じように華奢な指ではあった。
横から見た伏し目がちの目には長い睫毛が付いていた。正面からの照明が彼女の顔に当たり、長い睫毛が彼女のピンク色のチークの上に影を落としていた。
今、流行りのアイラッシュだ。つけまつ毛と同じようなものではあるが、自分のまつ毛に一本、一本と接着剤で、あたかもそれが自分のまつ毛であるかのように、一体化させて、長く、美しいまつ毛が作り出されている。
美しいと言うよりは全体的な雰囲気は可愛いと思った。
服装も可愛かった。自分を良く知ってる人だ。膝丈の花柄のシフォンスカートに薄い生地で出来たベージュの七分袖のブラウス。
中にはクロのレースのタンクトップ。
よく見ないと分からないかも知れないが、今座っているナナの席からは、ピッタリ背中に張り付いたレースのタンクトップが物凄くセクシーに目に飛び込んできた。
計算尽くされたファッションだと思った。
サルサを踊ると、クルクルと何回転も、リードによっては要求される。その時、スカートが捲れ上がる。
程よい丈のスカートだと思った。きっと彼女がはいているスカートは回転するたびに花びらが舞うように出来ているだろう。
ドキドキした。ナナは、自分が男になったのかも知れないと思った。
その時、
「あ、いた!」
入り口のドアから若い男の声がした。
「智ちゃん、打ち合わせあるから。」
「あっ、うん、わかった。すぐ出るから先行ってて〜。」
後ろから聞こえて来た若い男の声に応えるように、『トモちゃん』と呼ばれた彼女は、今しがた食べ終えたばかりのドーナツが置かれていたお皿とコップをトレーに乗せて、店員に
「ごちそうさまでした。」と、爽やかな声で店を出た。
その後、ナナは『トモちゃん』が凄い魔女であると思い知らされる事となるのである。
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