第5話そっか。そっか。
薄暗い通りを歩くナナリは、貧民街の風景を見渡した。
すれ違う人々は皆生気が感じられない。栄養不足からだろう、立てずに膝を地面につけたまましか歩けない人もいる。やせ細った体は、不謹慎だとは思うのだが、気持ち悪いものだった。
どこからともなく臭ってくる異臭。その原因は何なのか考えたくもの。
土の上に布切れを引いてる人は、「あ、、あ」と言いながら何かを求めて手を伸ばしているようにも見えた。
彼には栄養不足で幻影が見えていた。
そして、健康そうな人もいるのだがこっちもこっちでいい雰囲気ではない。
常に辺りを睨みつけているように視線を走らせる男達は獲物を探している獣のよう。
日本からこの世界に来てもずっと履き続けているナナリの靴はただの生地と成り果てた。原型を成していない。
足の裏からは地面の感触が直に伝わり、ろくに舗装されていない貧民街の土は彼に痛みを与え続ける。小さな石が酷く腹立たしかった。
そして、そんな事を思う自分が酷く惨めだった。
ナナリが歩いていると、そこに1人の人影が近寄ってくきた。
背は小さく、ナナリに胸にも届かないくらいだった。
小さな男の子だ。体を拭く事もないのだろう、体全体が薄汚れ不快な臭いを発している。
年は10歳ぐらいに見えた。だが、栄養不足で成長も遅れている可能性がある。見た目がその年とイコールとなるかは判断不能だ。それでも、貧民街の中ではマシな体つきをしていた。
「お兄ちゃん…。」
深刻そんな表情を見せる男の子。
体の痛みと自嘲してしまうような哀れさにあって、誰かに話しかけて欲しくなんかなかった。
けれど、傷や打撲などが体に痛みを与えていても、ナナリはそうとは見せないよう男の子に笑顔で接することにした。
自分の感じている不快感、苛立ちと哀れさ。そんな感情はこの男の子には関係ないのだから。
この男の子には普通に接するべき、だけど今の俺は苛立ってるだろうし普段以上に優しくしないとね、と微笑みを作ることにした。
ナナリは笑った顔を作ると、実際に優しくなれた感じがして気が楽になった。
優しそうな笑顔を見て男の子の顔が綻ぶ。硬く握り閉められていた手を解いて、子供らしい動作で手を伸ばした。
どこか陰を宿したような瞳で。
「どうしたの?」
ナナリはそれに気づかずに、微笑みを残したまま男の子に問いかける。
汚く誰もが触りたく無いような黒ずんだ色のその困ったように伸ばした手を「安心して?」と示すように手に取った。
ほっとしたように男の子は喋り始める。
「あのね。お母さんが重いもの運ぼうとして怪我しちゃったんだ。お母さんは大丈夫だけど、僕じゃ運べなくて…」
男の子の雰囲気が暗くなる。「心配なんだ」とお母さんへの想いが伝わってくるようだった。
「どうしたの? いってごらん。できる範囲なら相談に乗るから。」
男の子の様子に、遠慮しなくていいからねと、もう一度微笑みかける。
「え、え、えっとね……」
「何?大丈夫だから。落ち着いて。」
男の子はスーハーっと息を吐いて、心を落ち着ける。
「え。えっとね。お兄さん、力持ちそうだったから。て、手伝って下さい。お、お願いします!」
男の子は手を胸の前で合わせて、懇願するように頭を下げた。
ナナリの顔が曇る。
正直に言うと、冷静に自分の状態を考えて、力仕事ができるかどうか不安だった。
男の子が不安そうに覗き込むに見上げる。
あまり綺麗では無いけれど、その瞳は真摯に訴えていた。
ナナリも断るにも見てあげなきゃ断るのも可哀想だなと思い、「分かった。出来ないかもしないけど、出来る限り頑張るよ」と了承した。
「あ、ありがとう!こっち!こっち来て!」
パァーッと顔を綻ばせ、ナナリに手招きをして狭い裏路地へと走っていく。
ナナリは、しょうがないなぁ、とでも言うように苦笑して後を追って裏路地に入っていった。
その様子を見た貧民街の人達は気味が悪そうにしていた。
子どもは、入り組んだ道を進んでいく。薄汚れた道には何もない。
カサカサと音を立ててるのは虫の音だろうか。
まるで、ナナリは、何かの意思にに吸い込まれるような雰囲気を感じていた。
男の子の笑顔を見て顔をほころばせる。「こんな子が元気にはしゃげる場所なんだ。危険なことはないだろう」と。
少し開けて行くところに、子どもが出て行く。手招きをしている子供は嬉しそうだ。
その広場は苔むして古ぼけた家々に囲まれている。その家には人がさっきまでいた痕跡。
空き地の入り口には4人の男達。そして奥まった所にさっき男の子。
ナナリには男の子しか見えていない。
その広場に出て行こうと歩く。
広場に足を踏み入れた。
何だか秘密基地みたい。と微笑ましい気持ちを感じながら進んでいくと、突如生じる右頬に痛み。
視界がぶれて世界が横倒しになっていた。
ナナリは地面に崩れ落ちる。
「えっ?」
何が?と疑問に感じあげた声は、笑い声に打ち消された。
「ギャハハハハ!マジかよ!本当に引っかかる奴がいるとはな!」
「ハァッ、ハァッ。腹痛ぇ〜!どこのおバカちゃんだよ!」
聞こえたのはそんな嘲笑。
ナナリが見上げた先には4人の男達。
ナナリは知らないが、彼らはここら辺で有名な暴力集団だった。
本物の盗賊達には及ばないが、暴力を専門とした連中である。
1人の男が足を振り上げる。
ナナリの腹に男の足が食い込んだ。
腹の内臓が蹴り出されるような痛み。
グハッ、とナナリは痛みに息を詰まらせた。
男達が集団となって蹴り始める。
ナナリは突然の状況に困惑した。男の子について来て何故こうなってるんだ。それに、あの子はさっきまで向こうに居たはず。男の子は無事。危険そうな雰囲気はなかったのに。
痛みと困惑がナナリを支配する。
そんな中、一つの聞いたことのある声がした。
「ねぇ! 僕にも、僕にも分けてね!や、約束だよ! ち、ちゃんと、ちゃんと、命令通りにやったからね!」
男達の1人に必死に男の子がしがみついていた。
目は血走っていてさっきまでの様子が嘘のようだ。
「あぁ、分けてやっから待ってろ!」
「ぜ、絶対だからな!」
「っ!何生意気な口きいてんだ!?邪魔なんだよ!」
そう言ってその男は、その男の子を力強くはね飛ばした。
「あぁ!」とナナリが手を伸ばす。
だが、ナナリの行動は意味を成さない。
勢いよく男の子が飛んでいく。地面に叩きつけられた男の子は体を打ち付けたものの、ちゃんと息をしていて無事だったものの呻き声を上げている。
ナナリの視界は歪んだ。
なんで?どうして?どうしてそんな……。
疑問の言葉を並べるもそれは疑問ではない。
分かっている。分かっていた。
けれど、ナナリは認めたくなかった。認めたら何かが終わってしまいそうで、何かが壊れそうで。
頭を守って必死にナナリが耐える中、男達は背中を、腕を、腹を、腿を、尻を蹴り続けた。
けれど、こんな痛みなんて無いんだ、幻想なんだ、俺は騙されてなどいない、と必死に耐えた。
でもいくら自分に言い訳をしようと「この男の子は…」と言い訳の内容が思い浮かんでこない。
男の子が騙されたいたのかもしれないと仮定するも、さっきの男の子の発言が否定している。
ナナリは何も考えられなかった。考えたくなかった。
男達のナナリへの蹂躙は続いたが、数分後、1人の男がつまらなそうに言った。
「なぁ、オズの兄貴。こいつ全く抵抗しないぜ。」
「あぁ、つまんねぇーな。やり甲斐がねぇーわ。奴隷にするにもなぁ。これじゃあつまんねぇーな。」
オズというリーダー格らしき男が吐き捨てるように答えた。
「兄貴。もう、こんな奴適当に金品奪って……何も持ってなさそうだな。まぁいいか、適当に探って終わりにしましょうや。」
「そうだな。」
オズという男は頷き、ナナリにもう一度蹴りを入れ呻いているナナリの手を踏みつけ、何もできないようにして体を検分する。
ナナリは暴れもしない。
意識は子供の所を向いていた。なんで…?なんで…?と問い続ける。
「ちっ。こいつ本当に何も持ってねぇな。おい、行くぞ!」
「マジかよ。使えねぇーな。」
「ちっとは、人様の役に立てよ!ゴミが!」
そう言って男達はナナリに蹴りを入れ、去って行った。
ナナリは、金品の類は一応持っている。
だが、男達はナナリへの興味を無くし、雑にに調べただけだったので見つからなかった。
男の子は突き飛ばされた痛みから立ち上がっていた。
その男の子は、悔しそうに去って行った男達を睨む。
そして、ナナリを一瞥するが、何も感じていないような表情で立去って行った。
広場には、小屋のような建物の隙間をぬって吹き込んだ風が音を立てて誇りを巻き上げた。
ナナリは痛みなんてもはやどうでもいいようだった。 男の子のその様子を見ていて、ナナリは、自分でも分からないまま笑い出していた。
「はは、そっか。そっか。そうだよな。そっか。はは、あはは、ぁぁ、そっか。そっか。」
彼の顔は笑っていた。けれど、彼の笑いは泣いていた。
「そっか。そっか。人間って。あ、あはは、あ、ぁぁぁぁ、ぁうぁ、うっ」
彼はしやくりあげて泣き始めた。目の上に腕を乗せて上向きに地面に寝転がったまま。
「でも、でも……。そんな、そんなの、そんなのって。うぅぁ、ぁ、ぁ。」
その空き地には、再度風が吹き抜けて行った。
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