第6話エリシア
ナナリは起き上がり、帝都の外に向かっていた。もう、痛みなんて分からない。
苦しかった。胸の奥を針で突き刺し続ける、その痛みは治る事を知らない。
全身、いや全心が悲鳴を上げていたのかもしれない。
ナナリは帝都の外に向かう事にした。
この場所から早く離れたかった。何かが自分を変えてしまう前に。
帝都北西部。その貧民街。 ナナリがさっきまで働いてた場所もここにあった。
人々が帝都中心の方向を見上げると、必ず目に入るものだある。
アルキス帝国の象徴となるその建物。 アルキス城。この城は帝都のどこから見ても視界に入るほどの高さを持ち、もし帝都を上から俯瞰的に見るならば帝都の中心にあるその広大さが分かる。
皇族などが住むその場所は周囲を高く頑丈な壁に囲まれている。その頑丈な壁は帝都全体を囲む外壁と比べもの4メートルほどの高さを持っている
二ヶ所、アルキス城を囲む壁にある門には近衛騎士団の訓練場などがあり帝都、いや帝国全体で最も多い人数の兵士達が守りについていた。
帝都の中心部は中央区という区画が存在する。アルキス城もあるそこには貴族と呼ばれる人たちや豪商などの人たち住んでいた。
また、1区から6区までが旧街区と呼ばれ中央区をぐるっと囲むようにして存在し、比較的裕福な人達が住む区画だ。
下級の貴族はその中でも裕福な人達が住む1区に住む人もいるらしい。
そして、7区から12区までがその外側にまた囲むように存在している。
ここは新市街と呼ばれ、市民が大部分を占めるが貧民街もある場所だった。
同心円上に都市。それが帝都だ。
ナナリは足を引きずりながらある場所に向かっていた。
とりあえず慣らしといたからとでも言わんばかりの道の幅は狭く石や木片が散らばっている。
まだ、ガラスの破片とかが無いのは幸いだろうか。
ガラスはあまり見られるものではない。ナナリ見た事には見たことはあるがここら辺では普通見かけないものだった。
やはり貧民街。歩く道の端には、偶に浮浪者や浮浪児が見受けられ街娼もいる。
これでも治安がマシな地域である。
稀にだが、二人一組で巡回する兵士の姿がみえる。だが、この兵士は当てになるかどうかは分からない。
暴力行為が行われていても、酷くならない内は見て見ぬ振りをする兵士もいる。さっきだって、ナナリは彼らが駆けつけてくれるなんて微塵も考えてなかった。そして実際そうだった。
アルキス帝国は、10年程前内乱が終息したばかりらしく、帝都を囲む外壁があるのだが、その壁は崩れているところもあり、風穴が空いている。
どうして内乱が起こったかは、ある程度情報が流れてくるが、どうせそんな情報なんて信用できるわけがない。まして、一介の市民が真相なんて分からないだろう。一か月前にこの世界に来たのではなおさらだ。
10街区の所にある外壁の向こう側には森が広がっている。
そこが今ナナリが向かっている場所だ。森にはある程度食べ物られるものがあった。
リンゴ。この季節木になっているのはリンゴがあった。
普通、食糧として採集されなくなってしまうのではないかと心配だった。
だが、この世界にはリンゴと同じ形で黒い毒を持つ木の実がある。
それによって、リンゴも毒を持っていると考えられ採集されないのだ。
ヨーロッパにはそれと同じ理由でトマトが毒を持っていると考えられていたとい話がある。
飢餓で死人が続出した時に、トマトを食べて毒がないと分かって初めてヨーロッパでトマトが食用となったのだ。
でなければナポリタンスパゲティなどは存在しなかっただろう。
このリンゴが無ければナナリは飢死していたのは確実だ。その意味では助かったのかもしれない。
先程までいた場所と外壁までとの距離は遠くはない。だがつたない足取りはたどり着くまでに、空が薄暗くなるまでの時間を奪った。
外壁は3メートルほどあり、まず超えることは出来ない。
外壁の下の方に空いている、体が通るかどうかぎりぎりの穴を、地面に体を伏して、腕で地面を掻いて這うように潜る。ナナリはなんとかつっかえつつも体を外に出した。
元々、泥だらけの服は砂を払う気にもならなかった。
立ち上がった目の前に広がるは鬱蒼とした森。
帝都の外壁は所々崩れているとはいえ、幾人か帝国の兵士が見回っていることがある。
見つかると問答無用で拘束されて罰金を取られるたり、牢屋に入れられる。
だから、ナナリは本当にひどい状況でなければまずこのような危険なことはしないの。少し自暴自棄になっているところもあったのか、ナナリは何かに駆られるように森に向かう。
意識は朦朧そしていたけれど、警戒は体に染みついていた。
外壁を出た後は森の中まで見つからないように早く、迅速に移動しなければならない。
唯一の利点として見つかる危険がある代わりに、その兵士達がいるおかげで危険な獣などの存在は多くはない。
ナナリは森までの距離を見つからないように、早足で急ぎ森の中に足を踏み入れる。
息を殺して耳に神経を集中させた。静寂が訪れ、聞こえてくるのは風の流れる音のみ。
幸い見回りには見つからず森に入ることが出来たようだった。
森の中は人が入った後があり、比較的歩きやすくなってはいるが原生林である。
足下を気をつけながら歩く。今は暗い時間帯。森に入る人はほとんどいなかった。
程なくして、多少開けた場所に出る。
小川が流れていて水のはねる音は自然の色に鮮やかな感覚を与える。綺麗な小川だ。水は澄んでいて川底は容易に見ることができるくらいの透明度。
この水は綺麗で、飲み水として利用出来るかは分からないが体を洗うときはいつもここで体を洗っている。ちなみに石鹸はない。
この世界では、石鹸は高級品の一つだ。
日本人はそのままの自然に優美さを感じる民族。ナナリはさっきまでの荒んだ感情が少し忘れられた。
小川が流れる川辺にある石の上に腰掛ける。
「あ〜ぁ。なんだろうな。はは」
自嘲を含む声音を発して、手に触れていた小石を川に投げる。
「どうしてなんだろうな。はぁ〜。」
ため息の後ろは、嗚咽に変わっていた。
水の中に小石は吸い込まれ、ポチャン、と水音を上げる。
泣きたくないけれど、その感情が溢れてくる。
ナナリの瞳から溢れる雫は止まらなかった。
水の流れを追って顔を上げる。
暗闇の中に違和感があった。薄暗くて良くは見えないが。
すると、雲に隠れていた月がナナリの周囲を照らしていく。
理由はどうあれ少し余裕のできたナナリの心に月明かりによって銀色に輝く水の流れは自然が直接心に染み込んでくるような感覚さえ抱かせるもの。
照らしていく月明かりは徐々に範囲を広げていき、その場所を照らした。
それは人影だった。小川の向こう岸にうつ伏せに倒れていた。
寝ているとは思わない。
こんな場所で、しかも1人で寝るわけがない。危険な獣は少ないだけで皆無ではないのだ。
多分、何かがあって倒れている。
ナナリ小川の反対側にある人影に走り寄った。
体はボロボロだったけれども、何故か彼の体は何かに急かされるようにできる限りの力で近づいた。
「無事でいてくれよ…」
祈るように呟く。ナナリは自分の声が震えているのが分かった。
涙で
見えたきた人影。
それは魔法を使う人、魔法士が着るローブを羽織った、女性のものだった。
流れる金色の髪は暗闇の中でも輝くようだが、その髪は泥や砂に汚れていて、背中を血が赤く染めている。
「うっ、、、」
女性がわずかなうめき声を上げた。
「どうしたんですかっ」
ナナリは掠れた声しか出ない。
生きていたことに対する喜びか、彼女の危ない状態に対する不安の溢れか、相反する感情なのに、どちらか、または両方なのか分からないが、視界が歪んだ。
泣いてる場合じゃないと思い出し助ける事を考える。見れない顔になっているだろうが、助ける事が優先だった。
流れている血は多いが、致死量とは思えない。流れる血以外の事が原因だろう事が推測された。
「大丈夫ですか。」
「このっ、、、」
倒れている女性は、抵抗するように手を振り上げようとする。
絞り出すように出す声は弱々しい。もう動く力もないのか、手はぐったりと落ちた。
それでも執念を感じさせる動きで首を動かし、顔を僅かに上げ、睨むように視線を向けてきた。
その顔は、苦痛に歪んだいたが、今までで見た誰よりも美しいものだった。
倒れている頭上方向から覗き込む形だが、その子細はしっかりと見える。
肌は白く、瞳は切れ長で、強い意志が感じられ、鼻筋が綺麗に通りその向こうに見えるのは薄い唇。
まだ、幼さが残る、大人になりかけているその顔は、全て完成されたパーツになっているのに、またそれらが黄金比で並べられ、精巧過ぎて人形などの人の技術では到底、到達出来ない領域にある美しさだった。
何よりも鋭いその視線に一瞬、気圧されてしまった。
だがその表情は、こちらを向いた瞬間困惑したようになった。
「な、なんで、あなたは泣いて、、、?」
「自分でも分からないでずっ。いえ!そんな事よりどうしたんですかっ?」
少しやけになってまくし立てる。
「や、矢で打たれた、、、多分、毒、、」
毒。対処方法はどうすればいいだろうか。どんな毒か分かればなんとかなるかもしれない。
「どんな毒か分かりますか。」
「あ、いつ、らは、、、蛇の毒を使、、うわ。」
あいつら。彼女が言うには、人がやったということか。
「俺はどうすれば」
「、この毒は、、、死ぬ、、」
話すことにすら苦痛を感じるのか。段々と声はしりすぼみになっていく。
すると、鋭い声が森を駆け抜けた。
「おい!こっち方向に逃げたぞ!探せ!」
「こっちだこっち!集まれ!」
随分と遠くだが、何やら、ガチャガチャと金属同士がぶつかり合う音が近づいてくるのが分かった。
外壁近くのこの場所は、兵士が見回ることもあるはずだが、この時間帯には兵士はいないはずだしやけに数が多い気がした。
「逃げ、、、て、この毒は助からない」
「何言ってるんですか!助けを求めましょう!なんとかなりますから!多分、兵士が来てくれました。」
ナナリは励ますように強くそう言った。
「違う、、あいつらに、、やられ、、た」
ぐったりとした彼女。そう聞いてナナリは反射的に、状況てしてまずいと感じた。森の中では、聞こえてく音の数から逃げ切れる気がしない。この大人数では隠れきれない。
帝都の中に入れば何とかなるかも知れない。
「身体、失礼します。」
そう考えて彼女の身体を抱き上げた。お姫様だっこだ。こんな状況じゃなきゃ、恋愛に対しては、れの字は知っていてもんの字は分からないナナリには、気恥ずかしくて女の子にこんなことなんて出来なかっただろうが。
彼女の身体は、身体の割に重かった。太ってる?と少し場違いな事を思ったが、身体の線は細いし筋肉質ではない。
ナナリは悲鳴をあげる体をが無視して立ち上がった。
穴の場所まで、とにかく走る。
一歩踏み出すたびに見つからないか、見つからないかと焦燥が募っていく。
「何故、、、こんな私を、、」
「助けたいからです。」
彼女がした質問の答えにはなっていないのかもしれない。
自分でも彼女を助けた理由なんて分からない。だからナナリはそう答えた。
狙われているだろう彼女を助けようとするのは、最悪自殺行為になる。
やはり俺は人を助けたりしたかったのだろうか。
ナナリは走りながら疑問に思った。困っている人がいたら手伝いぐらいするが、ナナリは本当に助けようなんて思ったりはしなくなった。もし助けるなら、ちゃんとその人に対して助ける事に責任を負わなければならないからだ。
もし親が、子供を産んで一時期だけ育て捨てるならばそんなひどい事はないだろう。その人がいなければ生きていけない状況になっているのならなおさらだ。
それに、さっきの事もある。人助け。それはこの世界ではそう簡単に試行、思考してはならないものだ。
それでも、ナナリは自分に感謝した。こうやって動ける自分に。こうして彼女を助けようとできる心が嬉しかったのかもしれない。
多分、何かが変わってしまったけれど、何かはきっとかわっていないから。
苦しさのせいか、彼女は走る間は会話したのは一言だけだった。
振動が伝わり痛いのかもしれないがとにかく急がなければならない為、ナナリは申し訳なさを感じながらも走り続けた。
「ごめん。痛いと思うけど」とナナリが謝ると、彼女は無言で首肯した。
何度も落としそうになった。それでもナナリはそんな事は許さないとばかりに気合を入れた。
腕の中の彼女は重みがあるのにも関わらず、今にも散ってしまう花びらのようにも感じられる。
彼女に侵入しているのは蛇の毒だ。ナナリは蛇の毒の対処法について考える。
確か、沖縄に行った時に蛇に噛まれたらお酢をかけろと言っていた。 この世界にもお酢はある。 蛇の毒は基本的にアルカリ性なのだ。だったらどうにかなるかもしれない。
この世界独特の毒だったらどうしようもないが、考えてもしょうがない。
できる事をやるべきだろう。ナナリはそう結論づけた。
そんな事を考えていたら、森の外まで出ていた。ナナリ達はまだ見つかってはいない。
周りを見渡すと兵士の姿は見えない。それでも不安は拭えなかった。緊張で心臓の音のうるささナナリは緊張感と不安感を覚えた。何も食べてない胃が、吐き気を訴えていた。
外壁までこれまで以上に急ぎ、穴の側に彼女を降ろした。
「ごめんなさい。この穴をくぐります。」
彼女の身体を先に、できるだけ傷つかないように穴に通す。彼女は力が入らないようで、少し押し込むようの形になってしまった。
彼女の身体はナナリよりも細いため、ナナリは穴にローブが引っかかりながらも、彼女を楽に通すことができた。その後に、ナナリも森に向かう時と同じように穴を這うようにしてくぐり抜ける。
一秒一秒が、一つ一つの動きが遅く感じられた。
穴を抜けると、雑多な小屋などが立ち並ぶ光景が目に入る。
「今から俺の宿に行きます。いいところじゃないですが、申し訳ありません。」
彼女は、痛みに耐えているようで、顔を顰めながら頷いた。
ナナリはここから近くに宿を借りている。
ここ最近は地べたで寝ていたけれども、最近字も覚えて稼げるようになったのだ。
この寒い季節に外に寝るわけにもいかず、無駄遣いなんてできないため、このあたりで一番安い宿にボロくて狭く、布団すらない個室だけれど。
名も知らない彼女を、今度は背負うようにして歩く。
汚れた道を真っ直ぐ歩き、右に曲がり、また左に曲がると、そのオンボロ宿の姿は右側二軒目に見えた。
到着し急ぎ中に入ろうとするが、扉はガタついてなかなか開かない。
一度深呼吸をして冷静になってドアを開けて中に入る。中に僅かな通路を挟んで椅子に、年老いた髪のない頭のお爺さんが座ってた。
お爺さんは不自由な体なのだろう。処理もしてないのだろう髭が伸びきっている。
顔に刻まれた皺は深いく、身なりが良ければもう仙人ように見える風貌だった。
大抵の宿は、食堂を兼ねているが、ロクにスペースがないこの店は狭い廊下で立ち食いだ。そして、その食事は別料金。
まぁ、激安オンボロ宿だしょうがない。
この世界でば、香辛料、砂糖、は高価で塩も比較的高価だが、お酒、お酢は普通の人が手の届く値段である。お酒を酸化させるとお酢になるし、お酒も発酵飲料なのでなんとかなるのだろう。
「おじいさん、お酢一杯分くれませんか?あとお酒も。」
服のポケットから大銅貨を10枚ほど出す。これは来週以降のここに泊まる宿代のものだで、ナナリのなけなしの僅かなお金だった。
お金の知識もナナリがこの世界には来てから身につけたものの一つだ。
お爺さんは聞き取れない声でゴニョゴニョと呟いた後お金を受け取る。覚束ない足取りで宿の奥、お爺さんの居住スペースに向かって行った。
多分了承してくれたのだろう。分かりにくくてしょうがないが。
毒は、早く対処しなければ手遅れになる可能性が高くなる。
待つ時間が30秒程なのにとてつもなく長く感じた。
プルプルと震える手で、木製のお椀を2つ、これまた木製のお盆で持ってきた。ナナリはお爺さんに、ありがとうございます、とお礼を言い、通路の左右に5部屋ずつある部屋の右側1番奥、借りている場所に向かった。
疲労と痛みで、足がガクガクと震えている。
扉とぶつからないように、体をずらして部屋に入った。部屋はもう完全に真っ暗だった。
立て付けの窓を開けると月明かりが入ってくる。ガラスの窓ではなくただの木製の扉だ。ガラスは安くない。一般市民なら少し無理をすれば手が届く金額ではあるがナナリにはまず無理な金額だ。
部屋は4畳ぐらいの広さで床は木製でそれ以外は何もない。ナナリは床に彼女をそっと降ろし寝かせた。背中から血が流れているが、ローブを着たままでは、傷がどこにあるかしっかりとは分からない。
「ごめんなさい、傷、服脱がせてもらいます。」
彼女は、やはり抵抗があるのだろう一瞬だけ僅かに肩を震わせた後、首を縦に振った。
傷に触れないよに慎重に、傷の場所までローブの下に来ていた服をめくりあげる。
見えた肌は白く、汗ばんでいて、思わず息を呑んでしまったが、傷が見えた所でそんな気持ちはどこかに行ってしまった。傷はそこまで悪化してしなく、5センチに渡るものだったが、変色しているような場所はない。
なんとかなりそうだ…
一瞬ためらう気持ちが浮かんだが傷に口をつけて毒を吸い出す。
口の中に広がった鉄の味が広がり、それを吐き捨てる。
その動作を数回繰り返した。
正しい回数なんてわからなかったがその後、とにかく慎重に、傷を浸すようにお酢をかける。お酢のツンとする臭いが部屋を満たしたが気にならなかった。
その後、井戸から汲んだ水で、熱を持った彼女の身体を冷やしながら、4時間もの間看病し続けた。
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