万年筆

私はうどん屋に入り、ざるうどんと卵かけごはんを注文し、それらを早々に平らげた後、盆ごと脇へよけた。椅子に掛けていたリュックから原稿用紙を取り出す。そして最後にソレを手に持った。慎重に、壊れ物を扱うように。買ったばかりの『万年筆』はプラスチックで包装されていた。開封して説明書に目を通した。

文房具に生まれて初めて惚れてしまった。定価四千円の代物だったが、書店で見つけてからというものシルエットが頭から離れなくなった。私自身もどこにそれほどひきつけられるのかわからなかったが、こういうのを運命の出会いと呼ぶに違いない。邂逅から一月経てようやく購入できた。

手にとり、間近で見つめ、表面の艶を指先で堪能していくと、なるほど自分がコイツのどこが好みか分かってきた。まず、鋭角なペン先の銀色が眩しい。おそらく白紙の上で織りなす黒字と銀色のセッションに私は書く手がとまらなくなるのではないだろうか。メーカーのマスコットなのか知らないが、ペン先に刻印されたニコニコマークもおつだ。そしてフォルムがなんとも良い、学生が使う筆記具としては高めのお値段を裏切らない、手にフィットする首部分は丸みを帯びた六角形となり長時間の運動でも負担のないよう調整されている。女性ウケも視野に入れているのか、シンプル過ぎずかつフォーマルな空間にもなじみやすい乳白色の軸部分と、レモンイエローのキャップのコントラストは一言にしがたく魅力に富んでいる。持っているだけで元気を与えてくれそうだ。

説明書を読み終え、各部の名称も憶えた私は、ついにインクカートリッジの装填にとりかかる。このインクカートリッジとは、万年筆の心臓とも呼べるパーツであり、その名の由来となる機能を有している。コイツがインクを首経由でペン先へ送り込むから書くことができる。仮にインクが底をついたとしても、瓶入りインクなる別売り品があれば、そこからインクを吸引し、再び息を吹き返すことが可能なのだ(と書いてあった)。ゆえに、万年筆。この大量消費社会に反旗を翻そうという15センチそこらの革命家に、尊敬の念を抱かずにはいられない。

私は説明書を参照しながら、カートリッジを真空パックから引出し、首部分に差し込んだ。あとは押し込むだけだ。私が腕に力をこめようとしたその時、何か違和感を覚えた。デジャブだ、このままではこの万年筆をオシャカにしてしまう。そういう確信が芽生えた、どうしてだろう私は一度ペンを置き目を閉じる。遠い過去の中に答えを探した。そうだ、初めての万年筆ではない、私は昔に一度万年筆と対峙している。

小学校2年生の時だ、父親の書斎に忍び込んだ私は机の上に置いてあるソイツと出会った。黒塗りで、キャップの縁が金色に装飾された万年筆は、これまでクレヨンと鉛筆とサインペンしか知らなかった私の好奇心を駆り立てた。そしてそのままそれを分解、大破させてしまったのだ。原因がカートリッジだった。分解後にはめ直す時、上下を間違えていることに気がつかず押し込み、ペン先を歪ませインクを机の上にぶちまけた。

記憶の底から上がった私は、ゆっくりとカートリッジの上下を確認した。間違っていた、危うく過去のあやまちを繰り返すところだった。私はもう十数年前の自分とは違うのだ、今こそ過去を払拭し、未来へと歩み出さなければならない。私は調整をし直した。今度こそカートリッジを、数センチ動かしてやれば良いはずだ。手元の万年筆はその機能を発揮し始めそして生涯の相棒として共に歩んでいくのだろう。

感銘をうけつつ、意気込んだ刹那、肩を叩かれたので振り返るとうどん屋の店員だった。申し訳なさそう彼がいう。

「お客さん、店内での文房具の取り扱いは迷惑ですのでー」

「はい、やめます」

続きは家でやることにする。

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