前編PARTⅠ
前編PARTⅠの1 ぬくもりの感覚、どこに消えたの?
ゴールデンウィークのあとの日曜日。人はごった返していた。
脇を歩いていた上品そうな中年女性が突然立ち止まって苦しそうに胸を押さえ、よろけた。
信号がもうすぐ赤に変わることを告げるメロディが鳴りはじめた。
うしろを歩いていたノゾミは思わず脇にかけよって、
「手を貸しますから」
と声をかけ、右手で彼女の右手をとり、左手を彼女の肩にかけた。
その瞬間、ノゾミはフリーズし、表情を凍らせた。
どちらの手も、相手の体に触れている腕も、当然感じるはずだった相手の肉体のぬくもりを感じなかった。
ただ、冷たいゴム製の物体に触れているような感覚しかなかった。
中年女性は苦しそうに胸を押さえながらノゾミを見た。
ノゾミはなんとか気を取り直し、中年女性を誘導して横断歩道を渡り切った。
その女性はノゾミにもたれかかったまま胸を押さえ、ハーハーと苦しそうに息をしながら、
「急に動悸がひどくなっちゃって。悪いけど、私のバッグに薬とお水があるから・・・・」
「わかりました。そのまま、つかまってて下さいね」
ノゾミは相手のバッグを探って、医者の袋に入っていた薬のカプセルと水のペットボトルを取り出した。
「飲ませてもらっていい?」
「はい」
ペットボトルの蓋をあけ、一口飲ませ、カプセルも飲ませてあげた。
「ありがと。少ししたらおさまると思うから」
「ビルの壁のところに移動できますか?」
「ええ」
二人はゆっくりビルの壁際に移動した。
しばらくすると、中年女性の胸の動悸はおさまったようだった。
「きのう、ケーブルテレビの深夜放送で懐かしい映画をやっていたから、
つい観ちゃったら、寝不足になって、横断歩道を渡っていたらあんなになっちゃって」
「このビルにいろいろ喫茶店なんかがありますから、少し休んでいった方がいいんじゃないですか?」
ノゾミは正面の新しいビルを指さしながら言った。
「私、ちょうどこのビルのカフェでお友達と待ち合わせしてるから。もう手を離しても大丈夫よ」
「そうですか。よかったです」
ノゾミは手を離した。あの、冷たいゴムに触っているような感覚から早く解放されたいという気持ちもあったのだ。
「それじゃ、あたし、これで失礼します」
「本当にありがとう。じゃ、あなたも気をつけて」
中年女性は歩き始めた。その後ろ姿を見ながら、ノゾミはあらためてショックを感じていた。
――人をゴムにしか感じられなくなってしまうなんて。人肌のぬくもりをもう一生感じられないのかな? ああ、何かの間違いじゃないの?
今の時代、携帯やパソコンやタブレットに触れることは毎日だ。
でも、人の手と触れ合ったりすることは少ない。
だから、間違いかどうか、すぐに確かめることはできそうになかった。いつからそうなってしまっていたのかも、全く見当がつかなかった。
――でも、やっぱり今の、冷たいゴムを触る感覚は錯覚じゃなかった。今の女性の手を握っている間中、それを感じ続けていたのだから・・・・・
どうしよう。こんな状態じゃ、抱き合ったってキスしたって冷たいゴム人形とそうしてるような感じになるしかない。
にもかかわらず、ぬくもりを感じている振りをしたらお芝居になっちゃうし。
好きな人に対してそういうお芝居を続けてうまく行くはずないと思う。
『実はあなたのことゴム人形みたいにしか感じられない』
って本当のことを言ったら、相手は信じないで自分と別れるための口実のように思うだろうし。
仮に信じてくれたとしても、愛って心で触れ合うことだからって言ってくれたとしても、
そういうあたしと自然に触れ合うことはできなくなるだろう・・・・
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