第28話
「秘策……?」ゲンジは訝しげに言った。
「わしらが揃って耶蘇教の信者になること。それがが秘策じゃ」
事も無げにヨイチは言った。あまりのヨイチの突飛な策にさすがの千吉も呆れ、サスケとともに頭を抱えて押し黙ってしまった。
「本気か?黒田如水にそんな誤魔化しが通るはずがない。あっと
いう間に偽信者だと見破られてしまうのがオチだぞ」ゲンジは呆れて言った。
「まあ、聞け。信者といっても上辺だけじゃ。『将を射んと欲すれば先ず馬を射よ』と言うじゃろう」ヨイチは経典を開いて言った。
「耶蘇教の教えはただひとつ、仁愛だと言う。死屍累々たる犠牲の出る戦は避け、あくまでも講和で収めたいと思うのが耶蘇教じゃ
――」ヨイチはひと息ついてまた話始めた。
「敵方の鬨の声を聞いたのは昨日。今日は『安息日』と呼ばれる耶蘇教の祝日。安息日という日は心静まり、神を拝む日じゃと言われておる。その日は戦はしてはならない、と――」とヨイチが言い終えようとしたところで、ゲンジが、合点が行ったような口ぶりで、
「今、敵方の松明の灯りは消えている」と言った。
「と、いうことは、敵方は耶蘇教の教えを忠実に守っている」
千吉は頷いた。
「講和で解決を図り、安息日には戦はしない。それが黒田如水である」
ヨイチはここまで言うと、
「次の安息日に、打って出る!」
そう勇ましく言い放った。
「この不可思議な書物には、何と書いてあるのじゃ」ヨイチが兵
糧丸をほおばりながら、ゲンジに尋ねた。
「初めにみ言葉があった。み言葉は神とともにあった。み言葉は神であった」ゲンジは耶蘇教の経典の中ほどにあったヨハネの福音書の冒頭を読み始めた。
「――?」ヨイチはそれまでに聞いたことのないような一見単純だが、神妙な文句を聞くと、兵糧丸を口に頬張ったまま黙り込む。
「すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一
つとしてこれによらないものはなかった」
やがて地平線からは旭日が昇り、あふれんばかりの蒼い海がゆっくりと真っ二つに裂け行くと、そこには乾いた地がはっきりと見え隠れする。昔、映画で見たモーゼの十戒と同じシーンが目の前で繰り広げられるのを見たゲンジは自分の眼を疑った。波打ち際には、強靭な鎧に身を纏った豊臣軍の臣下たちが諸手を宙に差し伸べたと思いきや、頭を垂れ、めいめいが何かに向って祈りを捧げているか
のようだ。
「耶蘇教とは、あのように何も無き処で、何も見えぬ場所で、また、見えぬものに対して、祈りを捧げられるもの、なのか?」ヨイチはゲンジに率直に尋ねた。
「見えぬものに帰依する彼らには、肉体は滅びても、魂は死なずという観念がある。死への恐れは、ほとんど無いといっても良いだ
ろう」とゲンジは言った。
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