第27話

「いいえ……お久しぶりにございます」

ヨイチは慈愛に満ちた表情のおせいを見て安らぎを覚えた。凛とした立ち居振る舞いは観音像を思わせた。

「恥をさらしてしもうた」ヨイチは頭を掻いて言った。

おせいはかぶりを振るい、「方丈様は嬉しいのです。厳しいお言葉でしたけれど」と、最近、島にもたらされた耶蘇教に見られる放蕩息子の例えを話した。

それを黙って聞いていたヨイチが笑い、

「わしは罪人か……」と呟いた。そして、おせいに「何故、耶蘇教の話など知っておる」と疑問を投げかけた。

「四国討伐の中心、豊臣家臣の黒田如水は耶蘇教――」

「なにっ!」ヨイチは不思議な思いがして、

その黒田如水とやらに妙な興味を持ち始めた。

「その耶蘇教というのは、いかなる教えなのか」ヨイチはおせいに詰め寄り言った。おせいは、「耶蘇教は、(汝の敵のために祈れ)と言うことを教えており、(隣人には惜しみない愛を与えよ)と言うことも教えている」と言った。

「そんな教えを信じる男が、この国を征伐に……」

ヨイチはますます混乱し、黒田如水という男が分からなくなっていた。そして、おせいがこれを、と言い耶蘇教の経典をヨイチに渡した。それはなにやら外国語で書かれた、書物のようだった。「『彼を知り己を知れば百戦殆からず』と言いますから」おせいはそう言い終えた後、庫裏に戻って行った。ヨイチは仄かな明かりが消えるのを見届けると、再びオオワシの背にまたがり、西ノ瀧の南壁を目指して飛んだ。南壁では、ゲンジの一行が待ったなしの勢いで、刻々と変化する敵情を把握するのに忙しくしていた。千吉があやつるコンピュータの解析では、敵方の兵力は数は膨大だが、采配を振ることのできる有能な指揮者はごくわずか。であれば、それら統率力は兵の諸所までは行き届かぬ筈。生きスダマを使い、奇襲をしかけて、敵を混乱させるやり方はどうか、とゲンジに問うた。ゲンジはややしばらく考えた後、「やってみよう」と同意した。生きスダマたちはゲンジの命令によって、島の東西南北の要所要所に砦の巌のように張り付き、黒悪天は妖しい姿で港を彷徨う。軍船で乗り込む輩は、黒悪天の妖艶な姿を見るや否や、気勢はたちどころにそがれ

てしまうだろう。闘う準備が整ったところにヨイチが戻って来た。

千吉が状況を伝えると、ヨイチは言った。

「ゲンジ。敵方の家臣、黒田如水は耶蘇教信者であるのは本当か」

「――ああ、本当だ」ゲンジは言った。

「でも何故、その事実を知りえたのだ」とゲンジは不思議がった。

「これよ」と分厚い経典を差し出した。それはラテン語で書かれた聖書であった。

「黒田如水は、異国の教えを信じておる」

ヨイチは、おせいに託されたこの聖なる書を持ちかえり、秘策を携えて、不動明王寺から戻って来た。

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