第26話
島の泰平が終焉することを感じ取ったヨイチは、踵を返し、西ノ瀧の天辺を見上げ、ありとあらゆる有象無象に対し呼び掛けた。
「我々がつまらん蝸牛の角の争いをしている間に、虎視眈々とこの島を亡国にせしめようとする輩達が船団を率いてやって来たようじゃ。我々が今ここで鬨の声を上げるか、暗黙するかは自由。よって明日の事を心配する者はただちにこの島から退散せい!」ヨイチの勇ましい声は闇から闇に伝った。
息を潜めて活動を止めていた植物などの有機物は目覚める。生命を宿す鳥たちや、土中の這う虫、あらゆる生命体が地を掃くように闇の森を滑って来た。得体の知れない物の怪も方々から這い出てて、群れとなり来る。
ゲンジや千吉が西ノ瀧を見上げると、そこには夥しい数の生きすだまがこちらをじっと見てしているのが分かった。背筋も凍る光景に千吉の相棒のサスケが千吉にしがみつく。秀吉の兵士と、西ノ瀧の魑魅魍魎が海峡を挟んで対峙している。
やがて、四国攻めの兵を挙げた秀吉の軍は夜襲奇襲を狙うべく、屋島の突端、長崎ノ鼻にわらわらと上陸した。
兵の大将は鼻を鳴らし、「わしらに兵刃を交えるとは、身の程知らずも甚だしい。海の藻屑としてくれるわ」と言い放ったあと、兵を従え駿馬を繰って街道を駆け抜けた。それと知ったヨイチはオオワシの背に乗り、リキュウや忠吉、安吉のもとへ飛び、ことの次第を伝えた。
「おぬしらに頼みがある。この不動明王寺で真言を唱え続けて欲しい。秀吉の兵の数は数十万騎、やがて剣山、石鎚をやすやすと越え、四国全部を占領せしめる勢い。わしらは奴らを退けるため、魑魅魍魎たる一叢を呼び、抗戦する構えである」と言い切った。
「――それは出来ぬ」
ヨイチは耳を疑い、こがね色の褊衫を纏ったリキュウの背後にいて、身なりは質素だが、顔つきは志操堅固な老人の声を聞いた。
「まったくもって愚問愚答。さっさと西ノ瀧に帰られよ」老人は言った。
「明龍老師――」リキュウは振り返って言った。
「このような夜中に、いったい何の騒ぎかと来て見れば、西ノ瀧に峰入したものの、ついぞ音沙汰無く、暫くぶりに顔を出したと思えば、わしらに経を上げろと申すのか。大概にせよ」老師は喝破した。
「老師。島の一大事なんじゃ」ヨイチは挨拶もそこそこに事の次第を告げた。
「ヨイチ。里心が付いたのか?しかし、ここはもはや、お前の旧里では無い筈。なぜ、西ノ瀧の主に哀願せぬ。さあ、寝るぞ」と言って老師は踵を反し庫裏に向った。
「老師っっ!」
あまりにも冷淡な老師の言葉にヨイチは愕然とし、オオワシが羽を休めている隣に腰を下ろし座っていると、飛石の上を音を立てずに歩いてくる気配を感じ取った。おせいだった。
「――おせい?」
ヨイチは暗がりの中でもはっきりと分かるおせいのまっすぐな瞳を捜した。おせいはおせいで、数年ぶりに聞くヨイチの声に、おせいへの変わらぬ純粋な心を感じ取った。
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