第19話
「さて二人とも、此縁性縁起という言葉は聞いたことがあるだろう」老師はゆっくり数珠を繰りながら言う。
「……惑・業・苦の三道のことでしょうか」リキュウは答える。
「左様。惑とはすなわち無知。無知であると言うこととは、物の道理を知らないこと。 業とは、道理を知らないが故に、度を越した、あるいは道を踏み外したようなことを仕出かすこと。必然、他人や自分をも苦しめる事となる。これが業じゃ。すべては因果関係により成り立つもの」老師が数珠を繰り始める。「いまなお、この島の彼方此方では、魔魁たちによる人攫いが相次いでおるが、彼らは死を忌避し、永遠の命を欲したために魂が成仏が出来ないままとなって彷徨っておる。これが苦じゃ」「己の業により、年若い男や女を連れ去っている……?」リキュウは嘆声をつく。数珠を十二ほど繰ったところで、老師は、嘉祥大師の臨終の際の
言葉を引用して言った。
――死は生に依って来る。我もし生まれざれば、何によって死あらん、と。
「生あれば、死がある。この世に生まれた時よりすでに死はそこにあるのじゃ。その運命を、因果を変えることは我々は出来はしないが、しかし、喪失感、寂寥感をもたらすほどの己の執着、欲はいかようにも無くすることはできる」
そう言い終えて老師が立とうとすると襖がわずかに開けられ、隣室に控えていた雛僧たちが杖を持ってこちらに入って来た。藍色の作務衣が初々しい。見ると忠吉と安吉の兄弟である。
「方丈さま、御杖をお持ちしました」
老師は兄弟の手に引かれて僧房へ退かれた。北向きのそこは身体に悪いからと、孫のおせいが案じていても、未だに住職の住まいとなる方丈へは移る気配がない。
――流刑でのことを思えば
おせいには、いつもそう言っている。
酉の刻、西には宵の明星が煌く。
「また千吉は学問か」リキュウが呆れたように言うと、妻のおせいが、
――ええ朝からずっと
と、にべも無い。
以前、ゲンジが雑談の中で話した産業用ロボットについて、大変な興味を示した千吉は、今では片時も本を離さない。
「ゲンジ兄さんのような学者様になるんだと言って……」とおせいは、悩ましく言う。
「でももし、秀吉公の四国攻めが始まれば、書など無用だと棄てられるやも知れません。千吉も小僧となって心身を鍛錬したほうが良いのでは……」
「いいや、先んずれば人を制すというではないか。戦には腕っ節も大事だが……まあ、ゲンジは今では学者ではなく覚者に気持ちが向き始めたと言って良いが」
とリキュウは笑う。
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