第17話
すでに酉の刻、山里にひっそり佇む古寺の鐘楼に老師が立つ。杉の林からはうっすら月がのぞいている。夕餉をこしらえるおせい。
錫杖を響かせ、陰る段々畑の脇をゲンジたちは歩く。皆一様に疲れた面持ちだが、ヨイチに会えた悦びで足は軽やかだ。
庫裡に通じる蹴放を開けると、そこにはおせいが仁王立ちになって立っていた。夜叉のようなおせいの形相に兄弟たちは縮み上がる。
「……今の今まで何処に行っていたの?」
おせいの後ろでは、老師が泰然と座っている。ただならぬ雰囲気に、皆、一様に棒を呑み込んだように動けない。老師はゲンジが錫丈を手にしているのを観た。すぐにゲンジを傍に呼び、「これは、如何された」と言った。
触れる前から迦陵頻伽を彷彿とさせる麗しい音色が耳に聴こえ来るような錫丈――――
「――期せずしてヨイチに遇い、これまた期せずしてこのような錫丈を手にするなど、まさしく運否天賦を見るようじゃ」と唸った。
そして老師は「おせい……。これはいよいよヨイチのことを彼らに話さなければなるまいな」と言った。
おせいは頷くと、零落して見る影もなくなった村を小窓から見つめながら、ぽつりぽつりと話し始めた。
――十数年前、沖で船が難破した。金銀を積んだ廻漕船だった。遭難の噂はすぐに海賊たちの知れるところとなった。船には商いで富を築いたヨイチの父や兄など一族が乗っていた。抗戦空しく船は沈んだが、ヨイチだけ一人生き残った。哀れに思った主が彼を西ノ瀧に上げると――
そこまで言うと、おせいは凛々しい眼差しを皆に向けて、「主のヨイチに対する眷顧に狂った魔物たちはヨイチを仕留めようと……」
重石をほうぼうに置いた庫裡の板屋根を夕立が、けたたましく打ち鳴らす。
――人間の、それも年端の行かない子どもの身分で主様に拝喝が
出来たのはヨイチだけだった。
――豎子教うべし
彼をひとかどの修験者にしようと数々の試練、修練を積ませた主。崖の上から子を奈落に突き落とし上げてはその手をほどくような容赦のないことを幾度も行った。やがて彼の肉は鋼の塊となり、霊は義で武装された。ヨイチに主の後ろ盾があると知るや魔魁たちは人間たちが住むこの村の人や財産を片端から奪いつくして行った。幾度となく来襲する魔魁に対し長老たちがヨイチに島を去るよう哀訴嘆願に行くのだが無駄だった。村人が結界を越えて中へ入ろうとすると、どこからともなく妖術を使う女が現れてはことごとく退散させられると言う。
「私たちの願いは唯一つ。また皆で静かに暮らしたいだけ―――」
とおせいは言った。
「もし……」リキュウは老師の方を見て言った。
「もし、西ノ瀧にいるヨイチがこの島を出て行ったとしたら、魔
魁たちの攻撃は止むでしょうか」
「止みはせんじゃろう」老師は首を振る。
「彼らの本当の目的は、全く違うところにある」と言った。
「違うところ――――」
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