第16話
「契りたいのです・・・」と女が小袿に手を掛けた寸時、山から疾風の如く
ましらの様な者が降りてきて、そこまでじゃ、と吼えた。
「黒闇天っ!それ以上その男には近づくなっ!」
女はそのましらがヨイチだと知ると、ツツツっと後ずさりをし、棘の垣をざんっ、と越えて谷を下って行った。
ゲンジは放心し、その場にへたり込み、ほどなく気を失った。
ましらのような男は「黒闇天は乳臭い和男がお好みじゃからなぁ」
などと言い、くっくっと笑いながら近づいて来る。
「なんとまあ此奴、よほど堪えたのか腰が抜けとるわい」
どっこいしょと背に担ぎ、姫百合の咲く道すじに日陰を探すと「やっ!」と活入れをした。ゲンジは息を吹き返す。清水を飲ませると正気を取り戻し、視線は脇のましらを見遣る。
「どうやら気がついたようじゃな」
日向に目が慣れるにつれ、ましらと思われたヨイチの顔つきが段々と分かってくる。
「なんじゃ、わしの顔に何かついておるか」
ゲンジは目を瞬かせて、まじっと男の顔を見る。
「ヨイチ……」
男の眼光は鋭く深視、冥暗の中にいても飛蝗の羽ばたきや、小動物の動きを逃さない動態視力を持つ。人間の耳には感じない音も聞き分けることの出来る聴力、鼻においては幾千種の鳥やはうもの、植物の営みを感じることの出来る嗅覚、あらゆる高い山や、切り立った崖を難なく登ることの出来る身体能力を持つ男の正体……。
ヨイチが落ち着き払って真言を唱えると、目の前には光り輝く錫杖が代わって表れた。「この杖だけでは、この辺りを歩くのは物騒じゃ。獣などに襲わ
れそうになったらこれを振ると良い。追っ払ってくれる代物じゃ」ヨイチはそう言うと、ほいとゲンジに手渡した。ヨイチはゲンジの持つ金剛杖に彫られた永劫回帰の文字に目が留まる。
――杖に彫られたこの文字は……
リキュウと三兄弟が駆けつけた時にはヨイチの姿は既に無い。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます