第7話

杜若の周りを行き来するミズスマシをじっと見ていた女の目の前に、ツバクロがすーっと飛来して来た。それは、水面を撫で、旋回し、女のそばに来て何かを伝えた。女は頷き、一瞬で鋭い目を西ノ瀧に向けた。巨大なオオワシが背後から飛んできて背に跨んだ。

「急ぎ主様のもとへ」

オオワシが途轍もなく大きな羽を広げると、瞬く間に乱気流が生じて、そこに棲む鳥たちの鳥栖から咆哮が聞こえる。獰猛なけものたちが右往左往しては嘶く。

谷底をえぐり、吹き上げる上昇気流は、あれよという間にオオワシを暗い雲から引き上げる。西ノ瀧の取次が女のしらせを聞き駆けつけ、注進!注進!と言いながら主の居所を探す。

「なんじゃ、騒々しい」

ヨイチが石窟から這い出して欠ぶ。

女は涼しい眼でヨイチを見ると、主様に会いに来た、と一言告げた。主に何の用だ、ここにはおらぬ。出直せ、とのたまうと、厄難が降りかかってもよいのか、と明晰な声で促す。また人間の襲来か、おぬしの妖術で退散させたらよかろう、と相手にしない。女は、「妖術や九字がきかぬ」とあっさり言い放った。

「何っ!」さすがのヨイチも切歯扼腕し、そいつらは如何なる相手じゃ、と女に詰め寄る。「兎にも角にも、お前では話にならぬ。即刻、主様に会わせよ」と言う。

「分かった、今晩またここに来られよ。主には私が申奏いたす。

その人間はいかなる者じゃ」としつこく女に聞き正すと、薄い唇から漏れた言葉は低く怪しい響きで、

「人間のような面をした……」と前置きする。ヨイチは女に、人間のようなとはなんじゃい、と聞き返す。「人間のような面をした……もののけじゃ……」

「……もののけ」

「そのもののけ、とは獣のことか」

「獣とも違う」

「では、鬼のことか」

「鬼とも違う」

いったい何者じゃ!、と痺れを切らして吼えると、

「人間の面を被った妖魔」

妖魔?女なのか?

「左様。眉目秀麗にして、声は御鈴のように澄みわたり、憂いを帯びた口唇、長く伸びる黒髪、そして艶かしい肢体……世の夫を奪い、子どもを奪い、田畑を奪い、何もかもを奪いつくす……もののけのことじゃ」

「こりゃあ、厄介な」

ヨイチは呆れてその場に座り込んだ。

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