第4話

大阪府と奈良県の県境に位置する金剛峯寺は、高野山高野町にある真言宗の総本山であり、弘法大師空海が修行の場として開山したとされる真言密教の一大聖地である。この場所は、方々を八つの山で囲まれ、その地形から蓮の花を広げたような場所にあるため、仏教の霊山として大変佳い場所であると言われている。四国八十八箇所最後の寺、大窪寺で結願した巡礼者たちの多くは、艱苦を乗り越えられたのは、「お大師様(空海)のお蔭だ」と誰もがここに拝謁に来る。およそ一キロほどの急な坂を登り、朱塗りの大門の前まで来たのは、午後の陽がいよいよ葉桜に影を落とす時間の頃となっていた。

「ついに来たな」

見上げれば見上げるほどに大きく美しい門である。

ゲンジとリキュウは、この尊い大門に深く一礼した。

歩き遍路を始めたころは不慣れから儀礼も分からず行儀作法は滅茶苦茶、その都度、参拝者の動きを見ては、見よう見まねで覚えて来たかいもあり、今では何とか様になっている。さあ中へと入ろうとした矢先、若い女たちのグループが息を切らせて、坂を登って来た。同じように山門に一礼し、こちらをちらと見た。  

リーダー格の女の一人が

「どちらから?」と聞いて来たので

「我々は四国香川から」とリキュウは答えたが、ゲンジは目礼をしたのみでさっさと歩いていってしまった。

「感じ悪い」などと背後から聞こえて来たが、意に介さない。

その中の一人の女が、おもむろに九字を切り印を結ぶと、たちまちゲンジの体は硬直し、先に一歩も進むことが不可能となった。

「なっ!」

――少しは礼儀をわきまえたらどう?

女は菅笠の間から漆黒の目でこちらを睨みながら、そこは主様が通られる場所だ、無礼ものっ!と喝破した刹那、ゲンジの躰は宙を舞い、すぐさま地面に叩きつけられた。

「ゲンジっ、大丈夫かっっ」

リキュウは駆け寄ろうとしたが、彼の躰も鉛を飲み込んだように微動だにしない。女たちの姿はいつの間にか消えていた。カサコソと笹林の間を駆け抜ける狐や犬たちがこちらを見て笑っている。

二人はあっけに取られてその場に立ち竦んだ。

「語りえぬものには沈黙をしなければならない、だな」と言い、いつしか二人は笑い合っていた。

ゲンジは、幼い頃森に入って迷子になった時のことを想い出していた。夏の木立ちにはあらゆる鳥がいた。自分がここにいることを鳴いて教えてくれていたのかも知れない。父の名を呼ぶと声は木霊のように斜面をつたって流れ、それは雨水のように母の頬を濡らしたことを……。

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